小説 | ナノ

ひたすら本とにらめっこしているうちにだんだん眠くなってきて、完全に集中力が切れてしまった。それでもなんとか起きまいと目をしばたいてみたり自分の手の甲をつねったりしていると左近の睨みが飛んできた。

「花子、ペース遅い。」
「すいませーえん…」

伊作先輩はそんな私たちを見て笑いながらぽん、と本を閉じた。

「ずっと作業してたしね。そろそろ、休憩にしようか。」
「わーい!」
「賛成です!」

待ってました、と言わんばかりの一年生の声があがる。私も内心ほっとしていた。さて、お茶を入れてこようかな。

「あ、私お茶持ってきますね。ついでに何か甘いものも!」
「からあげ先輩〜ありがとうございます!」
「花岡さん、ありがとう。」

いえいえ。そう乱太郎くんと三反田先輩に返して部屋を出ると左近もついてきた。

「あ、左近手伝ってくれるんだね。ありがとう。」
「お前ひとりじゃ不安だからな。」
「左近ちゃんひとりよりもお茶ひっくり返す確率は低い気がするけどね。」
「…うるさいな。」
「でも…それでも来てくれる左近ちゃんが好きだー!」
「ホント鬱陶しい。」

これでもかというほど顔を歪める左近。でもそんな左近の顔を見たってもうちゃんと照れてるんだってわかるもんね。最初の頃は左近のツンデレ加減がわからなくて随分落ち込んだっけ。

「昔は左近にそんな顔されたらショック受けて引きずってたな。」
「お前はあの時のほうがまだ可愛げあったよな。」
「左近が、私に酷いこと言ったって謝りに来てくれたこともあったよね。」
「…昔の話を引っ張り出してくんなよ。」
「ぜーったい嫌われたって思ってたからさ。嬉しかったな。左近たら凄く申し訳なさそうな顔して悪いってひとこと言うのにすごく時間かかって。へへ、でもこれからも声かけていいって言ってくれて、その時はじめて左近の不器用さに気がついたんだよ。」
「その日から途端にうるさくなったよな。正直自重しろって何べん思ったか分からない。」
「またまたー嬉しかったくせにい!」
「まあ…確かに安心はしたか。僕は不器用だから色々と伝わってるか不安だったし。」
「左近が…珍しく素直!どうしたの?」
「いちいちホントうるさい。僕みたいな不器用な奴は結構勘違いされやすいってハナシだよ。だろ?」
「まあ、そうかもね。」
「三郎次も一緒だよ。」


また、いけだくん。
頭が冷えていく感覚というのはどうしても慣れない。私は不自然な沈黙を慌てて消そうと口を開く。


「池田くんのはなしは…また今度話すから。」
「今日の昼、お前三郎次無視しただろ。」
「…いいじゃん今は。それも、後で、言うから。」

左近に遠慮がないぶん、私の感情は言葉にあからさまに表れる。心情を察してか、それ以上左近は何も言わなかった。


「…じゃ、お前甘いもの持って来いよ。僕がお茶持ってくから。」

曲がり角で、いつもの調子で口を開いた左近に私は少しほっとする。

「みんな、なんのお菓子が好きかなあ。」
「あるものみんな持って行って処理してもらったほうがいいんじゃないか。」
「やだ、左近ちゃん私の足とお腹じろじろ見ないでよねっエッチ!」
「…おめでたい奴だな。羨ましいよ。」
「照れるなあ。」
「…」
「あっ沈黙やめてよ!ツッコミ待ちなんだから!」
「はあ…いーから早く持って来い。」
「ハーイ。左近ちゃんはこぼさないようにね〜」
「うるさい!」








「すごい。花岡さん、こんなにお菓子もってたんだね。」
「へへへ。」
「正直僕もドン引きです。」
「左近オブラート!オブラート!」

結局お菓子をあるだけ持ってきた。食べ物はみんなで食べた方がずっと美味しいし、保健委員の皆さんにはお世話になったし。どうも雑用も満足にできそうにないから、これくらいは提供しよう。

「糖分とるとホッとしますー。トリカラ先輩ありがとうございます!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ!私のお菓子も喜んでる!」

きっと、私の無駄な肉となって役目を終えるより喜んでいるに違いない。
里子に出す親の気持ちでお菓子をじっと見つめ、左近がちょっと引いた目でこちらを見てきたくらいで、三反田先輩が「何か、」とつぶやいた。ん?

「…廊下で話し声がしますね。」

みんなの視線は一気に三反田先輩に注がれる。一瞬止まった会話により作り出した静けさの中で、確かに人の話し声がした。誰かと誰かがこそこそ話しているようだ。盗み聞きはよくないと思いながらも聞き耳を立ててしまう。



「―花岡の、」



へ?

