「花子ちゃん、良かったらこのメッセージカードに何か絵を描いてくれないかなあ。」
「いいよ、何でもいいの?」
「ありがとう助かる!うん、華やかになれば何でもいいよ。良かったらこのペン使って。」
「はーい。」
渡されたカードのHappy birthday の言葉と共に貼り付けられた誰かの写真を見て口元が緩む。友達にお祝いのカードを貰えるなんて、この子はなんて幸せなのだろう。
年を重ねておめでとう 生まれてくれてありがとう
そんな想いがここには詰まっている。
そして、私はひっそりそんな人と人の幸せを繋ぐことができるのだ。なんて素敵な役割だろうか。
私は込められた想いがもっと輝きますように、と願いながらカードにペンを走らせた。
*
「はい、これ。」
出来あがったカードを頼まれた子に渡すと、彼女は目を輝かせた。
「わっ、すごく可愛い!ありがとう。流石花子さんだね。」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ。喜んでもらえると、いいね。」
「うん、ありがとう。」
そう言って短めのスカートを翻し、彼女は駆けていった。
私はほっと胸をなでおろす。
人に自分の作品を見せる時というのは、どうしても緊張してしまう。自分の持てる力を使い切って仕上げた作品であっても、それが相手に気に入られるかはわからないからだ。
たかがメッセージカードひとつでこんなことを思うのはオーバーであるかもしれない。でも私は仕上げた絵のひとつひとつにきちんと向き合いたいと思ってしまう。それは私が自身の能力に対してささやかな自信を持っているからかもしれない。
「花岡さん、」
声が響いた。
呼ばれたのが自分の苗字だと気が付いて、後ろを振り返る。
夕映えで煌めく世界にひとり、たたずむ人がいた。同じクラスの、夢前くんだ。
「なに?」
返事をすると夢前くんはカバンを持ってこちらに近づいてきた。教室にいるのは私たちだけで、ひどく静かだ。いつのまにか皆は帰ってしまったらしい。
夢前くんは私の前にやってくると、一冊の小さなノートをこちらに差し出してきた。
「これ。」
「え?」
「この表紙、飾ってくれないかな。さっきのカードみたいに。凄く、素敵だったから。」
突然の夢前くんの申し出に驚いて、私は夢前くんの微笑を浮かべた顔と目の前に差し出されたシンプルなノートを交互に見た。
「そ、そんな大したものじゃないよ。夢前くんのノートに、なんて。」
評価された嬉しさと恥ずかしさがわっと湧き上がって顔を熱くさせる。動揺しながら顔の前で大げさにぶんぶん手を横に振ってみせたけど、それでも夢前くんは表情を変えなかった。
「これ、授業用とかじゃないし、ただのメモ用ノートだから…お願いできないかな。」
食い下がる気はないみたいだ。あまりにも真剣な夢前くんの様子に閉口してしまい、下を向いてしまった。
夢前くんの私物に私の絵なんて、描いてしまっていいのかな。
「え…と、期待に添えられるかわからないけれど、それで良ければ…」
「本当に?ありがとう!」
表情をぱっと明るくして、夢前くんはとっても綺麗な顔で私にお礼を言った。小さな手のひらサイズの手帳が私の右手に乗せられる。
「じゃあ出来上がったらまた貰ってもいい?」
「う、うん。」
動揺が収まらないまま、夢前くんから受け渡されたノートを大事にカバンにしまう。そのまま帰り支度をしたら、丁度夢前くんと一緒に教室を出るタイミングになってしまった。ああ、気まずい。
仕方なくふたり並ぶかたちで廊下を歩き出した。
「花岡さんは、デザイナーみたいだ。」
そう言って、微妙な沈黙を破ったのは夢前くんだった。
…いきなり何を言っているのだろう。
怪訝な表情を彼に向けてみるが、その微笑は崩れない。
なんだか夢前くんにバカにされている気がしてならない。確かに私はその辺の人よりは自分の能力に自信を持っているのかもしれない。自意識過剰と思われようがそれは事実だ。
でもそれは所詮高校生のしがない意識である。それなのにデザイナーだなんて。
「じゃあ、僕はここで。ノートの件よろしくね。」
分かれ道の廊下で別れた夢前くんは「美術室」と書かれた部屋に入っていった。
私が彼にバカにされたように感じてしまったのにはもうひとつ理由がある。それは夢前くんが、展示会で入賞してばかりいる美術部の子であるということだ。
昔から、絵を描くことは大好きだった。紙とペンさえあれば創造することのできる、無限の世界。それに魅せられたのだと思う。いつしか絵というものに対して強い憧れを持つようになった。
でも画家を目指すだとかそんな意識は全く持たなかった。自身の凡庸な絵の才能は、自分が一番よくわかっていたからだ。
持ち慣れたペンをくるくると回す。
夢前くんから預かったノートに、まだ手はつけられないでいた。イメージが固まらないのもそうだけど、夢前くんが私にこれを託した意図がわからず手が動かない。
純粋に私の絵を気に入ってくれたのだと受け取れる素直な人間であったらよかったのに、そう思ってため息をついた。くだらないプライドのせいで疑心暗鬼になっている。
でも夢前くんがただバカにするために私にこんなことを頼むとも思えない。きっと気に入ってくれたのだ。そう思うことにして私はペンを握りなおした。
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