最期かもしれないからと、近藤は言った。何でもない口振りで、紫煙を吐き出すついでにそう忍ばせて、柔く口を閉ざす。自室の箪笥を引き、奥深くに隠していた酒瓶を取り出した。一月の給料に相当するそれは高価な故にちびちびと飲んでいたが、この際惜しみなく飲んでしまう事に決めた。食堂から拝借した三つのグラスを片手に一纏めにし、もう一方の手には酒瓶を携えてやおら振り返る。視線を上げれば、今日一日己の傍を離れずに付く二人の若者が立ち尽くし、揃って苦い顔をしていた。つまんねぇ冗談だと、唸るように土方が言う。沖田は何も言わずに背を向け、部屋に面する縁側へと腰を下ろした。胸元に抱く刀を滞りなく捌けるよう、指先までもを裾に覆い隠して熱を集める。
 早々に陽が落ちて行くのに併せ、吹く風は凍える程に冷たくなっていた。並みの防寒じゃ耐えきれない。土方と沖田は、示し合わせたようにコートを着込んでいた。部屋を閉め切り、暖房をつけた方が良い事はわかりきっているのに、彼らは決して落ち着きたがらない。無意識なのか、神経を尖らせて周囲を警戒し、不穏な気配に敏感となっている。時にふたりは入れ代わり立ち代わりになるも、必ずしも近藤の傍にはどちらかひとりが付いていた。
 近藤は黙って鴨居に掛けてあるコートに袖を通す。土方が縁側とは真向かいにある窓枠へ腰掛けている為に風の通りは抜群に良く、室内にいるのにこれでは外にいるのと変わりなかった。近藤は誰とも距離を取るように離れたふたりを交互に見て、室内の真ん中に腰を下ろした。

「なぁ、一緒に飲もうぜ」

 近藤は軽く顎を上向きに、若干声を張った。間違いなく彼らに聞こえた筈だったが、一向にいらえは返らない。視線を感じて目を遣れば、土方に思い切り眉間に皺を寄せて睨まれた。

「酒なんか飲める気分なれるかよ」
「揃いも揃って、柄にもねぇ真似してくれるな」

 美味な酒を前にしても、近藤は飲む気になれなかった。図太い神経をしている質故に、並大抵の事では酒に手が伸びない事態など起こりはしないが、このふたりが原因となるとそうもいかない。本来のらしさを失って終始難しい顔をされていては、流石の近藤も困り果てる。といっても、煙草を吹かしながら薄く笑んでいるので、彼らの目から見ると普段と変わらぬ悠長な態度に映っているのだろう。
 近藤が懲りずに喉を鳴らして笑えば、土方の眼差しは一層きつくなる。しかし、何を言う訳でもなく、最終的には呆れかえって溜息を吐く。惰性で懐の小さな箱を取り出しながら、土方は到頭頬を緩めて苦笑する。暫く表情筋を固めていた所為で、ぎこちない笑みが零れ落ちてしまう。

「殊勝な態度ぐらい取ってみろよな」
「よく言う。んな態度取ったら気味悪がるだろ」
「可愛げあるなって見直すよ」

 小さな箱の中は空で、土方は短く舌を打つ。近藤は己の煙草を差し出せば、土方は素直に受け取りに寄って来る。ついでに煙草の先端から火を分けてやり、一際濃い紫煙を辺りに広げる。喫煙者同士何の気なしに目を合わせ、同時に視線を依然と背を向ける沖田に投げる。一切此方に干渉しようとはせずに黙りを決め込む様子は、何処か気を張り詰めているように見受けられた。近藤は眉を八の字にさせ、どうしたものかと力ない笑みを浮かべる。

「――総」

 名を呼んでも、年若な少女は微動だにしない。刀を抱え込んで柔く背を丸めた姿は、華奢な身体を一層小さく見せている。あれで一騎当千の力を備えていようとは、造形の良さからも窺えないだろう。
 近藤は衣擦れの音を立て、無造作に腰を上げた。煙草を口の端に銜え、手ぶらで沖田の横へ来ると静かに膝を折る。何の風避けもない其処は髪やコートを煽り、息は忽ち白く濁って流れて行く。近藤が尻をついて胡坐を掻こうとも、沖田は一瞥もくれない。厳しい表情をした端正な横顔を見つめてもう一度名を呼べば、今度は小さく顎を引いた。近藤に向けられた双眸は、強い意志を反映して閃く。戦場で見せるそれと同じ気を発し、却って逃しはしまいと近藤を真っ直ぐに見据えて逸らさない。気落ちしているなんて予想も甚だしく、沖田は怒気すらも交え、近場に寄って来た近藤の真正面に身体を据える。

「近藤さんがそう命を蔑ろにするのなら、あたしはあんたに害を与える奴を片っ端から殺しますよ」

 漸く口を開いたかと思えば、形の良い唇からは物騒な言葉が放たれた。普通ならば大袈裟な揶揄と取り、笑い飛ばせるのだろうが、相手は沖田である。この状況下で冗談を言う人ではない。
 近藤は肩を竦め、滅多な事は言うなと、やんわり嗜める。

