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生きて、なんて







冥府の森。
深い深い森に足を踏み入れる。


「ティリア」
「ティリア」
「μ、φ」
「冥王様がさがしてたよ」
「さあ早く戻って」


森に一歩足を踏み入れたところで、後ろからμとφに呼び止められる。

ここは彼岸へ還ることのできない地。この森にある川の向こうは、彼岸。
ティリアは死者ではないが、冥府と呼ばれる地にいた。


「ティリア、はやく」
「ここから立ち去りましょう」
「…わかったわ。冥王様のところに戻りましょう」
「よかった、ティリアがみつかったと」
「ティリアをさがす他のものへ伝えなきゃ」


μとφにひっぱられ、せっかく来たのに…と嫌々ながらも引き戻した。
二人の力は見た目からは想像がつかないほど強く、握力どれくらいあるんだと思うほどだ。林檎は軽々と握りつぶせるらしい。
そんな二人に両腕を捕まれているのだから、抵抗すれば腕を折られても仕方がなくなる。…まあ自分たちの仕える冥王様のお気に入り――所謂恋人相手に腕を折るということはしないだろう。それに二人には気に入られていると思う。

「みんなに報告するのは後にしよう」
「隙を見てまた逃げ出されたら困る」
「冥王様に引き渡してからいこう、φ」
「その方が確実だものね、μ」


しかし二人はSっ気があるらしく、こうやって何かとひどいことを言う。今回は遠まわしに珍獣扱いされている気分だ。
うまく言葉にできないのか、照れ隠しや愛情の裏返しとして受け止めているのだが。

大人しく森の遠くまで連れられ、やがて真っ暗闇の広がる場所にやってきた。
冥府はもともと暗闇に包まれているのだが、先程の彼岸に近い場所よりも、冥府のさらに奥にあるこの場所は目が慣れても何もない暗闇の続く場所だった。
近くにいるμとφはわかる。けれど、何十メートル先のものは見えない。上の世界では普通に見える場所が、ここでは闇にしかみえないのだ。

するといきなり何かが視界に入ってきた。
大きい図体、それはまさしくこの冥府の―――死の象徴、タナトスであった。


「冥王様」
「ティリアを見つけました」
「μ、φ…ゴ苦労ダッタナ」
「いえ。それでは私たちは」
「他の者に報告を」


タナトスが現れたことにより、一端μとφの役目は終わった。今まで捕まれていた腕に、微かに感触が残る。しかし掴まれていた腕に二人の腕の温度は感じない。もちろん、ティリアの腕に体温も残りはしない。
二人が闇の中へ消えていくと、タナトスは今来たらしい道を戻っていく。と、ティリアは自然と後ろをついていく形になる。
背の高いタナトスの後ろにひょこひょこと暗闇に迷わないようについていく。

すっと目の前で大きい黒の衣装に包まれた身体がとまる。ぶつかってしまわないようにティリアも止まった。
すると、くるりとこちらを向いてきたタナトスに抱きつかれる。


「ドゥシテ一人デァノ森ニ行ッタ」
「彼岸というものが見えないかと…死者はあの川を渡って来るのでしょう?」
「確カニソゥダ。シカシ…」

のし掛かっていた身体が離れ、身体が軽くなる。
今度は見つめ合い、タナトスの長い手の指がティリアの唇をなぞる。
言葉などいらないように、瞳と瞳で会話をしたようだった。


「…マダ、貴女ニハ死ンデホシクナィ」
「あら、死の象徴、タナトスがそんなことを言っていいの?」
「生キタ美シィ貴女ヲ、マダ愛デテイタィ」


す、と唇から手を引くと、今度は脇に手を入れられる。
すると身体がふわっと宙に浮き、タナトスと同じ目線になる。
彼と同じ高さになると、彼は彼女を横にして抱き抱えた。

「生者ノ世界カラ、ァノ森ニ行ッテハナラナイゾ」
「なぜ?」
「番人ノ娘ニ取リ憑カレル。気ガツイタトキニハモゥ冥府ダ」
「私はもう冥府にいるわ」
「モゥ、上ノ世界ニハ戻レナクナル。ココカラァチラヲ眺メルノハイィ…マダ助ケニィケル。ダガ、ァチラカラデハ手ガ出セナィ」

それでもタナトスと、冥府で共に在り続けられるのだから良いとは思う。だが彼は、その過程が気にくわないようだ。
自ら彼女を迎えに逝き、自分のモノにしたいのだ。



「貴女ハ我ガ迎ェニ逝ク。ダカラ…」
「…わかったわ。ごめんなさい」


彼女は彼の首に抱きつく。その瞬間、彼の髪がふわりと揺れた。

「ごめんなさい。あなたに生きてほしいなんて言わせて…ごめんなさい」
「ワカッタノナラ良ィ…」
「大丈夫、あなたが迎えにくるまで生きるわ」
「アァ、イツカ迎ェニ逝コゥ」

彼は彼女をふわりと抱き返し、長い指で彼女の髪を撫でた。

ごめんなさい、と何度も心の中で謝る。
ただ、あの森に心引かれただけで、あなたのそばから離れて冥府を彷徨ったら、あなたがどんな顔をするのか見たくて。
ほんの少しの出来心であなたにそんな言葉を言わせて、


「ごめんなさい、大好きよ」





生きて、なんて

(あなたには不似合いな言葉)(あぁ、それでもあなたを待ち続ける)(争いの耐えぬ世界で)




―――――――
なんかブラックなままで終わらせようと思ったのですが、ぐぬ。

書き終わり 2009.05.06.
加筆修正 2011.09.08
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