末恐ろしいやつだとは、出逢った時から思っていた。
 確と握り締めていた筈の木刀の感触が掌から失せ、代わりに喉元へ突き付けられた微風は、しかしそれでも敗北を知らせるには何処か現実味がない。あっという間に、気付けば逆転していた様に、土方はすんなりと理解が追い付かなかったのだ。
 
「―――い、一本!!」

 検分役の上擦った声に、土方は我に返る。既に己の喉元に突き付けられた切っ先は退けられ、改めた視界では一つに結われた長い亜麻色が翻った。昔よりは大きな、けれどもやはり小さな背を向けて、もう用はないと言わんばかりに去ろうとする沖田の足取りは颯爽としている。まるで寝起きのような皺の寄った着流しの袖からは、白く細い布が垂れていた。それに滲む微かな朱色を、沖田が気に留めていない事を土方は知っている。もっときつく縛ればよかったと、手当ての時になって初めて痛いと訴えた少女に思わず加減してしまった己に、土方は今更ながら後悔した。



「トシとやり合ったんだって?」

 就寝している者に対して、否、散々にも肉体労働をした者に対して、こうも無遠慮に勝手に自室に入っては枕元に胡坐を掻けるのは恐らく近藤だけであろう。等しく近しい土方でさえ気を遣うだろうに、重たくて仕方ない瞼を抉じ開ける沖田を見下ろす近藤には少しの遠慮もなかった。

「・・・近藤さん、急用じゃないなら明日にして下さいよ」
「俺ァ、今お前と話がしてぇんだ」

 近藤からほんのりと酒の匂いがして、一人一杯引っ掛けたのは容易に想像出来た。酔って絡まれるのは堪ったものではないが、薄暗い室内で仰ぎ見た近藤は平素と変わりない。沖田は寝惚ける頭が徐々に冴えていくのを感じ、誤魔化すように閉じた瞼の上に片腕を乗せた。疼く傷跡が、しんしんと痛む。

「・・・明日、ていうか今日は昼間から宿改めなんです。近藤さんだってお偉いさんと会合でしょう?早く寝たほうがいいですよ」
「お前は俺と話がしたくねぇのか」
「・・・勘弁して下さいよ」

 空気が冷たい。沖田は己の吐息が白く曇るのがわかって、寒いと小さく呟いて近藤と背を向ける形で寝返りを打つ。掛け布団を口元まで手繰り寄せ、胎児のように身を丸める。薄らと目を開ければ、張り替えたばかりの畳が差し込む月明かりに照らされていた。

「―――わかってる癖に躊躇するから、思い知らせてやっただけです」
 
 沖田は、近藤に無言の圧を掛けられる事に滅法弱い。それは酷く柔らかなもので、例え今黙ってやり過ごそうとも近藤は決して問い詰めたりしないと確信出来るほどのものなのに、沖田は何故か話さなければと思ってしまう。胸中から競り上がるそれを吐き出さなければならないと、近藤の人柄を前にするとそう思わされてしまうのだ。
 ふわりと舞う紫煙が、図らずも荒れた沖田を落ち着かせる。そして知らず内に馴染んでしまった匂いに無意識に安心するのと同時、もう一つの似て非なる匂いが鼻孔を掠めた気がするのは、もう仕方のない事だった。沖田は畳に投げ出した、緩く包帯が巻かれた己の腕を見遣る。何でもない顔をして、その実心配で堪らないといった様子が透けて見えた土方は、けれどあの時、沖田の無茶を咎めずに黙々と手当てをしていた。

「あたしは、守られてばかりの子どもじゃない」

 そう、だからあの人は何も言わなかった。なのに、何故こんなにも納得がいかないのだろうと、沖田は柳眉を顰める。言葉でも、行動でも、示して見せたというのに。
 
「そうだよなぁ」

 同感だという響きではあったが、穏やかな声音には同情も感じられた。釣られるように先に視線を動かし、近藤のほうへと向き直れば、次の煙草に火を付けるところだった。一際濃い紫煙を纏う近藤は口角を上げ、心なしか困ったような表情で微笑う。

