ふわり、ほんのり甘い匂いが鼻腔を擽る。心地好い風に乗った淡い桃色の花びらは、春の訪れを知らせるものではない。役割を終えた自然の風物詩が、理に従って散り散りに舞っているのだ。土方は縁側に舞い込んだ花びらに目を留めて、吸う気が削がれた煙草を手の内で弄ぶ。

「副長、大丈夫ですかね?」
「大丈夫だろ」

 くるくると舞う花びらを何となく視線で追ったまま、土方が隣りに座る山崎へと即答する。しかしその返答が不服だったのか、山崎は行儀よく正座した膝の上に置いていた握り拳を崩し、前方を指差してほんの少し声を張り上げた。

「だってあれ死人出ますよ!そろそろ止めたほうがいいんじゃ・・」

 慌てふためく山崎を尻目に、土方は至極面倒臭さそうに視線を戻す。前方の道場には一番隊隊長である沖田総と今春入隊してきた五名の新入隊士がいる。一対一の試合で始まったはずなのだが、沖田の一方的な攻めによる実力の差でいつの間にか一対五の試合になっていた。だが多勢でかかっても状況は変わらず、逆にますます沖田の猛攻は容赦がなくなったように見える。沖田の振り上げた竹刀が真っ正面から突っ込んできた隊士の顎を打ち、痛々しい音が響く。地に伏していく隊士の身体には無数の痣と切り傷が出来ており、対する沖田は掠り傷一つない。無表情で竹刀をぶら下げ、自ら襲い掛かりはせずに向かい来る者の攻撃を倍にして返している。

 一昨日、新入隊士を前に局長である近藤から武士とは何たるかを説き、副長である土方からは真選組の意義を説いた。各々、期待や不安を表情に滲ませながらも、真っ直ぐにこちらを見据える瞳に怯えはなかったのに、今その濁りのなかった瞳には陰りが見え始めていた。一歩間違えば真剣を用いりかねない沖田の気迫に、山崎を始め近藤や他の隊長各が恐る恐る事の成り行きを見守っている。

「あいつらが望んだ事だろ」

 先端に火を燈した煙草を口に銜える土方が紫煙を吐き出しながら、忙しない山崎達を見遣る。

「でもよー、なんっか沖田らしくなくね?」

 黙って見守っていた原田が唇を突き出し、山崎を押し退けて疑問をぶつけると剥き出しの頭部にペチンと手が置かれた。

「まぁまぁ、黙って見てようぜ」

 道場にやって来た永倉はへらりと笑って原田の怪訝な表情を一瞥し、隙のない構えを取る旧友へ視線を向けた。沖田と手合わせを望んだのは正確に言えば一番隊入隊希望の新入隊士だ。表向きは隊長である沖田に武術を認めてもらいたいとの事だが、本当のところは単に実力を疑っていたに過ぎなかった。一番隊は常に危険に曝される斬り込み隊であるが故に、必然的に剣の才が優秀な人材ばかりが集う。そしてその猛者共を纏め上げている沖田の腕前は勿論確かで、どんな修羅場も切り抜けてきた実績がある。他者を寄せつけない天賦の刀捌きは一番隊の地位に相応しいものだったが、その才だけではどうにもならない事が一つあった。それは沖田が女であるという事だ。女だてらに剣の才に秀でた彼女を嫉妬する者、その実力を疑う者、影で罵倒する者も当然いた。当の本人は毛頭も気にはしていないが、隊内で起こる秩序の乱れに見て見ぬ振りは出来ない。綿密な作戦を立てても、討ち入りでは不測な事態も少なからず起こる。機敏な動きが要求される最中、指揮を執るのが隊長の役目でもある為に、もしその時に隊長に対しての不満不平が職務にきたせば、連携が崩れるだけではなく死者も出しかねない。常に最前線に立つ一番隊には最も避けねばならない事態だ。

「永倉、あの五人は二番隊に入れる」
「いいんですか?一番隊希望なのに」
「明らかに総と馬が合わないだろ」

 土方は煙草を手元の灰皿に押し付けて立ち上がり、胸ポケットから取り出した携帯電話を操作しながら歩き出す。

「お前らもささっと仕事に戻れよ」
「ちょ!副長止めていって下さいよ!」

 またしても痛々しい骨を打つ音に山崎は半泣きの状態で土方に縋るが、素っ気なく足蹴にされて床に転がされる。

「だから大丈夫だっつってんだろ。こんなもん稽古の時と変わんねーよ」

 山崎が痛みに呻いている間に土方は足早にその場を離れていった。確かに一番隊の稽古と今行われている試合は酷似している。事細かに指南する方針を取らない沖田は終始無言で隊士を打ちのめすのだ。それは身体で覚えさせるかの如く、弱点となる部位には容赦なく打ち込むという相当荒っぽいやり方だが、事実一番隊の隊士は著しい実力の向上を見せている。

「沖田さんからしたら稽古に過ぎないのかな?」
「うーん、それとはまた違うような・・」

 山崎と原田が揃って首を傾げれば永倉が声を上げて笑い、痙攣する腹部を両手で押さえる。その態度に噛み付くように彼らが声を張り上げれば、自ずとこの場にいる全員の視線を攫ってしまう。ピタリと竹刀の音が止んだ空間には永倉の堪えきれない笑いと返り討ちに遭った隊士の荒い呼吸が道場に反響する。

「そこの餓鬼うるさいんだけど」

 一変して不機嫌を顕わにした沖田の刺すような鋭い視線が騒がしい発信源を射抜き、山崎は思わず身を竦ませるが、永倉は面白そうに肩を弾ませて笑う。

「餓鬼はお前だろ」
「黙れ」
「もう充分なんじゃねーの?」

 眉間に眉を寄せて端正な表情を歪める沖田は珍しく駄々っ子のようにふて腐れていて、どこか彼女の幼き日の面影が重なる。

「・・・お腹すいた」
「じゃあ甘味屋でも行くか」

 まるで武州の頃を彷彿する不器用なやり取りを見ていた原田はふいに理解する。永倉と土方の余裕ある態度はきっと沖田のらしくない理由について知っているのだと―。

「たまたま聞いたんだ」

 原田のわかりやすい表情を見て苦笑した永倉が小さな声で話し始めれば、傍らにいた山崎も気付いたようで耳を傾ける。

「あの五人が庭で談笑してた時、偶然にも俺と副長が近くの縁側を歩いてたんだ。あいつら相当話に夢中で俺達にも気付かないし、向かいの部屋で昼寝してた沖田にも気付いてなかった」

 前方にいる沖田は未だ竹刀を構える新入隊士に素っ気なく一礼すると、持っていた竹刀を傍にいた藤堂に押し付けて山崎達の方へ歩いてくる。

「だから、沖田と副長は恋仲なんじゃないかって本人がいるにも関わらず言っちまった訳だ。一番隊の地位は実力云々じゃなく、上司である副長が優遇したってな」

 それで苛立ってんだよ、と締め括った永倉は沖田がこちらの声が届く範囲まで来ると、穏やかな表情で唇の端を持ち上げた。

「よぉ、気は済んだか」
「八つ裂きにしたい」
「それは止めてくれ。一応俺の下に就く予定だからさ」

 まるで嵐のように掻き回すだけ掻き回し呆気なく去ろうとする沖田に順応しているのはやはり永倉だけで、周りはあんぐりと口を開けて暫く活動を停止していた。

 その後、沖田の太刀捌きを体験した新入隊士は自身の浅はかさを悔やみ直ぐさま謝罪に向かったが、甘味屋で団子を頬張る彼女はそれよりも奢れと宣ったそうだ。





潔く生きろ








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