お人好しが過ぎる近藤は度々人を拾ってくる。まるで犬猫を拾うような気楽さで、何の事情も知らぬ者を一心に助けようする思いだけで己の道場へ連れて来てしまうのだ。試衛館の門下生は最初こそその行為には苦言を呈したが、大半が彼のお人好しに助けられたので強く言える者は少ない。厄介事に巻き込まれやしないかと危惧するも、皆が皆腕前に自信があるが故にその時はどうとでもなるという気概があって、最終的には彼のお人好しに口を出す者はいなくなった。
 それに近藤には見る目があるのか、はたまた人の良さが邪な気持ちを萎えさせるのか、拾ってくる者は揃って門下生となる。決して強制してそうなる訳ではなく、誘いの言葉はあれどそれは行く宛がないのならどうだという一つの選択肢に過ぎない。第一、試衛館に金銭の余裕はないので、財布の紐をきつく縛っている勘定方からすれば一日タダ飯食わせるだけでも充分なのではないかと愚痴の一つも垂れたいところではある。だが、それを理解している近藤がその負担を減らそうとせっせと畑仕事に勤しむ姿を見ているだけに、勘定方も口を噤んで少ない金を遣り繰りしているのだ。
 かくして、お人好しの近藤が人を拾ってくる事はそう珍しくなく、試衛館の門下生ならば既に周知の事実であり、慣れたものではあったのだ。
 そう、またしても近藤が人を拾ってきたのならば誰も驚きはせずに、あぁまたかと何度思ったかもしれぬ反応をするだけの筈だった。

「・・・そりゃあ、土方さんの隠し子かなんかで?」
「ンな訳あるか。拾ったっつってんだろ」

 玄関口を通らず、道場まで回ってきた土方は薄汚れた男を連れていた。土方はその柄の悪さからよく喧嘩を売られるので、またその類だろうと皆が見当を付けたのはいいが、何故にのした相手を連れて来たのかと疑問を持った。見せしめや己の力を誇示する小さい男でもないしと考えて、もしかしたら先日試衛館の畑を荒らした奴でも連れて来たのかと思い当たる。それならば、近藤が精魂込めて育てていた畑を荒らした奴を皆が恨みに思っていたし、必ず見つけ出しては何らかの制裁は与えるつもりだったので土方が珍しく気を利かせたのかと感心していた。
 しかし、土方の口から拾ってきたのだと聞いて、鍛練という名の野蛮な力試しをしていた門下生の皆は言葉もなく固まってしまう。沈黙を破って言葉を投げたのは最年少ながらも大人顔負けの口達者で生意気な沖田であったが、どうも理解に苦しむ状況に馬鹿らしい問いを投げてしまった。だがそれも、いつになく大人しい土方が嫌に真面目腐った顔をして真っ当ないらえを返すものだから、再び沈黙が落ちては皆が疑問符を散らす。土方も詳しく説明しようとはせず、この場を等閑にまるで逃げるように男の手を引いて道場を横切ろうとする。その足が向かう先にあるのは井戸、もしくは更に先にある風呂場へ行こうとしているのか。それを見送ろうする沖田は、そっちに目覚めたのかと言い、気味の悪そうな眼差しを男二人に向ける。土方はそれに気付いていない筈はないのだが、短気な彼らしくなく無視して歩みを速めて行く。
 すると、不意に食欲をそそる匂いが微かに道場で香り、刹那、鈍い光を放つ刃物が気配なく投擲された。本来の用途を誤った包丁は土方と素性の知れぬ男に向かい、見ていた者は一気に顔を青ざめる。唯一、沖田だけが嬉々とした表情を見せたのは余談である。
 風を切り裂いて凶刃が向かう先で、逸早く反応したのは男の方だった。反射的ではなく確と察知して冷静に首を傾け、反して土方は背後の様子と男の小さな動きで異変に気付く。しかし、余計な動きをしたが為に、振り向こうとした土方の鼻先を凶刃が掠めていった。

