――――――○月×日。


「いつまで其処にいるつもりだ」

 月明かりを背に、土方は襖に手を掛けたままその場に立ち止った。明かりも点けず、暗闇の部屋の真ん中で正座する沖田の反応を待つが、その華奢な後ろ姿は微動だにしない。まるで精巧な人形の如く、ただ亜麻色を風に揺らすだけで、生気が希薄に感じられた。不気味な程の静謐な夜に、ひっそりと溶け込んでしまっているのだ。
 得も言われぬ不安に煽られ、土方は突き動かされる衝動に身を委ねて細い肩を些か乱暴に引いた。呆気なくその手に体勢を崩された沖田は、けれど顔を土方へ向けずに依然と視線を固定していた。覇気の失せた蘇芳色の双眸が見据えるその先に、青白い顔をして眠る近藤が布団に横たわっている。普段はサングラスに隠れて見えない穏やかな目元が、こうして長い間無防備に覗けるのは珍しい事だ。

「いい加減に身体を休めろ。お前までぶっ倒れられると困る」

 土方は言いながら、掴んだ肩にさりげなく力を籠めた。此方を一瞬でも見て、己を確と認識して欲しい思いが自ずと表れるも、沖田の意識は近藤にしか向けられていない。

「おい、聞いてんのか」

 それならば力尽くでも現実に引き戻すだけだと、土方は肩を掴んでいた手で沖田の顎を強引に仰向かせた。そして、初めて見る虚ろな双眸に息を飲む。土方を見ているようで見ていない、許されざる者の存在を沖田は頑なに拒絶していた。

「近藤さんがこうなったのは、あたしの所為だから」

 差し込む月明かりに浮かぶ端正な容貌は、血の気が失せてしまったかのように蒼白だった。沖田の掠れた声に力など欠片もなく、眼差しも驚く程に弱々しい。

「あたしがもっと強ければ、近藤さんは傷付かなかったのに」

 うわ言のように、言葉が不安定に紡がれていく。

「あたしが弱いから、近藤さんは、」
「―――総」

 息継ぎの合間に割り込み、土方は咎めるように名を呼んだ。土方が手を離すと、沖田は目を伏せて無意識に視線を近藤へ向ける。大人しく引き結ばれた唇は噛み締められ、じわりと朱が滲んでいた。

「お前が弱いから近藤さんはこうなったんじゃねぇ。近藤さんもテメェの意思で命懸けて生きてんだ。局長だからって守ってもらおうだなんて考えちゃいねぇし、仮に部下を庇って死んだとしても後悔はあるめぇよ。お前が、――俺達がどう思おうがこの人には知ったこっちゃねぇんだ。そんな勝手な人だろうが、知ってるよな」

 畳の上で作られた固い拳は、己の非力さを呪うように掌を痛めつけているのだろう。それを一瞥して、土方はちいさく脆い侍の姿を瞼の裏に焼き付けた。そして、亜麻色の頭をそっと己の胸に引き寄せる。端から感じていた濃い血臭が強く鼻孔を抜け、土方は眉間に皺を寄せて奥歯を噛み締めた。

「―――絶対、お前の所為なんかじゃねぇ」

 沖田は何も言わず、冷えた畳へと力任せに拳を振り下ろす。静謐な夜に、歪な歪みが生まれた。




――――――○×日後。




「何してるのー」

 討ち入りが終わった途端に姿を消した沖田を見つけ、斎藤はその隣りに腰を下ろした。お互いの隊服は血に濡れ、擦り切れた幾つかの箇所からは己の血が滲んでいる。今宵の討ち入りは敵の人数が予想よりも遥かに多く、多勢に無勢で不利な状況だった。仲間に軽傷者はいれど、死者が出なかったのは奇跡といってもよい。

「見ての通り、休憩してるだけ」
「あー、疲れたもんね。さすがに俺もくたくただよ」

 沈静した戦場を横目に縁側へ腰かけていた沖田は、夜空に浮かぶ月を見上げていた視線を徐に下ろす。討ち入りに参戦した部下は普段なら後処理にすぐ動くのだが、今回ばかりは過度な疲労にそれぞれ身体を休めていた。いずれ連絡した仲間が駆けつけてくる為、それまではせめて此処に留まるつもりなのだろう。野次馬のざわめきが次第に大きくなるのを誰もが感じながらも、牽制に動く気配はまるでない。皆、泥のように重く沈む身体を静かに休めている。

