「花子ちゃんおはよう。」
そういって笑う尾浜さん
「おはようございます。」
ごく普通に、ふつうに返す、つもりの私
心臓は馬鹿みたいに喜んで私の体を熱くさせていく
おかしいよやめてよ
どうしてこんなに嬉しいの
こんなつもりじゃなかったの
先輩が去った後ろ姿を見つめながら、いまだ熱い体の私は
嬉しさと罪悪感のまじった感情の中立ちつくしていた。
委員会で尾浜さんとはじめて話したのが、2年前。
委員会に入りたての私に、あのへらっとした笑顔を向けて緊張を解いてくれた。
「君が新しい学級委員長委員?これからよろしくね!」
どうやって溶け込んでいこうか思案して、しゃべる内容まで考えていた私がこの言葉と、その笑顔にどれだけ救われたか。
じゃんけんで負けてはいった委員会だけど、ツイてるなぁ。と安堵して、すんなり私は委員会に溶け込んだ。
「花子…お前、また無断で饅頭食っただろ!」
「…ひどい、鉢屋先輩、そうやっていつも私を疑うんですね。後輩がそんなに信用できないですか…?」
「ああ。」
「ひどいっ先輩!まぁこの間もこの間も私が食べましたけど、今回饅頭は食べてません!」
「いや!絶対おまえだろ。」
「ちがいます!私が食べたのはお団子です!饅頭は尾浜さんが食べました!」
「は」
「いや、三郎。俺は確かに饅頭は食べたけど花子ちゃんにほとんど取られたよ。」
「あっ!尾浜さんヒドいっ」
「やっぱお前じゃないかぁあああ!」
ヒィィすみませんと言って逃げながら、私は凄く笑顔で。
毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
「尾浜さんって楽しいですよね!」
「そうかな?俺は花子ちゃんの方が楽しいと思うけど。」
「…馬鹿にしてますか?」
「若干。」
「なんと…正直。でもそのくらいでヘコむ私ではありません。」
「だよね〜」
「ま、でもその楽しい私が言うんだから尾浜さんも楽しい人です。」
「凄い理論だね。」
「はい。尾浜さんは目標です!楽しさの。」
「えぇ楽しさの!?なんかイヤだな…先輩らしさとかがいい。」
「それはちょっと…」
「おいおい。」
馬鹿みたいに笑いながら、
尾浜さんの全てを、尊敬していた。
そして、そんな尾浜さんとずっと馬鹿みたいに笑いたいと思った。
違和感に気がついたのは、3年生になって後輩が入った頃から。
その日は街にお使いに行っていて、委員会のみんなのためにお団子を買ってきていた。
前に、尾浜さんと話題にしていた新しいお団子屋さんのもの。
軽い足取りで委員会に向かう。
「失礼しまーす」
「花子先輩!」
扉を開けて入ると、1年生の二人がきらきらした目でこちらを見る。
後輩って、かわいいなぁ。思わずにやけながらあたりを見回す。
「…あれ?尾浜さんは?」
「勘右衛門は実習で今日の委員会欠席だそうだ。」
淡々と鉢屋先輩が返事する。
ああ、そうなんだ、尾浜さん、おやすみ、か。
「お前どんだけ眉毛下げてんだよ。」
鉢屋先輩に苦笑され、
私は自分がひどく落胆していることにはじめて気がついた。
「尾浜好きだもんな。」
「な」
鉢屋先輩の言葉が頭の中で回る。
「別に好きじゃないですよー」
焦りから、思ってもない言葉が自分の口から飛び出して。
まるで照れ隠ししている自分に余計にうろたえた。
鉢屋先輩が顔を上げて、私の顔を見る。冷や汗が、
「…大好きですから!!」
そう声を張り上げる私に先輩はいつもの意地悪そうな目を私に向けて
「はいはい。」と返した。
先輩たちは仲が良いねっと笑う1年生の声が遠く聞こえた。
「そうだ!これ、街のお土産です。新しいお団子屋さんできたんですよ〜」
そうおちゃらけていつもの私になる。
背中の冷汗はまだ止まらない。
そこから、尾浜さんは、私にとってただの尊敬できる先輩ではなくなってしまった。
姿を見るのはもちろん、名前を聞くだけで尾浜さんのことばかりが頭に浮かぶ。
今まで暇さえあれば、尾浜さん尾浜さんと叫んでいた口は、「おはまさん」の言葉を忘れてしまったかのように出なくなった。
心の中では今までの何倍も叫んでいるのに。
おかしい
おかしいよ
体の熱は冷めてくれない。心臓の鼓動は安定しない。思考回路は定まらない。
こんな風になりたいわけじゃなかったのに。
私はただ、あの空間と、会話と、尾浜さんの笑顔が――――
すきだっただけなのに、
今は尾浜さんが、尾浜さんの全てがほしくてほしくてどうしようもない
* * * * * * * * * * * * * *
「花子ちゃん、おはよう」
「おはようございます」
今日もいつものあいさつ。
先輩の背中が遠くなる。
先輩は、変わらなかった。
私の口数が減っても、ばかみたいにへらへらして、話しかけてくれた。
わたしは、
私は私は私は
尾浜さんが たまらなく好きです。
涙が出そうになったのをぐっと我慢した。
蓋を、
蓋を、しろ。
先輩の態度に、
態度で、かえそう。
今までみたいに
尾浜さんのことを、尾浜さんとしか見ていなかった時みたいに。
授業が終わった。
―大丈夫。
今日は、委員会。
―尾浜さんを 尊敬しています
ゆっくりゆっくり歩いて
―私は 馬鹿みたいに笑います
戸に手をかける。
―きっと、元通り
カラッと開けた先には、本に目を通す、おはまさん。
「お疲れですっ!」
元気よく響いた私の声に、目を丸くして尾浜さんがこちらをみる。
「まだみんないないんですねぇ〜ところで尾浜さん!聞きましたよ!座学の順位。1位だそうじゃないですか〜正直かなり意外です。」
「一言余計だよ、花子ちゃん。」
「やだなぁ、いつものことじゃないですか。」
「元気になったんだね。」
尾浜さんは、いつもみたいに馬鹿みたいにじゃなくて
きれいにほほ笑んだ。
「はい!実は体調悪くって。なんか食あたり起こしたみたいなんですが…」
嘘をついた。にこっと精一杯の笑顔で。
「もう大丈夫です。」
うん。きっと大丈夫。この関係で。
「なんで元気になっちゃったの?」
「え?」
きれいにほほ笑んだ尾浜さんは、その顔を崩さないまま言った。
「てっきり俺のことを意識して」
私の作った笑顔は消え
「俺のことで頭がいっぱいになっていると思ったのに」
考える間もなく目の前に尾浜さんの顔が来て
張っていた気が緩んだ。頬が上気する。
「花子ちゃんは、だれかの所に行くの?」
「だれかって…」
だれかなんていない。いるとすれば、それはあなたでしょう、尾浜さん。
尾浜さんの顔を見上げれば、見たことのない悲しい顔の尾浜さんがいた。
「だめだよ、」
「!」
「花子ちゃんの一番は、俺にしてよ。」
そう言って、尾浜さんはそうっと私を包み込んだ。
目の前がにじんで見えない私は両手をゆっくり回して、指先に力をこめる。
そんなの、ずっとずっと当たり前でしたよ。
尾浜さんも、知っているでしょう?
「あなたの一番も私にしてくれますか。」
独り言のように呟くと、尾浜さんは大好きな笑顔で私に微笑んだ。
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