「この忙しい飯時に面倒事持ち込むなんてどんな神経してるんですか。殺しますよ」
「おまっ、マジで殺す気だったろうがァアア!!!」

 凶刃という名の包丁を投げつけたのは、割烹着を身に付けてやって来た麻子だった。もう一丁の包丁をぎらつかせる姿は無表情もあって恐ろしく、また口振りも淡々としているのでその本気がありありと窺えた。何処か様子のおかしかった土方だったが、偶然にも日常のやり取りをしてしまった所為で、反射的に盛大にブチぎれてしまっていた。鼻の先からたらたらと血を流しながら怒鳴り散らす土方を見て、門下生は無意識に胸を撫で下ろす。しかしそれも束の間、沖田がもっと正確にやりなせェなどと麻子に声を掛けると、標的はすぐさま多勢に変えられる。包丁を突き付けられ、投げられた視線は無造作なのに、少女の双眸は絶対零度を持って冷え冷えとしていた。

「飯の準備しろって言ったよね?なんでまだ不毛なちゃんばらしてる訳?こっちは片栗粉と小麦粉の違いもわからない無能なゴリラと料理してるの。少しは手伝おうとか、せめて皿でも出そうとかテーブル拭いとこうとか思わないの役立たず共が」

 土方どころか、見知らぬ男も眼中にない麻子は苛立ちを露わに毒舌を吐き、近場にいた原田の眼前で刃をチラつかせる。ねぇ、あんたは手伝ってくれるよねと窺いつつ、否とは言わせぬ圧力で脅しをかける麻子に原田もその他多勢の門下生も逆らえる筈はなく、皆は血の気の失せた顔で頭を何度も上下させる。光の速さで竹刀や木刀をその場に置き、炊事場へと駆け足で向かおうとした。だが、其処へ我らが道場主が情けない顔でやって来た。

「麻子ちゃん。言われた通り片栗粉を水で薄めて入れてみたんだが全然とろみがつかなくてなぁ。ちょっと戻って一緒にやってみてくれないか?」
「それ片栗粉じゃなくて小麦粉です。近藤さんとやるとかえって手間がかかるだけなんで、もう手伝わなくていいです」

 お役御免を言い渡された無能なゴリラこと近藤は、そんな事言わないで一緒にやろうと麻子に縋り付く。実は本来ならば炊事当番は料理が出来る者の当番制のところ、今日は風邪で寝込んでいる者の代打で麻子が炊事を任せられたのだが、それを好機と思ってか日頃彼女とのこうした交流が少ないと嘆いていた近藤がお手伝いとして割り入ったのだ。麻子は試衛館に住み込みではない故に当番制から外れていただけで、ある程度料理は出来る方だった。しかし、近藤は畑仕事は得意であったが、料理はからっきしで野菜を切るにも何処か危なっかしいところがあった。それでも麻子は手伝ってくれているのだからと、度重なる失敗も目を瞑っていた。生来細かい事を気にする質でもなければ短気でもなかったし、現に普通の人ならば疾うに堪忍袋の緒が切れるはないし、傷付けるのも承知で邪魔だと言ってしまっていただろう。麻子は我慢をした方である。我慢の限界を超えた原因は、これほどまでに己が苦労しているのに手伝いもせずに未だチャンバラ紛いな真似をしていた野郎の所為であろう。

「お願い麻子ちゃん俺を見捨てないでっ!俺もっと頑張るから!」
「その頑張りは痛いほど伝わってわかってますよ。あたしもお願いしますんでどうぞ食事の支度が出来るまで何もせずに待ってて下さい」

 倍以上も大きな身体を縮め、申し訳なさそうに縋る近藤を麻子は片手で制する。無表情で抑揚のない口振りは平素と変わらないが、今の近藤からすればまるで死刑宣告をされたかのような気分になってしまう。顔面蒼白でおろおろと弁明を続けようとする近藤と無感動に突っ立つ麻子を、この場にいる皆が色んな事を思いながら何の気なしに見遣る。だが、こんな遣り取りは無駄と言わんばかりに麻子は前触れなく話をぶった切り、素っ気ない前置きをして二の句を継ぐ。