「――――大丈夫?」

 誰にともなく問うた沖田の声は、小さな音のざわめきに浮かび上がる。斎藤だけではなく、近くにいた者なら聞き取れた透明なそれに、熱い吐息が幾つかぶつかった。

「総は大丈夫なの」

 大きな欠伸を漏らしながら、斎藤は何の感情も乗せずにそう言った。背後の湧いたどの感情にも感化される事なく、ただ穏やかな其処で両膝を抱いている。生理的な涙に潤む双眸を伏せ、かさついた指先で水滴を払う。斎藤は全てに頓着せず、呑気にもう一つ欠伸を漏らした。
 そんな普段と変わらない旧友に、沖田は音もなく笑った。小さな笑みを忍ばせて、固くなっていた頬を僅かばかり緩める。すると、不意に斎藤が首を捻り、沖田の横顔を見遣った。

「あたしは大した怪我じゃないよ」

 視線に気付いた沖田と目が会った瞬間に、柔らかに綻んだ表情は消し去られていた。斎藤は蘇芳色の双眸を真っ直ぐ見据えながらも脳裏を掠めた思いに内心首を傾げたが、穿鑿するなと言わんばかりに視線を逸らされ、差し障りないいらえだけ返して口を噤んだ。

「沖田さん!!」

 暫くして、駆けつけた仲間が到着した。その中にいた山崎が、沖田を見つけて血相を変えて詰め寄る。短い時間の間にも眠ってしまった斎藤は、ちゃっかりと沖田の肩に頭を預けて安眠を得ていた。

「あぁ、来たの。お疲れ様」

 肩に寄り添う温もりに眠気を誘われ、まどろんでいた沖田は数回瞬いて目元を擦る。背後の隊士が入れ替わるように動く光景をうつらと曖昧な意識の中で確認していると、立ち塞がるように眼前へと山崎が仁王立ちに立った。沖田が見上げれば、珍しくも目一杯の怒りを露わにした山崎が、眉間に皺をぎゅっと寄せた。

「どうして俺達の到着を待たずして突入したんですか」

 爆発しそうな怒りを極力抑えているのか、山崎の声は微かに震えていた。ただならぬ雰囲気に、周りの隊士は己の仕事をこなしながらも窺うように見ていたが、誰もそれを止めたりはしなかった。沖田の非は、それほどにまで明白だったのだ。応援を待たず、討ち入りを決行したのは沖田である。先陣切って一人斬り込み、片っ端から淡々と命を摘み取っていく様はまるで機械染みており、敵だけではなく、味方からも酷く恐れられた。しかし、その中でもただ一人、沖田に対する目を変えなかったのは斎藤だ。

 いらえを求めるように山崎が沖田の名を半ば叫ぶように呼ぶと、斎藤が目を覚まし、眠気眼を擦りながら山崎を見上げる。そして、重い瞼をゆるりと上げ、不思議そうに首をこてんと傾げた。

「どうしたの。怖い顔しちゃって」

 独特の柔らかな口振りで言われた山崎は、自ずとその主へと視線を向ける。だが、斎藤にその矛先すらも向けられてしまう前、沖田はあからさまな笑みを零した。山崎だけではない。それに気付いた者全ての視線を攫って尚、沖田は綺麗な笑みを形作る。端正な容貌に湛えられたその艶やかさは普段のものとは違っていて、山崎は背筋がぞっと寒くなるのを感じた。

「一人でも多く殺したかった」

 まるで熱に浮かされたような口振りで、沖田は言い放つ。誰もが息を飲み、身体を強張らせる中、それでも態度の全く変わらない斎藤はぱちんと一つ瞬く。

「この手に残る、実績が多く欲しかったの」

 沖田は乾いた血がこびりつく利き手を握り締め、縁側に手をついて立ち上がった。それを視線で追う斎藤は、倣うように同じく腰を上げる。山崎は咄嗟に適切な言葉が出て来ずに、沖田と斎藤の背中を見送るしか術がなかった。重く血を浴びた刀をそれぞれ手にし、たわいない話をしながら去って行く。一度だけ、確と山崎を捉えたあかい双眸は、酷く冷たかった。

