一月も半ばになると、流石に初詣に訪れる人は少ない。一般的に初詣とは三が日か七日までの為、閑散とした神社は当然の光景であった。些か情緒には欠けるが、そもそも永倉は一月までの参拝は初詣と言えると思っている少数派だ。参拝したくとも、仕事が忙しくて無理な人もいる。それぐらいの温情があってもいいのではないかと、ここ最近の激務で寝不足な永倉は都合よく物事を考える。

 今は悠々と石畳を歩けているが、二週間前は人でごった返して碌に動く事さえ出来なかった。本来ならば、神社での問題事は一般人によるものが殆どなので一切は奉行所に任せ、真選組は新年の賑わいに乗じた攘夷志士を相手にしなければならない。しかし、初詣という行事の習慣がない天人の高官が、興味本位で行ってみたいとのたまったお陰で、急遽二番隊は警護に駆り出されたのである。よりによって今年は例年に増して討ち入りが多く、一休み出来るかと思いきや宿改めがあったりと息を吐く暇もなかった。一言で警護と言っても一通りの下準備があるものなのだが、そんな事をする余裕は勿論なかった。指揮系統を預かる土方は、空気の読めねぇクソ官僚なんて死んじまえと唾棄したが、きちんと臨機応変に動く事が出来る上に力もある二番隊に護衛を任せた。その天人は政治的に攘夷志士を煽る言動を繰り返しているので、狙われる確率が非常に高いのである。だからといって、本音を言えば気紛れに付き合わされてやる気も糞もなかったのだけれど、そこは仕事して割り切り、永倉は己と同じ気持ちである部下を鼓舞して護衛に当たった。

「お前、金持ってきたの?」
「持つ暇さえ与えずに引っ張って来たのはどこの誰よ」

 永倉は賽銭箱の前に立ち、隣りを見て訊ねる。すると、ポケットに手を突っ込む沖田は、無表情ながらも機嫌が悪いとわかる声色で刺々しい言を放った。常人ならばここで傷付くはないし苛立つところではあるが、永倉は全く気に留めずに五円玉を沖田に渡す。じろりと一瞥されて無言の抵抗をされたものの、早く受け取れよと促せば、ポケットからは温い手が引き抜かれた。全くもって可愛げのない顰めっ面ではあるが、参拝する動作は実に丁寧だった。永倉はそれを一瞥し、こっそりと笑みを浮かべる。賽銭を投げ、合掌して思うのは、新年の平安を祈願するものではなかった。瞼の裏には、やはり二週間前の事が思い浮かぶ。二番隊が護衛に駆り出された為に、穴埋めとして只でさえ余裕のない人員を割かれたのは一番隊であった。当然、隊長を務める沖田は、は?何そいつ殺されたいのと、土方と同様に毒を吐いた。暗に、放っておけと言う事である。けれど、そこも土方同様に、口では明け透けな発言を吐きながらも、迅速な対応で二番隊の抜けた穴を埋めた。そして、八つ当たりとばかりに永倉の携帯電話には、今度ご飯奢れとのぶっきら棒なメールが入った。これで貸し借りをなしにしようとする彼女なりの優しさに、永倉は笑って了解のメールを返信したのは本人には内緒の話である。

「よし、絵馬書こうぜ」

 参拝を終え、ふらりと歩き出そうとする沖田の肩に永倉は手を置いた。案の定、微妙な顔をしたのを見て、永倉は半ば強引にその腕を取る。

「あたしはいいよ。願い事ないし」
「だって毎年書いてたじゃん」

 永倉は会話しながら絵馬を二つ購入し、押し黙った沖田に一つを渡す。しかし、賽銭のようには受け取らず、視線を逸らして微動だにしない。そっぽを向く沖田に、永倉は眉を下げて少し困ったように笑む。

「ほんと欲がないよな、お前は」

 受け取られなかった絵馬を仕方なしに手元に置き、永倉は自分の絵馬を前に筆を取る。一切の迷いなく願いを書く永倉を横目に、沖田は思い出したかのように冷えた手をポケットに入れた。冷えた空気は肌に痛い程で、雪でも降りそうな灰色の空が遥か頭上には広がっている。時折吹く強い風に、絵馬掛けはからからと音を立てていた。沖田は何の気なしに、願いの書かれた絵馬が揺れる様を見る。幾つもの板が下げられて、願い事も様々であった。

「あたしが絵馬に書いてたのはさ、」

 絵馬を書き終えた永倉が顔を上げ、不意に口を開いた沖田を見た。目は合わず、蘇芳色の双眸は風に揺れる絵馬を見つめている。

「姉上の幸せだったの。だから、もう願い事はないんだよね」

 買ってもらって悪いけど、沖田はそう呟いて真っ新な絵馬を手に取った。柄にもなく、神頼みしてまでも一心に幸せを願った姉は、もうこの世にはいない。去年まではどんなに仕事が忙しかろうと、合間を見つけて三が日には初詣に赴いていたが、今年はその必要はなかった。仕事に忙殺され、漸く与えられた休暇は丸一日寝て過ごす予定だった。けれど、布団を用意していたところにやって来た永倉が、同じくやっとの休暇である筈なのに初詣に行こうと誘ったのだ。沖田は躊躇なく断ったのだが、それでは済まなかった。永倉は決して無理強いをする質ではないのに、嫌だと抵抗する沖田を引き摺ってまで初詣をせがむ。結局は抵抗にも疲れた沖田が折れ、疲労困憊した身体を押して永倉に連れられる事になった。

