※暗い&鉢屋がひどい
「さむい。」
「まだ寒いのか。」
こんなにくっついてるのに。
優しげな低温がつめたい夜の風に乗ってわたしの耳に届いた。それによりまた、わたしの胸が寒さで震える。
さむい、さむい、
わたしはただただ三文字のことばを呪文のように繰り返す。まるで、それを呟けば温かさがはるばる時を越えてわたしまでやってきて、わたしの心のなかにあるたくさんの隙間をふさいでくれるかのように。
わたしは繰り返す。さむい。さむい。
「なあ顔、あげろよ。」
わたしはただ、繰り返す。
三郎の声など、耳に入っていないというように。
頬っぺたを、三郎のがさがさした手に掴まれたのはそのすぐあとだ。
三郎は、人一倍せっかちなところがある。今だって、わたしに不安に浸る時間も与えてくれない。ぜんぶひとりで勝手に決めてしまうし、自分の思い通りにならないわけがないってきっとどこかで思ってる。わたしは三郎のそんなところがいつも癪にさわって、その感情がいつも顔に出てしまう。そのたびに三郎はつまらなそうにわたしを見下げてなんだよ文句あるのかよ、とでも言いたげなまなざしをよこすのだ。でも今日はきっとわたしの顔は一生懸命に三郎の方を向くのを拒んでいるからまだわたしの苛立ちは伝わっていないはずで、その代わりに三郎の思い通りの行動をとらないわたしに対して三郎はとんでもなく苛々しているにちがいないのだ。
近くにいればいやでも見えてくる。鉢屋三郎、というにんげんが、わかりたくなくたってわかってしまう。それはおそらくとてもかなしいことで、うれしいと少しでも思ってしまったらそれは間違いなく、かなしいことになってしまう。
「おいっ、」
頬っぺたを掴んでいた手が乱暴に動いてわたしの皮膚を刺激する。
仕方なくわたしは三郎と向き合った。三郎は予想通りおもしろくなさそうにわたしを見ていて、舌打ちまでしてみせた。わたしは一瞬だけ動揺したこころを鎮めて、
そしてまた、諦めた。
「彼女とは、」
「…その話はもう、」
「彼女とは、仲直りしたの?」
わたしの問いかけには何も答えず、ただわたしの腰に回した手の力を強めるこの男は、きっととてもずるい。
「よかったね。」
「花子、」
「ごめんね、もうこの話はしない。」
聞きたくなくて発狂しそうだった三郎の花子と呼ぶ声がやっと受け入れられるようになってきた。望んでいた踏ん切りではなかったけど、この際なんでもいい。わたしはわたしを取り戻しただけで、充分だった。
夜のくせに公園は不気味なくらい明るくて気にいらない。いつもこの光景を見るたびに、まるで死んだ昼みたいだと思ってはいらいらしていた。
でも今ではそんな苛立ちも浮かんですぐに消えていってくれる。わたしの諦めはやっと癖へと形を変えてきてくれているのだ。もうすこし。もうすこしだね。
「さぶろう、わたしたち、ともだちだよ。」
三郎がああと言うのを待って、わたしは三郎の顔を見ないように息を吸い込んだ。
わたしは、
もう傷つかない。もう悲劇はきどらない。もう、きっと大丈夫。
そしてわたしはまた三文字の呪文を唱える。
それは間違っても願いなんかじゃない。ただただわたしの寂しさを慰めるための、気休めの魔法なのだ。
ていねん
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