何かと突拍子もない事を言う彼女だけれども、今回ばかりは柔軟な近藤でさえもその頼みには驚いた。

「久しぶりに来たなぁ」

 助手席に乗る沖田は全開された窓から顔を出し、限りなく広がる海を一望した。丁度夜が明け始め、闇に沈んでいた輪郭は朧げに姿を現している。沖田は三角巾で吊られた左腕を庇うようにして、右手を支えに身を乗り出した。

「おい、あぶねーぞ」

 車体から上半身を乗り出す沖田を見兼ね、近藤はハンドルを捌きながら窘めた。普段の彼女ならば止めやしなかったが、今は左腕から下は使えない上に脇腹には深い傷が疼いている。医者にはせめて一週間は絶対安静と強く言い渡されていた。それなのに、一昨日大怪我を負ったばかりの沖田は病室を抜け出し、偶然にも一人見舞いに来た近藤に海へ行きたいと言ったのだ。

「そんな無理しなくても見やすいよう近場に車止めてやるから、大人しく座ってろ」
「いえ、海沿いを走ってくれるだけで充分ですから」

 沖田は海を臨み、きらきらと水面を反射する光を双眸に映す。煙草に火を付ける近藤に向けた蘇芳色にはその残像がちらつき、一際目を引く色彩を織り成す。

「電話、もうかかってきてるんでしょう」

 ほんの少し眉を下げて、彼女にしては珍しく申し訳なさそうな顔をして微笑した。平素ならば仲間の心配など気にも留めず、ただ自由奔放に在るのに。近藤はその稀な表情を一瞥し、前方へと視線を戻す。早朝の為、車は一台も見当たらず、屯所から持ち出した私用の車だけが車道をひた走る。ハンドルを握る利き手の指に挟んだ煙草の先端を燻らせ、近藤を唇の端を持ち上げつつ、ウインカーを左に出した。

「知らね。電源入れてねぇし」

 そのあっけらかんとした様子に、沖田は一度大きく瞬いた。そして理解した途端に小さく噴き出し、華奢な肩を揺らして笑う。

「怒られてもあたしは知りませんよ」
「何言ってんだ、主犯はお前なんだから逃れられやしねぇよ」
「誘ったのは確かにあたしですけど、受けたのは近藤さんの意思じゃないですか」

 沖田は意地悪い笑みを浮かべ、窓枠にかけていた右手を車外に突き出した。たっぷりと潮の含んだ風を纏わせ、ふらふらと遊ばせている。すると、車が緩やかに停車した。不思議に思った沖田がどうかしたのかと訊けば、近藤は吸い殻を灰皿に押し込んで隣りを見遣った。

「降りるんだよ。お前は充分でも俺は運転に気ぃ取られてちゃんと見れねぇから」
「一応言っときますけど、此処は駐車禁止ですよ」
「パトランプ付けとくから平気だろ」
「うわ、職権乱用だ」

 くすくすと笑いながら窘める沖田であったが、彼女は近藤より早く車を出て堤防に乗り上げた。その拍子に負傷した箇所が痛んだのか、一瞬体勢が崩れかけるものの、近藤がはっとすると同時に沖田は両足で踏ん張って立つ。負傷を免れた利き手には、当然の如く彼女の愛刀が納まっている。近藤はひやりとして騒いだ心臓を密かに宥め、沖田に続いて堤防に足を掛けた。強い風に煽られながら新たな煙草に火を燈すと、隣りの沖田が綺麗と呟く。倣って目を遣れば、朝焼けに染まる海が視界を埋めた。其処彼処では形容しがたい煌めきが生まれ、小さな飛沫すら閃く。うねる波の遠音は、重みを持って鼓膜を震わせている。

「冷たいけど、風が気持ち良いですね」
「そうだな。煙草もいつもより美味く感じるわ」

 肺一杯に煙を吸い込み、ひんやりとした朝の空気に紫煙を吐き出す。傍らの亜麻色は自由に舞い、それに隠れる青白い容貌は冷えた頬を緩める。近藤はその悲痛にも見えるそれを視界の端に留め、朝日に染まる海を一望した。

「なんで海に来たかったんだ?」
「なんとなく」
「なんとなくで重症の身体押して海に来るのかよ」
「重症って、大袈裟なんですよ」

 沖田は自嘲気味にそう言うと、掴んでいた刀を持ち代えた。鐺を地面に置き、柄の先にある頭に手を添えてふらつきそうになる身体を支えている。座れば楽なのに、思うよう動かない己の身体を案じる沖田は頑なに落ち着く事をしない。近藤を、真選組の要である局長を、彼女は一隊士として守ろうとする姿勢を崩さなかった。

「頼むから、俺より先には死んでくれるなよ」

 近藤は鮮烈な朝焼けに目を細め、ぽつりと呟く。隣りにいたとしても聞こえないようなそれに、沖田は細い首を回して顔を向ける。近藤の横顔を見据え、決して覇気の失われる事のない双眸を覗かせた。けれど、それはつと逸らされて、終わりの見えない海の果てへと向けられる。死にませんよと、呟いた沖田の声は同様に小さい。けれど、互いに鬱々とした気配はまるでなかった。口火を切るように平素の声量で口を開いたのは、依然と視線を海に投げる沖田だった。

「珍しくもないけど、またえらく突飛な発言ですね」
「今回は度が過ぎた。流石の俺も肝を冷やしたんだからな」

 怖かったよと肩を竦めた近藤の仕草は、どうみても平素の笑みと相俟って俄かには信じ難い。しかし、近藤という男をよく知らない人はそう見えても、長年に亘って傍にいて彼を知る沖田は、その仕草をきちんと理解しているが故に気まずそうに視線を逸らした。亜麻色が微かに俯いたのを見て、近藤は安堵の息を吐いて笑う。

「無茶をしたっつう自覚があんなら、俺からは何も言う事はねぇよ」
 
 近藤は吸って間もない煙草を携帯灰皿に押し入れると、軽やかに堤防を降りた。それを目で追った沖田は、差し出された無骨な手を見つめる。

「・・・早いですよ」
「これ以上はトシの寿命が縮まっちまう」

 無表情ながらも拗ねた素振りを見せた沖田を、近藤は一言でその気を萎えさせてしまう。ぴくりと動きを見せた柳眉はやや間を置いて顰められ、花唇はつまんないのと呟く。重ねられた白い手は冷たかった。

「また来ればいいさ」

 近藤は熱を分け与えるように強く手を繋ぎ、乗り付けた車までの短い道のりをゆっくりと歩く。そうですねと、彼女にしたら何の気なしに肯定したいらえに、近藤は無言でただ笑みを深めた。
 細波の音が遠い。縋るように小さな手を握り締めた事も、離れまいと大きな手を強く握り返した事も、お互いは気付かない振りをした。





これではまだ免罪符になれないとおまえは笑った










「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -