目映い光を放つ月が雲に隠れ、界隈に黒塗りの闇が落ちた。ふと、布団に包まっていた阿国は目を開ける。とても寝起きとは思えない程の動きで寝床から上半身を起こし、充分に温められていた身体を冷気に曝して襖を引く。

「ほれ、言った通りじゃ。莫迦な事をしたぞ、ぬしは」

 暗闇に身を紛れさせたそれへと、阿国は眉を顰めて溜め息を吐いた。漆黒に包まれ、けれど鮮やかな色彩を覗かせているのは少女で、名を沖田総という。目深に被っていたフードを取り、少し乱れた亜麻色を手櫛で掻き上げると、蘇芳色の双眸は阿国をついと見上げる。

「お子様が起きてる時間じゃないんじゃないの」

 そう言って沖田は憎まれ口を叩いたが、見るからに平素の覇気は感じられなかった。疲れの垣間見える顔をやや伏せて、縁側へと近付いては靴を履いたままに横たわってしまう。投げ出した足の爪先は力なく地面に落ち、上半身は板張りの廊下に伏して、組んだ両腕には表情を窺わせる顔を隠した。無造作に置かれた刀は、今し方まで酷使されたものだろう。阿国はその冷たい凶器を一瞥して、改めて沖田を見下ろす。

「そのお子様を夜更けに尋ねてくるぬしが悪かろう」
「うん、ごめんね」
「・・構わん。で、傷のほうはどうじゃ」
「託宣の通り。寸分違わずにやられたよ」

 他人からの気遣いを厭う沖田にしては見栄を張る事もなく、やけに素直であった。阿国は膝を折り、黒地の隊服でも際立っている箇所に軽く触れる。汚れるよと、すぐさま沖田のくぐもった声が窘めるものの、阿国は傷を刺激しないように指先で軽く汚れを払う。指先に付着した赤黒いそれはかさついていて、ぱらぱらと塵一つない縁側に落ちていく。

「わしの天眼通は未来を違えん。抗おうなど無駄な事じゃ」
「別に抗おうだなんて思ってないよ。あたしはあんたを信頼してるもの」
「ならば何故回避しようとしなかった」

 数日前、阿国は沖田に託宣した。誰かに頼まれた訳でも、本人に頼まれた訳でもない。自らの意思で天眼通を使い、託宣したのだ。沖田が独断で殲滅させようとしている攘夷党との戦闘で、託宣して未来を知ろうとも避けようのない怪我を負わされると。しかし、災難ばかりでもなかった。唯一の助かる道が一つ、その戦地へと行かなければよかった。そうすれば沖田は傷一つ負う事なく、災難を容易く避けられる。死ぬという未来はない。けれど、死に目を見るような負傷をするとわかっていながらも其処へと参じようとは思わないだろう。普通ならばそうだ。しかし、普通ではないのが沖田だ。阿国の絶対の忠告をきかずに、沖田は予定通りに攘夷党を殲滅しに行ってしまった。

「どうしてもやらなきゃならなかったからね」

 沖田は両腕に伏せていた顔を上げ、綺麗な色彩をした双眸で器用に笑みを形作る。

「不運を避けてばかりの人生って、何だか味気ないと思わない?」

 揶揄するようにそう言ったのは、いつの日か阿国を救ったそれと似た響きを持っていた。沖田は傷をこさえた身体をゆっくりと仰向けにし、天井の傍らにある夜空を見遣る。今にも落ちてきそうな瞼を押し上げ、長い睫毛を揺らして大様に瞬く。闇を集めた双眸は平素より色濃く、虚空をひたすらに映していた。

「あたしがそうであったらよかったのにね」

 ぽつりと呟かれたそれは、決して大きな声ではなかったが、流麗に紡がれてはよく通るものであった。難なく耳に滑り込む言の葉を、阿国は間違いようもなく丁寧に咀嚼し、徐に目を伏せる。

「それ以上背負い込んでどうするんじゃ。莫迦者が」

 何処までも気丈な沖田に反して、阿国は図らずも潜めるような口振りになってしまった。丸みを帯びた小さな身体は、一瞬だけ震えてはあらゆる箇所を固くさせる。僅かばかりの恐怖心が顔を出し、ゆるりと阿国の胸裏を陰らせようとしているのだ。けれど、それを制するのは慣れたものである。阿国がついと目を上げた時には、幼少の頃より平静を保つ事に勤しんだ胸裏は穏やかなものとなっていた。蘇芳色の双眸を見下ろして、確と見据えても縋ろうとは思わない。ただ、揺らぎそうになるのは、いつだってどうしても否めなかった。器用に唇の端を持ち上げて、完璧でいて綺麗な笑みを形作る沖田は、平素の余裕を僅かにも崩す気配を見せない。

「ほら、よく言うじゃない。毒を食らわば皿までって」

 おどけたように言いながらも、それはきっと本心から言ったものなのだろう。阿国はその優しさに触れてしまい、軽い口振りで返す事も出来ずに掌を固める。沖田の悪戯っ子に笑む口元も和らげた目元にも、柔らかなあたたかみが見え隠れしている。加えてそれが無意識なものなのだから、阿国は容易いいらえが返せずに目を逸らすしか他がない。偶然にも見遣った蛻の殻となった寝床は阿国の目にはやけに寂しく見えてしまい、結局は己の膝元へと所在なく視線を落とす。握り締めた拳の指先は、籠められた力のあまり白くなっていた。

「―――わしなら、ぬしを救ってやれる」

 穏やかに凪ぐ胸裏は変わらず、現に声も確と芯が通っていた。阿国には、迷いも躊躇もない。あったのは恐怖でもなく、確信だけである。言うべくして紡がれた言葉の真意に、聡い沖田ならば容易に気付けただろう。生かしてやれる、そう付け足した真摯な甘言に、やはり沖田はこれっぽっちもそそられずに薄く笑った。蘇芳色の双眸を半分だけ瞼に覆い隠し、睡魔へと引き摺りこまれそうな意識を現実へと留めている。柔くもきっぱりとした拒絶は、阿国の心臓をやんわりと締めつけていく。恐れ多いなぁと、微塵もそう思ってない口振りで言いながら、沖田は徐に上半身を起こした。

「それでは約束をして下さりますか、阿国様」

 改まった口調を自然と使いこなし、沖田は笑みを浮かべて首を傾げた。指切りとして、白い小指を阿国の前にそっと差し出す。

「・・莫迦じゃ、ほんに莫迦者だぞぬしは」

 天眼通で未来を見ずとも、沖田の言動はわかる自信があった。初めて会ってから徐々に芽生えた気持ちを形にする事で沖田の返すいらえなど、これまでの彼女を考えれば容易にわかる事だった。けれど、沖田は阿国の想像を悠々と越え、突き放すどころかこうして繋がりを強固にさせようとする。そんな事をすれば、更なる負荷を己に強いるというのに。

 阿国は競り上がる言葉を淀みなく口にして、へらりと笑う沖田を精一杯に罵った。合間にはお決まりの文句である、莫迦だと言い放ち、きつく眉間に皺を刻んで睨み据える。一瞬でも手を緩めてしまえば、長年奥底に沈めていた感情が溢れてしまいそうだった。


 絡め合わせた小指は刹那の温もりを互いに宿し、それは緩やかに解けていった。





誓いは不実で優しい嘘で








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