「で、その男は誰なの?土方さんの生き別れた兄弟?」
「なんでお前らはこいつと俺を血縁関係にしたがるんだよ」

 沖田の隠し子発言よりかはまだ現実味を帯びているが、流石にそれもないだろう。土方は怒りよりも呆れが勝り、溜息を吐きつつも、漸く何度も脱線した話が本筋に戻ってきたと脱力する。誰も彼も個性が強すぎて、一人一人を相手にしていたら話が一向に進まない。土方としては一旦はこの場を無視して、己自身も落ち着いてから経緯を話そうとしたのだが、完全に足を止めてしまった今、生半可な理由で此処を通過する事は出来なさそうだった。さて、どうこの男を説明したものかと、土方は視線を横に滑らせ考える。男は次々と繰り広げられる展開にも引いても面喰らってもいないようで、むしろ会ったばかりの時よりかは表情がいくらか和らいだかのように見える。もしかしたら、この男もこの刺激的でいて温かみのある日常に身を置いていたのかと、土方は身なりからは予想もしていなかった事実に内心で驚く。だが、今は男について考えるよりもこの場を一旦乗り切る事が必要で、土方は未だ考えが纏まらないながらも口を開こうとする。しかし、その機会はまたしても男の存在に気付いた近藤が声を上げた為に奪われてしまった。

「そうか!!彼はトシの友達だな!!!」

 嬉しそうな顔で全くもって見当違いな発言をした近藤は、縋りついていた麻子から離れて道場の縁側まで駆けて来た。そして誰かが脱ぎっぱなしにしていた草履を足に引っ掛け、それは嬉々とした表情で土方と男の傍による。それを見た麻子は、同じく彼らを見る沖田に少し声量を落としてそうなのかと尋ねた。

「違いまさァ。土方さんは拾ったって言ってたし」

 沖田がちらりと目を遣れば、麻子は予想通りに怪訝そうな顔をする。そうして何かを言おうとしたが、思い直したかのように一旦口を噤み、男に視線を戻してすっと目を眇める。

「攘夷志士でしょう、あれ」
「だろうなァ」

 男の腰には、刀が差してあった。廃刀令のご時世、刀を差しているのは役人か攘夷志士だけだ。男の薄汚れた身なりからはどう見ても役人には見えないので、必然的に彼は攘夷志士であると判断するのが当然だろう。土方とて、そんな事は疾うにわかっている筈だ。
麻子は深く息を吐き、くるりと踵を返した。それと同時に沖田はずっと手にしていた木刀を肩に乗せ、縁側へと歩いて草履を引っかけて外へ出る。好奇心やらで沖田について行こうとする門下生を麻子は止め、炊事場へ行けと包丁を突き付けて急き立てる。情けない悲鳴を上げる野郎共の背を緩慢に追う麻子の隣りに、始めから平素の態度を保ち続けていた永倉がさりげなく寄った。

「沖田だけでいいのかよ」
「いいんじゃない」
「あの男、かなり強いよな」

 思慮深い永倉らしく万が一を考えたかと思えば、少し楽しそうに男の強さを密かに讃えるものだから、麻子も釣られて笑みを零し、そうだねと肯定した。麻子が先ほど投擲した包丁は土方も男も狙ってはおらず、掠める気すらなかった。ただの脅しに両者の間を裂く程度の狙いだった。故に、殺気どころか気付かせる気配も与えてはいなかったのだ。それなのに、男はそれに気付き、余裕を見せて更なる回避に動いて見せた。どれだけ気配に敏感で、身体能力がずば抜けているのか。その一つの動作だけで、麻子は勿論、沖田や永倉など実力のある者は男の底知れぬ力に気付く。もし男が己達に危害を加える者ならば、好戦的な沖田や原田辺りはすぐさま飛びかかっているだろう。しかし、男を拾ってきたのは土方だ。土方は仲間に少しでも危害を加えるような不穏分子を内に招き込んだりは絶対しない。近藤はお人好しで人を拾うが、土方はそのように感情で動いたりはしない。判断を誤るような人でもない。既にこの試衛館の皆が、当然の如く男の存在を許している。土方の判断に間違いはないと誰もが信頼しているのだ。あの男は危害を加えない。被害は被るかもしれないが、それも不可抗力で致し方ないと、まだ何も起こっていないのに皆が理解している。全く莫迦で単純な連中だと、毎度の事ながら麻子は思った。



