※落ちも何もあったものじゃない書き損じ、でも愛ある物語の欠片たち。





1.初期沖田と隊士



 屯所のある一角の部屋、一番隊が今宵の討ち入りについて話し合っている最中、礼儀正しい作法で戸を引いた隊士が沖田に要件を伝えた。上座に腰を下ろして部下に指示を出していた彼女はあからさまに顔を歪め、まるで初めて聞いた言葉のように伝えられた語を繰り返す。

「じんもん?」
「はい。副長より伝言を仰せつかりました。沖田隊長に尋問を任せたいそうで」

 隊士は表情一つ変えず、精巧な機械の如く受けた命を全うする。片膝をつき、恭しく下げていた頭を上げ、懐から取り出した封筒を沖田に差し出す。
 距離があった為に、それは近くにいた一番隊隊士の眞野が受け取り、沖田へと渡した。依然と納得のいかない彼女は封筒を受け取るも開封する事なく、隊士に何事かを目で問うた。

「昨夜捕縛した男が、沖田隊長にしか話さないと申しております」
「え?」
「東雲幸太、名に覚えは?」

 しののめこうた、そう口内で呟いた沖田は首を傾げ、思い出そうとする素振りを見せるが、人の顔や名前を覚えるのが苦手な質故に、余程強く印象に残っていなければ思い出すのは奇跡に等しいだろう。その様子に、傍らに控えていた眞野はさりげなく前に進み出て口を開く。

「幕僚の方ではないでしょうか。以前、彼の護衛に一番隊が同行した覚えがあります」
「んー、いつ頃の話?」
「丁度一年前です。東雲様は真選組に良い印象を持って頂けているようで、仕事に関しては随分とやりやすかったですよ」

 真選組という組織は、幕僚からあまり良い態度で接してくれない事のほうが多い。傲岸な天人になると見下すのは勿論、無理難題を押しつけてくる者もいる。幕府の庇護化にある此方側としては逆らいようもなく、その度に護衛を任された責任者である幹部は、表では表情を繕いながらも内心ではやり切れない思いで一杯なのだ。
 罵詈雑言を始終飛ばされていたほうがまだどれだけマシか。嫌に突っかかられるのは面倒で仕方ない。しかし、そんな者が多い中でも稀に良い者もいる。その中には無関心に接してくれる者も含め、真選組に好意的な者まで幅広い。詰まる所、此方の仕事を邪魔しないでくれさえすればいいのだけれど。

「・・いたかな。思い出せないや」

 一番隊で古株の幾人かは思い出したかのように、あの人かと頷いているが、やはり沖田は難しい顔をして首を傾げる。

「まぁ、かと言って取り分け印象に残る人でもなかったですしねぇ」

 さらりと不躾な物言いで沖田の思考を寸断したのは、一番隊でもお調子者の高里である。彼の言いたい事は、だから思い出せなくても仕方ないという意味なのだろうが、それにしても東雲に対して失礼だ。良くして貰った記憶が眞野にはある分、それは諌めなければならないと口を開きかけたが、言葉通りの気遣いを受け取った沖田が同感といった形で軽い相槌を打った為に意識が逸れる。

「・・・隊長、」
「わかってる。見れば思い出すよ、きっと」

 眞野の咎める眼差しに、沖田はいなすように手を振る。不満げな顔をした眞野を一瞥する蘇芳色の双眸は、少し憂鬱な陰を落として隊士に向けられた。

「武田は?」

 口を挟まずに待機していた隊士に向け、沖田は端的に尋ねた。その言葉に、著しく気分を損ねたのはやはり眞野だった。不快を露わに眉を顰め、苦言を呈する事も厭わなかったが、彼女の無言の圧力に押し黙る。
 確かに本来ならば、拷問といった頭を使う仕事は五番隊に任せる事が多く、刀の才に秀でた者ばかりが顕著に集う一番隊には滅多に回らない仕事である。故に沖田は武田に任せようとしているのだろうが、上司である土方の命に背いてまで武田に頼ろうとするのは咎めたくもなってしまう。利益の為に動く彼の事だ。必ず沖田に何か交換条件を取り交わすに違いない。それが眞野には我慢ならなくて、つまりは彼女の身を案じているのだ。沖田も進んで武田に関わろうとは思っていない筈だが、余程拷問の任を受けるのが嫌らしい。

「武田隊長に任せるおつもりでしたら、副長にお伺いを立てて下さい。私では答え兼ねます」
「土方さんは副長室にいるの?」
「副長は今し方、松平様に呼ばれて本庁に向かいました」
「電話すればいいのね」
「そのほうがよろしいかと。ちなみに武田隊長は既に尋問なされましたが、何一つ口を割りませんでした。副長の手腕にもかからず、彼は以前と沖田隊長にしか話さないとの一点張りです」

 いっそ冷え冷えとした口振りで隊士はそう言って退け、沖田の至極面倒そうな表情には一つの反応も起こさない。

「・・・・・・・・やりたくない」
「仕事です。やって下さい」

 ぽつりと零した沖田の本音を、隊士は無情に切り返した。そうお目に掛かれない、上司の丸め込まれる様子に、高里が声を押し殺して笑う。肩を小刻みに震わせ、緩む口元を掌で覆って同僚の背に隠れるが、沖田は目敏くその半身を捕まえた。

