小説 | ナノ

つい、二日前の話です。

その日は大変に暑い日で、私はじりじり照りつける光を懸命に避けながら焔硝蔵に向かっていました。シナ先生に、授業でうたた寝するほど余裕があるのなら頼まれてくれるかしら、なんて皮肉を言われ、土井先生への届け物を託されたのです。

「土井せーんせー」

焔硝蔵に辿り着いた私はだるさに任せてどいせんせー、どいせんせー、どいせんせー、と何度も何度も叫びました。それだけ呼んでも返事がないということから不在であることは明らかだったのですが、私は往生際がすこぶる悪い奴なものでどいせんせー、どいせんせーとやかましく騒ぎ立て続けました。もう自分でも何をしゃべってるのかもよくわからなくなっていたと思います。そんな時私の声を遮って、「土井先生はいないよ。」と声が聞こえました。
顔をあげた私が見た人物は、くのたまなら誰もが憧れる斎藤タカ丸さんだったのです。私はぽかんとしながら、噂の人物を見つめました。きらきら輝く髪の毛に、柔和な表情。噂どおりの素敵な人でした。

「さっきまで居たんだけどね。一年は組のことで何かあったらしくって飛んでいっちゃったんだ。良かったら中に入って待ちなよ、ね?」

タカ丸さんはさりげなく私を照りつける太陽から守るように立ってそうおっしゃったのです。素敵な外見に加えて更に優しくて。しかも嫌みったらしくないなんて。近付きすぎたら戻れなくなりそうなひとだと構えてしまうほどにタカ丸さんは輝いて見えました。



…はいこれが前提です。では今度は、つい今しがたの話です。

お昼を食べ終わって丁度、眠くなる時間でした。
このままいくとシナ先生の午後の授業で寝てしまうことは目に見えていて、またもや目をつけられてしまうことも容易に察しがつきました。そこで私は仮眠をとることにしたのです。人目につかない林の陰でひとりまどろんでいました。現実と眠りの境界線をいったりきたりしていると、ふいに聞き覚えのある声がしたのです。その声の調子から、すぐに斉藤タカ丸さんだとわかりました。しかし変なのです。

「馬鹿の一つ覚えみたいに髪切ってくれ髪切ってくれって、やんなるなあ。」

その声に、二日前に聞いた柔らかさは微塵も含まれていませんでした。すっかり覚醒してしまった私は、人違いだと思いながら声の人物をこっそり盗み見ました。しかしそこにいたのは見覚えのある髪の毛のタカ丸さんその人で、私はひどく混乱してしまいました。そのタカ丸さんと思われる人ははさみを片手に、苛立ちを隠せない様子でひたすらに葉を切り刻んでいました。刃を入れる単調な音を聞いていくたびに私はだんだん怖くなってきたのです。気づかれないうちに、そうっとその場から逃げようと決心しました。決心だけは、しました。しかし行動と意識はなかなか伴わないものです。その瞬間私は見事にその場ですっ転びました。大きな音を立てて。

痛めた腰をさすりながら立ち上がろうとすると、目の前ですっと手を差し出されました。それを見上げた私は、血の気がひいていく感覚に陥りました。

「だいじょうぶ?」

タカ丸さんのその声は恐ろしいほど優しさを含んでいて、私は乾いた笑顔で応えることしかできなかったのです…

…はい。そうして、今に至ります。


*


「ねえ、隠れて僕の言うこと聞いていたでしょう?」

柔らかさから威圧感が滲みだした声で、タカ丸さんが私に問いかけている。私の意識は一気に現実に戻された。

「黙られるとわかんないんだよねえ。この間焔硝蔵にいた子でしょ?名前はなんていうの?」
「えと…花岡花子、です。」

びびって思わず名前を教えてしまった。ああこれでもう行方をくらますこともできない。私なにもしていないのに…どうしてこうなってしまったのだろう。

「へー花子ちゃん。まあ…いっか。よろしくね。」
「はあ、」
「どうしたの?アホみたいな顔して。」

笑顔を少しだけ歪めてタカ丸さん(らしきひと)は私を見下ろしていた。私は混乱する頭と格闘しながら、なんとか言葉を絞り出す。

「あ、はは、なんだかいつもと、雰囲気が全然違います、ね。」
「ああ、そういうこと?そりゃいつもは作ってるもの。まったくみんな馬鹿だよねえ。ちょっと笑顔で優しくしてあげればすぐに信じちゃうんだもん。僕、その瞬間に興ざめしちゃうんだ。なーんだ、やっぱりこんなもんか、ってね。」

ってね。って笑顔で言わないでほしい。私のこれまでの純粋なときめき、返してください…。
パニックに陥り内心でツッコミを入れる私をよそに、タカ丸さんは話を続ける。

「花子ちゃんも最初すっかり騙されてたよね。もう僕腹の中で笑いっぱなしだったよお。」
「あ、そーですか、」

なぜ私は二日前にはじめて話したタカ丸さん(らしきひと)に、こんなに馬鹿にされているんだろう。もういっそのこと、最後まで偽りの優しさを突き通して騙したままでいてくれればよかったのに。他の女の子達のように。

「でもちょうどよかった。学園みんなお気楽平和主義で嫌になってたところなんだよ。この苛立ちをぶつけ…わかち合える人を探してたんだ。本音も聞かれちゃったことだし、仕方ないからキミにしとくね。」

よろしくね。花子ちゃん。
にこり、清清しいほどの笑顔を向けられて、なんにも頭が追いついていない私は引きつる口元をなんとか上げるので精一杯だった。え、なんですかそれ、私どうなるんですか。それ私に拒否権とか…ないんですかね。

「あは、ひどい顔だねえ。」

笑うタカ丸さん(らしきひと)の声を聞きながら、私は未来の自分を思ってその場で泣き出したい衝動に駆られた。今何がおこっているのか、もうよくわからない。たぶん色々考え続けてもわかりそうにない。そうかこれは夢か。なら仕方ないな。うん。…ほっぺ痛いよ。



←TOP

×