「ちょっと待って。この土方さんと沖田の分から一つずつ減らしてこの皿に盛ってくれる?」  

 炊事場で忙しく指揮を執る麻子は、盛り付け担当の門下生に口を挟む。不思議そうな顔をしてどうしてだと問いたそうな彼に、麻子は時間がないからさっさとやってと水気の残る手を振る。そしてまな板の前へ戻り、大雑把ながらも手際よく野菜を切っていると、原田がなんだかんだ優しいよなとからかう意図はなく、けれど余計な言葉を放つ。案の定、間髪入れずに包丁が飛び、禿頭の数センチ横の壁に突き刺さる。幸か不幸か、それ以上凶刃は飛ばず、毒舌も吐かれなかったので、原田は冷や汗をかきながらお椀に味噌汁を入れる作業を再開させた。素直じゃねぇと小さな声で呟かれた言葉が聞こえた藤堂は微笑し、テーブルに箸を並べる為に大部屋へ上がる。ついでに縁側に出て向こう側の部屋を見れば、あの薄汚れた男が風呂に入ったようで小ざっぱりとしており、近藤と向かい合わせで何やら話し合っていた。男の顔はこの角度からではよく見えないが、近藤の笑顔から察するに良い雰囲気のようである。しかし、その傍らには未だ木刀を抱えて座る沖田が珍しく話に参加せず沈黙を守り続けている。柄にもなく甲斐甲斐しく男の世話焼いている土方は、率先して風呂の準備から着物を貸したりと色々動き回っていた。今は、いつもの仏頂面ながらも、男に熱い茶を飲めと勧めている。

「沖田も素直じゃないな」
「あ?」

 お盆に注いだ味噌汁を乗せ、テーブルに並べていた原田が顔を上げる。藤堂はくすくすと笑いながら、炊事場にいる麻子に聞かれぬよう配慮して口を開く。

「あの男を警戒しなきゃ、土方さんを信頼している事になるだろ」
「ん?そうなのか?」

 こてんと首を傾げた原田に、藤堂はテーブルに肘を乗せて頬杖をつく。

「お前、あの男が危ねぇ奴だと思ってる?」
「いや、思わねぇ」
「なんで?」
「土方さんが連れてきたから」

 原田は即答し、そしてしたり顔の藤堂を見て、あっと声を上げる。鈍い原田にもわかりやすいよう問いを重ねてやれば、なるほどなぁと大袈裟に頷く。その所為で、手元のお盆に乗せられた味噌汁が零れたが、最早原田の興味は別に逸らされてしまっている。見兼ねた藤堂はお盆を受け取り、箸と共に並べていく。縁側に胡坐を掻き、土方達の方を見ている原田は準備もそっちのけで、アイツ名前なんていうのかなぁと大口を開けながら笑っている。静かに背後に立った麻子の存在など、全く気付く様子もない。

「おいこらハゲ。その頭もっと剃ってやろうか」
「スイマセンやめて下さい。もう剃るとこないんでグロテスクな事になりますし、ていうかそもそも死んでしまいます」
「じゃあ作業続けろ。まだ人数分、味噌汁注いでないでしょうが」

 先ほどの倍、冷や汗を流す原田は背を向けたままに麻子と会話し、怒り心頭であろう表情を意識して見ずに炊事場へ逃げるように駆け込んだ。平素より口調が乱暴になっている麻子は相当儘ならない状況に苛立っているようで、もう昼飯というより夕飯の時間だと舌を打つ。だが、それでも任された事は放り出さずに炊事場へ向かおうとする真面目な姿に、藤堂は隠れて笑う。

「麻子」

 縁側を歩いて来た永倉が大部屋へ入り、麻子を見て声を掛けた。

「悪いけど、あいつの分も飯用意してくれない?」

 土方達のいる部屋に行っていた永倉は、どうやら男の事情を窺ってきたようだ。振り返った麻子に、申し訳なさそうに一人分を追加する。麻子は何も言わず、口を閉ざしたままで永倉は首を傾げるが、藤堂がやんわりと口を挟む。

「大丈夫。そう思ってもう用意してるから」

 な、と麻子に藤堂は同意を求めると、彼女は言葉なく頷いた。盛り付けていた門下生に言っていたのは、男の分を確保する為に土方と沖田の分を減らしていたのだろう。素直じゃない麻子の事だ。きっと料理を手伝わなかったからとでも言い訳する筈だ。