微かに聞こえてきたのは私の名字だ。しかもこの声には聞き覚えがある。


「作兵衛?」

三反田先輩も気がついたようですっと腰をあげた。
その拍子に三反田先輩の膝がお茶の湯呑みに当たったかと思うとそれがこぼれ、びっくりした三反田先輩とぶつかった伏木蔵くんがこれまた飲んでいたお茶をぶちまけ、それが腕にかかった左近が熱っつ!といいながら私に身を傾けて体重を乗せてきた。
なんとか三人の不運連鎖を断ち切ろうと私も踏ん張る。しかしどうにも勝てずにそのまま伊作先輩の腕に体当たりしてしまった。急須を持っていた伊作先輩は私と当たった拍子にその急須を放り投げ、そのままそれは緩やかな弧を描き床で大きな音を立てて割れた。熱いお茶をぶちまけながら。

「わあああ!」
「左近先輩!スミマセン!!」
「大丈夫!?破片飛んでいない?」
「熱っつう!!」

先程までは和やかに休憩していたというのに、目の前にひろがるこの惨状はなんだろう。不運委員会の恐ろしさに身震いしながら、とりあえず私は破片に気を付けながら雑巾でびちょびちょの床を拭く。


「大丈夫か!!?」


大きな声で叫びながらスパン、と扉が空いて富松先輩が入ってきた。富松先輩は保健室の様子を見てあちゃー、という顔をした後にすぐに私と一緒に雑巾で床を拭きにかかる。

「富松先輩…ありがとうございます…」
「ったく、花岡の様子を見に来てみたらなんかスゲー音がするから驚いたぞ。」
「ちょっとした不運の連続がありまして。」
「ああ。納得だ。」



全員でバタバタ片付けたらとりあえず元通りになった。結局今日の保健委員会はそのまま終了となり、これだからなかなか作業が進まないんだよなあ、と伊作先輩が苦笑いを浮かべていた。全力で同情します。

「左近、火傷しなかった?」
「すぐ冷やしたから、いいと思う。」
「そっか、良かった。保健委員、いつもこんなんなんだね。」
「まあ、まだマシだよ。」
「そっか…」
「僕を可哀想な目で見るな。」


だってかわいそうなんだもの。そう言うとさっさと帰れと左近に目で訴えられた。はいはい。

「僕はいいから富松先輩にお礼行ってきたらどうだ。」
「確かに!あれ、富松先輩は?」
「さっき出てった。」
「うそっ!じゃあちょっと行ってくる。じゃあお大事にね左近、失礼しました。」

こけるなよ、忠告する左近に左手を少しあげて返事をする。こけるなよって、左近じゃないんだから。そのまま保健室を慌てて出て、周りを確認。富松先輩を探す。
いたいた、

「とまつせんぱーい!」
「ん?ああ、花岡。」

先輩はすぐにこちらに気がついて足を止めてくれた。早足でやっとそこに辿り着き、息を整える。

「…良かった、」
「どーした?」
「この間の実習のお礼を言いたくて。」

先輩はきょとんとして、別にかまわねえのに、といつもの笑顔で笑ってくれた。

「いえ、雨の中飛び出して迷惑かけたうえに点数にも響いてしまったみたいで、申し訳ありませんでした。保健室にもついて居てくださったそうで…色々とありがとうございました。本当に、感謝してもしきれないですし、なんて言ったらいいのか。」

ぺこり頭を下げると、先輩はうーんと少し難しい顔をして頭を掻いた。ん?意味が分からずに、どうしました?と顔を覗き込むと先輩はこちらをちょっと見て、さらに頭を掻き毟って声にならない声をあげた。

「…や、俺が勝手にやったことだ。気にするこたーねえよ。それに…かしこまって言われるのは苦手なんだ。」
「もしかしてちょっと照れてます…?意外ですね、なんだか。」
「るせーなあ。」
「へへ、すみません。そうだ!富松先輩お菓子あげます!私からのお礼です!ほら、いろいろあるんですよ。」
「本当に色々あるな…」
「引かないでくださいね。種類と数の多さは左近にもう充分引かれてるので。」

富松先輩はそこでまたおかしそうに笑った。顔をくしゃっとつぶして。

「やっぱ花岡は変にかしこまるの似合わねえよ。そうやって食べ物食べ物言っとけって。」
「なな、富松先輩私がとんでもなく食い意地はってるみたいな言い方しないでくださいよ!」
「はってなくは、ねえよな。」
「…ですね。」
「うん。花岡は素直だな。」

富松先輩、わたしの扱いがぞんざいになった気がするのは気のせいでしょうか。嬉しいですけどね。
でもなんとなく納得いかなくて、富松先輩に言い返せるようなネタを探そうと私は思考をめぐらせる。
あ、

「そういえば、富松先輩さっき保健室の前で誰かと話していませんでしたか。」

忘れてた。そういえば富松先輩がさっき誰かと廊下でお話しをしていて。そのことに三反田先輩が気がついて、お茶をこぼして、不運の連鎖で――以下略。である。
こう考えると元凶は富松先輩であると言っても過言ではないのではないか。よし、これで先輩を責めよう。

私は「事件の真相は富松先輩が原因」のストーリーを頭の中で組み立てながら先輩の言葉を待った。


「…聞いてたのか。」

しかし先輩の発した言葉があまりにも真剣で、私は何も言えなくなってしまった。ただ、首を横にふるふると動かすのが精一杯だ。
そんな私を見て、先輩はハッとしたように目を開いた後、また笑った。


「…そうか、いや、何でもねえ。」
「そう、ですか。」
「ああ。それはそうともう体は大分いいみてーだな。良かった。でも無理は禁物な。」
「はい。」


富松先輩はそれだけ言うとじゃあな、と手を振ってさっさと行ってしまった。


――先輩は一体誰と私の話をしていたのだろうか。

その疑問だけが、しこりみたいに身体に残った。





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