小説 | ナノ

「なんかさあ、私たちとは頭のつくりが違うんだろうね。黒木って。」

隣でお通しをつつく友人が初恋の人の話題をあげてきたのは、それはもう唐突だった。
もしかしたら私が無意識に黒木くんを目で追っていたせいかもしない。驚いて横を向いた拍子に、久しぶりに付けてきたピアスが揺れた音がした。

「頭いい学校行ってるんでしょ?よく知らないけど。」
「そうらしいね。」

言いながら、そっと角の席の黒木くんを盗み見れば楽しそうに話す顔が確認できた。

成人を迎えて初めての同級会は、お酒のせいもあってかさっきから異様に熱っぽい空気で満ちている。けど、この騒がしい空間でも黒木くんの落ち着いた雰囲気は感じとれてしまう。時折そこに現れる笑顔はそつがなさすぎて、いい意味でひとり浮いている。

「ねえ花子って今は、どうなの?」
「え?」
「やっぱ昔好きだった人だし、黒木にドキドキする?」
「…やっぱり多少は、ね。恥ずかしいから今日は話さないでおこうと思って。」

カクテルの中でマドラーをあそばせながらふうん、と呟く隣の彼女が、私の表情を見ていなくて安心する。今自分がすごくぎこちない顔をしている自覚は、ある。

「ま、花子も彼氏いるしね。」
「…だからさっき言ったでしょ、彼氏じゃないんだって。ただ会社の先輩にご飯誘われてるだけだから。」
「どーせすぐ彼氏になるよ。一緒一緒!」
「ちょっと、声大きい!」

慌てて黒木くんの姿を探して、こちらの話に耳を傾けていないのを確認してからほっと息をつく。そんな自分の行動に溜息がでそうになる。
私、どうかしてる。久しぶりに初恋の人に会ったからって。

「ちょっとあっち行ってくるね。」

そう言い残して向かい側のテーブルへ隣の彼女が移動していく。私の重い腰は上がる気配もみせないけど、空いてしまった隣のスペースは気にかかる。黒木くんの視界から隠れる壁を一枚失ってしまったみたいでなんとなく心細い。
そのまますることもないので、前にあるホッケの身をつつきほぐしてみることにした。薄暗いライトが私の手にあわせて影を落とす。


片想いしていた3年間は、おかしいくらいに黒木くんが好きだった。相当に、大好きだった。
でも流石に卒業してからの5年間黒木くんを想って溜息をつくなんてことなかったし、ちょっといいなと思っていた上司に誘われたし…言ってしまえば新しい世界に向かって順調に進んでいたのだ。私は黒木くんのいない場所で新しい恋を育てているんだと思っていた。のに。

(完全に、意識してるんだもんなあ、) 

横を向きたい気持ちに必死に逆らって、目の前のホッケをほぐすことだけに集中する。
今更そっちに気持ちが戻ったら大変なのは目に見えているのに。


「花子さん、楽しんでる?」


考えごとの延長線で無防備な顔をあげた先、黒木くんの真っ黒の瞳があった。
頭の中でずっと思い描いていた人物が目の前で、私に話しかけている。理解すると抑える間もなく顔から熱が出て私の口から言葉を奪った。
黒木くんは返事をしない私を気にする風でもなく、空いていた隣のスペースに腰掛けた。その座布団に腰掛ける動作すら、そつがない。混乱するなかで場違いにそんなことを思った。

「あっち騒がしいから逃げてきたんだ。」
「っそっか。」

やっとこ絞り出した私の声に対して、「元気だった?」と笑う黒木くん。おかしくなりそうだと思った。どくんと胸打つ黒木くんに対する「好き」の感覚が懐かしい。ぎゅっと脆くて柔らかい部分を掴まれているみたいで、身動きがとれなくなる感じ。
頷くしかない私の狼狽えを掬い上げるように黒木くんが笑って瞼を伏せた。

「良かった、」


うるさい。うるさいうるさいよ、わたしの心臓。
黒木くんの声がうまく、聞こえないじゃない。
なに、

もうおとなしく認めてしまえばいいの?


「もう僕のことなんか好きじゃないかと思ったよ。」
「え、」

一瞬騒がしい空間に静けさが駆け抜けた。
すぐ喧しさは追いついてきたけども聞き間違いじゃなければ、
黒木くんは、私の好意を、受け入れ、ただろうか?

「ねえ抜けださない?」

なんの計算も見られないような。
言ってしまえばひどく黒木くんに似つかわしくない問いかけ。それに対して現実感を失ったままの私はどうやら迷いもなく頷いたらしい。



ふたりでそうっと部屋を飛び出してひんやりとした空気に触れた瞬間、またわけもわからず胸がしめつけられて、これから先を想って熱が伝播していくのを感じた。黒木くんは沈着な横顔で行く先を見つめたままだ。

「だめだよ僕の知らないとこで彼氏つくっちゃ。」

低い声が寒さに乗って鋭く髄に響いた。言葉は奪われたまま崩れそうな膝が震えて、やっと目をあわせると黒木くんがゆっくり近づいてきた。密やかに物語が始まる気配がする。

触れあい

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