小説 | ナノ

気が重いまま教室に入ると、団蔵がすぐに私のもとにやって来た。そのまま私の腕を掴んでどこかへ歩き出す。

「…団蔵、離して。」
「離さない。」

強く掴まれた腕が痛い。私は思い切り腕を振って逃れようとする。

「痛いよ!やめて!」

団蔵はやっとそこで立ち止まって、はっとしたように私を見た。
私はキッと団蔵をにらみつける。

「…私ぜんぶ、聞いたから。」
「っ花子、聞いて欲しい。…俺は、お前が好きで、」
「ちがうよ、団蔵。団蔵が見ているのは私じゃないでしょう。」

団蔵が泣きそうな顔でこちらを見た。
そんな目で見ないで。私と昔の私を照らし合わせてるくせに。

「花子、花子。ごめん。お願いだ、嫌わないで。」

いつも冗談ばかり言っていたとは思えない泣きそうな声で団蔵は私にすがり付いてきた。
ばか、ばか。どうしようもない、ばかだ。団蔵は。

「ごめん」の言葉は、私には重すぎた。


ばちん――


乾いた音がその場に響いた。
気が付いたら、団蔵の頬を叩いていた。


「私にもう構わないで。」


最後の団蔵の顔は、もう見れなかった。






家にすぐさま帰ってしまいたかったけど、流石に早退にしても帰るには早い。
のろのろと私は保健室に入った。
そのままベッドにもぐりこむ。


戻りたい。
団蔵と冗談ばっかり言い合ってたあの頃に戻りたい。
どこで間違えてしまったんだろう。
今すごく辛いよ、わたし。


どれくらい経っただろうか。
誰かにぽんぽん、と背中を叩かれた。

「花子ちゃん。」

同時に発せられた声に私はぴくりと反応する。沁み入るような優しい声。

「ら、んたろうくん?」

恐る恐る隙間からのぞくと、確かにそこに乱太郎くんの顔があった。


「さっき、見ちゃった。ごめんね。」
「…」
「今日は、帰る?」
「うん…」

乱太郎くんはそれ以上何も言わずにただ微笑んで私の頭に手を置いた。また涙が溢れ出す。
ダメだ。もう学校にいてもしょうがない。乱太郎くんの言うとおり今日はもう帰ってしまおう。


「乱太郎!」

私が丁度布団から出ようとした時だった。突然、団蔵の声が聞こえてきた。
私は慌ててまた、布団を被る。ここは、カーテンの中だ。まだ、団蔵には見えていない。

「なに、団蔵。」

乱太郎くんが慌てて団蔵の方に歩いていく音がする。
やめて、こないで。

「花子…来てないか。」
「うん。ここには来てないけど…どうした?」

乱太郎くんの言葉にほっとする。ありがとう、乱太郎くん。

「俺…花子に酷いことした。どうしよう、乱太郎。」
「団蔵…」
「花子は、ここの花子は昔の花子じゃない。そんなこと、わかってたんだ!それなのに、あいつに押し付けてた。」
「団蔵、落ち着いて。」

私の心臓は、どくりどくりと動いている。団蔵の声なんか、聞きたくない。けど、耳を塞ぐ気はさらさらなかった。

「…ごめん乱太郎。俺、冷静じゃない。」
「いいよ、僕で良ければ、聞くから。」
「ああ、サンキュ、」

団蔵、団蔵の本音はどこにあるの。私はぎゅっと、暗闇で目を瞑った。

「俺、花子に思い出してもらうつもりで、皆にお願いして必死だっただろ。でも、本当はどっかで花子はもう思い出してはくれないって思ってたんだ。」
「そう、なの?」
「ああ。…俺が花子と出会って、仲良くなったくらいかな。あいつがアルバイトしたいって言い出したんだよ。すぐそこの、ファーストフード店でさ。」

私は記憶を辿る。
確かに、そんな話をした。アルバイトを探している時に丁度その、私の今のバイト先の店が募集をしていたんだ。
よく覚えている。だって、いつもへらへらしている団蔵と初めて喧嘩したきっかけだもの。

「俺は大反対したんだ。ダメだ、あそこは絶対バイトしちゃだめだって。」

そうだ。団蔵は私がその話をした途端、血相変えてとにかく「ダメ」を繰り返していた。その理由を聞いてみても店長がハゲだからとか俺ハンバーガーが嫌いだとかよく分からない曖昧なもので、しまいには大喧嘩になって。その反動からか別に対して思い入れもなかったそのバイト先に入ってしまったんだった。
その時団蔵はバカだと認識したんだ。それは、今でも間違っていなかったと思ってる。

「…そっか、その店。三郎次先輩がアルバイトしてるところだね。」
「ああ。俺、花子になんとか諦めさせなきゃって、必死だったんだ。なんで、数あるバイト先の中で先輩のいるあの店なんだよってずっと思ってた。三郎次先輩に会わせて、昔みたいに好きになられたらって考えたら気が気じゃなかったよ。結局、花子は俺に反発するみたいにその店でバイトし始めたけどな。」
「らしいっちゃ、らしいけどね。」

思考が一瞬停止した。
ちょっと、よく理解できない。三郎次先輩というのは、同じバイト先のひとつ上の先輩だ。何かと私にちょっかいかけていじってくるけど、面倒見のいい先輩。
私が、あの人を好き?だった?
三郎次先輩も、昔のひと?
先輩がそんな素振りを見せたことなんてあっただろうか。初対面の時にじっと見られたような記憶しかない。
でも、先輩は軽く一回私の名前を聞いただけですぐに覚えていた。あれが、昔の私を知っていたからだとしたら。
そういえば、虎ちゃんが昔の私はひとつ上の先輩を好きだったって、
ああ頭の容量、超えそう。


「でも、バイトを始めてもあいつは全く変わらなかった。俺との話に三郎次先輩の話なんて出てもこなかったし、すれ違っても適当に挨拶していたし。それを見て、俺凄く安心したんだ。でも、同時に花子は、昔の花子じゃないって気づかされたんだよな。嬉しかったのに切なかったんだ。」


私はふとんから顔だけ出して、カーテンの向こうを見つめる。
団蔵、ごめんね。
昔の私じゃなくて、ごめんね。


「もうきっと、思い出してはくれないんだ。って思っていたのに。俺はそのことに気が付かないふりをしてた、ずっと。今の花子を見ないで、昔の花子ばっかり見ていた。俺が追いかけていたのは今の花子なのにな。…俺、遅いよ。動くのが。花子に甘えすぎてたんだ。」


団蔵の声が、泣き声に変わった。

何故か、今すぐカーテンを開けて団蔵に抱きつきたい、と思った。
何故か。何故かは本当はわかってる。
私が団蔵を好きだからだ。
こんなに胸が痛いのも、ぜんぶ。




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