小説 | ナノ

結局、あれから夜のうちに夢中になって完成させてしまった。
あくびをする口を手で押さえながら朝の通学路をよたよた歩く。今日は授業中に寝てしまいそうだ。
そんな私の横をひとつの自転車が通り過ぎて、少し行ったところでブレーキ音を立てて止まった。

「はよ、花岡」
「おはよー笹山。」
「眠そーな声。」
「昨日寝たの遅くって。」

笹山が自転車から降りて、私の横に立った。そのまま二人で歩き出す。

「なんか合わせてもらっちゃって、ごめんね。」
「いーよ、どうせもう着くんだし。」
「笹山って優しいときもあるんだね。びっくり。」
「そう思う?ちゃんと意図はあるよ。今日の課題の問2、教室行ったら教えて。僕当たりそう。」
「あーなるほど。」

私と笹山は、先日の席替えでお隣さん同士になったばかりだ。そんなに親しくなかったのに、隣になったお陰で随分仲が良くなった。というよりはいいように使われていると言ったほうが正しいけど。

「私も当たるかも。答え確認しあいっこしようよ。」
「だめ。僕問2しかやる気ないし。」
「笹山くーん。もっと私のために労力を割いてくれてもいいんだよ?」
「花岡のために?僕が?」

見下したように笹山は鼻で笑った。なんて奴だ。信じられない。
こんな奴に告白する子が絶えないなんて、絶対世の中間違っている。

ひとり憤慨しながら笹山と校舎に入ると、下駄箱の向こうにかけられた大きな絵が目に付いた。
青色を主体に描かれた抽象画。見るものを惹きつけてしまう鮮やかな青と、吸い込まれそうな不思議な濃紺。それらと白のコントラストが美しい。綺麗な絵だ、と思った。昨日は飾られてなかったから、今日飾られたのだろうか。暫しぼんやりとその絵に見とれてしまった。

―今度、ゆっくり見よう。
そう思って視線を外そうとした時に、絵の下に書かれた夢前三治郎の名前が目に飛び込んできた。

「あ…」

驚いて思わず、声をあげてしまった。
笹山はその私の声で初めてその絵に気が付いたようだ。じいっと展示された夢前くんの絵を見つめだした。

「へえ、三ちゃんのだ。相変わらずよくわからないもの描いてんな。タイトル「考え中」って、本気かこれ。」
「…でも、すごく綺麗だね。」

無意識に、正直な感想を言うと笹山が私をちらっと見てきた。

「な、何?」
「いや、べっつに。」
「…じゃあこっち見ないでよ。」
「僕に命令するの?」

なんで笹山はいつも上から目線なんだろう。流石笹山様です。私は沈黙で諦めの返答をして、教室に向かって歩き出した。笹山は当然のように横をついてくる。

「ねえねえ花子さあ、昨日三ちゃんになんか描いてって言われたでしょ。」
「うわ、なんで知ってるの。」
「僕と三ちゃんがマブダチだから。」
「その組み合わせ、ずっと思っていたけど意外すぎるよね…ってごめんごめんデコピン構えないで。」
「描いたら見せてよ。」
「もう描いた。けど絶対見せない。たいしたもんじゃないし。」
「ふーん。ま、いいけど。三ちゃんに見せてもらうから。」

結局見るんじゃんか。そんなことだろうと思った。

「ささやまー」
「んー」
「なんで私なんかの絵を、夢前くんは描いてほしかったのかなあ。」

その疑問は、結局考えれば考えるほどわからなかった。笹山とはこれだけ親しいけれど、夢前くんとは正直挨拶くらいしか交わさない。
私の絵は、そんな彼に頼まれるほど、評価されるほどのものじゃない。
それにさっき夢前くんのあんな素敵な絵を見てしまったばかりだ。今、私はカバンの中に入った夢前くんのノートを渡すのが嫌でしかたない。

「凡人の絵に触れたいんじゃない。」
「やっぱ、そうかなあ。」
「冗談だよ。本気にすんなって。」
「私真面目に話してるんだよ。」

そこで丁度教室に着いてしまった。
あーあ笹山に聞いたのが間違いだった。そう思いながらため息をついて自分の席に腰を下ろした。

「三ちゃんはお前の絵が好きだって。」

少し遅れてきた笹山が、カバンを机の上に置きながら私にぼそっとそう言った。

「え、?」
「って言っていた気がする。」
「へ?気がする!?」
「本人に聞いてみ。」

にやり、と横目でこちらに笑いかけて、笹山は視線をドアに向けた。

あ、

「おーい三ちゃん。」

そこで図ったようにドアから入ってきたのは夢前くんだった。そして、なぜかわからないが笹山は夢前くんの名前を呼び、右手のひらを上下に動かしている。
こいつ、なに呼んでるの!
笹山の声に反応した夢前くんはにこりと微笑んでこちらに歩いてきた。