 波紋すら生まれず、沖田の心は揺り動かされなかったのだ。




――――――○×日後。




 鳥の囀りを耳にして、沖田はそっと目を開けた。すると、眩しい程の日差しに眩暈がし、逃れるように腕で簡易な庇を作る。草むらに寝転ぶ身体に刺さる雑草が、至るところに突き刺さってむず痒い。湿った土が隊服を湿らせているようで、沖田は不愉快な気持ちになった。のそりと、節々が痛む上半身を起こす。見覚えのある光景に、屯所から近い河川敷だとわかり、沖田は徐に首を傾げた。

「・・どうして、此処にいるんだっけ」

 ぼんやりとした脳裏で眠りにつく前の出来事を辿ろうとして、ふと胸元で震えを感じた。無意識にそれに触れ、携帯電話だとわかった途端、腕からは力が抜ける。沖田は手元に置いてあった刀を確認し、あっさりと思い出す行為を放棄してしまう。

 気持ちが落ち着いてくると、鈍っていた痛覚が次第に呼び起されていった。何処が痛いのか特定するのにも気を費やしそうなほど身体中は痛く、けれど痛みは強くはなくて鈍いものだ。じわじわと浸食されるようで鬱陶しいのは厄介ではあるが、身体は問題なく動く。人を殺すには十二分に役割を果たせる己である事に、沖田は心の底から安堵していた。

「もしもし、・・うん、大丈夫だよ・・、ごめんね」

 凝り固まった肩を解しながら、沖田は漸く電話を取った。掛けてきたのは藤堂で、仲間を誰よりも大切にする彼らしく、沖田の身体の事ばかりを気に掛けている。大丈夫、この言葉を、最近はよく使っていると頭の片隅で思う。まるで口癖のように、それで相手が納得してくれると知ったから、考えるより先に口にしている。

「大丈夫だって、ほんと、・・大丈夫だから」

 いつの間にか己に言い聞かせるように口にしていたと、沖田が気付く事はなかった。




――――――○×日後。




「総!上に行けッ!!」

 土方にそう言われた時には、沖田は既に階段へと足を掛けていた。二階建てのこじんまりとした宿屋での討ち入り。事前に念入りに下調べをし、計画性を持って臨んだというのに、真選組と逗留していた攘夷浪士との決闘は均衡していた。血生臭い戦場へと塗り変えられた一階で奮闘する土方率いる面子の中から沖田を二階へ行かせたのは、其方のほうが劣勢であると空気から察したのだ。土方はそう考えての判断だったが、沖田がその判断の意図を知りながらも沿ってくれるとは限らない。それを土方は知った上での、判断でもあった。

「やっと腹括ったのか」

 土方は亜麻色を無意識に見送りながら斬り掛かって来た浪士の肩口を薙ぐと、傍らで戦う近藤が軽快な口振りで言いつつ煙草を燻らせた。サングラスに覆われた双眸は、相変わらずに穏やかなのだろう。だからこそ土方は、片眉を上げてあからさまに反応を窺う近藤の様に顔を歪めずにはいられない。

「あんたはとっくに覚悟決めてたって訳か」
「俺ァ、総が江戸に着いて来るって聞いた時からだしな」

 嫌みたっぷりに言ったのに、あっけらかんと言葉は紡がれる。土方は思わず、一瞬だけ息を詰めてしまう。近藤はまるでそれを見越していたかのように、土方の前に躍り出た浪士を一刀で斬り伏せた。

「俺はよ、総を猫可愛がりにしちゃいるが、お前らみたいに大切にはしてねぇんだ」

 しようともしてねェな、そう付け足した近藤は珍しく困ったように、見ようによっては泣いてしまいそうな様子で笑みを口元に刻んだ。

「トシ、お前まで堕ちる必要はないさ」

 新手の攻撃が止んだ僅かな合間に、近藤はすっと表情を引き締めて踵を返した。咄嗟に彼を呼び止めようとした声は、無情にも振って来た刀身に憚られ、土方は堪らず舌を打つ。どんどん遠ざかる背中に焦りを、恐怖を感じた。走らせた視線の先に、亜麻色はもうとっくにいなくなっている。撓らせた腕に感じる感覚は、今では疾うに慣れた、人を殺した瞬間に伴う重みだった。