「高里。いい勉強になるからついてきて」
「え、いやっすよ。だって夜まで自由にしていいって隊長が、」
「事情が変わったの。わかるでしょう?」

 にっこりと笑みを浮かべた沖田の目は、これっぽっちも笑ってはいない。高里の腕を取り、強引に立たせる。役目を終えた隊士は一つ礼をして立ち去り、それを一瞥した彼女は封筒を上着の胸ポケットに仕舞う。

「他のみんなは解散していいよ。夜の討ち入りについての細かい事は書類見て、それでもわかんなかったら眞野に訊いて」

 休みを潰されて嘆く高里の背を押して廊下に出し、沖田は部下にそう告げて部屋を後にした。



(小話 高里というお気楽なキャラを描きたく、そして初期沖田には私情を挟んだ行動をさせたく、訳ありな事情で真選組を離れた単独行動のお話になる予定でした。)





2.初期沖田と夜兎



 惜しみなく降り注ぐ日差しは、痛覚を刺激するほどに強烈だった。
 天を仰ごうものなら目を焼かれてもおかしくはなく、湿気がないだけ幾分かはマシであったが汗の量も尋常ではない。体内から蒸されるような不快には堪らず、阿伏兎は熱の籠った溜め息を吐いた。

「あっちー」

 頭上に広げた番傘の下、日陰にいながらも照り返しだけでどうにかなってしまいそうだ。阿伏兎は蟀谷から滑り落ちる一筋の汗を手の甲で拭い、襟元を仰いで温い風を取り入れる。気を抜けば項垂れてしまいそうな頭を上げ、辺りの死屍累々を巡らした。

 今回の仕事は、ある小さな星の民族を絶やす事だ。別名、灼熱の星と謂われる此処はその名の通り、莫迦みたいに暑くて仕方ない。夜兎は日差しに弱い生物であるというのに、このような星に赴かせる上の命には最初、阿伏兎は第七師団を遠回しに殲滅する狙いなのかと疑った。こうして仕事が終わり、暑さに茹だるところを狙って来るのではないのだろうか。

 阿伏兎は足元に転がる骸を避けながら、血溜まりの海を闊歩する。粘着質な液体が靴の裏に付着し、慣れたものとはいえ、阿伏兎の眉間に僅かばかり皺が寄る。鼻孔を抜ける夥しい嫌な血臭も不快だと感じてしまう。何とも不思議な感情だと、阿伏兎はふとして思った。

「た、助けてくれッ・・!!」

 震えた声が聞こえ、阿伏兎は思考と共に足を止めた。其方の方へと歩を進めれば、最早更地と成り果てた街に、一人の天人が腰を抜かしながらも後退していた。その怯える先には、女と言うにはまだ幼さを残した少女が、番傘を手に提げて立ち尽くしている。白く透き通る肌と、この惨状を作り上げた一端を担う強さを備えた、阿伏兎と同種である夜兎の一族だ。炎天下の中にも関らず、日差しに曝されたままの彼女は番傘を日除けに用いろうとはしない。かと言って、目前の敵に銃口を向ける気配もまるでないのだから、阿伏兎は少女の心情を図りかねた。

「お願い、します!命だけは、お、お助けを・・ッ」

 地面に額を擦りつけて命乞いをする天人を、少女は冷めた目で見据えている。端正な容貌をそのままに無表情を保ち、額に浮かぶ汗が朱に染まった頬を伝う。少女は番傘を持ち上げて肩に掛け、日陰の下で僅かに顎を引く。そっと目を伏せると、扇状に広がる睫毛が濃い影を落とした。

 天人は震える身体を叱咤し、竦む足でどうにか立ち上がると踵を返して逃走に転じる。少女は微動だにせず、その哀れな様を横目に一歩足を引いた。ブーツの底で砂利を踏み締め、少女は天人の逃げる方向とは逆に踵を返す。

「おい、」

 少女が敵を逃がすのだとわかった阿伏兎は、咄嗟に声を掛ける。蘇芳色の双眸がつと此方を向いて、けれど背後の気配に気付いて柳眉を顰める。舞った鮮血が、少女の番傘に飛び散った。

「どうして逃がすの。これと知り合い?」

 緩慢に振りかえった少女の視線の先に、上司である神威が血塗れの手刀を無造作に払う。張り付いたような笑みは深まり、邪気のない双眸に見据えられた少女の胸中が忽ち陰っていくのが阿伏兎には手に取るようにわかる。しかし、それが神威にはわからない。嫌悪感剥き出しの態度だけでは、少女の意図は理解出来ないのだろう。何も少女は気紛れで逃がした敵が殺されてしまった事に気を留めた訳ではない。神威のその探るような目に、気分を害しているのだ。
 阿伏兎からすれば、あの神威が誰かに興味を示すなど稀なのでそれは見ていておもしろいものがあるのだが、横目に見た幼さの残る容貌は思い切り不快に歪められている。

「ねぇ、総。なんで?」
「煩い、寄るな、暑い」

 するりと身を寄せる神威を、少女は鋭い言葉と拳の突きで牽制する。しかし、軽やかに避けられて掴まれた細腕は呆気なくも神威に捕えられ、日焼けしてるよと空気の読めない発言を飛ばされた。
 どうにかしてくれと言わんばかりの視線を受けた阿伏兎が肩を竦めて答えれば、愛らしい少女からは到底似合わぬ盛大な舌打ちが零れた。