「―――けど、あいつは失う怖さを嫌っていうほど知ってるからな」

 無骨な手が、沖田の亜麻色を優しく撫でる。宝物を愛でるような手つきはいつになっても慣れずにこそばゆい気持ちになるのだが、この時、この瞬間はどうしても甘受する事が出来なかった。してはならないと、本能が喚くのだ。彼らが知らず己を危険から遠ざけようとする配慮に、沖田は冗談じゃないと熱り立つ。

「あたしは近藤さんを守って、一生ついていくって、覚悟してこの道を自分で決めたんです」
 
 優しいその手を払い、沖田は半ば啖呵を切って近藤を真正面から見据えた。瞬きを忘れ、驚いて瞠目する様がサングラス越しにもわかる。沖田は激情に急き立てられるがまま、漸く緩い笑みを浮かべた近藤に構わず、枕元に置いていた愛刀を引っ掴んで自室を飛び出す。
 初冬の時季。寝巻一枚で夜気を切り裂き、沖田は冷たい廊下を蹴り上げて疾走する。静まり返る屯所の中、夜勤の隊士達が何事かと若き隊長の背中を見送って、俄かに騒々しい空気を帯び始めていく。その元凶である沖田は目当ての者がいる副長室へと着くや否や、冷えて感覚の失いかけた足で襖を蹴破り、間髪入れず抜刀した。部屋の主である土方は未だ隊服のままで、文机に向かって雑務の真最中であった。駆ける音で誰かが近付いてくるとはわかっていたようだが、まさかいきなり襲いかかって来るとは思っていない土方は当然驚いた顔をする。上段から振り下ろされた刃を避ける事が出来たのは、意識してではなく反射的に動いたからであろう。

「総!!何を・・ッ」

 日頃何かにつけて毒を吐き、口癖のように死ねと言っている沖田だが、このように本気で向かうのは初めてだった。今までにない殺気を放つ剣幕に、土方は咄嗟に傍らの刀を抜刀し、絶ち切ろうと一閃する刃を受け止める。訳がわからず、言葉を掛けようとする土方に隙を与えず、沖田は続け様に技を繰り出していく。鋭い剣先を巧みに外され、土方は状況説明を求めようと力尽くで沖田の刀を抑えるが、その上をいく鮮やかな太刀裁きでいなす。遊びでは済まされない本気の突きに、益々沖田の考えが読めないといった顔を土方はする。理解不能な状況に混乱して動きが僅かに鈍ったところを沖田は見逃さない。よろりと後退した土方の足を引っかけ、思い切り体勢を崩して後方へ押し遣る。畳に背をぶつけ、刀を持つ手を足で抑えつけられた瞬間、土方は本気で死を覚悟した事だろう。

「いい加減、わかってよ」

 亜麻色の束が、はらはらと落ちる。仰向けになった土方の顔の横に刀を突き刺し、沖田は俯いて口を開く。大した動きをした訳でもないのに、肩で息をする己が余裕のない事を裏付けていて、酷く情けない気持ちだった。

「あたしは土方さんより、永倉よりも強い。此処にいる誰よりも強い事実は、そう安いものじゃないでしょ?」

 柄を握る掌が、抑えようとしても震えてしまう。土方の目を見る事は出来そうになかった。何でもないような顔で、ふざけるなと平素のように淡々と言い放てばいいのに、ただそれだけをする筈だったのに、沖田はするりといらぬ言葉を紡ぐ。

「―――あたしはあんたより先に死なない」

 ―――あんたを置いて、死んだりしない。
 なんでそう思うようになったのか、沖田は己でもわからない。腰を上げると同時に愛刀を引き抜き、結局は一度も土方の目をきちんと見る事なく、副長室をふらりと出る。部屋の前には、近藤が立っていた。それに安心している己に、沖田はほとほと嫌気が差した。






 刹那的な愛し方










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