「此処にいる野郎どもを路頭に迷わすつもりか。否、手向かったお前と共犯と見られ、幕府に追われる身とさせるつもりか」

 赤味の強い双眸は、それでもまだ透き通って揺らがない。曲がりなりにも大将の言わんとする事を黙って咀嚼している。それを見て、近藤は日頃意図して留める、他者を跳ね除けて拒絶する意を昇らせた。これがこのふたりでなければ、もっと早くに躊躇なく切って捨てていたのに。近藤は稀な己の甘さに自嘲する。のらりくらりとする男を真摯に見据える、対の二つの双眸が、縋るどころか逃しはしまいと意気を纏う。

「特攻隊の人斬り隊長さんよ、お前に仲間を見殺しに出来るのか」

 矜恃を掠り、良心を障る。この上ない嫌味だ。それを生み出すのも吐き出すのも、近藤という聡い男には造作もない。しかし、痛烈な弁舌を振るう相手が沖田であったのが、近藤の調子を密かに狂わせている。
 端正な顔立ちに変わりはない。ただ、白い指先が微かに震えた。真選組結成の頃、確かに沖田は何を置いても近藤が一番だった。けれど、仲間が増え、多くの絆に結ばれていくと、彼女はその力を同価値の存在を守る為にも使うようになった。そしてそれは、土方もまた同じだ。ふたりが強がりで偽悪的で、他者など毛程も気にしていないような素振りを見せる癖に、その実お人好しで優しい質である事を近藤はよく知っている。例え周りが冷酷だなんだと意見がともわなくとも、近藤だけは彼らの不器用な優しさを愛おしく思っている。だから、そんな彼らを傷付ける言葉など吐きたくはなかった。暗に仲間を捨てると言う彼女を、その彼女を止めない彼を、直接的な言葉で追い詰めたくはなかった。
 耐え兼ねたように鮮やかな色彩が揺れて、近藤は密かに胸を撫で下ろそうとする。一度迷いを持たせてしまえば、例え相手が沖田であろうと言い包める自信があったからだ。

「・・そうじゃねぇだろ」

 ――あぁ、不覚。近藤は終始浮かべていた笑みを歪めた。彼女が折れそうな時、決まってその男はさりげない助勢の一手を忍ばせる。あまりにひっそりとしていたものだから、背後に控えていた彼の存在を束の間失念していた。首を捻って仰ぎ見れば、土方は襖に軽く背を預け、指先でぷらぷらと煙草の先端を遊ばせている。

「誰それが死ぬっつう話をするにはまだ早い。第一、仲間を差し出す気は更々ねぇ。そう言ったのはお前だろうが」

 視線を感じてか、沖田が半身を開いて土方を見遣る。つと顰められた柳眉は、僅かばかりの苛立ちを垣間見せた。

「思い切った事でも言わないと近藤さんの気が変わらないかと思ったんです」
 
 本気な訳が無い、と呟いたきり、沖田は奥歯を噛み締めて黙り込む。手を尽くしたからこそ、土方を頼りにするしかない事を認める他なかったのだ。土方はそれを知ってか知らずか、飽くまで平素の調子を保ち、紫煙を吐く。

「ばーか。それが駄目だっての。お前が仲間を見殺しに出来ねぇと知ってるから、近藤さんはいくらでも強く出てこれんだ。恐れる事がねぇだろうが」
「わからないですよ。あたしも一応人の子ですからね、感情にのまれて訳もわからずやっちゃうかもしれない」
「お優しい総ちゃんはそれでも理性を残すさ。先を案じる冷静さは失わねぇ」

 土方は揶揄して笑い、なァ、近藤さんと一瞥もなく同意を求める。傍から見ればおちゃらけた銀髪の彼が、その伏せた赤い双眸は一体どれ程真摯な色を差しているのか。近藤はいらえを嚥下し、煙草を吹かしては曖昧な態度を取った。縁側に足を放り出した沖田は、庭先へと視線を遣ってしまう。

「泥に塗れて生きるのはお手の物だろう。小奇麗にケリをつけようなんざあんたにゃ似合わねぇよ」

 口の端に笑みを浮かべる土方の、落ちついた声音が薄らと響く。沖田は何も言わず、ただ目を伏せて細く息を吸う。近藤は素知らぬ顔の土方を一瞥し、幾多の命を刀で絶ってきた少女の白い手に目を落とす。そう遠くない日、これより小さかった手を引き、そして減らず口の絶えない男を口車に乗せて上京してきた事を、近藤はぼんやりと思い出した。始まりは己なのだと今更認識しようとも、罪悪感など持ちようもなかった。近藤にとって己が死ぬより、ふたりが死ぬほうがよっぽど耐えられないのだから。

「最悪あれだな、副長と一番隊隊長の首がありゃ事足りるだろ」

 平素の口振りでそう言う土方と、それにまるで反対する気のない沖田に、近藤は酷く泣きたい気持ちになる事をふたりは知らない。





いまだに揺れている瞳はあの日に置き去りにされたまま








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