「そうだったのか。悪い、助かるわ」

 永倉は安心したように笑みを浮かべ、手伝いにと炊事場へ向かう。突っ立つ麻子と擦れ違おうとして、けれど視線を感じて目を遣った。

「お腹すいてるの?」

 誰がとは言わなかったが、十中八九あの男の事だろう。永倉は僅かに眉を下げ、返答する。

「すいてるだろうな。ここ最近碌な飯も食ってなかったみたいだから」

 何処か困ったような笑みを忍ばせる永倉は、既に男に気を許し始めているなと麻子は感じた。短い時間でよく警戒心の強い永倉をと驚いたのは藤堂も同じで、二人揃って無意味な瞬きを繰り返す。益々男に興味が湧いた藤堂に反し、麻子はすぐに平素の調子を取り戻しては身に着けていた割烹着を脱いだ。もう料理は出来上がっており、後は盛り付けだけなのを再度確認し、誰に言う訳でもなく帰ると言った。

「え?なんで?あの・・あれ、飯は?」

 麻子とて男が気になっている筈で、食事時でもその後でも話を聞くと思っていたのに、彼女はいらないと言い、割烹着を軽く畳んで定位置に置いた。そして玄関口へ足を向けつつ、炊事場に顔を出して素っ気なく最後の指示を出す。

「あたしの分はあの男に回しといて」

 炊事場の皆が、きょとんとした顔で固まる。その意味を理解した永倉と藤堂は去り行く背に声を掛けるが、麻子は一度も振り返らず行ってしまった。玄関の引き戸が開閉される音が、穿鑿を拒むようにぴしゃりと空間を断つ。あまりの颯爽として潔い決断には、本当に素直じゃないと永倉と藤堂は苦笑するしかなかった。



「・・なんで俺だけ揚げ豆腐多いの」
「お前は多いからいいだろうが、俺と総悟なんか少ないんだぞ」
「あのくそアマやってくれるじゃねぇか」

 遅い昼飯というよりかは早い夕飯で、皆が食卓についた。己の前に置かれた料理の品を見て、他と比べて多い揚げ豆腐に男は初めて自ら口を開いた。土方と沖田は当然の如く、文句を垂れる。近藤は藤堂から麻子が帰った事を聞き、謝り損ねたと沈んでいた。

「まぁ、気にするな。お前食ってねぇって言ってたから多いだけだよ」

 早速、傍らで沖田が他の者から横取りしているのを視界に収めつつ、永倉は己のは奪われぬよう気を張りながら男に声を掛けた。土方までも横取りに動けば、今日は一段と騒がしい食卓となる。ここで男の料理に手をつけない辺り、彼らなりに気を使っているのだろう。平素ならばそうぼけっとしていては横合いからは誰かの箸が伸びて掻っ攫わられる。現に、麻子に今から謝りに行こうかと悩んでいる近藤の揚げ豆腐は既に一つ足りない。

「騒がしくて悪いな。遠慮せず食べてくれ」

 手をつけない男に、永倉は騒がしい輩を押しのけて食べるよう促す。しかし、それでも男は箸すら持とうとしなかった。

「これ、あの子の分だったんじゃねぇのか」

 あの子と呼べる者は、男が見た中では麻子しかいない。永倉は察しの良い彼に曖昧に笑っただけで、事細かに話そうとはしなかった。聞きようによっては気を遣わせたと思わせるだろうし、恩着せがましくも思われそうだったからだ。これは彼女の優しさだとか、そんな陳腐な言葉で済ませるのも戸惑われた。麻子はただ男が腹を満たしてくれる事だけを望んでいるだけなのだから。

「気にしなくていいですぜ」

 横取りした揚げ豆腐を皿に山程積み上げた沖田が、お櫃から二杯目のご飯を盛りながら口を挟んだ。

「あいつが勝手にやった事ですからねィ。永倉の言う通り遠慮する必要はねぇ」

 言いながらさりげなく沖田は永倉の揚げ豆腐に箸を伸ばすものだから、永倉は油断も隙もないと魔の手から皿ごと遠ざける。しかし、そうしてやってきた皿を狙う原田が横取りし、永倉も結局は騒がしい食卓へ参加していく。もう充分におかずを手中に収めた沖田は我関せずと食を進める。絶対本人には言わないが、麻子は実に料理が上手い。所謂、慣れ親しんだようなお袋の味だ。年相応ではないと揶揄してもいいが、これに関しては莫迦にしているとは思われたくなかった。沖田は味噌汁を味わうように嚥下し、微動だにせず僅かに頭を垂れる男を見る。