 階段を駆け上がると、不意に薄暗い影が出来た。見遣るより早く、沖田は手に握った刀を振り上げ、頭上に落ちる刀身を受け止めた。圧し掛かる重みに眉根を寄せ、震える腕を踏ん張り視線を滑らせる。息を荒くした浪士に、膨大な殺気を向けられていた。男女の力の差は歴然で、徐々に亜麻色へと刀身が近付くと、浪士は歪んだ笑みでせせら笑う。更に足音に気付いて顔を上げれば、敵の加勢が駆け寄って来ていた。

 沖田は瞬発力を用いて迫り来る刀身を一瞬止め、片足で浪士の腹部を蹴りつけた。予想外の打撃によろめいた浪士にすぐさま刃を適当に振り抜き、痺れる腕にも構わず前方の新手に袈裟掛けをお見舞いする。そして、息を吐く暇もなく襲い掛かって来た浪士の頸動脈を寸分違わず斬り裂き、その合間に一階と同様である戦場に視線を巡らす。確かに土方が劣勢と判断したのは的確だったようで、浪士と刃を混じり合わる隊士は圧されていた。

 振り切られた刀身を身を屈めて避けた沖田はその使い手の足の腱を裂き、隣りの部屋へと移動する最中にも幾人かの浪士を斬り伏せた。足元に転がる花瓶を手に取り、一人の浪士に苦戦する隊士の背後から、静かに忍びよる浪士へと投げつける。横っ面へと派手に衝突し、派手な音を立てて割れた欠片が飛び散ると、隊士は一瞬硬直した正面の浪士を袈裟に掛けた。忍び寄っていた浪士には沖田が一刀を浴びせ、事なきを得た。

「ッ沖田隊長!!」
「こっち、仲間と固まって戦うの。離れないで」

 一人取り残され、敵に囲まれていた隊士を仲間の元に導きながら、沖田は遅い掛かって来る浪士を再起不能になる程度の傷を負わせる。手っ取り早く急所を狙う沖田にしては珍しい事で、その太刀捌きを後ろから見遣る隊士は些末な疑問を持つ。しかし、忙しなく視線を動かす沖田は訝しげな視線に気付く気配はまるでなかった。

「ねぇ、宮城は何処にいるの」
「あ、あぁ、裏の階段から逃げてしまって、でも平山と内野が追ったので、」

 今回の敵である攘夷浪士の大将の行く先を知った途端、沖田は隊士の話を最後まで聞かずに駆け出した。逃げたという裏の階段に回り、しかし邪魔をするように立ち塞がっていた多勢の浪士を前にして勢いは削がれる。覇気の籠った声を上げて真正面から打ち込まれ、沖田は舌打ちして身を開く。空を裂いた刀身を手首毎斬り落とし、油が巻いて切れ味の悪くなった刀を牽制するように回転させて投げつける。沖田は身軽となった身体で踵を返し、次いで背後から来ていた浪士の振り下ろされる刀を避け、巧みな体術で力尽くで道を開けさせた。関節を痛められて片膝をついた浪士の手から零れ落ちた刀を拾い、一旦足を止めてそれを鞘に収める。

 沖田は荒々しい戦闘により割れた窓に近寄り、歪んで動き辛くなっているのも構わず、強引に横へとスライドさせた。開け放たれ、外が臨めるようになると、躊躇せずに窓枠へ身を乗り出す。隊士の驚いた声と、困惑する人々の気配が背中にぶつかった時には、沖田の身は宙に浮いていた。それなりの高さがあるのにも恐れず二階から飛び降り、裏口へと続く庭へと身軽にも着地した沖田の足の裏からは電撃のような痛みが頭の天辺まで駆け抜ける。今し方負った傷や治りかけていた傷も開き、沖田の身を苦しめる。たちまち痛みに顔は歪むが、その口元は確かに笑みを浮かべていた。