(小話 初期沖田が夜兎の設定で描きたかったもので)





3.初期沖田と初期土方と斎藤



 屯所に帰宅したその足で、沖田は真っ先に副長室へと向かった。平素ならばその命を無視して一旦自室で着替えを済ますのだが、今回は己の目で確認したい事があった。討ち入りの所為で纏わりつく血臭に不快になりながらも、刀を提げて長い廊下を歩く。擦れ違う隊士と短い挨拶を交わし、その中で永倉とは少し話し込み、結局は時間を掛けて副長室に辿り着いた。上司を敬うという常識を知らない沖田は、相手の了承も取らずに襖を引いて入室する。

「あんたの所為でせっかくの休暇が半日潰れたんだけど」
「ごめんごめん」

 沖田が開口一番に嫌みを言えば、それを受ける斎藤は顔の辺りまで片手を上げて謝った。棒読みではなかったが、軽薄と取るには充分な謝罪である。けれど、沖田は全く気にしていないようで、すんなりと斎藤の横に腰を下ろす。顰められた顔は、未だ休暇を潰された事による不機嫌が色濃く残っているだけだ。しかもそれも、斎藤が紙袋に詰められたどら焼きを一つ差し出す事により、沖田の機嫌は忽ち平常時に戻っていく。傍目から見ればさぞ単純な女に映るであろうが、実のところ彼女は斎藤の身が思いの外良さそうである事に安心しただけだった。それに当人は気付いておらず、斎藤も気にするだけ己の身体に興味がない。いつもの極ありふれた光景を、土方は一瞥して煙草を吹かした。

「お前ら勝手に寛いでんじゃねぇよ。なんで呼ばれたかわかってんだろうな」

 上司の目の前で次々と繰り広げられる無礼な振る舞いは最悪な事に見慣れたものだったが、だからといって毎度見逃すほど土方は優しくも心が広くもない。あからさまな苛立ちを見せ、鋭い眼差しで前方の二人を射抜く。しかし、日頃の行いが災いとなり、そのような脅しに慣れきっている問題児は依然と涼しい表情のままだ。普通の者ならば恐怖に慄く眼光に、きょとんとした目をしてどら焼きにかぶりつく。更には互いの指がそれぞれに相手を指し責任逃れに口を開くのだから、嫌になるほど神経が図太い二人である。

「それこそ総が勝手な真似するからこんな面倒になったんでしょ」
「ふざけるのも大概にして。間違いなくあんたの不手際の所為でしょうが」

 沖田は斎藤を横目で睨み、土方に視線を遣って、とばっちりですよと吐き捨てる。すると同じく口達者の斎藤は、辛辣な言葉でずばずばと言い返す。怒っているのか、はたまたじゃれ合っているのか、どら焼き片手に言い合う姿は土方の目にはどうも間が抜けているように見える。
 土方は黒髪を掻きながら、黙れと言葉少なにその場を制した。同時に此方を見遣る二つの双眸の内一つを見据え、本題の話を漸く切り出す。

「今回はお前の向上心のなさが招いた事だ。お前が悪い、――斎藤」

 目を確と見て名指しすれば、斎藤は意味がわからないと言ったように瞬く。それを見た沖田は己が逃れた事にほくそ笑むではなく、呆れたように半眼となった。なんで俺なのと問われた土方は、予想していた通りの反応とはいえ思わず眉根を寄せてしまう。

「いつもいつも言ってんだろうが。新人には目を掛けてやれって。あいつ等はまだ碌な実戦経験もねェんだぞ」
「その事なら俺だっていつもいつも言ってるじゃないですか。弱い奴なんかに目ぇかけらんないって。嫌いなんですよ、守りながらの戦いは」

 そう言って斎藤は沖田を一瞥し、総と違ってねと薄く笑う。莫迦にしたのではない。ただ単に事実を述べただけだ。故に斎藤と言う男は酷く誤解を受けやすいのだが、武州の頃よりの付き合いである土方と沖田は変わりない態度を保ち続けている。
 沖田は一つのどら焼きをぺろりと平らげ、次に栗入りのどら焼きを手に取った。

「土方さん、もう諦めたらどうです?この自己中心的な男が誰かの為に身を削るなんて無理ですよ」
「そうもいくか。このままじゃ三番隊のバランスが取れなくなっちまう」

 先を見据えない沖田の発言は、完全に他人事だった。当人の斎藤でさえ、急須にお湯を注いでいて関心すらない様子である。
 三番隊の特色は、簡潔にいえばあらゆる面での攻守が優れており、実に使い勝手が良いところだ。隊を指揮する土方としては常時安定として欲しいのだが、三番隊の隊長は新人育成に関しては酷く敬遠する嫌いがあった。確かに彼の一匹狼の気質からして誰かに物事を教えるといった事は不得手だろうが、だからといって隊長という地位にあるならばそれも仕事の内だ。土方は斎藤の性格を熟知した上で、新人を気に掛けるよう再三再四注意しているものの、今のところ改善はおろかそれを胸に留めた気配すらない。
 土方はぴくぴくと震える蟀谷を人差し指で押さえ、深い溜め息を零す。傍らでは、呑気にもバリバリと音がする。甘い物を食べたらしょっぱい物が食べたくなったのか、沖田は煎餅を咀嚼しながら俯く土方をちらりと見た。