「見た目は質素だけど、味は保証出来やす」
「俺が気にしてるのはそういう事じゃなくて、」
「あの女は下手な気遣いを掛けられるのを嫌うんでさァ」

 男の言を遮り、沖田は小さく肩を竦めた。男が気にしている事も、言いたい事もわかるが、それは不必要なもので早々に切って捨ててしまえばいいのだ。

「どうしても気になるってんなら明日にでも礼を言えばいい。ただし、おすすめはしやせんがね。あいつはンなもん望んでねぇから、可愛げのない言葉が返るに違いねぇ」

 男はじっと沖田を見る。もぐもぐと租借する横顔は何を思っている訳でもなさそうで、視線に気付いた沖田は目を合わせて、唇の端にそっと笑みを乗せた。

「食べて下せぇよ。それで体力が回復したら俺と一戦頼みまさァ」

 柔らかな笑みはきっとあの子を思っての事、そして次に浮かべた挑発的な笑みは己の利己的な理由の為だ。男は視線を逸らし、伸びきった銀髪に隠れて笑う。無意識に口元に浮かんだそれは、酷く久しいものだと男は思った。箸を手に取り、いただきますと呟く。口に入れた揚げ豆腐は何処か懐かしい味がして、なるほど彼の言う通りこれは美味しいと同意する。それからはがっつくように平らげていき、存分に腹を満たしていく。何度白米と味噌汁をお代りしたかもわからないが、横取り合戦に勝利した永倉が唖然とした様子で見るものだから相当の量を食べているのだろう。

「いいぞ銀時!!もっと食え!麻子ちゃんの作った飯は旨いだろう?あ、これは俺が手伝って・・・あれ?とろみが付いてる!やはりあれで合っていたんだなぁ」
「いや、麻子が手直ししたんですよ。あのゴリラやっぱり小麦粉入れてるじゃんってドスの利いた声で呟きながら片栗粉を水に溶かしてましたよ」

 藤堂はその時のまるで魔女が大きな鍋に毒薬を混ぜているかのような恐ろしげな麻子の姿を思い出し、一つ身震いをして真相を伝える。永倉に小突かれ、藤堂ははっとして余計な事を言ったかと気付くも、既に近藤は涙目で落ち込んでしまっていた。その横からは何食わぬ顔で斉藤が揚げ豆腐を掻っ攫う。しかしそれよりも、流石は近藤だと藤堂は感心する。さらりと自然に男の下の名を呼ぶのだから、その気軽さには懐が大きいと改めて認識させられる。

「あんた、銀時って言うのか」

 人見知りをせず、積極的に人と関わろうとする藤堂は茶碗片手に臆する事なく尋ねた。男――銀時は近藤の馴れ馴れしさに少し戸惑っていたようだが、藤堂に話しかけられて、あぁと頷く。

「坂田銀時だ」
「俺は藤堂平助って言うんだ。銀時って呼ぶからさ、俺の事も平助でいいぜ」

 一度気を許せば近藤並みの気軽さで接する藤堂に、銀時は圧倒されたように僅かばかり身を引く。そして矢継ぎ早に質問が浴びせられるものだから、思わず銀時は沖田に目を遣る。己より年下に助けを求めるのはどうかとも思ったが、まだよく知りもしない人にぺらぺらと素性を話すのは流石に憚られた。大した話でもないけれど、あまり進んで話す気になれなかった。しかし、沖田は何か問題でもあるのかというきょとんとした顔だったので、まだ少年の彼にそういった事情を把握するのは困難であったかと眉を寄せた。すると、理解ある言が間に入り、見れば永倉が微かに顔を歪めていた。

「平助、いくらお前が気を許したって相手も同じとは限らねぇよ。まだ会って間もねぇんだし当然の事だろ。今まで拾われたごろつきだった奴らとこいつは境遇が違うんだし、恩人だからって何もかもすぐには話せないと思うぜ」

 尤もな言葉に、藤堂は我に返ったように銀時に謝った。沖田はそれに気付けなかった悔しさに僅かに顔を顰め、無言で食事に戻る。

「そうだよな、無神経だったわ!悪いな、銀時」
「いや、別にそこまで謝んなくてもいいから。俺もまだ少し落ち着きてぇだけで明日にはちゃんと話すつもりだよ。まぁ、少し時間くれ」