「逃げる事ないじゃない。あんたと殺るの楽しみにしてたのに」
「―――お前が沖田総か」

 衝撃を緩和する為に屈めていた腰を伸ばし、亜麻色を揺らして沖田が見据えたのは、敵の大将である宮城であった。着衣は返り血に濡れており、その宮城の後ろには、妙齢の女が怯えた表情で動揺している。その震える華奢な身体を庇うように、宮城は前に一歩出る。か細い声が、彼の行く末を案じていた。

「お前の狙いは私だろう。佳代は、この女は見逃してくれ」

 懇願する切実な眼差しは、沖田を見据えて揺るがない。蘇芳色の双眸は、つと細められる。辛うじて宿屋の漏れる明かりが辺りを照らす中、無表情に保たれていた端正な容貌が不意に影へ隠れて色を失くす。

「端からあんた以外は興味ないよ。好きにしたら」

 沖田の視線が逸れたのを見て、宮城は殺気にあてられて縮こまる女に逃げるよう促す。嫌だと首を振る女の背を強引に押し、裏口の方へと行かせる。直ぐに私も行くと、何の迷いもなく告げて、宮城はこの状況でも朗らかに笑ってみせる。強がっている訳ではない。本当に、宮城は己が此処で死ぬとは微塵も思ってはいないのだ。

「随分と余裕なのね」

 沖田は至極嬉しそうに、笑みを深めてそう言った。女の恨みの籠った眼差しを背に感じつつも、鞘から拾いものの刀を引き抜く。完全に二人になった戦場で、漸く宮城も刀を手にする。

「私は仲間の為にも、佳代の為にも死ぬ訳にはいかない」

 精悍な顔つきで刀を構える様は、宮城によく似合っている。それに比例する実力もそこはかとなく肌で感じ、沖田は己の血が沸騰するように騒ぐのを止められない。ぐらりと脳裏が熱く滾って、目の前があかく染まる。早く早くと急く心は、その朱を間近に浴び、糧にして、力としたくて堪らない衝動に駆られているのだ。

「私とお前では、背負っている重みがまるで違う」

 沖田は地面を蹴り、撓らせた腕を振り切って宮城の脇腹に目掛けて刀を薙いだ。

「―――私には到底勝てまい」

 縦に構えた宮城の刀身に防がれ、沖田は足を滑らして腰を捻る。そのまま再び逆の脇腹を斬り裂こうとするも、拳が腹部に打ち込まれ、強制的に距離を取らされる。詰まった息を整える暇もなく、宮城の器用に構え直した刃が沖田の眼前に迫り、上半身を反らして免れた。逃れきれなかった前髪が散り、視界の隅で亜麻色が落下していく。

 沖田は後方に傾いた身体を踏ん張って体勢を整え、肩で息をしながら平青眼に構える。感情が高揚するのと比例し、身体が悲鳴を上げているのがわかった。呼吸をする度、臓腑が抉られるような痛みを伴う。内も外も痛くて堪らなかったが、端正な容貌は歪めど退く気配はまるでない。むしろ殺気を高め、宮城を仕留める事に対する強い意思は決して揺るがなかった。

 左の上段から振ると思いきや、その刃は沖田の左足へと向かう。咄嗟に下段に構えて防ぐものの、猛打は二回に渡り加えられ、足を引く事によって衝撃を緩和させる。宮城は流れるように亜麻色の頭上目掛けて刀を振り下ろし、沖田は受け止めてすぐさま攻守の入れ替わりに転じようと足を滑らす。しかし、不意に腕に掛かっていた負担が軽くなり、沖田の筋肉が一瞬弛緩した隙をつかれる。宮城は俊敏な動作を見せ、腰を捻った反動も手伝った凄まじい横一文字が振り切られた。

「いッ、あ・・ッ」

 堪えきれず漏れた声が、鮮明な朱と共に落ちた。覚束ない足は最早踏ん張りが利かず、地面に突き刺した刀を支えに、沖田は崩れ落ちそうな身体を辛うじて保つ。無意識に傷口に添えた掌に感じる生温い液体が、次々と溢れ出してくる。優れた反射神経のおかげで断ち切られはしなかったが、深く腹を裂かれたのは紛れもない痛手だった。言葉には到底し難い痛みに意識は今にも飛びそうで、身体は正直に異変を齎しては視界を歪ませる。

