小説 | ナノ

結局ひとりで見に行くことになり、日曜にぶらぶら電車を乗り継いで目的の場所へとやって来た。
こっそり見てこっそりさっさと帰るつもりだった私は、夢前くんの絵の前で硬直することになる。


夢前くんの絵は、前に学校の玄関で見た絵と同じだった。ただ、そこに書いてあるタイトルだけは違っていた。

それを認識した瞬間、私は動けなくなった。



"ノートデザインの君に捧ぐアート"




――これは、もしかすると、
いや、もしかしなくても、


「花岡さん。」


後ろから聞こえた、聞き覚えのありすぎる声にビクリ肩を揺らして反応してしまった。ひどく動揺していることを教えてしまったみたいで恥ずかしい。
でもそんなことよりも私は、振り向けばいるであろう夢前くんを見るのが怖くてすぐに首を動かせず、できるだけゆっくりゆっくり後ろを向いた。

そこにはやはり、夢前くんがいた。いつもと違ってシャツとパンツスタイルの割とかっちりめの私服であること以外、学校で見るのと何も変わらない夢前くん。なのに私は何故か自分の心臓の音が聞こえるくらい緊張していた。

「ありがとう、来てくれて。」
「夢前くん、」

どうして、
どうして私をここに誘ったの?この絵のタイトルは、私のことなの?これを見せるために私を呼んだの?どうして、このタイトルをつけたの?夢前くんに私はどう映っているの?

どうしてばかりが浮かんで、でも浮かぶだけで言葉として構成されることはない。
夢前くんに伝わることなく私の内部でただ積もる、どうしての山。言いたい言葉はたまるくせに何を言うべきなのかはわからない。

「花岡さん、デザインとアートの違いってわかる?」

言葉が紡げないから、私はただ夢前くんの話に耳を傾ける。美術の知識なんてほとんどない私は当然夢前くんの問いがわからず、ふるふると首を横に振った。

「デザインには相手がいるけど、アートは自分だけの世界なんだ。」
「そう、なんだ。」
「うん。僕は花岡さんの絵が好きだって、言ったよね。それは花岡さんの絵がデザインだからなんだ。誰かのために花岡さんは、思いをカタチにするために手を動かしている。」

デザイン、という響きが恥ずかしい。だから、私はそんな大それたものを描いていないんだって。

「僕は花岡さんとは違う。僕はひたすら、僕の世界を表現するだけだ。誰のためでもない。自分のためにやるんだ。」

夢前くんは一歩、私に近づいた。
いつも穏やかな夢前くんと違うその様子に戸惑いながら、真剣に彼を見据えてみせる。

「花岡さんが、眩しくて仕方ない。いつもそう。花岡さんの目はいつも誰かを映しているんだ。僕は自分を映すだけでいっぱいいっぱいなのに。」

夢前くんがゆっくりと私を通り越して、夢前くんの絵の横の壁にそっと手を置いた。

「この絵は、花岡さんへの僕の気持ち。溜まった僕の想い、かな。ずっとタイトルが思いつかなかった。…というよりはきっと僕の気持ちの整理がついていなかったんだけどね。でも花岡さんと近くで接してみて色々なことが分かったよ。」

振り向いた夢前くんが、私と目を合わせてきた。
一度そこで閉ざされた夢前くんの口がまたゆっくりと開いていく。その動作ひとつひとつが頭に刻みついていくような、感覚、


「花岡さんは僕の光だ。」



そのとき一瞬、確かに時は止まった。



「…キザなこと、言うんだね夢前くん。」


やっとこ搾り出した言葉は照れ隠しからヒネたものになってしまって、すぐに訂正したくなった。違うの、本当は、嬉しいの。夢前くんが私を認めてくれることが。私を認めてくれる理由を、柔らかな笑みなんてつくる余裕もないほどにぶつけてくれることが。


「今だけだよ。今、僕は必死なんだ。どうしたら花岡さんの目に映るのが僕だけになるか考えるのに必死なんだ。」
「え、」
「僕はもう花岡さんをデザイナーとしてだけでは見れないんだよ。」


夢前くんの顔に変わらず笑みはなかった。黒目がちな目を見開いてまっすぐ私だけを見ていた。
さらさらな前髪、ひとつだけ開いたシャツのボタン。首筋に浮かぶ筋。美術部の同じクラスの、夢前くん。そんな情報の寄せ集めが私のなかで固まって、フル回転する思考回路の邪魔をする。

「わ、わたしは、」

なんの筋道も立てられぬまま言葉だけ先立って滑り落ちた。夢前くんは、表情を変えずに私を見たままだ。頬に集まる熱。大きな音を立てる心臓。全てが私の言葉を急かす。

「夢前くんの絵が好き。夢前くんが表現する世界が好き。でも夢前くんについて知らないことばかりで、距離ばかり感じてた。きっと私には表現できないものを夢前くんは持っているからだと思う。自己表現のアートっていうのは新たなモノを生み出すことだよ。それは私にはできないことで、つまり私は、夢前くんが、眩しいの。」

目線はそのままに、夢前くんが驚いた顔をみせた。それはおよそ私が見たことのない表情だ。
でも夢前くんはすぐに相好を崩したから、気がついた時にはいつもの、私の良く知る夢前くんがそこには居て。ふっと気が緩んで私の顔にも笑顔が戻る。

「ありがとう。そんな風に見られているなんて思わなかった。」
「私、その、夢前くんの柔らかい感謝の言葉も好きだよ。」
「誉めすぎだよ、恥ずかしい。」
「私だって、恥ずかしかったもん。」
「ごめんね。…きっと僕ら、お互いが眩しくて近づけなかったんだよ。でももう大丈夫、でしょ?」

おそらく確信をもって、夢前くんはあの穏やかな調子で私に問いかけた。そのとき、咄嗟に目をそらしてしまったのは、見透かされているような気がしてしまったからでー

両手指を絡ませて遊ばせながら、抵抗を示すように私は冷静なふりを続けた。

「うん…でも大丈夫になっちゃったら困るなあ。夢前くんが素敵すぎて。」
「そのまま、好きになってくれたら僕としては凄く、嬉しいんだけどな。」

あくまで穏やかに夢前くんは話す。

私は咄嗟に反応できずに、ただ黙っていた。
わかっている。もう既に私にとって夢前三治郎という人は、同じクラスの美術部の人というだけの存在ではなくなってしまっているのだ。
きっと夢前くんの言う通りになるのは、時間の問題だろう。


夢前くんの絵の前を通り過ぎる人が、立ち止まってはじっと絵を見ていく。この絵に隠された私と夢前くんの想いを観察されているみたいでなんとなくむず痒い。

もう一度、私は夢前くんの絵を見た。四角く切り取られた青色の世界に差し込む白い光。確かにこんな風に夢前くんは、私の光であるかもしれない。
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