「てか、知ってるよね。あたしが毎年何を絵馬に書いていたかなんて」

 永倉は知っていて尚、沖田を初詣に誘った。不要な気は遣わない男だから、別段深くは考えずに沖田を誘ったのだろう。

「まぁな。お前はミツバさんの為ならあの手この手を尽くすから」

 永倉はへらりと笑い、絵馬掛けに向かう。ちらりとその手にある絵馬を覗いた沖田は、呆れた顔をして呟く。

「無病息災って、年寄りじゃあるまいし」

 若者が願うには些か夢がない。絵馬を結び付ける彼を目に、沖田は人知れず穏やかな笑みを浮かべる。筆を手に、絵馬へと文字を連ねた。

「お!近藤さんの絵馬がある」

 書き終えた絵馬を持って歩み寄れば、永倉が先に結び付けられていた絵馬を手に取る。其処には名前の欄に近藤の名が書かれ、願い事を見れば何とも彼らしくて思わず笑みが零れる。

「見合いが成功しますようにって、これウケ狙ってんのかな」
「間違いなくそうでしょ。こんな事よく言ってるけど、そもそも真剣に見合いした試しがないじゃん。誠実さに欠けるんだよ」

 けらけら笑う永倉に対し、沖田は眉一つ動かさずに近藤を非難した。他に知り合いのがないかと探していると、今年はラケットが壊されないようにだとか、合コンのお持ち帰り成功率を高めたいだとか、娘の周りにうろつく野郎共を排除してくれだとか、メール友が欲しいだとか、神聖なる絵馬を穢さんばかりの願い事がよく目についた。流石に永倉も笑みを失くし、途中からは軽蔑とした眼差しで絵馬を見ていた。すると、不意に風に煽られ、かたりと揺れた絵馬の一つに伸びる手が現れた。沖田は埋れたそれを手に取り、永倉も倣って目を遣る。名を見て、次に内容を読むと、二人は揃って顔を僅かに顰めた。呆れたと言わんばかりに溜め息を吐いたのは沖田である。

「あんたのジジくさい願い事が全うに見えてきた」
「いや、全う中の全うだろ。ジジくさいって何だ。健康である事がどれ程幸せだと思ってんの」

 煙草がこれ以上高くなりませんように、と祈願する土方の絵馬から沖田は指を離す。恥知らずが挙って揺れる絵馬に頭痛を覚えた永倉が踵を返そうとすれば、沖田は一歩前に出て書いた絵馬を結び付けた。

「え、書いたの?」
「うん。よく考えたら切実な願いがまだあった」

 永倉は馬の描かれた表をひっくり返し、裏を見た。そして、読んだと同時に頬を引き攣らせる。

「余計なお世話なんだけど」
「夢と希望のある願い事でしょう」

 やおら歩き出した沖田は、笑みを忍ばせてのたまう。眉を顰めてその背を追う永倉の背後で、永倉の背が伸びますようにと書かれた絵馬が揺れる。

「あんたが願うのは真っ先にそれだと思ってたのに」
「・・もう諦めたんだよ」

 ぐっと眉間に皺を寄せて視線を逸らす永倉に、沖田は悪戯めいた笑みを向ける。

「あたしの願い事は叶うから、諦めるにはまだ早いかもよ」

 その言葉の意味に、永倉は眉間の皺を解して隣りを見遣る。表情を柔らかに笑む沖田は、不意に視線を感じて目を合わせ、こてんと首を傾げた。瞬く永倉の仕草に疑問を覚えた沖田に、翳る気配はまるでない。永倉はそうだなと同意して、笑みを浮かべる。姉が幸せであったと思えている彼女に、永倉は安堵の気持ちを隠せなかった。
 てっきりふて腐れると思っていた予想に反した態度に、沖田は益々怪訝そうな顔をしている。

「甘味屋寄ってこう。お汁粉食べたいなぁ」

 神社を出て、永倉は繁華街の方へ足を向けた。その切り替えの速さに沖田は一つ息を吐き、目を眇めた。

「まさかそれがこの前の穴埋めのお礼じゃないよね」
「まさかのそれだけど」
「甘味の一つで済むと思われてたなんて心外。如月亭に招待するぐらいじゃないと割に合わないよ」
「如月亭なんて高いとこ無理に決まってんだろ。一番隊のみんなにもお礼しないといけないんだから」

 本来ならば仕事なのだから仕方なく、お礼など必要はないのだが、義理堅い永倉はそういった事に抜かりない。奢ってもらえるだけでも喜ぶべきである。ふっかけた沖田はすぐに身を引き、何を食べようかと考え始める。しかし、永倉は目指していた甘味屋を通り過ぎ、そのまま歩を進めた。

「如月亭は無理だけど、この先の甘味屋ならいいよ」

 すたすたと前を行く永倉が向かう先は、恐らくこの街で有名な甘味屋だ。どの品も逸品で美味しいが、素材からこだわり抜いている為に値段も高い。下々の民はそうそう行けないところである。

「永倉」
「ん?」
「ありがとう」

 隣りに並べば、きょとんとする永倉と目が合う。

「来年から、また初詣行くようにする」

 甘味屋の事かと思えば、戻った話に永倉は口を引き結ぶ。二の句を継ぐ沖田を見守って、すぐに眉を顰めた。

「これからは永倉の背丈を祈願する為に絵馬を書くね」
「ふざけんな、嫌がらせじゃねぇか」

 顔を歪める永倉の肩を、沖田はぽんと叩く。くすくすと笑い、寒さの所為で赤らめた頬を緩める少女は、其処らにいる町娘と変わりない。永倉は戯れるように緩く作った拳で沖田の腕を小突き、早く行くぞと急かす。
 佩いた刀が二人分、かちゃりと音を立てた。





悲しみへおやすみ









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