小説 | ナノ


二年い組に通うようになってから六日目の授業終わり。
いつもの、時間。

今日は三郎次先輩と時友先輩に会いに行かなかった。理由と呼べるほど明確なものはない。もうすこし私の中で時間が必要だという結論に至ったまでだ。
昨日、時友先輩とお話をしたことで私の悩みはなくなったと言っていいのだろう。先輩は本当に素敵な人だと思う。あの人に会うことができて、あの人に思いをぶつけられて、本当に良かった。私は相当、運がいい。だってあんなにあんなに優しい人は早々いるもんじゃない。いや、正直いないと思うのだ。でも先輩は無理なんてしていない。そして、自分のようになる必要はないという。でも、先輩。私はどうしてもそこに矛盾を感じてしまいます。疑いたくはありませんが、先輩が何かを隠しているように見えてしまうのです。
だから時友先輩、
まだ私の霧は完全に消えたわけじゃないんです。



「それでまた僕のところに来たの?」
「うん。だって、忍たまの人のことは忍たまが一番知っているでしょう?」
「花子ちゃんってさ、繊細なんだか図太いんだか、考えすぎなのか考えていないのか、よくわからないよね。」
「うん?そんな難しいたとえ出さないでよ。」

乱太郎は黒板を丁寧にふきながら苦笑いをこちらに向ける。

「ま、乱太郎が優しいから来たってのもあるけどね。」
「まったく、優しさを利用しないでよ。」
「違うよ。優しい乱太郎だから聞きたいの。ね、さっきの話どう思う?時友先輩いくらなんでも優しすぎるでしょ。なんでだろう。私、どうしても納得いかないの。」
「そんなの、さっき花子ちゃんが言った通りじゃないの?」
「え?」
「時友先輩に教えてもらったんでしょう?大好きだから、優しくなれるんだって。」

確かに、時友先輩はそう言った。簡単につなげると、確かにそういうことなのだ。でも、

「でも長い付き合いの三郎次先輩とかじゃあるまいし…会って間もない私のところを大好きだって思ってくれるなんておかしいよ。それに凄いんだよ?まるで腫れ物に触るように優しくしてくれる。」

例えば、本当に時友先輩が仙人だとすれば道理でなくもないが。
…そんなことはもちろんありえないので却下。

「…ああ、そうだ。花子ちゃん、そういえば僕、花子ちゃんの話を聞いていてね、いっつも気になることがあったんだよ。」

乱太郎はすっかりキレイになった黒板の掃除をそこでやっと終わらせ、そのまま黒板消しを持って窓の方に歩いていく。私は途中で中断された会話の続きが気になって、乱太郎を追いかけた。他に人がいることも忘れて、無遠慮に一年は組の教室にずかずかと足を踏み入れる。

「なに、気になることって。」
「ねえ時友先輩って何組か知ってる?」
「へ?」

質問の意味がわからない。とりあえず「二年、い組でしょ?」と答えると、乱太郎は「やっぱり。」と言った。え、どういうこと?

「花子ちゃん、時友先輩は二年は組だよ。」

一瞬間があいた。そして事実を理解すると、今度は思わず大きな声で叫んでしまった。しい!と叱責を乱太郎に飛ばされ、一年は組の人たちの視線を感じた私は慌てて声を抑えながら会話を続ける。

「えっ…だ、だって、時友先輩いっつも私が行くと、い組にいたんだよ!」
「花子ちゃんいつも同じ時間にい組に行っていたよね。」
「うん、…そう。時友先輩が、最初に、」

今日と同じ時間に、ここにおいで

柔らかな笑顔で、そう言ったから。

私は開いた口が塞がらず、思考も追いつかず、ただ目の前の事実を見つめていた。時友先輩は、いっつも私のためにい組に足を運んでいてくれたということだろうか?そこまで私に優しくする必要なんて、ないのに。ますます先輩の優しさが不可解なものになっていく。

「それと…もういっこ。」
「な、に?」
「金吾から体育委員の話をよく聞くんだけどね、時友先輩、普段はあんな顔しているけど、叱るときはちゃんと叱るし、怒るときは怒るって。」
「…」
「花子ちゃんの話とずいぶん違うね。」


時友先輩が発した最後の言葉を、私は何度も頭のなかで繰り返した。

やさしさの、概念に、してほしい



私は、
もしかしたらもしかしたら
とてつもなく時友先輩を苦しめていたのだろうか。

「花子ちゃん。」
「…」
「今のはただの僕の疑問。だから、」

きっとね、本人に直接聞いたほうがいいよ。


そうしてぽん、と肩を押された。
乱太郎のその手もひどく優しかった。その優しさを感じながら、私は目を閉じる。
悲しいでも嬉しいでも辛いでもない、ただ感情ではある「何か」がぐわり私を飲み込んでいく。きっと根っこにあるものはみんなおんなじで。

きっとみんなただただ、大事なものに、優しくなりたいだけなんだ。

(その、ほんとうをください)





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