小説 | ナノ

「…左近。」
「来たな。ま、座れよ。」

そう言って左近は目で私を促した。昨日に引き続き、保険委員の手伝いをする予定で同じ時間にやってきたのに。保健室にいたのは左近ひとりだけだった。

「他のひとは…?」

私は左近の向かい側に腰掛けながら問いかける。

「今日は伊作先輩がちょうどいないから、集まり自体がないんだ。」
「えっ?そうなの?じゃあ今日はくる必要なかったんだ。教えてくれれば良かったのに。」
「花子と話をしようと思ってさ。」

私は瞬時に、それが池田くんのことだと理解した。拳を無意識にぎゅっと握る。

「ずっと溜めてたってなんにも変わらない。この間、そう言ったろ?ちゃんと僕が聞いてやるって。」
「…ん。」
「言いたいこと言えよ。」

こういうときに突然、左近は私にやさしくなる。私が一番やさしくして欲しい時に、だ。
固くなっていた私の拳と口がじんわりと左近のやさしさで溶かされていく。
ほんとうに、左近ってずるいな。

「左近、私ね、池田くんが好きなの。」
「ああ。…そうだよな。」

諦めたような呆れたような笑い方。その左近の顔にどれだけ救われたか。私の口は不思議なくらいするすると言葉を吐き出す。

「自分でも驚くくらい好きなんだ。池田くんが、先輩と実習で隣歩いているの見るだけで悲しくなっちゃうし、池田くんが買い物の包み紙持っているのを見ただけで頭が真っ白になる。そのくらい。」

私は少し目を閉じて思い出す。これまでずっと奥に奥に押し込めようとしてきた記憶。でも今でもはっきりと覚えている。

「焦っていたんだたぶん。それは誰かへの贈り物じゃないかもしれないって自分に言い聞かせて、池田くんに確認したくて。…だからね、池田くんの冷たい拒絶の声が、痛くて。」

素早く隠された品物の包み。そして、話しかけてくるな、というような睨み。
不安が的中してしまったショックと、好かれてはいないという事実。

「ほんと、私って弱い。それくらいで自分を抑えられなくなるんだもの。こんな自分、変えてしまいたいよ。」
「…いいんだよ。別に変わらなくていいよお前は。」
「左近、それは甘やかしだよ。みんな、私に甘すぎる。池田くんへの想いを絶ち切って、もっと強くなりたい。」
「絶ち切るって…三郎次のこと、好きなんだろ?」
「好き。だから、乗り越えたい。笑って池田くんのことを純粋に応援できるようになりたいよ。だから、それまで池田くんとは会わないって、決めたの。」
「…それで…っお前はいいのかよ。」

いいのかと聞かれれば困る。だって他に選択肢が見つからないんだよ。

「三郎次は、お前に会いたがってるよ。」

私は、左近を見た。どこか必死の形相の左近が私に訴えてくる。

「謝りたいって、言ってるよ。」

―あやまりたい。
それは、こちらの方だ。実習のことは噂として広まっていると聞くし、私のせいで池田くんに悪い噂がたってしまっているかもしれない。勝手に傷ついて勝手に風邪を引いたのは私のせいで、池田くんのせいなんかじゃない。

「謝られることなんて、されてないよ。」
「…花子。」
「池田くんに、そう伝えて?」
「お前!」
「ありがとう左近。左近に話したら、頭の中整理できた。もう少したったら辛さも乗り越えられるから安心して?…じゃあ、また明日ね。」


大好きなやさしい左近にもう心配はかけたくない。これくらい、自分を変えるためならなんてことない。私は笑って保健室を出た。

左近は最後まで私に何か言いかけようとしていた。左近は、私の結論に納得がいかないのだろうか。池田くんと話をしてほしいのだろうか。でも話をして謝られたところで、きっと私は池田くんに対する罪悪感だけが残るだけな気がした。

涙も弱音も引っ込めた。

決めたんだ、もう。









「あら、花岡ちゃんじゃない。」

とぼとぼと、外を歩いていたら良く知る人物に声をかけられた。私の、大好きな宮前先輩。
大好きなひと。大好きだけど、だから、今だから会いたくなかった。

「先輩、こんにちは。」
「風邪、引いたって聞いたわよ。大丈夫?あまり顔色が良くないわ。」
「そうですか?もうすっかり元気なんです。昨日から左近にこき使われて保健委員会のお手伝いもしているくらいなんですよ。」

にこりと笑って、先輩にはしゃいでみせた。
先輩は微笑を崩さない。

「あなたは、恵まれすぎていることに気がついていないのね。」

それはまるで針みたいな言葉だった。突き刺さることで私に開けられた穴は、小さいのにひどく痛む。

「知ってる、つもりです。私の周りは素敵なひとばかりですから。友達も、先輩も、もちろんあなたもです。宮前せんぱい。」
「いいえ、わかってないわ。ねえ花岡ちゃん、知ってるかしら。あなたはとっても素敵な後輩なのよ。」

先輩はとても綺麗だ。羨ましいほどに、何を言っても、何をしても綺麗だ。

「あなたが知らないのならわかるまで言ってあげる。あなたは人が誰よりも好きで、純粋に人の幸せを願える素敵な人よ。」
「な、何言って…」
「そんなに素敵なものを持っているんだから、もっとあなた自身を認めてあげなさいよ。そうじゃなきゃ"花岡ちゃん"が可哀想だわ。あなたはあなた。無理に変わる必要はどこにもないじゃない。私は花岡ちゃんが好きよ。」
「っでも変わらなきゃだめなんです…わたし、」
「花岡ちゃん、意外と欲張りなのね。」

くすくす先輩は笑う。

「やっぱりわかっていないじゃない。変わらなきゃ何がダメなの?」

なにが、

その問いに答えられずに私は黙る。

「あなたの周りの素敵なひとたちが変わらなくていいって言ってるのよ。」

じわりじわり、感情が奥底から押し寄せてきた。
そこで先輩は私のおでこをぺしりと叩いた。

「わっ…」
「全く、世話の焼ける子達なんだから。わかったわね?」


そう言って宮前先輩は行ってしまう。先輩、先輩、待って
私は今の私でいいってそう言いましたか。花岡花子を認めてくれるのですか。私は今の自分を認めていいのですか。先輩、
池田くんが好きな私でも、いいのですかね。

結局、宮前先輩は角を曲がったところで見失ってしまった。





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