(※式の前日パロディ)




 明日、結婚する。

 溜まりに溜まった書類や先送りしていた案件を死に物狂いで片付けて、問題の攘夷浪士についてはリスクを伴う事を承知で牽制の一手を仕掛けた。其処まで必死でやっても全てがその場凌ぎで、そう時間も掛からない内に諸々の不利益が生じるのだろう。また元の調子に戻るには骨が折れるに違いない。それだけ無理をして作った、たった二日間の休日だった。

「ねぇ、いつまで寝てるの?」

 居間で横になっていると、腹に踵がぐりぐりと押し付けられた。まどろんでいたところを強制的に覚醒を促され、ぐえっと声を上げると同時に目を開ければ、不満げな顔をした総が俺を見下ろしていた。着流しの裾から露わになるしなやかな足は意地悪く動く。

「朝起きてご飯食べて寝て起きて厠行って寝て起きてパフェ食べて寝て、どれだけ睡眠挟めば気が済むんですか」

 総は呆れたように目を眇め、お得意の口の上手さで早口に俺を責め立てる。言葉尻に合わせて腹を強く圧迫されて漸く抵抗に動けば、意外にも容易く総は身を引いて腰を下ろした。リモコンで電源のついたテレビが、バラエティ独特の騒がしい音を吐き出す。卓上に置いた湯呑を手に取る総を見て、俺は疲労の残る身体を起こして溜め息を吐く。

「今日と明日の為に俺がどれだけ働き詰めだったか、お前知ってるだろ?」
「だから労わってくれって?冗談じゃないですよ。あたしだってそうだったのに、一人寝腐るなんてずるいです」
「お前も寝りゃァいいだろうが」
「だって、まだ不安で・・」

 意識して見てないであろうテレビから視線を逸らし、総は卓上に放りっぱなしの紙をそろそろと引き寄せた。

「席配置、これで大丈夫ですかね?」
「何度も考えて決めたじゃん」
「料理、和洋折衷で大丈夫ですかね?」
「ガキから爺さん婆さんまでいるし、丁度いいって言ったろ」

 適当というか、フィーリングで物事を決める総は滅多に悩む事をしない。だから今俺の目の前で悶々と頭を抱える姿は実に珍しく、きっと近しい近藤さんでさえあまりお目にかかった事はないだろう。考えに考えた上で期限ギリギリに決めて、もう変更は出来ないというのに、総は小さく唸りながら紙と睨めっこしている。

「それより、ドレスはどっちになったんだよ」

 自分の分しか用意しなかった総の湯呑をちゃっかり掌中に収め、温い茶を飲み干して、急須から新たな茶を注ぐ。その片手間に訊ねれば、テレビの音にも消えそうな程の曖昧な相槌が返る。この流れからいくと、嫌な予感がしてならない。

「・・・土方さんはAラインとプリンセスどっちがいい?」

 少し下から見上げるように、総は俺を見て訊ね返す。まるで窺うように、何処か不安げに、縋っているようにさえ見えた。なんだこれ、マリッジブルーみたいなもんか。一応Aラインとプリンセスのドレスを思い出しつつ、あまりに総らしくない、否、見せたがらない姿を露わにされて、俺も柄にもなく気恥ずかしくなってしまう。

「なんで俺に訊くんだよ。お前が着るんだからお前が決めろよ」
「・・素っ気ないの。土方さんにだって関わりがある事なのに」
 
 赤と黒が混じったような、惹き付ける瞳が僅かに陰る。ただ目が伏せられただけなのだが、総は気落ちすると決まって視線を逸らすので、その真意を常識として知る俺としたら見逃せたものではない。コンプレックスの癖毛を無造作に掻いて、俺は出来るだけ軽い口調で言葉を掛ける。

「どっち着たって似合うんだから好きにすればいんじゃね。おめぇは容姿だけは良いんだから」

 性格はアレだけど、と最後に憎まれ口を叩くも、総は大様に瞬いただけだった。平素の可愛げのない言葉も返らず、うんうんと悩み抜いた手元の紙に目を落とす。そうですね、と呟くように口にしたきり、無言で腰を上げた総は台所に向かって夕飯を作り始めた。何が食べたいと平素の調子で訊かれて、何でもいいよと俺は答えた。

「そういうのが一番困るっていつも言ってるじゃないですか」
 
 総はリズミカルに野菜を切りながら、溜め息交じりにそう言ってまた黙り込む。何作ったって旨いから、そんな事訊かれてもこっちだって困るのだけれど、それを言ったってどうせ総は眉間に皺を寄せて、食事作るのは交代制ですからねと無駄な釘を刺されるだけだ。褒められた腕ではないと思い込んでいる総には、煽てられていると勘違いされてしまう。

 ひょんな事から、屯所の近くにある安普請の平屋で総と暮らして五年が経った。仕事場でもある屯所でも顔を合わせるので、共に暮らす最初はあまり変わらないとも思ったが、結構変わるものだとすぐに知れた。何がと訊かれれば説明するのは難しいが、お互い深い部分までわかり合えた。例えば、カレーは甘辛が好みであったとか。これは発見ではなかろうかと、最後の食卓でお手軽なカレーを作った総をちらりと見る。テレビは消してあったので、無言でいるととても静かだった。唯一の完全なる手作りのポテトサラダを普段より多く食べて、更にカレーと共におかわりすると、一足先に食べ終わった総が風呂場へ向かう。いつの間に湯を張ったのだろうと手際の良い総を何の気なしに見送り、ゆっくりと味わった夕飯を腹に収めて、俺は食器を洗う。
 狭い台所で皿を洗うのももうないから、水垢で汚れたシンクを綺麗にした。明日でこの平屋は引き払うというのに、まだ積まれた段ボールが隅に鎮座し、生活感のある道具は当たり前のように其処彼処に置かれている。明日は結婚式で、引越しの用意などしている暇はないから、今日は徹夜でこれを片付ける事になるのは覚悟しなければならなかった。

