小説 | ナノ

私は、いったい、だれなんだろう。どうしたら、一番いいんだろう。

ひたすらぼんやり考えていたと思う。

すると「花岡!」と叱咤の声が聞こえてきた。
ビクリと肩を揺らし反射的に返事をして振り返る。バイトの制服姿の三郎次先輩がテーブルを指差して「早く片してこい。」と怒ったように言った。
慌ててトレンチを持って客席へ飛び出す。片付けて戻ってくると、先輩は大げさにため息をついた。

「どうしたんだ、今日は。おかしいぞお前。」

そう言う先輩は全くいつもと変わらない。変わらなすぎて、私はむしろうろたえていた。本当に、この人は「昔」を知っているのだろうか。あれは、団蔵の嘘じゃないだろうか、むしろ全て嘘なんじゃないか。
…ぜんぶ、嘘だったらいいのにな。

そこで私の視界はぼやけ、こらえようとする前にぽたり、また涙が落ちた。
三郎次先輩がギョッとして慌てだしたのが雰囲気でわかる。

「お、おまえどうしたんだよ。具合悪いのか。そうならスタッフルームで休んでろよ。」
「ち、ちがうんです。」

今はバイト中だ。何やってるんだ私は。
すぐに涙を拭いて深呼吸する。そしてニッコリ笑顔を作る。

「大丈夫です。すみませんでした。…三郎次先輩、今日のバイト終わりに少し時間いいですか?」
「お、おお。」

三郎次先輩は心配そうにこちらを見た。私はそちらを見ないように、明るく「いらっしゃいませ!」と叫んだ。






「三郎次先輩。」

私は意を決して先輩に話しかけた。
バイト終わりのスタッフルームに残っているのはもう私と先輩だけだ。


「なんだ。」

先輩は、私が聞くことを分かっているようでもあったし、分かっていない風にも見えた。

「忍者の学校って、知ってますか。」


いつもみたいに、はあ?と怪訝そうな顔をして欲しい。そんな淡い期待を抱きながら私は返答を待つ。
しかし三郎次先輩は、私の言葉で大きな目をさらに大きく開いた。
ああ、
やっぱり。
私はまた顔が歪んでしまう。

「花岡、それ、誰から。」
「ぜんぶ、みんなに聞きました。三郎次先輩のことも、団蔵のことも。」
「…お前、大丈夫か…」

その言葉で、必死に我慢していた感情が喉もとまで駆け上がる。

「…大丈夫じゃっ…ないん、ですっ」

叫び声と泣き声まじりのしゃがれ声でしか、言葉を返せない。

「わたし、どうしたらっいいのかっ…なにも…わからない、っし。わたしもっばか、だし!」

一気に、溢れた。

「花岡!落ち着けって!」
「もう、みんな!うそ、だったらってぇ!!」

わけもわからず私は、机の上にあるものを片っ端から落とした。ばらばらに落ちる書類や本。最後に落とした灰皿はガシャンと音を立てて割れた。

粉々になった灰皿をなおも割ろうと、私は破片を掴みあげて床に下ろす。ガシャン、とまた音がした。手に痛みが走る。

「やめろ!」

そこで私の手は拘束された。

「何やってんだよ!バカ野郎!!」

次いで三郎次先輩の怒声が響いたと思う。がよくわからない。
私の思考が、一瞬止まっていたからだ。


私の、真っ赤に染まる、両手。
まっかなりょうて。
わたしじゃない、血。
じゃあ、誰の、血?

『―花子、ごめんな』

なんで、なんでごめんな?

『俺、もう―』

え?もうって?
あなた、だれ?

だ、んぞう?




「やめてえええええ!!!」

冷や汗が溢れ、猛烈な吐き気に突如として襲われた。
ガタガタと体の震えが止まらない。

そうだ、

そうだった。


「花岡!おい聞こえてんのか!」


思い出した。
私は昔、団蔵の恋人だった。
そして私は目の前で団蔵を失ったんだ。

「…あっ…ああああ、」


そして、固く願ったんだ。
この記憶が、なくなりますようにって。



そこで私の意識は飛んだ。




←TOP

×