「なら、三番隊の隊士はそのままに隊長だけ代えれば?」

 何でもないような口振りで、一番隊の隊長が煎餅を片手に言って退けた。珍しく驚いたような顔をして沖田を見た斎藤は湯呑を持ったまま固まり、僅かに顔を上げた土方は正気かと言わんばかりに眉間の皺を多く刻む。それでもあっけらかんとする沖田は温い茶を啜り、一息ついてまた煎餅を齧る。

「・・・俺はどうなんの」
「平隊士」
「・・・やだ」
「じゃあちゃんとやれば」

 端的で、幼稚にさえ感じる言葉の応酬なのに、確実に斎藤の思考に影響を及ぼしている。厄介そうに見えて存外単純だと、土方は斎藤の認識を改めようとするも、これは沖田にだけそうなるのか、妙に馬が合う二人の関係性だからこそだと思い直した。



(小話 初期沖田と斎藤のコンビが好きです。)




4.麻子と現行沖田



「だからお前との見廻りは嫌なんでィ」
「それはこっちの台詞だよ」

 何人いるのかを目測するにも面倒なほどの敵が、黒を纏う二人の若者の眼前にはいた。並大抵の者ならば絶望する状況下ではあったが、狭い路地裏には憎まれ口が幾つも飛び交っている。襲い来る浪士を斬っては口を開いて互いを罵倒し、更には脳裏で此処をどう切り抜けるかを模索する。器用なやり取りを交わしながら、鮮やかに命を絶っていた。

「せっかく三段アイス食ってたってェのに。お前の所為でとんだ邪魔が入っちまった」

 大袈裟な口振りで惜しむように首を左右に振ったのは、真選組一番隊隊長を務める沖田である。彼は甘い容貌で見る者を惹きつける華やかさがあるものの、その実内心は腹黒といった正反対の性質を持っている。上司だろうが何だろうが構わずに変わらない態度で接し、容赦なく相手を貶めるような言動を平然とやってのけてしまう。

「何度言ったらその空頭は理解するの。あたしの所為じゃなくてあんたの所為だから。あんたがいなければここまで面倒事にはならなかった筈だから」

 そしてもう一人、沖田に引けを取らない整った容貌をし、優れた刀の腕前を持つのが真選組副長補佐を務める麻子である。女の身でありながらも沖田と同等の才能を兼ね備え、それを十二分に戦場で発揮しては数々の死線を越えてきた。

 十字路となる路地裏で、沖田と麻子は突き当たりの壁を背に刀を振るっていた。敵を挟み打ちするような形を取り、数メートルの距離をおいた左右の曲がり角から押し寄せる敵を淡々と撃退していたのだが、何しろ数が多過ぎて互いの表情には次第に疲れが見えてきた。少しの休む暇さえ与えずに斬り込んで来る浪士の執念さには、溜め息をしこたま吐きたくなる程にはいい加減辟易としていた。

「麻子!」

 手の甲を返して迎え撃つ傍らで、沖田は向かい側にいる仲間の名を呼んだ。軽く決起させるような口振りに、麻子はすぐさま理解に及んで行動を起こす。やはり彼女も己と同じ考えのようだ。見廻りの最中に襲われたのは偶然ではなく、ちゃんとした策略であったのだ。思い返せば此処まで辿り着く道すがら、敵の覇気は欠ける気がした。仲間の集まりやすい個所にまんまと誘導されてしまったという訳だ。不幸中の幸いであるのが、少数を相手にする為に突き当たりの路地裏に入り込んだ事だろう。しかし、此処にずっといても状況が好転しないのは明白である。敵の策略に嵌まって戦い続け、無事で済むなどとはさすがの沖田と麻子も楽観視はしていなかった。

 沖田は出来る限り背後の壁と距離を取りながら応戦していた形から一転、眼前に立ちはだかる浪士を一刀で斬り伏せて疾走した。縦横無尽に振って来る刃を弾き、潜り抜け、時には己の刀を捌いて肉を斬り、敵の包囲網を突破せんと突き進む。向かいで同様に苦戦しているであろう麻子を一瞥する暇もなく、背後に回った浪士の気配を察知して沖田は傍らの壁に半身を預ける。今し方己がいた箇所を斬り裂く刀身を遣い手の手首ごと斬り落とし、亜麻色を目掛けて振って来た凶刃を反対に身を翻す事で躱した。次いで勢いを殺さずに沖田は刀を振り捌いて前へと進むが、遂に避けようのない刃に身を曝す状況へと堕とされる。切り抜けるには一太刀浴びるであろう事は覚悟していたものの、狙われた箇所が悪かった。下手をすれば心臓を遣られ兼ねないと判断し、足を狙う浪士の凶刃を弾く動作を寸でのところで止めた。心臓をやられて死ぬ事が怖い訳ではない。そうなってしまった後を考えて沖田は思い留まったのだ。歩ける程度の裂傷でありますようにと柄にもなく運任せにして、上半身を狙う浪士へと滑らかに矛先を変える。

――――――キンッ!