―――――ころさなきゃ、

 朦朧とし始める脳裏に、己の声が響く。目の奥が真っ赤に発火し、熱さだけが沖田の意識を繋ぎ止める。
 頭上に、影が伸びていた。細長い影がきっと形を成して己に振る時、それは死を意味するのだろう。沖田は、長い睫毛を震わせた。身体は意思に反し、ぴくりとも動いてはくれない。

「総!!!」

 聞き慣れた、けれど滅多に声を張り上げる事のない声が、沖田の名を呼んだ。身体の奥底で燻っていた、熱が弾けたのを感じた。沖田は顔を上げたのと同時、力強く地面を蹴る。痛覚をも超越した何かが、身体中の隅々にまで力を与えてくれていた。

 眼前に迫る猛烈な突きを、沖田は鎬で受け流して躱す。勝利を確信していた宮城の目は驚きに開かれ、これまでと違う意思を持った蘇芳色の双眸に動揺を見せる。その合間に、巧みな太刀捌きで攻守は入れ替わった。一分の無駄なく、翻る刃は宮城の首を捉えた。

「み、宮、ぎさ・・ん」

 途切れ途切れに名を呼ぶか細い声に、沖田は思い出したかのように顔を仰向ける。女が悲鳴を上げて駆け寄るのに目も向けず、己の名を呼んだ近藤の姿を探す。大凡、二階から叫んだであろうとは見当がついていたが、喧騒ばかりが聞こえるだけで其処に姿はない。沖田はゆっくりと深呼吸をしてから、血に濡れた刀身を無造作に払った。鞘に収め、足元に伏した胴体を一瞥する。勢い余って飛んでしまった頭部は、心配のあまり再び戦場に戻って来た女の膝元に抱えられていた。沖田は冷静にそれを見遣り、ゆっくりと唇の端を持ち上げた。掌に残るあの感触に、充足感から肌が粟立っていた。

「それ、渡して」

 残党の士気を削ぐには、大将の首を曝すのが手っ取り早い。奮闘する浪士を黙らせるには持って来いの方法である。
 沖田は然程距離の開いてない目標へと、慎重に歩を進める。何しろ、先ほどの麻酔のような効果は既になく、些細な衝撃で身体は悲鳴を上げるのだ。歩くと言う動作でさえ、今の沖田には一苦労であった。

「・・・・・ゆ・・・ッな・・!」

 見下ろす女の、両肩がぶるりと震えた。低く這うような声が沖田の鼓膜を揺らしたかと思えば、突如として視界に白銀が飛び込んだ。沖田は咄嗟に避けようとするも、激痛が走って上手くいかず、隊服を通して脇腹の肉を裂かれる。女の両手に握られた懐剣には血が纏わりつき、ぽたりと朱の玉が地面に吸い込まれていった。更にその上からは、透明な滴がしとどに濡れていく。

「・・ッ、アンタだけは、ぜった、いッ!!」

 涙は滂沱と溢れ、直向きな殺気は冷たく痛い。女は、悲しみと怒りに身を震わせていた。けれど、沖田はそれを無表情のまま、何の感情も浮かべない双眸で見据える。眉一つ動かさず、宮城の頭部を何の気なしに一瞥し、ただ突っ立っていた。そして徐に腰を屈め、肉塊となったそれへと、多くの傷を刻み、血に汚れた手を沖田は伸ばす。その刹那、女は目の色を変え、膝を立てて懐剣を眼前の心臓へ突き出した。

 膝に乗せていた、慕っていた男の頭が地面に転がるのを、女は最期に見た。

 沖田は懐剣を握る女の腕を己の脇に引き寄せたまま、反対の利き手で振り抜いた刀をそっと下ろしていく。真新しい血が刀身を伝い、地面に赤い染みを作る。柔らかな細いそれから手を離すと、肉塊となった胴体が支えをなくして転がる。一片の躊躇なく刎ねた女の首は、思いの他近場に落下していた。宮城に寄り添うように、女は其処に在る。沖田は握る柄に力を籠め、歪な笑みを口元に浮かべた。

