小説 | ナノ

「またぼうっとしてるのか。」

深い意味なんて何もない調子の、いつもの左門の声がした。

ちらり顔を上げると、にいっと歯を見せてすこし首を傾けた左門と目があう。

確かに、ぼんやりしていた。ぼんやりしていないと、忘れていた悲しみが戻ってきてしまうと思っていたからだ。

「今日もあいつはあの子が好きだったな。」
「うん。」
「昨日と一緒だ。」
「うん。」
「明日も一緒だ。」
「…左門、でもまだ明日は存在していないよ。」

だから、まだわからないよ―
そんな意味を暗に含ませた反抗の言葉を、言ってしまったことをすぐに後悔した。子供みたいな屁理屈の抵抗は余計に自身を惨めにさせるだけだ。

「それもそうだ。」

左門はこちらに特に哀れみの眼差しを向けるでもなく言葉を否定するでもなく、ただ私を受け入れた。
そのことが余計に悲しくて思わず俯く。

「ごめん、ほんとうは…わかってるんだよ。だから認めたくない。」

今日もあの子を目で追っている三之助を見た。それまで話していたはずの私のことなんかそっちのけで、空返事。ねえ私を見てって喉まで出かかったけど、結局私はかわいた笑顔を貼り付けることしかできなかった。
三之助の瞳にうつるあの子になれたらどんなにどんなにどんなにいいか、何度そう思ったか数えきれない。

俯いて狭くなった視界に、また左門の顔が入ってきた。

「花子、じゃあ存在しない明日なんか考えるのはよそう。」
「むりだよ。先のことを考えないと生きていけないから。」
「明日のことなんて、今度考えればいい。」
「今度っていつよ。」
「あさってとか。」
「ばかじゃないの。」
「僕は、花子みたいにあれこれ考えないからな。」

ただの馬鹿のくせに。何でもわかったような物言いしちゃってさ。

私が三之助を好きだと、左門に言ったことは一度もなかった。むしろ、公言した覚えはない。
だから、花子は三之助が好きなのか?と突然聞かれたときはさすがに動揺した。まさか左門に気づかれているとは思わなかったのだ。
その時は確か、三之助があの子を誘った日だった。きっと落胆が隠しきれていなかったのだろう。
だったら何、と返したら左門は私の手を取って突然走り出したんだ。「辛いときは海に行って叫ぶんだ!」とかなんとか言いながら。当然、海にはたどり着けなかったけど。

左門はいつだって、どこまでもまっすぐだ。


「僕も、あいつとおんなじでよく迷う。」
「知らなかった、左門自覚あったの。」
「あいつとおんなじで作兵衛に怒られてばっかりだ。」
「ん…」
「花子もよく探しに来てくれたな!」

あっけらかんと、左門は笑う。
探したね。だって作兵衛が凄く疲れた顔をしてるんだよ。しょーがないなあってなるでしょ。でもね、実はどきどきしてた。三之助を私が探し当てて、そのまま迷ったふりをしてふたりきりで居られたらとか考えていたの。結局私は三之助を一度も見つけられなかったな。左門は二回見つけたのにね。
私が左門を見つけて声をかけたら、左門は笑って「ごめんな。」って言ったね。あとで作兵衛にそう言ったら、あいつは一度だって俺にそんな風に言ったことねえって怒ってたよ。だめじゃんか左門。ちゃんと作兵衛にも言わないと。そう思ったけど、よく考えたら左門が迷ってごめんなんて言うはずないなって気づいたよ。
ねえ、左門。
そういえばあれは、何がごめん、だったの?

「僕は、」

左門は私の顎に手をかけてきた。その手は、ひどく冷たい。

それが私には意外だった。左門は全身心も体もぽかぽか暖かそうなのに。
そのまま顔を上に持ち上げられて、私達は随分近い距離で向き合う形になる。

「花子が悩むと困る。」

相変わらずの断定口調だった。
私はそれに対して何も答えられず、だんまりを決め込む。そうしないと、まっすぐ私を見つめる左門の瞳に吸い込まれてしまいそうだった。

「僕は、どうしたら三之助になれる。花子に何をしてやれる?」

―いま、絶対に左門を見つめてはいけない。
そんな気がして、すぐに目線を下ろす。左門はきっと今、私をまっすぐに見つめているのだろう。
私は口をきゅっと閉ざしたまま乾いた土を見つめた。そのまま目すら閉じてしまいたかった。


恋を追いかける私は自身に嫌気が指すほどに狡猾だ。今もそう。左門と向き合えずに逃げてばかり。
私も彼のようにおくびもせず、まっすぐに自分の思いを伝えてあげられるひとであったら良かったのに。
ごめんね左門。

(それでも君じゃない)

なんでもないの様 企画提出作品
君じゃない

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