 甲高い鉄の音が弾けた次の瞬間には、沖田の刀身は目標であった浪士の胸元を貫いていた。そして辛うじて引いた足には激痛が訪れる筈であったが、それは杞憂に終わったようだ。沖田の足を狙った浪士はその刀を振り捌く寸でのところで、麻子の薙いだ一刀により絶命していた。

「怪我負うのは勝手だけど今はやめてよね」
「一人じゃ切り抜けられねぇってか」

 沖田は瞬時に軽口を叩き、反射的に刀を一文字に振り抜く。鈍い音を立てて落ちた首に一瞥もくれない麻子は更に敵との距離を縮め、力強い一振りで敵の懐へ刃を見舞った。

「あたしの逃げる算段がついたら、いつでもその無防備な背中押して敵の最中に突っ込んであげる」
「言ってくれるじゃねぇか」
 
 息継ぎなのか、気が抜けた笑みが零れたのか、最早互いにそれすらもわからないにも関わらず言葉を交わすのは、素直じゃない想いやり故か。
 
 敵の刃が脇腹を浅く裂いた拍子に、麻子は思わず大きく息を吐く。少しばかりよろめいた足は血溜まりを踏み、身体が傾いたところに幾つもの白刃が縦横無尽に振り被られる。

「オメーも俺の逃げる算段がつくまで下手やらかすんじゃねぇよ」

 強く腕を引かれ、麻子の眼前では噴水の如く真っ赤な血飛沫が上がった。沖田はその血生臭い液体から逃れるように更に後退し、ついでに一人の浪士を斬り伏せた。



(小話 麻子と現行沖田の共闘が描きたくて)





5.初期沖田と永倉



 問題の現場付近で偶然見廻りをしていた永倉は、電話で指示を受けながらくるりと足の向きを変えた。大凡の状況を頭に入れて、少しの間を置いて下された急げという命令に、素直に歩を速める。
 素っ気ない口振りに急き立てられるがまま、駆け足で江戸の一角を疾走し、多少人にぶつかりながらも目的地へと急ぐ。隊内でも俊足として名高い永倉の背には、部下の申し訳程度の制止の声や肩を弾かれた道行く人の罵声がぶつかる。そして、少し息が乱れたところで、彷徨わせていた視線をある一点に留めた。不自然な人の流れが出来た其処へ、永倉は黒地の隊服を捻じ込んで現場に足を踏み入れる。幾つもの目が、割り入った永倉にも向けられた。

「なんであんたが来るの」

 永倉よりも多くの視線を集めていた沖田が、目を丸くして問うてきた。軽蔑や嫌悪といった感情を物ともせず、平素の落ち着いた表情で片頬を膨らませている。腕にはコンビニの袋が提げられ、手には肉まんがあった。沖田は口内にあるそれを咀嚼して嚥下し、腰掛ける簡易なベンチの上で足を組み替えた。その足元には、三人の浪士が絶命している。

「見廻り中じゃなかったっけ?」

 いらえを返さない永倉に焦れたというよりかは不思議と思ってか、沖田はやんわりと問いを重ねた。此方を見遣る眼差しは、口振りと同じくやはり変わりはない。永倉は整えた息に混じって溜め息を吐く。今では背中にぶつかるのは、人間の汚い部分を切り取ったような言の葉ばかりである。

――恐ろしい。平気な顔して人を殺したわ。眉一つ動かさないでね、いきなり斬りつけたのよ。
――情ってものがないんでしょう。皮肉よねぇ、江戸を守る為にした事なのに。
――守る為に?アレはただの人殺しよ。好き好んでやってるに決まってる。見たでしょう?人の子とは思えない無慈悲さだったわ。

 潜めた声というのは良く聞こえるものだ。日頃、感覚を鋭敏に研ぎ澄ましている永倉のような武士は勿論、目の前の彼女だって当然そうな筈だ。けれど、全く気に留めていない。沖田も、己も、全く気にはしていなかった。これがまた彼女を慕う数少ない者だった場合、言い返すまでいかなくとも気分はよろしくなくはなるだろう。だが、その不愉快を顔に出せば、きっと当の本人である沖田からは冷淡な言動で制されるに違いない。未だ浴びせられ続ける劣悪な言葉をも遥かに上回る刺々しさで、一言で黙らされるかもしれない。永倉の予想だと、どうでもいいと形の良い眉を顰めて呟くのだと思う。

「永倉」

 呼ばれて顔を向けると、沖田はゴミをビニール袋に入れながら腰を上げた。続けて、行こうと声を掛けられ、血濡れた現場に背を向ける。気付けば、死体の処理に赴いた仲間が忙しく動き回っていた。永倉は緩慢な歩みで先を行く背中を追う。沖田は人混みを堂々と割り、絡みつく視線も射抜くような眼差しも、全く意に介さずに刀を揺らして歩を進める。