 土下座する勢いで謝罪する藤堂に、銀時は慌てて顔を上げさせようとする。永倉はまた助け船を出してくれて、藤堂の肩を引くと、それは大袈裟だと茶化してくれた。

「悪気はないんだ」

 永倉は銀時の皿に詫びとは言わずに自身の揚げ豆腐を置き、藤堂を見て彼は仲間思いの奴なんだと笑う。その様子に、銀時は感心したように言った。

「あんたは歳の割によく気遣いが出来るやつなんだな」

 銀時は言いながら同じ歳であろう沖田を一瞥し、永倉に視線を戻したが、何故か彼は表情を失くして固まってしまった。銀時が怪訝そうにすると、不意に沖田と藤堂が肩を震わせた。どうしたのかと見遣れば、沖田は至極楽しそうに笑いを噛み締めており、反対に藤堂は青ざめた顔で行く末を案じるかのように慄いている。沖田は永倉の肩に手を置き、銀時に顔を向けて話掛ける。

「いやー、こいつは俺より年下の癖して妙に大人びてやがるんでさァ」
「へぇ、沖田君より年下なんだ」
「えぇ、一つだけですがね」

 そう言われても何ら疑問を抱かないほど、銀時の目に永倉は幼く見えていた。無理もないだろう。百人中百人が彼を少年と見るのだから。背丈に恵まれなかった体系と童顔は、永倉を成人過ぎの大人だと誰も見てはくれなかった。加えて、沖田は歳の割に口達者な所為か上の年齢に見られがちだ。一層、沖田の言葉には信憑性が増してしまう。

「・・ふざけるのも大概にしろよ」

 地を這うような永倉の低い声色に、皆の視線が集まる。まるで気に留めた様子もなく、火に油を注ごうとする沖田はこの幾度も繰り返されてきた展開を飽きもせずに存分に楽しもうとしている。

「誰がお前より年下だって?」

 ぎろりと永倉が沖田を睨みつけ言葉を発したのを見て、銀時以外の皆はあぁそういう事かと納得する。そして何事もなかったかのように一斉に視線を逸らし、再び各自で話し始めたりして騒がしくなる。

「もういっそ十四歳って事にしたらどうでィ」
「ふざけるな殺すぞ」
「こんなちんちくりんが二十歳なんて言う方が嘘に聞こえまさァ」
「殺す!!」

 容赦ない肘打ちが沖田の顔面に向かうが、ひょいっと避けられてしまった。だがそれで諦めてやる筈もなく、永倉は追撃の拳を繰り出す。するとまたしても身軽に避けた沖田は呑気にごちそうさまァと言って大部屋を出る。向かう先は道場で、追いついた永倉と木刀で遣り合うつもりなのだろう。嵐が去って息をついた藤堂は永倉が残した食事をちゃっかり頂戴し、状況についていけてない銀時を見遣る。

「え?俺と三つしか変わらないの?」
「次からはそういう話は振らない方が身の為だぜ。あとチビは禁句だから。身長を弄るのも命が欲しいならやめた方がいい。ていうかやめて下さいお願いします」

 永倉を烈火の如く怒らせる面倒な者など、沖田と麻子だけで充分である。今回は無事であったが、周りの者に飛び火して被害を被る事も少なくはないのだ。

「でもほんと騒がしくてわりィ。落ち着けやしないよな。なんだったらもう寝室に案内するけど」

 寝室といっても雑魚寝する部屋でいずれまたこの騒がしい連中が集まるのだが、いつの間にか始まっている酒盛りはすぐには終わらないだろし、何時間かはゆっくり出来ると藤堂は気遣う。だが、銀時はいいと断ってゆるりと首を振る。湯呑みを手に取り、その温かさを包んで彼は笑う。

「こういうのも久しぶりだから楽しいっつうか、これはこれで落ち着けるよ」

 一瞬、笑ったその顔に陰が落ちた気がした。しかしそれをよく見る間もなく、銀時は平素に戻ってしまう。茶を飲む姿をぼんやりと藤堂は見ていたが、早くも酔っぱらった原田に絡まれ、いつの間にか気にする事もなくなっていた。

 そして酒盛りは結局朝日が昇るまで続き、皆泥に沈むようにその場で眠りこけた。道場で白熱していた戦いを繰り広げていた沖田と永倉も、疲れ果てて気付けば眠ってしまっていた。散らかり放題の試衛館に麻子が昼過ぎにやってくるまで、誰もが死んだように眠り続けた。





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