「―――総」

 名を、呼ばれた。沖田はその主へと、徐に視線を向ける。

「ひ、じかたさん」

 とうとう声を出すのも辛くなり、声が掠れてきた。舌が上手く回らなくて、沖田は続けようとした言葉を嚥下し、歩み寄る土方を見据える。正面の出入り口から回って来た土方は宮城の頭部を気に掛けもせず素通りし、沖田の前に立って見下ろす。そして、やけに締りのない顔つき故に怪訝そうな眼差しを受けながらも、沖田が握る刀を手に取ると無造作に捨てた。それは血溜まりに落ち、不協和音を奏でる。

「表に車を回した。お前は病院に行け」

 沖田は柳眉を顰めて返答しようとし、けれど土方に身体を支える為に触れられた為に痛覚が刺激されて叶わない。出来るだけ傷に触れないよう配慮されているのに、何処もかしこも大小を問わず傷があって、沖田はどうしても苦悶の表情を隠せない。噛み締めた唇の小さな隙間からは、か細い悲鳴が擦り抜けていく。それでも懸命に意識を繋ぎ止める沖田は、ぼやけて定まらない視線に捉えたものに、支えとなっている土方の腕を引いた。

「宮城の首、持っていかないの」
「ンなもん後でいい」
「でも、」

 沖田の言葉を遮るように、土方は歩き出した。それに連れられる沖田は痛みを噛み殺す為に口を噤まざるをえなくなり、無意識に瞼をもきつく閉じる。持続的な痛みに耐え忍ぶ様を、土方は横目に見る。華奢な肩を抱いて熱を発する身体を支えながら、顕著に歪められている容貌の中の、噛み締めて血の滲んだ唇に視線を落とす。

「俺はお前をひとりにするつもりなんざ更々ねぇよ」

 沖田は、薄らと目を開く。聞こえたそれに、唇をそっと解した。

「・・やですよ。土方さんと一緒なんて。ヤニ臭くなる」
「うっせー、慣れろ。つか、近藤さんにも当てはまるじゃねーか」
「だって、近藤さんとは一緒にいかないもの」
「あぁ、そっか。だからお前は強くなろうとしてるんだもんな」

 土方はへらりと笑い、抱いている肩を僅かばかり、優しく引き寄せる。微かにその肩が強張ったのはその手に反応したのではない事に、土方は気付いていた。

「堕ちるところまで堕ちりゃあいい。俺もすぐいってやるからよ」

 気が抜けたような、彼らしい口振りであっけらかんとそう言った。月明かりに映える銀髪を風に揺らし、土方は不意に立ち止まって顔を仰向ける。沖田が飛び降りた窓から顔を見せる近藤が、息を切らしながらも安堵した様子でひらりと手を振った。次いで声をかけるべく開かれた口は、背後から部下に呼ばれた為に尻切れ蜻蛉に終わり、近藤は半身を開いて横顔を見せる。

「―――髭面のマダオは、其処にいればいいよな」

 笑みを含ませたその言葉に、沖田は目を伏せる。緩い力で顎を引くと、亜麻色の束が血に汚れた頬を掠めた。土方は見上げていた視線を、暗闇の底へと下ろす。そして前を向き、沖田を支えて再び一歩を踏み出した。

「近藤さんに、また何か言われたんでしょう」

 沖田は問いながらも、確信を持った口振りだった。ゆるゆると沈殿していく意識の中では、もう土方の苦し紛れの文句も、うろたえる様も見えないだろう。けれど、沖田はそんなものを見聞きせずとも、全てが手に取るようにわかる。からかうのは、いつだって出来る。何故ならそれは、沖田の日常だったのだから。故に、大切なそれを成す一つ一つのものを、まもりたかったのだから。

 死に物狂いで刀を捌き、重くなっていた掌が、不意に軽くなったような気がした。身体の奥底に積み重ねてきたものは、熱さと冷たさで忙しなく点滅している。

 



華やぐに溺るる








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