小説 | ナノ

「結婚するって思ってたの。」
「うん。」
「だって、将来飼う犬の話もしたし、彼の家にも、行こうって言ってたし、髪の毛も染めてなくて頭も良くて何に関しても真面目なひとで、わたしだけだって言ってくれたんだよ。」
「うんうん。」
「それが、「ごめん好きな人ができた。」で、おしまい。なんかもうね、真面目で一途な男に失望した。結局嘘じゃんって。」
「うんうん。」
「…さっきからうんしか言ってないけど、三郎次さんちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ、一応。」
「ちょっと…」
「別れたどうでもいい男の話なんてまさにどうでもいいだろ。」
「そうだけどっ」
「ってかお前そんな理由で愛人になろうとするとか、ほんっと…相変わらずバカだよな。それで迫ったのが俺でよかったな。」

意地悪な言葉にすぐに言い返せず、口を尖らせて下を向いた。知ってるよわたしがバカなことくらい。ずっと知ってる。

「…三郎次さんだって結構本気だったくせに。」
「だってお前…可愛くなってたから。なんとかデートの約束とりつけらねーかなって期待してた純粋な心の俺に謝れよ、ってか俺の理性に感謝しろ。」


可愛いだなんて、
ほんと不意打ち。

胸の高鳴りが一向に収まる気配をみせない自分自身には、本当に腹が立つ。真面目で一途な彼を追い続けて、わたしも真面目で一途に彼を想っていたくせに。だからこそ、彼を許せなかったくせに。久しぶりに会ったおにーちゃんにドキドキしちゃって。
ばっかじゃないの。ほんと。

「なんだ、三郎次さん彼女いなかったんだ。」
「彼女がいたらホイホイ家に女あげねーよ。」
「三郎次さんってそんな真面目なひとだったんだ。」
「だからお前は俺をなんだと思ってるんだよ。俺は意外と真面目だしいいやつだぜ。少なくともお前の元彼よりは信用していい。」
「…ソウデスネー」
「こら棒読みすんな。…それと来週の日曜は空けとけ、俺とドライブな。」
「あ、三郎次さんそれ伊助呼んでいい?」
「おっまえさあ…ホントに襲うぞ。」

漏れた笑い声で張っていた気が緩んでいく。ささくれだった心が撫でられていくように。
ひとって、単純で強い生き物だ。そう実感する。

「三郎次さん、キスくらいしてみる?」
「遠慮しとく。」
「へえしないんだ。」
「まだ、な。」
「イヤーおにーちゃんのへんたーい。」
「やめろその言い方は誤解を生む!」


このままわたしとおにーちゃんが付き合ったら、伊助はびっくりするだろうか。よかったね、って笑ってくれるだろうか。うん、たぶん、笑ってくれる。きっとその笑顔はよく見たら、あの仏頂面の写真の顔と似てるんだ。

「じゃあ、そろそろ帰るね。」
「ああ。下まで送ってくわ。また家に電話するよ。」
「え、イマドキ家電?まどろっこしくない?」
「俺は外堀から埋めるタイプなんだよ。」

からかうような本気のような読めない発言に収まっていた熱がぶりかえした。まるで過去が今に上書きされてるような、変な感じだ。

こんなふうに、少しずつきっと、幼い頃から描いていたきれいな未来は、変化を重ねるたび輝きを失っていくんだろうな。
けどものわかりがいい大人になっても、その記憶はいつまでも忘れないでいたい、と思う。

ふと視線を感じて顔をあげると目があった。

「…やっぱり、」
「え?」
「変わったよお前。ちゃんと女だな。」

不意に言われた言葉が予想外で、一瞬返事が遅れた。

「…10年近く経って変わってくれなきゃ困る。」
「さっきの一瞬の間抜け面は変わってなかったけど。」
「…う、」


笑う三郎次さんが昔のおにいちゃんと重なる。
ひかる。
まとわりつく熱っぽさはひどく心地いい。
大丈夫だわたしはまた、ここから時間を駆けていける。

* よごれてひかる *



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