「おはよう、兵ちゃん」
「はよー三ちゃん。」
「花岡さんも、おはよう。」
「お、おはよう。夢前くん。」


夢前くんは朝から穏やかだ。私は無意識に自分のカバンをぎゅっと抱いた。
、やっぱり、今日ノートを渡すのはやめておこう。なんだか急に自信がなくなってきた。もう少し手直しして渡すことにしよう。

「三ちゃん、昨日のやつ花岡がもう描けたって。」

そう決めた矢先、笹山が私の気持ちを見透かしたように爆弾発言を投下した。夢前くんが期待のまなざしでこちらを見てくる。

「え…?本当?」
「え!ちょっと!笹山!」

さ、笹山あっ…余計なことを!!
どくりどくり緊張しだして、変な汗がふきだした。どうしよう、今更緊張してきた。

「見せてもらっても…いい?」
「え…っと、あの、本当に夢前くんが気に入ってくれるかわからないし、その…」
「ごちゃごちゃ言ってないでさあ、早く。あ、コレ?」

そう言いながら笹山は勝手に私のカバンを漁って夢前くんのノートをひょいっと抜き取った。

「あーっ!笹山!なんで勝手に!やめてっ」
「へえ…やっぱり花岡上手いな。三ちゃん、はい。」

ノートを必死に取り上げようとするもひらり、かわされる。そのままノートは持ち主の夢前くんへと渡ってしまった。
あああ、夢前くんにはもうちょっとちゃんと、私からいろいろ前置きをして渡したかったのに。

夢前くんは笹山からノートを受け取って、わあ、とこぼし食い入るように私の絵を見つめた。私は落ち着かない手でしきりに自分の筆箱のファスナーを開けたり閉めたり繰り返す。

私と同じ、絵を描く夢前くんのための無限に創造し得る希望。そんなイメージの、わりかしシンプルなデザインにしたつもりだ。それでも、夢前くんが気に入ってくれるかどうか…


「花岡さん。そんな不安そうな顔しないでよ。僕、とっても気に入った。ありがとう。」


いつのまにかひどく不安そうな顔をしていたらしい。夢前くんに指摘されて、自分のこわばった表情に初めて気が付いた。その顔も、夢前くんの「気に入った」の言葉でもうほころんでしまったけど。

「よ、よかったあ。」
「僕、花岡さんの絵が好きなんだ。」

人に褒められることはよくあるが、絵が好きだと言われることはめったにない。私は照れてしまってなんとなく笹山の顔を見た。笹山はほらな?とでも言いたげなドヤ顔だ。

「私は、ずっと夢前くんの絵の方が素敵だと思うよ。よく、入賞もしてるし、あの、玄関の絵もとっても素敵だったし。あの、青い絵ね、曖昧な表現しかできないけど、でも…素敵だよね。」
「…ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ。」
「それにしても、三ちゃんあのタイトルはないんじゃないの?考え中って、早く決めたら。」
「いや、タイトルはあれでいいんだ。」
「へ、あれがタイトル?」
「うん。まあ、タイトルっていうかね。ぶっちゃけた話、あの絵に関してはまだ考え中で、答えが出るまではあれがタイトルなんだ。」

夢前くんの考えが、あの絵には沢山沢山詰まっているんだ。あんな素敵な絵を生み出す夢前くんの考え方はどんなものなのだろうか。さすが、夢前くんだなあ。きっとそれは夢前くんじゃんければ絶対に創り出せないものなのだ。
私の考え方じゃあ、単純なものしか生み出せないもの。

「さ、問題も解決したところで、花岡早く答え見せて。」
「あれ、教えるんじゃなかったっけ?」
「面倒くさくなった。」
「うわあ。」

夢前くんは私たちの会話を聞いてくすくす笑った。

「いいなあ、兵ちゃんこの席、楽しそうで。」
「花岡はあんまし役に立たないけどね。」
「ちょっと、私は物か。」
「僕も今度仲間に入れてよ。」

夢前くんの何気ないお願いに、私は笑顔で頷いた。




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