小説 | ナノ

※転生



目が覚めたら泣いていた。

どうして泣いていたのかはよくわからない。ただ僕は何故か、枕をぐっしょりと濡らし頬に水の跡をしっかり付けて泣いていたのだ。

眠さは全くなかったし、目覚めも最高に良かった。寧ろすっきりし過ぎていたくらいだ。それでも僕は暫く布団から動けなかった。
いや、動きたくなかった。

頭の中は不自然なほど空っぽで、そのくせ胸の中は妙に清々しい。どうやらこの涙は、悲しい類の涙ではないようだ。気分が、すこぶる良い。

ええと、この感情は、なんだっけ。



記憶がないと感情まで忘れてしまうものなのだろうか。案外人間なんて軽薄なもんだな。

いつもの時間にアラームが鳴った。
僕はいつものようにそれを止め、ゆっくりと体を起こした。








「庄左ヱ門、なんかあったの。」
「どうして?」

机の上に広げた本から顔をあげると、向かって右側の毛がはねている団蔵がいた。また今日も慌てて寝癖も直さずに飛び出してきたのだろう。
それに団蔵はワイシャツのボタンもかけちがえている。団蔵、と僕は自分のボタンを指でさして掛け違いを教え諭すと、団蔵はヤベッと言いながら慌ててボタンを直し始めた。

「いやあーいつもより庄左ヱ門の目腫れぼったくね?と思っただけ。ってか俺ハズカシーな。この格好で登校したのかよ…」

団蔵の白いシャツからうっすらと後ろのインナーに印字されたロゴが透けて見える。なんと書いてあるかは、読み取れそうで読み取れない。大した意味などないだろうが、ひどくもどかしい。ああなんだろう。気になるな。ちょっとでも掴めればわかりそうなのに。どうしてわからないんだ。どうして。

「ま、誰も俺のことなんか気にしちゃいないよな。」
「でも団蔵が僕の顔の変化に気がついたくらいだ、誰かは気がついたかもね。」
「なに、庄左エ門、珍しく徹夜でもした?」

団蔵はワイシャツのボタンをやっとかけ直したようだ。うっすら写るロゴは白いもやがかかったままで、未だ何と書いてあるかはわからない。
僕は少し考えて口を開いた。

「…今日朝起きたらさ、泣いてたんだ。」
「マジで?なんか庄左ヱ門悩んでんの?ま…うちのクラス色々問題起こしてるもんな。」
「違うよ、夢を見たんだ。」
「夢?どんな?」
「覚えてない。」
「なんだよ。気になるな。」

じいっと僕の話の続きを待つ団蔵に曖昧に笑って首を振った。
僕の夢の話なんて聞いても面白くないだろう。それにまず思い出せないのだからこれ以上団蔵に語っても仕方ない。僕は疲れてるのかもな、と嘘をついた。

事実としてわかっていることは僕が昨日夢を見て、泣いたこと。
何かが僕の心を激しく揺さぶったこと。そういえば、ここ最近ずっと泣いてなんていなかったな。

団蔵は僕の言葉を真に受け、ぽんぽんと肩を叩いてきた。慰めはいいよ団蔵。それよりもそのTシャツのロゴは何て書いてあるのさ。



「おっはよ!」



耳に刺さる元気な声とともに団蔵と反対の肩を掴まれた。僕は驚いて掴んできた人物を見る。副級長の花岡さんだ。

クラスをまとめる者は冷静に周りを見て、皆を引っ張っていかねばならない。僕の級長としての密かな信条はこれだ。でも彼女は違う。彼女は僕のイメージする副級長の対極に位置する人だ。快活でなりふり構わず突っ走るところがあるので、何かしら彼女と作業をすることが多い僕は日常的に色々と振り回されている。はじめはゲンナリしていたものの、今となってはもう慣れっこだ。
だから普段ならいきなり肩を掴まれたくらいじゃ、僕は驚いたりなんかしない。

「どうしたの黒木君、そんなに驚いて。」

それなのに僕はひどく驚いていた。
その僕を掴む手が、少し掠れたその声が、引っかかった夢の記憶とぴったりはまったからだ。

「いつもなら面倒くさそうに軽く流すのに、変なの。」

僕も変だと思う。でもいつももなら払っている肩の温もりに手をかけられなくて、僕はまた泣きそうになってしまった。
彼女はそんな僕の気持ちをわかったように、そうっと肩から手を離した。

「花岡、今庄左ヱ門は悩んでんだ。そうっとしておいてやれ。」
「あ、団蔵ワイシャツ直ってる。今日かけちがえてたよね。」
「ウワッお前気づいていたのかよ。ったく大雑把な風して変なとこは気づくんだから。」

僕は動揺する気持ちを抑え、団蔵を見た。相変わらず、シャツの下のロゴは見えない。


「団蔵、思い出したよ。」

そこで団蔵ははあ?と眉をひそめ、花岡さんは少し目を見開いて僕を見た。

「とても、嬉しかったんだ。幸せな夢だった。」

そうなんだよ、嬉しかったんだ。僕は嬉しくて泣いた。
きみが笑っていた。きみが楽しそうにはしゃいでいた。きみが、きみがきみが、



きみが幸せになる夢を見た



必死に涙はこらえていたけど、きみはきっと僕の目の腫れぼったさにも潤んだ瞳にも気がついているに違いない。なんせきみは、なりふり構わず突っ走るけど、とても気がつく子なのだから。



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