「見回りに戻って。ご足労感謝するけどね、もう敵はいないから」

 背を向けたまま、歩みを止めず、沖田はそう言って暇を告げる。人混みを抜けると、解放感に満ち足りた。永倉はビニール袋に手を突っ込む沖田の腕を取った。

「あんな往来で殺すな。またモラルがどうとか言われて面倒だろ」
「うん、出来るだけそうする」

 気のない返事で、沖田は素直に頷く。永倉が顔を顰めれば、蘇芳色の双眸は柔らかく細まる。悪戯めいた笑みを湛え、血臭を纏う右手を永倉の肩を置いた。

「真面目だねぇ、永倉君は」

 沖田は首を傾げ、最後に笑みを深めて永倉に背を向けると、軽い足取りで歩き出す。ビニール袋から取り出したあんまんの底に張り付いた紙を剥がし、白く丸いそれに被りつこうとして、寸でのところで不意に動きを止める。緩やかに足を止め、顔だけ振り返る僅かな合間に沖田は笑みを噛み殺す。予想に違わぬ、永倉の不機嫌そうな顔を見て口を開く。

「なんて、あたしが不真面目過ぎるだけか」

 自覚しながら改善する気もない事を、永倉はよくよく知っていた。



(小話 平気で人を殺すように、見える初期沖田)





6.初期沖田と永倉



 鮮やかな赤が宙に舞い散るのと同時、遠くのほうで聞き覚えのある破裂音が弾けた。次いで上がる喜々とした声色は江戸の一角を占め、多くの人々が首を伸ばして夜空を見上げている。見下ろす二つの蘇芳色だけが、闇に駆ける一つの影を見送った。 
 沖田は、ある廃ビルの四階から夜空を彩る花火に目を遣った。予定時間きっかりに守られたという事は、祭りが滞りなく継続されているという事だ。例年通り将軍も参加している為、攘夷浪士の襲撃もやむをえなかったのだが、迅速に対処して上手く解決したのだろう。沖田は滑るように視線を逸らし、手に馴染む刀を振り払った。滴る血が剥き出しのコンクリートに飛び、背後で咲いた大輪の華が血濡れの現場を鮮明に浮かび上がらせる。暗闇で視認出来なかった、見開かれた虚ろな双眸と目が合う。死して尚、消えない憎しみや憤怒は敵である沖田の身を掠っていく。だが、幾多のそれを一心に受ける沖田は軽い足取りでその場を通り抜けた。抜き身の愛刀をぶら下げ、番が外れたドアを抜けて足早に歩を進める。点々と、己が殺やめた骸が伏していた。
 
「――――沖田」

 屋上に来て、絶好の場所で花火を一瞥する事もなく、沖田は一心に血の匂いを辿った。コツコツとブーツの底を鳴らした音が一定に響き、給水タンクの裏側で濃い血臭を発するそれを認めたと同時に音は止む。血に染まった骸の前に立つ永倉が振り返り、同期でもある旧友の名を呼んだ。

「いつまでぼけっとしてんの」

 性格を表わした気の強い容貌をする永倉は、今は平素のそれとは少しばかり様相を違えていた。罪悪感か嫌悪感か、はたまた両方なのか、彼は努めて顔には出さないようにしているのだろうが、昔から共にいる沖田には些細な変化すら容易に目につく。気丈な声色で悪いと素直に詫るも、血振りする動作は何処となくぎこちない。沖田は止めた足を再び進め、永倉の隣りに立つ。見下ろす骸は、仲間だった者の裏切りの果てだ。二番隊の隊士であり、即ち永倉の部下であった。沖田は一撃で仕留められた心の臓を見つめ、口を開いては淡々と言の葉を紡ぐ。

「気に病むのは構わないけど、後にしてくれる?」
「別に病んでない。いつも通りだし」
「一人逃しちゃったから、仲間連れて乗り込んでくるかも」

 熱気を孕む風が、鈍く光る鋼を撫でる。沖田は己の手元に視線を落とし、此方を見る永倉には目を遣らない。態々目を合わせずとも、どのような顔をしているのかも、何を思っているのかも、沖田には手に取るようにわかっていた。それがわかる分だけこの男とは共に幾多の死線を越え、目まぐるしく回る思考を通じ合わせてきたのだから。

「―――悪い」

 戦闘の時は楽だが、こういう場合において相手の思考がわかるというのは時として厄介である。脈絡ない謝罪は、沖田にとって脈絡ある謝罪だ。けれど、必要のないものである。

「あんたの為じゃないよ」

 腰に帯びた鞘に、沖田は刃を滑り込ませた。何気なく視線を向けると、いつの間にか平素の調子に戻った永倉が頬を緩めて微笑していた。
 
「そんな余裕な面したお前が逃がした理由って一つしかないと思うけど」

 そう言いながら永倉は踵を返し、沖田の横を抜けていく。蘇芳色の双眸は、再び伏した骸を見据えていた。背後には永倉の気配はない。すぐさま階下へと行き、己の目で見た状況を上司に報告しているのだろう。全く生真面目奴だと沖田は思い、ふと無意識に柳眉を顰めた。
 気付けば、考えるよりも先に足は前にと進んでいた。沖田は骸に近付き、腰を少し屈めて更に接近した。弛緩した左手に一瞥をくれ、懐に大事そうに仕舞い込んであった掌ほどの巾着を抜き取る。いつの日か、沖田はこの男からこの中身を見聞きしていた為に、どのような思い入れかも知っていた。勿論、その時隣りに居た永倉も知っている事だ。
 
