小説 | ナノ

今年の夏は例年以上の猛暑となります。
って今日の朝えらく大袈裟な身振り手振りでニュースキャスターがしゃべっていた。アブラゼミもミンミンゼミも大合唱して蜃気楼は浮かび放題でアスファルトは触ったら火傷しちゃいそうで下手したら焼肉も出来ちゃいそうで。
さすが全国放送でオーバーに言っていただけのことはある。そんな今年の夏なるものを私はいま畳でごろりと寝そべりながら感じている。扇風機は全力で熱風を送り付けてきて、私の体を冷やそうと努めてはくれない。


「おーい」


「おーい、花子!居るんだろー!」



あ、神崎だ。

だらりと床にあずけた頭を回転させて、壁にかかった時計の針を九十度傾いた角度で読み取ってみると、もう二時をちょっとすぎていた。



「花子ー寝てんのか?おーい。」

「おーい。いるよう。」


寝そべったまま返事してみる。神崎のバカでかい声に比べたら呟き程度にしか私のこえは響かなかった。
聞こえなかったかなあ、と思ってもう一度声をかけようと息を吸い込んだ。ところで、


「あ、いた。」
「…うわあっ」


ぬっと縁側から顔をのぞかせたのは神崎だった。いったいいつ入ってきたの、こわいんだけど。
不法侵入を謝りもせず神崎は寝そべる私に目線をあわせ、ジーっとこっちを見つめてきた。

「なに。」
「あついな。」
「うん。」

暑さからくるけだるさで喋ることさえも億劫だ。短文の私たちの会話は、会話と会話の間にセミのこえをはさむほどゆっくり交わされた。


「アイス買いにいこう。」
「えー…」
「ほら、花子。」
「買ってきてー」
「だめだ。行くぞ!」


そこで神崎は私と同じ暑さなど感じていないかのようにすばやくと立ちあがって、相変わらず重力に任せっぱなしの私の腕を引っ張り出した。
それから私もかなり粘った方だとおもう。痛い、行くぞ、いや、の問答を二十回くらい続けて、観念して私は重い重い重い腰をとうとうあげた。足で畳を踏みつけて立つと、じっとりした空気にくらくらした。ゆらゆら、外の植木がゆらめきながら、燦々と太陽に照りつけられているのが見えた。おもわず顔をしかめた。神崎が、そんな私を見てひどい顔だと笑った。






「自転車で行くのと歩いていくのだったら、どっちがいい。」



どっちも暑いのは分かりきっているなかでそんな究極の選択を迫られ、それでも時間的な長さを考えて自転車を選んだ。…完全なる選択ミスだった。神崎がまっすぐ目的地に向かってくれるわけなかった。
あーあつい。余計な運動しちゃったよ。タオル持ってくればよかった。
輪郭のラインをなぞるように汗がつうっと落ちていくのがわかる。神崎を連れ、やっとこさっとこ目的地に着いて自転車から降りた途端、待ってましたと言わんばかりに私の体は玉のような汗をふき出し始めた。


「花子、何味にする!?」


神崎はじっとりと前髪を額にはり付けて、光を汗で反射させながらはしゃいでいた。いつの間にか小さな店のアイスケースの前を陣取って、品定めしているらしい。元気だなあ。怒る気力もない。
私はもうアイスよりも体の熱を逃がすことしか頭になくて、なんでもいい、と口にしていた。神崎はケースをスライドさせて、がさがさと中を漁りだしている。私はふらふらの足をなんとか動かしてやっと店の屋根の下に避難した。そこから外を見たら道路が暑さで曲がって見えた。今日は本当にあつい。


「おーい。なんでもいーのかー」
「ソーダ。」
「じゃ僕はコーラ!」


たかだか三メートル先のアイスケースには結局辿り着けず、神崎に味だけ伝えてその場で座り込んだ。また、けだるい病発生だ。だるくて口もひらかない。あー、だめ人間。


「ソーダ!」
「ありが…っつめたっ」


神崎の声で振り向くと冷たいものにぶつかった。みずいろのビニールが目の前で揺れている。神崎はその向こうで笑っていた。ちょっとむっとしてとげとげしくお礼を言って受けとると、神崎が私の横に座ってきた。近くで見ると私以上に神崎は全身が汗でびっしょりだった。


「溶けるまえに、はやく食べよう。」


そう言って神崎が赤い袋をがさがさやりだした。取り出された氷菓を見ておおー、なんて感動する神崎を横目に、私も神崎からもらった水色の袋を開けた。
私たちのアイスと言えばいつでもこれだ。おなじみのCMソングを頭の中で流しながらしゃくり、一口かじるといつもの爽やかな味がした。


