今にも壊れそうな木材の梯子に身体を据えて、光が漏れる天井へと手を伸ばす。慎重に力を入れて押し上げれば、木屑がパラパラと落ちて顔にかかる。天井を模した戸は何度も開閉されて傷んでいるのか、蝶番の耳障りな音が間近で聞こえた。
 極度の緊張と出血による疲労からとめどなく汗が吹き出し、蟀谷に浮かぶ玉粒が流れ落ちる。細心の注意を払い、決心して戸を完全に押し上げると夜気が流れ込んだ。顔を出したと同時、小回りの効く小刀で警戒するが視界に入ったのは骸だけで、己の命を狙う敵は誰一人いなかった。油断せず辺りに気を配り、息を潜めて暫く様子を見るもやはり変わりはない。階段で発見した踊り場の隠し戸は狭く薄暗い通路に繋がり、一直線に外の裏庭へと続いていた。途中、小部屋などもなく武器の一つもない。只の脱出用の抜け道だった。

「大丈夫?囲まれた?」

 足元から聞こえた緊張感の欠片もない声を聞いて、藤堂は溜め息ともつかぬ息を吐く。緩慢な動作で這っていた腕を起こし、地面に両手を付くと梯子を軽く蹴った反動で腕を突っ張った。自ずと上へ持ち上がる身体は待ち望んだ開放感に包まれる。一足先に外へと出た藤堂は片膝を付き、今し方抜け出た戸の奥に利き手を伸ばした。

「誰もいねーよ」
「・・何その笑えない冗談」
「仲良く副長に怒られようぜ」

 ひょっこりと顔を出した沖田は苦虫を噛みつぶしたような顔で、藤堂と同様に地面に腕を這わせ辺りを一望する。

「耳に蛸が出来る程に首謀者だけは逃がすなって言われたんじゃないの。怒られるだけで済む問題?」
「済まねぇな。じゃあ仲良く腹斬ろうぜ」
「一人でやれば」

 沖田は差し出された藤堂の掌を無視し、自力で外へと身体を引き上げる。

「ちょっとしたお茶目だろーが」

 無愛想な言動は今に始まった事でもないが、一瞥もくれず素通りされるのは悲しいものがある。藤堂は小刀を黒塗りの鞘に納めて定位置に戻す。後方を振り返れば数ある骸の中から見つけた仲間の元で沖田がしゃがみ込んでおり、背中を向けられてるのをいい事に乱れがちな呼吸を整えながら近寄る。裏庭は平隊士を"三人"配置していたのだが、途中敵が増加した理由を考えれば最悪な事態も予想出来ていた。

「新田と安藤」
「見りゃわかるよ」

 顔は血に濡れてわかり辛いが、彼らは藤堂が統率する八番隊の隊士である。寝食共に過ごし、戦場に身を投じていた仲だ。どんな姿になろうとも一目でわかる。八番隊の中でも険の腕は極めて優秀な、新田昌彦と安藤忠だった。
 不意に沖田の指先が死因である裂かれた頸動脈に伸ばされる。血溜まりのそこから触れるか触れないかの辺りで生気の失せた身体を滑り、時折濃い血の辺りで軽く掌を乗せる。その不可解な行動を見守る藤堂は漸く違和感を覚えた。

「大した傷は負ってない」

 静かな沖田の声に、藤堂は唇を噛んだ。きっと考える事は同じなのだろう。訝る視線は横たわる仲間の腰に帯刀された鞘に納まったままの刀に固定されている。

「他隊の私でも知ってる。新田と安藤は抜刀もせずこんな呆気なく死ぬような奴らじゃない」

 沖田は視線を逸らさずに、燻る激情を抑えた声色をしながらも一旦口を噤む。そして、絶命した部下の隊長に視線だけを投げて見解を求めた。直ぐさま返答は出来ずに渋る藤堂は視線を逸らせば、突然傍らで黙していた華奢な身体が小さく傾いだ。崩れ落ちる寸でのところで伸ばした手が身体を捕まえ、咄嗟に己の胸元へ抱き寄せた。

「ご、めん」

 直に感じる熱の篭った身体に驚く藤堂が労るより早く、沖田は呼吸すら辛そうな様子で謝罪に頭を項垂れる。

「私の所為だ」

 沖田はままならない身体を叱咤するように立て直し、必要以上の力を込めて藤堂の両肩を強く掴むと、目を伏せて息絶えた仲間を一瞥する。
 想像するに容易いが、新田と安藤に油断はなかった。敵を斬り終えれば刀を鞘に納めるのは当然の事で、その行為に躊躇いはない。何故ならもう身近に敵はいないと彼らは認識しているからだ。何故なら身近な仲間が裏切るとは微塵も思っていなかったからだ。きっと何が起こったのかもわからずに呆気なく死を迎えたのだろう。見開かれた虚ろな双眸には何の感情も残ってはいなかった。

「お前の所為じゃねぇだろ。悪いのは裏切った奥沢だ」
「部下の監視を務めるべき私にも責任の一端はあるでしょう。こんな事態になる兆候にさえ気付きもしないで、」

 そっと藤堂の両肩から手を離し、自嘲気味な笑みを浮かべた沖田は一つ深呼吸をして立ち上がる。瞬く間に調子を崩したその身体は傍目から見ても限界に近かった。上気した頬からも風邪がぶり返しているに違いないと確信するや否や、藤堂は擦れ違う身体を再び捕まえた。

「粛清しに行くつもりか」
「この場は任せる。私は奥沢を追う」
「私情を挟むなよ。俺達の目的は吉田だろ?」
「どうせ吉田も一緒よ。ついでに捕まえてくるから」
「冷静になれよ!今のお前じゃ返り討ちに遭うだけだ!俺だってお前の部下を知ってる。奥沢はそう簡単に討ち取れる程弱かねぇだろ!」

 藤堂が声を荒げて叱咤すれば、素直に聞かない沖田は抵抗にもがく。両者一向に引かない争いを続けていた刹那、けたたましい破壊音が耳を劈いた。弾かれたようにその発信元を見遣れば、裏庭に面する和室の襖と仕切りの薄い板が破壊され、飛来した勢いでそれを突き破った人影が砂塵に包まれていた。瞬時に独走した藤堂の背後で、聞き慣れた鉄の滑る音が忽ち焦燥感を高めていく。砂塵で煙ってはいるが、沖田にも自分と同様、仲間の姿は確認出来た筈だ。散らばる木片を踏み越え、手入れのされた垣根に突っ込んだ上半身を起こした人影は、先程まで共に刀を振るっていた永倉だった。





なお降り続ける絶望に







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