 沖田は巾着ごと握り締め、屋上の端から手中にしたそれを思い切り投擲した。上手くいけば今いる廃ビルと隣接する川に落ち、何処までも流されていくかもしれない。例え、届かず其処らに落ちたとしても、それはそれで別によかった。なけなしの情を気紛れにかけただけだ。裏切り者に施すには決して許された行為ではなかったが、己の判断一つでやったという、永倉の知るところではないという事実さえあれば沖田にとって後はどうでもいい事だった。



(小話 裏切り者に一切の同情をせず切り捨てた永倉、その想いを汲み取って、永倉の為に裏切り者に同情をかけた初期沖田)






7.初期真選組



 江戸でも有名な大きな祭りが、別段何の問題もなく終わりを迎えた。例年の如く将軍も参加し、故に真選組も護衛と警備に駆り出されたのだが、小さな争いはあれど死傷者が出る程の修羅場にはならなかった。事前に疑わしき不穏分子を具にまで排したのが功を奏したようで、今までにない楽な勤務だったといえるだろう。しかし、だからといって仕事中に屋台に寄るなどして気を抜く事は許されず、真選組隊士が少し楽しんだ事といえば花火ぐらいである。勤務態度が不真面目な極少数の者でさえ、その隊士たちの性格を熟知している土方がサボらないよう将軍の警護に割り当てた為、屋台の食べ物には一切近寄れてはいなかった。

「俺、初めて土方さんを憎いと思ったよ」

 意図的に将軍の護衛に割り当てられた者たちが、挙って屋台の密集する付近を練り歩いていた。お好み焼きを頬張る斎藤は珍しく不機嫌そうに眉根を寄せ、あの鬼と恐れられる上司に恨み辛みを呟く。この場に本人がいないとはいえ、あまりの明け透けとした発言には冷や冷やとさせられるだろう。しかし、それを聞き流す者は周りの食べ物に気も漫ろで、沖田に至ってはまるで聞いておらず、かき氷の屋台へと脇目も振らずに行ってしまった。真選組の為にと、好意で屋台を少しばかり継続してくれている人たちの態度は何処までも優しい。残り物を処理するだけではなく、なければちゃんと一から作ってくれるのだ。焼きそばが出来上がるのを待っている近藤は煙草を吹かしながら、先程からきょろきょろと辺りに目を遣る藤堂に己の財布を投げた。反射的にそれを受け取った藤堂が、驚いたように瞬く。

「えッ、これは・・?」
「給料日前で金がねぇんだろ。それで好きなもん買ってこい」

 我らが大将はなんと太っ腹なのだろうか。藤堂は忽ち目を潤ませ、財布を握り締めて近藤に感謝する。

「近藤さん、愛してる。俺、これからも何があっても近藤さんを守るから」

 クサイ台詞を吐き、藤堂は軽い足取りで屋台へと吸い込まれていく。近藤は現金な奴だとその背中を見て笑い、出来上がった焼きそばを受け取った。紅生姜は注文通り、多めに入れられている。何処かに座って食べようと歩き出せば、いつの間にか傍にいた斎藤が近藤の持つ焼きそばをじっと見つめていた。

「お前、さっき焼きそば食べただろ」
「うん、そうだね」
「食べたいのか?」

 こくんと斎藤が頷くのを見た屋台の主人が、温和な表情を微かに歪めた。それはそうだ。近藤の前にもサービスで真選組隊士に焼きそばを作り、漸く打ち止めとなって近藤が最後だと思っていたのにまた作らなくてはいけなくなったのだ。どうせなら近藤の分を作る時に言ってほしかったと思わずにはいられないだろう。だが、その心情を呑気な斎藤が理解する筈もなく、機微に敏感な近藤は人知れず溜め息を吐く。

「半分こにするか。紅生姜はやらねェけど」
「いいよ、ありがとう。代わりにこのたこ焼きあげるね」

 近藤が機転を利かせたお陰で、屋台の主人はこれ以上の手間を免れたと無意識に安堵の息を漏らした。すると、不意に斎藤と目が合い、彼は徐に屋台に歩み寄った。もしや己の態度が機嫌を悪くさせたかと主人は若干たじろぐが、斎藤は腕に提げていた一つの袋を唐突に差し出した。

「これ、お礼。此処の焼きそば、屋台の中で一番美味しかったから」

 斎藤はとても満足そうな顔で軽く頭を上下させ、連れて差し出す袋もかさかさと揺れる。まさかここまで感謝されるとは思っていなかった主人は思わずあたふたと謙遜し、胸の前で両手を慌ただしく振る。きょとんと首を傾げる斎藤に断りの言葉を掛けようとしたが、近藤から遠慮なく受け取ってくれと言われ、結局は唐揚げ棒やトッポギ、胡瓜の一本漬けなどが詰め込まれた袋を受け取った。