「何してんの」

 俺が風呂から上がると、総は仏間にいた。仏壇の前で手を合わせたまま、此方に目を遣って静かに口を開く。

「姉上に報告してました」

 そう言って、丁寧な動作で腰を上げる。総はいつだって、ミツバの前では淑やかに振る舞う。

「もういいのか」
「うん、いっぱい話したから」

 瞼が重そうに、上下に動いている。眠そうな目が俺を一瞥して、そっと擦れ違う。

「居間に布団敷いたから、今日は一緒に寝ましょう」

 すたすたと歩いていく総は振り返りもせず、俺の了承も取らず、豆電球だけが照らす居間に入る。少し距離を開けて並ぶ布団の一方に潜り込んだ総は、俺がもう一方の布団に横たわると寝返りを打った。仰向けの体勢の俺に、総は横を向く形で身体を向けていた。

「・・・手、繋いで寝てもいいですか」

 柱に掛かった時計の秒針が、音を刻んで静寂に溶け込む。

「・・・いーよ」

 自分で言った癖に、総はもそもそと手を重ねてきた。刀を握る者特有の手を、けれど女特有の柔らかで小さな手を、俺はしっかりと握り締める。絡まる手から伝わる温もりが、とても心地良かった。

「・・・流石に、らしくないとか言われると思いました」
「言わねーよ」
「どうして?」
「追い詰めるようで気分良くねぇから」
「追い詰める?」
「泣いてるから、余計な事は言わねぇの」

 目が合う。総はやっぱり泣いていた。形の整った眉を八の字にして、はらはらと涙を落としては枕を湿らせていた。もうこんな総を見る事はこの先絶対にないだろう。最後の最後で、総の新たな一面を俺は見た。

「泣き過ぎっと、明日ブスになるぞ」
「あたし顔だけはいいから、多少は大丈夫です」

 腕を伸ばして亜麻色の髪を少し雑に撫でてやると、総は束の間目を閉じて俺の手に宥められた。目の淵に溜まった水が白い頬を滑り、俺はそれを親指の腹で優しく拭う。それきりその手は引っ込めて、自分の布団へ仰向けに戻った。総は依然と此方に身体を向けて目を閉じる。もう、今宵は言葉を交わす事はない。それでもいつの間にか眠りに就いても、布団からはみ出した互いの手はしっかりと握り締められたままだった。


 
「土方さん、ほんと寝過ぎだから」

 朝、起床すると総はまた俺の腹に片足を乗っけて覚醒を促していた。これまた不満げな顔で眉を顰め、深い溜め息を一つ落とす。総はとっくに着替えて支度を済ませたようで、すぐにでも外へ出れるような装いになっていた。時計を見ると、頃合いの時間帯だ。

「顔洗ってご飯食べて、さっさと支度して下さいね」
「おー、てか荷造り終わってねぇよな」
「終わらせましたよ。誰かさんが気持ち良さそうに寝てる時に」
「・・・どんだけ早く起きたんだよ」

 早起きなんて苦手で、よく寝坊しては朝の会議に遅れて来るのに。やれば出来るじゃねぇか。
 
「なに、お前もう行くの?」

 ワイシャツに袖を通していると、総が慌ただしく鞄を引っ掴む。タクシーが来たと言葉少なに伝え、ぱたぱたとスリッパを鳴らして、先に行ってますよと軽く手を振られた。俺はワイシャツのボタンを留めながら、総の後ろに続いて簡素な履物を突っ掛ける。
 タクシーに乗り込んだ総はウィンドウを開けて、態々お見送りですかと小さく笑んだ。俺も頬を緩めて、意識して笑みを形作った。

「お礼、言っといてくれよ」
「お礼?」
「今日まで変わらず俺と一緒にいさせてくれてありがとう、って」

 結婚を約束した男がいる彼女を、家族同然とはいえ男の俺に、最後の最後まで預けてくれた彼には感謝してもしきれない。 

「ひじか、」
「お前でも今泣いたら、マジでブスになんぞ」

 朝の柔らかな日差しが、亜麻色を、蘇芳色を、一層際立たせてくれる。何をしても損なわれる事のない白痴美は、改めて美しいと思う。微かに震えた花唇は、意を決したかのように結ばれた。

「じゃあ、また後でな」

 流れるように、俺はタクシーの運転手に出して下さいと声を掛けた。ちらりと見た総に涙はない。背凭れに身体を預け、ただ正面を見据えている。でもタクシーが発進して、すぐに総は振り返って俺を見た。日差しが差し込んでその顔は見れなかったが、タクシーが見えなくなるまで手を振って見送った。総は途中で背を向けたが、俺は律儀にも手を振り続けた。亜麻色が俯いたのは、見間違いなんかじゃないと思う。

「あー、なんか今から緊張してきた」

 与えられた役目に、なんだかそわそわとする。こういうのは近藤さんが適任だろうに、本当に俺でよかったのかと今になって及び腰になってしまう。小恥ずかしい。挙動がおかしくなって笑われそうだ。けれど、誇らしくもあるから。ミツバの代わりでもあるから。堂々と、あの道を歩こう。

「しゃあねぇ。腹括って歩くかぁ、ヴァージンロード」
 
 家族も同然の総が――、今日、結婚する。





 
式の前日









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