「神崎は、」
「うん?」
「いついくの。」
「ああ、来週の土曜に引っ越しだ!」


ふうん、そっかあ。

左門くん寮に入るんですってよ、とお母さんから聞いたのが先週。私はへえ、と気のない返事をした気がする。寂しくなるわねえってお母さんは言っていたけど、正直別になんとも思ってなかった。さっきまで。


「まずい、溶けてきた。」
「下からなめないと。」
「それじゃ余計にとける。」


一生懸命棒を回転させて、首まであれこれ動かして、神崎が氷にかぶりつく。ぽたり、コーラの黒い水が落ちて熱されたアスファルトを濡らした。
ほんとについさっきだ。陽射しの下で、温い風にのって、自転車で神崎の後ろ姿を必死に追いかけてたさっき。神崎が遠くなっていくことがこわくなった。



「ア、はずれたー。花子は?」
「まだ出てなーい。」
「はやくはやく。」


口のなかが爽やかさで麻痺してきた。しゃくりしゃくり。私はただ、口を動かす。


いつだったか私が突然、左門くんから神崎と呼びはじめた時に、一番反応を見せたのは神崎本人よりもお母さんだった。
幼馴染なんだから今まで通り左門くんでいいじゃない、そう言われたのがなんとなく癪に障って。思春期だからいーの!と言い訳がましく返したら、「わかっているならいいのよ。」なんて平然と言われた。ただ思春期という言葉の便利さに甘えて使っただけなのに妙に納得されて、釈然としない悶々とした気持ちになった。
一方で神崎は不思議なほどそのことに触れてこなくて、これまた悶々としたものだ。

おでこなんか友だちに羨ましがられるほどできものひとつできないでいるけど。
でも私って、やっぱり思春期なのかなあ。


「あー!」
「え?」
「おちる!」
「うそ!?」

神崎の声でばっと自分の手元を確認すると、右手に握られたガリガリ君ソーダ味がまさに今ゆっくりと落下していく瞬間だった。あ、と神崎と声が重なって、次にぐしゃ、とアイスがアスファルトに吸い込まれた音がした。

口のなかの爽やかさと、べとべとの木の軸だけが残った。そこには何もかかれていない。


「あーあ。」
「しかも、はずれだ。」
「もったいないね。」
「まあ仕方ないな。」


無残な姿の氷に視線を落としながら棒を口に含んで舐めとると、温い爽やかさが広がった。
夏の味がする。それも、特に暑い今年の夏の味。
きっと今年はこんなふうに今までのどんな夏よりも気だるくて、口を開くのも億劫で、神崎はいなくて、わたしは、いつ終わるかわからないけだるい病に悩まされるんだろう。そんな気がした。


「あ、そうだ。アイスのお金払う。」
「別にいい。」
「ええ、珍しい。」
「僕から花子への餞別だ!」


餞別って、ふつう私があなたに送るものだよ。
そんな言葉すら声にならない。
胸が、ざわつく。

これも、思春期のせい?そうだっていうなら私、ぜんぶぜんぶ思春期のせいにしちゃいたい。さっきこわくなったことも、この落ちつかない気持ちも。


「それなのに、落としてごめんね。」


そっと謝ると、神崎がいいぞ!と笑った。そこに「左門くん」も重なった。そういえば神崎と左門くんは当たり前だけど同じ人物だったんだ。
考えれば私の根本にはいつも神崎左門が居座っていた。そして今もおそらくそう。
あーこの、おそらく、の気持ちがきっと思春期ってやつなんだろうな。

なめ続けたアイス棒の温い夏の味はいつの間にか消えてしまった。


―もう、このまま棒まで飲み込んじゃいたいな。


そんなことを考えていたら、また私の頬を汗がつたった。


おーい 神崎、左門くん。きみは今年の夏、どう過ごすの?

届くはずのない問いかけを飛ばしながら、ちらりと横を見ると口を半開きにした神崎がぼうっと外を見ていた。


「あついなあ。」


おそらく無意識に出ただろうその言葉と、「神崎左門」のどこか虚ろな目と、ぐっしょり濡れたTシャツを見てなぜか少しだけ、ほっとした。
神崎、暑さにまいったらこっち帰ってきなよ。それでまた一緒にアイス食べよう。
待ってるからさ。

ガリガリくんとみるみらい

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