「座って食べてぇなー」

 主人と別れ、近藤と斎藤は片付けに動く人々を横目に歩を進めていた。林檎飴を齧る斎藤は口内に広がる甘味に舌鼓を打ち、近藤を一瞥して大荷物を運ぶ人の隙間を器用に縫う。

「もう少し行ったところにベンチがあったよ」
「おー、其処にしようぜ」
 
 人通りが多い所為で煙草を吸えず、近藤は手持無沙汰に指先を遊ばせながら足早に前を行く。すると、ポケットに入っている携帯電話が震えた。進める足の速度は保ちつつ、近藤は通話相手を確認してから電話に出た。
 斎藤はその後ろできょろきょろと辺りを見ながら、美味しそうな屋台を目敏く視界の端に留める。まだ購入していない食べ物はないか、腕に提げた袋の中身を思い返す。屋台の全制覇に密かに意気込み、ふと目を留めたじゃがバターの屋台に足を伸ばした。だが、不意に名を呼ばれ、斎藤は顔を傾けて近藤を見遣った。

「総と平助を連れて噴水のある入口に来い。俺は車を回して来る」

 何故そうするかを告げず、近藤は携帯電話をポケットに仕舞い込んで踵を返した。急げよと背中越しに手を振り、きょとんとする斎藤を置いて行ってしまった。


「おっせーよ!!!」

 屯所に着き、だらだらと廊下を歩いていた近藤たちの前方に、厠から出てきた谷が彼らを見るなり罵倒した。谷は千鳥足で歩み寄り、真っ赤にした顔を突き出して口汚い言葉を次々と浴びせてくる。相当泥酔しているようで呂律が回っておらず、何を言っているのかはよくわからない。その様子に、沖田以外の人は珍しいものを見たかのようにぽかんとしていた。

「ちょお〜、なにシカトしてんらテメェ〜」

 唯一、平素のままの、否いつもより表情を険しくした沖田が谷の横を通り抜けようとする。しかし、谷は酔っ払い根性よろしく無視しようとする沖田に飛び付くよう手を伸ばし、突進するかの如く強い一歩を踏み出した。

「うっお、いってェ〜!!」

 谷の伸ばした手は空を切り、更には視界が綺麗に反転していた。身体が宙に浮いたかと思えば、背中から尻にかけて叩きつけられた衝撃が伝わる。酒が入っている所為で然程痛みは感じないものの、谷は大袈裟なまでに痛みを訴えて叫ぶ。だが、容赦なく谷の覚束ない足を払った沖田の後ろ姿は廊下の曲がり角を折れた為に消え、やりすぎたかなぁなどと思い直して戻ってくる事もないだろう。

「あららー、谷さんお気の毒様ー」

 擦れ違いざまに、斎藤がこの場に居る者の気持ちを代弁した同情の言葉は、勿論感情など欠片もありはしなかった。


 中庭では、花火大会と称した宴会が行われていた。その誘いを電話で受けた近藤たちが帰宅すると、其処らの店から買い占めたのではないかと思われるほどの大量の花火が次々と発火し始めていく。

「このハゲ。谷には酒飲ますなって言ったでしょ」
「ぶっ!!」

 気配なく原田の背後に立った沖田は、その禿頭に渾身の力を籠めた平手を打ち下ろした。酒を煽っていた原田は後頭部の衝撃に口から酒を噴き出し、向かい合っていた三木の顔面を満遍なく濡らす。その漫才のような一連の流れを見る傍ら斎藤は、腹を抱えてけらけらと笑った。

「お、沖田ァ!!いきなり何してくれてんだよ!!!」
「何してくれてんだよはこっちの台詞だよ。あいつの酒癖の悪さと弱さは知ってるでしょ?なんであそこまで酔っぱらわせて、」
「いやちょっと待って、何してくれてんだよは俺の台詞だから!完全に俺とばっちりじゃん!!」

 沖田の言を遮ったのは、酒塗れの顔をした三木だ。きたねぇと繰り返しながらシャツの袖で顔を拭い、怨めしそうに沖田を見上げるが、元はといえば原田が悪いとの事に恨みの標的をさっと変える。射抜くような二つの双眸に見据えられた原田は、引き攣った笑みでそれらに応じた。

「確かに谷に酒飲ましたのは俺だけど、少しの量勧めただけだぜ。後はあいつが勝手に飲んだから自己責任っていうか・・・、あぁ、いやほら、三木も近くに居てそれを止めなかったからさ、彼も同罪だと思うんだよね、うん」
「なんで俺がお前と共犯みたいになんねぇといけないんだよ!!」
「事実だろーが!みたいじゃなくてそうなんだよバーカ!!」

 己が言葉を口にする度に沖田の機嫌が急降下している事に気付いた原田は、咄嗟の判断で三木を道連れにしようとしていた。卑怯者と言われようとも、沖田の鉄槌を一人で喰らうのは御免被りたい。彼女の一撃は本当に容赦がないのだ。身体はまだしも、せめて精神だけは折れたくないのが本音である。だが、沖田はその健気な想いを知りつつ、定評ある無慈悲な一撃を、下らない言い合いをする両者の頭部にお見舞いした。

「いくらなんでも酒瓶で殴る事はないだろ。下手したら死ぬよ?」

 勢いよく飛び散った酒瓶の破片は、縁側に立つ永倉の足元にも散らばった。沖田の打撃により御座に伏した原田と三木を交互に見て、その内の一方、禿頭を人差し指で軽く突つく。呻き声一つ上げない旧友に、さすがに哀れと思わずにはいられなかった。



(小話 真選組の幹部をみんな登場させたかったけど断念したお話)










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