小説 | ナノ

ずるがしこい人間だと、自負はしている。でも元来人は常に欲を持ち何かを追い求めるものだ。つまりはそれこそが生きると言うことなのだ、と思う。
誰に語るでもなく自分に開き直ってそう言い聞かせ、課題のプリントを折りたたむ。一ミリのズレもないくらいにゆっくりと。時間を稼ぐ。
コピー用紙よりもいくらか粗悪なざらざらの感触を指で確かめて、透けた印字の単語を読み取ってみたり。なんて無意味な行為なのだろう、とは思う。無意味なことを目的のためにする。だから私はずるがしこい。


「花岡、」


きた、間違えるはずもない、彼の声だ。
待ち望んでいたことなど全く感じさせないような無表情を作って、ゆっくりと顔をあげる。人懐っこそうな、でもどこか申し訳なさそうな笑顔で、加藤くんが私を見ていた。あまりの近さに、呼吸を一瞬忘れた。

「悪い、その、」
「今日も、ノート見たいの?」
「その通りっ!話が早い、頼むよ!このとーっり!」

ぱんっと加藤くんの手のひらが勢い良くぶつかって高い音をたてた。繕うことに必死になっている私の、口元だけは演技でなく、ふ、と緩む。

「しょーがないなあ、日本史?」
「さっすが花岡さま。できれば、日本史と、生物もお貸しいただければと…!」
「どーぞ。」
「女神、女神がいる…」
「毎度おーげさ。」

顔に集まりたがる熱をつよがりでめいっぱい包みながら、ノートをずいっと突き出した。加藤くんはありがとう!と言って嬉しそうに私からノートを受け取ると、私のすぐ前の席に向かい合わせで座った。そのままノートを写し始める彼に顔の赤みを悟らせないよう、手で片側の頬を隠す。包み隠さず感情を表してくる彼の表情を見るだけで、体が心地の良い熱っぽさに支配される。

「…ちゃんと授業聞いてないとだめだよ。」
「俺だって学習したよ?今回はちゃーんと聞いてたんだよ。でノートもとった、ほら見ろこれ。」
「きったな…」
「自分が読めればいいと思ったんだよ。で後で見てみたら自分でも読めなかったってワケ。笑えるだろ。」
「自分の字が読めないひとって…いるんだ。」
「あのセンセイ黒板消すのはえーじゃん?だからとりあえず書いとけーって思ってな!」
「それでも、自分でも読めない字を書いたのはクラスで加藤くんだけだと思うな。」
「辛辣だなー。まあ、花岡の字は綺麗だし読みやすいしそう言われても仕方ないか。」
「借りたからって褒めすぎ。わざとらしいよ。」
「ホントだって。花岡のノート見るとやっぱスゲーって思うもん。頭いいのは努力の塊だろ。すごいよ、お前。」

笑みはそのままに、大きく目を開いてじっと加藤くんがこっちを見るから、いくら隠すのが上手い私だって慌ててしまう。

「そんなこと言っている暇があったら手を動かして。」
「おお、そうだったそうだった。待たせてごめんな?」
「いいよ。家帰ってもやることないから。」
「サーンキュッ…あ、ヤバイまた間違えた!」
「…加藤くんさ、急ぐ気ないでしょ。ねえそれ、二重線で直したらごちゃごちゃしてまた読めないノートになるよ。ボールペンじゃなくてシャーペンで書けば?」
「それが困ったことに俺ボールペンの方が好きなんだ。」
「…あっそう。」

興味のないふりで視線を加藤くんから外して耳を澄ます。見慣れた教室にかさかさと紙の上をペンが滑る音がする。私が書いた文字が、加藤くんの目を通して加藤くんの文字を作る音。そのメロディが心地よい。加藤くんの動き、声、発する音はみんな、きらきらしたメロディを奏でる。

どこの学校でも自然に皆の輪の中心になる人物はいるものだ。加藤くんは、まさにそれ。私なんかとても踏み込めないような絶対領域で、加藤くんは毎日きらきらと輝いている。眩しすぎて、羨む気もおきないほど。
普段とても近づけないその加藤くんが、こうやって輪の外にいる私を頼って話しかけてくれる、のなら。
私は加藤くんの魔法でいくらでもすごい自分になれるんだよ。


「調子いいんだから。」

捻くれたように言葉を返しながら、加藤くんのおしゃれな前髪を目で撫でる。加藤くんとつながる空気にキスをする。
そして私はやはりずる賢く考える、帰りに駅前のデパートで修正テープを購入しなければ、と。

魔法少年

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