小説 | ナノ

「数馬あー」
「…なに。」
「見てほら!あの寄り添ってる二人つきあってるの知ってた?ミスコン3位の木下さんと副級長!」
「そういうの興味ない。」
「お似合いだねえ〜」

柵に体をはりつけるようにしてぴょんぴょん跳ねる花子の明るい声にうんざりしながら、僕は制服のスラックスの裾をまくりあげる。ずるりとむけた皮に赤くにじむ血。その下の、皮膚に守られていたはずのピンク色。それを見てしまうとただでさえ憂鬱だった気分が余計に落ちる。思ったよりも、傷が酷い。

「いたそ、」

いつの間にか僕の傷を覗き込んでいた花子が、なんの抵抗もなく傷に伸ばしてきた手をあわてて払いのけた。

「何すんの、」
「じょーだんじょーだん。」
「冗談に聞こえないし。」
「数馬ってかわいそう。階段踏み外して転んだだけで結構酷いケガになっちゃって。あ、でも無理やりここまで連れてきた私にも責任ありかな。ごめんね。」
「完全に僕の不運が原因でしょ。もう慣れたからいいけど。」

そう投げやりに言うと花子は目を丸くした鳥みたいな顔で「そう?」と、これまた鳥みたいに首をかしげた。
僕と花子は行動、思考能力、今この場所で考えていること、ぜんぶ何もかも違う自信がある。フウンにナレルことがきっと彼女にはわからない。
でも彼女は、その事実をただ事実として受け入れているに違いない。

「数馬あー」
「んー」
「数馬あー」
「なに…」

呼ばれて花子の方を向いてみれば、光沢のあるどきついオレンジがまず目に入った。それが一瞬何かわからなくて僕の思考は一旦停止する。そして見慣れた女子のプリーツスカートが傍でひらりとゆれたことで、瞬時に正体を理解した。

「っわああああちょ、なにしてんの!」
「ぱんつ、見せてる。」
「ばか!スカート!!下ろして!!」
「ええー?」

不満げな花子がゆっくりとスカートを下ろしたことに心底ホッとして、どっと力が抜けていくのを感じた。どうして花子はこんな突拍子もないことができるんだろうか、全く理解できない。考え方が180度違うような僕にどうして構うのかも、だ。
そんな思いも溜息と混ざって出ていくけれど、生憎花子がそれを拾ってくれそうな気配もない。

「ちぇー不運な数馬に喜んでもらおうとおもったのに。」
「誰もよろこばないよ!…ああ疲れた。」
「副級長はね、喜んでくれたよ。」
「…なにそれ。」
「ひみつの〜情事!」

昼間よりも鮮やかに色づいたコンクリートの上で、花子は両手を開いてふらふらと歩き回る。長い影がくるくると踊る。とても、軽やかに。

「…なんで簡単にそういうこと、すんの。」
「そういうことって?」
「だから、その、」
「副級長?」
「…そう。」
「だって見せてって言うから。」
「花子は見せろって言ったらなんでもするの!?」
「数馬だったら言われなくてもしてあげるよ。」
「ふざけないでよ、」
「ふざけてないよ。」
「だって他の女といるんじゃんあいつ。」
「…ね、知らなかった。なんか損したなあ、ま、減るもんじゃないからいーか。」
「ば…っかじゃないの。」
「へへ。」

振り向いた花子の黒目が僕をうつした。花子の下着を隠したスカートがひらりとゆれる。

「でもやっぱり、たまってるのかな。たまにキラキラしたものってぶちこわしたくなるんだ。」

その言葉はあまりにも潔くて、手拍子を打ちたくなるほど明るい調子だった。上げられた頬に引っ張られた曲線、覗く白い歯。そして見えなくなっていく白目。花子の変わっていく表情の変化をただ見つめた。

「そしたら、数馬、わたしをとめてね。」
「…なんで、僕が。」
「数馬は、フウンにナレてるし。」

呆気にとられた僕をまた置いてけぼりにして、花子がフェンスに走る。次の瞬間、耳をつんざくような叫び声が響いた。

「ああああああ!!」

あわててフェンスまで駆け寄って、目の前の細い肩を掴もうとして、一瞬、躊躇する。が、思いきってしっかりと掴んだ。そのままこちら側にひきよせそうとしてみる。でも花子もなかなか離れようとしない。


「かずまああああ!」
「やめてよなんで僕の名前呼ぶの!」
「さんたんだあ!かずまあ!!!」
「花子!」
「さんたんだかずまがー!!!すきー!!!」

掴んでいた腕の力がふ、と抜ける。
くすんだようなピンク色のビルと絵の具でぐりぐりに塗り潰されたようなオレンジ色の空。
それらをバックに、さっきまで掴んでいたしわしわのワイシャツと黒髪がゆれている。他にはなにもない。ここはただの僕らの場所でしかない。
花子が軽く息を整えながら軽やかに身を翻す。同時に風が吹く。吸い込む息が寒さで浄化されすぎていて、涙が出そうだった。

花子がわらってる。

もうすぐ空のオレンジが弱々しく沈んでいく。その前に、花子を抱き締められたら。それで君が少しでも救われたらいい。

どうか彼女が、僕に失望しませんように。

ヒーローはぼく

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