小説 | ナノ

カラフルなネオンがユラユラ、ゼリーみたいにゆれている。
きれい、と呟いてみた声は瞬く間に喧騒と暗闇にがぶりとのみ込まれていってしまう。夜の町、その単語だけで身構えてしまうような甘美な雰囲気。少し前まで無縁だったこの町をわたしは足取り強くしっかりと進んでいく。

「花子ちゃんいらっしゃい。」

お店の前で声をかけてくれたのは、ボーイの不破さんだ。開店準備なのだろう。階段前の掃除をしながらこちらにふんわりと笑ってくれた。

「こんばんは。もう空いてますか?」
「大丈夫ですよ。どうぞ。」
「ありがとうございます。」

不破さんの後を追いながら階段をのぼると、わたしの目的地、勘さんのいるホストクラブが見えた。


*


信じられない、と友人には呆れられ、彼女はなにも悪くないのに泣きつかれた。

男運がなくてどうしようもないわたしを少しでも慰めようとあれこれつれ回してくれた彼女にしてみれば、その反応は当然なのかもしれない。わたしは彼女とお遊びで行ったホストクラブにどっぷり通い続ける、世間一般でいうダメな女になってしまっていた。

「遊びなんだよね?」

そう泣きそうな顔で問われてしまうと、うん、としか言えなかった。けど本音はもちろん違う。遊びならここにくる意味なんて全くない。ただわたしは好きなひとを追いかけているだけなんだから。


*


豪勢な造りのドアの向こうには薄暗い空間が広がっていた。青いライトが揺れてスーツ姿の不破さんを照らし出す。

「改めて、いらっしゃいませ。指名は勘ですか?」
「はい。」
「お待ちください。勘ちゃーんご指名。」

不破さんの後ろ姿を見送りながら、ふと、このわざとらしいくらい幻想的に作られた空間にも慣れてきたな、と思う。そこに気がついてしまうと、わたしはこの店の大事なお客さんなのだと嫌でも実感する。けれど今さらそれをむなしいとは思わない。恋する女は驚くべき鈍感さを身につけるようになるということも、この身をもって知った。
暗闇の中から少し長めの癖のある黒髪を揺らして、スラリした細い体が近づいてきた。

「こんばんは、花子ちゃん。」
「こんばんは、勘さん。」
「今仕事忙しいんだよね?来てくれてありがとう。」
「ううんいいの、勘さんに会いたかったから。」
「嬉しいこと言ってくれるね。」

人懐こそうな笑顔で微笑む勘さんは今日もわたしの心の隙間にするすると入ってくる。

「飲み物はどうしよっか。」
「一緒にシャンパン、あけよ。」
「りょーかい。」

運ばれてきたシャンパンを慣れた手つきでわたしのグラスに注ぐ勘さんには、無駄がなにもない。少なくともわたしにはそう見える。勘さんの全てが私にとっての意味だからだ。
勘さんの隣でシャンパンの透明のあわがキラキラ弾けるのをぼうっと見つめると、それだけでもう、幸福だ。どんなに気持ちがふさぎこんでいても、勘さんはわたしを夢の中にとばしてくれる。

「今日は、何かあったの?」
「え、」
「いつもより元気ない。悩みごと?」
「…勘さんって、本当にずるいくらい女心に敏感ね。」
「はは、それも一応褒められてるのかな。俺でよければ話してよ。」

ね、と目でわたしを促す勘さんの骨ばったゆびさきが、手首のゴールドの時計が、白いシャツから除く胸板が、いちいち視界に入ってきてはわたしの頭を掻き乱す。そうっと視線をずらして、口を開いた。

「たいしたことじゃないの。ちょっと仕事で失敗しちゃって。で、それだけなら良かったのに、わたしって大したことないんだなあーってふと気が付いちゃったんだよね。必死にぼろ隠してるだけでさ、ひとりじゃ実際なんにもできてないっていうか。」
「そんなことないよ。」
「あるの。」
「なーい。花子ちゃんはできる子だ。」
「できませんー。」
「できる。だって俺花子ちゃんが好きだよ。なんにもできないだめな奴を俺が好きになると思う?」


好き、とか。
そんな簡単に、言わないでほしい。ほかの子にも同じこと言うくせに。

…けど、本当は、どうしようもないくらいその優しさが、嬉しい。好きって、言われたい。

自分の感情を誤魔化すようにシャンパンを口に含む。微かに苦い甘味が喉に落ちていく。

「ホストの言葉なんて信用しないわ、って顔してるね。」
「してないよ、別に。」
「本当なのになー。」
「だって、勘さんが好きなのは、私だけじゃないでしょ?」

何気なく言ったつもりの声が少しだけ震えた。きっと勘さんはそれすらもお見通しで。勘さんが好きで好きでどうしようもないわたしをしっかりわかってる。

「花子ちゃんだけが好きだって、言ってほしい?」

戸惑ったわたしが作りだした微妙な沈黙に対して、少しだけ困った顔をした勘さんがわたしのグラスにシャンパンをつぎたした。透明な液体がグラスに満たされていく。
悔しいと思って、同時にああ好きだなと思った。

本当はそうやって、もっと曖昧に本音を濁してほしい。もっともっと、わたしを甘やかして。そのやわらかいやさしさで夢を見させて。
もしも勘さんが簡単にわたしにわかりやすい嘘をついてくれたら、きっとシャンパンの泡がはじけるみたいに突然パチンと、わたしは目を覚ますに違いない。そうされないことがわたしにとっていいのか悪いのか、今のわたしには判断がつかなくて、でもこんなどうしようもない恋でもないよりはいいような気がする。だから、

「今日も頑張った花子ちゃんにもう一回乾杯しよっか。」
「…うん、ありがとう。」
「俺、花子ちゃんのことわかってるつもりだからね。さ、乾杯。」

勘さんの口からこぼれでるこそばゆい優しさが、全部嘘でもかまわない。

そうしてわたしは今日も、もしかしたらほんものよりもやさしい、にせものに酔いしれるのだ。


夜王さま 企画提出作品
やさしいにせもの

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