「茂庭さんてどんな人?」


無法地帯みたいに騒がしい昼休憩の教室の隅で、やわらかい声が冬のつめたい空気のなかを泳ぐように俺の耳に届いた。
同じ深い緑をまとっていても男だらけの教室では目立ってしまう小柄な姿。顔を見つければ話をする程度、ひまがあればたまに連絡とる程度。わざわざ会いに行ったり来たりするようないやらしい仲じゃない別の科からやってきたこの来客は俺の前で立ち止まって、こたえを待つ。
短くされたスカートから脚は出すくせにあったかそうなマフラーをぐるぐる巻きにしている顔は期待の眼差しだけをおもてに出して俺に向けている。悪くない気まずさをごまかすようにカフェオレをずうっと吸い上げていると「ねえ二口」と名指しまでされて、ストローから口をはなす。
横向きに座っている俺の後ろの席に居る無口で無愛想な男は俺と同じように茂庭さんに近しいのに黙ったまんまで誰かの月バリを熱心に読んでいた。


「いきなり言われても答えよーねえんだけど」
「茂庭さんバレー部なんでしょ?じゃあ何組?」
「しー…あー、Aかも」
「好きなものは?」
「エロ動画はモザイクついてるのがいいんだって」
「……」
「ゴメン」


反射的に出た謝罪に納得したのか俺の顔をおさえつけていた岩みたいな男の手はひっこめられる。
茂庭さんに引いたのか俺に引いたのか、来た道を戻るように返されたつまさきを足で邪魔すれば華奢な身体は簡単に動きを止めた。
引かれたのは俺だったらしくゲスの極みを見るような目を向けられて、茶化さず真面目に話を聞いてやることにする。できるだけ。


「なんで茂庭さん知ってんの?」
「ひみつ」
「うわめんどくせぇ」
「もーいい」
「好きなんだ?」
「定期落としたんだけど、その茂庭さんて人が職員室に届けてくれたみたいでお礼言いたいだけ!二口が期待してるよーなこといっさいないよ」
「ほぇー」
「で、どんな人?」
「八木山動物園にいそう」
「まったくわかんない」
「んー、ごはんですよのCMに出てそうな人」
「ちゃんと答えてよーお願いだよー」
「落ちてる定期めざとく見つけてわざわざ職員室まで届けるよーな人だよ」


なー青根、と目線をやればじっと話を聞いていた仏頂面が静かにひとつうなずいた。
この誠実のかたまりみたいな男がうなずいたんだから俺は間違ったことは言っていない。
なのに理解できても納得はしてないように眉をひそめた女はパスケースを握りしめて、子供がぐずるように膝を曲げたりかかとを上げたりして落ち着きがない。
茂庭さん一人に興味をそそいでいるその身体はすぐそばでひらひらとスカートを揺らし、俺や周辺の男を注目させるには充分で、視線を散らせるように舌打ちすればまた横からごつい手に顔を押さえつけられた。


「三年の教室、ついてきて!」
「えーめんどくさいつってもお前は引っ張るもんなー」
「めんどくさいって言っても二口は来てくれるの知ってるからねー」
「青根は来る?待ってる?ん、わかった」


月バリを指さす青根の言葉のない返事を受け取って、腰をあげる。見上げていた顔は目線のずっと下になってつむじまで見える位置になった。
教室から出ても、細くてちいさいその姿は猛々しいこの場所から浮いている。おりる途中の階段で広がって座り込んでいた邪魔な三年も女の姿を見れば身を寄せるように避けて道をつくる。どう見たってただのよわよわしい女でも、そこそこの女らしささえあればこの学校ではそれだけで威力を放つ。
三年の廊下におり立てば周りなんか見えないではしゃいでいる馬鹿っぽいグループがいて、こんな猛獣だらけの場所にはやっぱり青根も連れてくるべきだったかと鉄壁の片割れを頭に浮かべた。こんな女、ちょっとぶつかられただけで遠くに吹っ飛んでいきそうだ。
端に寄ってろと追いやると、茶色がかって細くてやわらかそうな髪のふくらみが揺れる。なんとなく、後ろで結ばれたマフラーを軽くひっぱってみればカーディガンの袖を指先までのばした手にはらわれる。
冬の良さに笑ってしまっているであろう顔を前にむけてC組に乗り込むと、作業着が馴染みすぎている茂庭さんの顔がすぐに目に入る。


「A組じゃなかったの?」
「あーいまC組に居る気がする」
「なんで?」
「茂庭さんC組だから」
「なんでうそついたの」
「こんちはーっす。つぎも実技ですか、いまちょっといいスか、なんかこいつ茂庭さんに定期ひろってもらったとかでー」
「えっ茂庭さん!?」


この場所にそぐわない俺と見知らぬ女に目をぱちくりさせていた茂庭さんは、定期という言葉に「ああ!」と反応を見せる。心の準備ができていなかったらしい相手は俺の後ろに隠れたっきり、御礼の言葉を繰り返している。茂庭さんのとなりにいた笹谷さんがこの茶番みたいなやりとりに吹き出すように笑えばすこしは落ち着いたのか、ゆっくりと顔を出して、俺のブレザーをぎゅっとつかんでいた手ははなれていった。


「ほんとに、ありがとうございます!とても助かりました!」
「ちゃんと届いたみたいで良かったよ、気をつけてな」
「はいっ」


茂庭さんは誰にだってその温和をふりかざす。この学校内では背も高すぎず筋肉もありすぎない茂庭さんにすぐに緊張をほどいた単純なやつの横顔を眺めていると、笹谷さんが俺を見ながら嫌な笑みを浮かべる。


「二口は何その顔?」
「あんまりおもしろくて。こいつこんなキャラじゃないですからね、俺なんかすげー扱いひどいですからね」
「付き合ってんの?」
「いやぜんぜん」
「ふはっ、いやー若いっていいなー」


おもしろくないことを態度全面に出す俺を見て、たちの悪い先輩はまた吹き出す。俺だってこのつまらなさがどこからわいてくるのかなんて知らないし興味がないのに気付く人はこんなにもあっけなく気付く。
渦中の二人は仲むつまじく笑い合い、まるで接点もなかったくせにすっかりとできあがった先輩後輩の関係になっている。感謝をのべつづける素直な態度は俺より後輩らしいといえばらしい。
ふわふわとなめらかな線を引く髪にさわれもしない指先をのばして、予定調和のようにはたきおとされる。「これがこいつの本性です」と言ってやったところで予鈴が鳴って、先輩二人と俺たち二人は別れてそれぞれの授業場所に向かう。


「茂庭さん優しかったぁ」
「知ってる」
「お礼なにもいらないって」
「だろーな、むしろ物わたされても困りそう」
「うーん…」


それでも何か返したいのがお前だよなぁ、それも知ってる。
茂庭さんと話すときはさらけだされていた口元がまたマフラーで覆われる。防寒のことしか考えていないようにくしゃくしゃに巻かれたそこからくるりとはねた毛先があらわれた。
ゆっくりと下をむいていく目にさらさらとした前髪がかかって、陰を持った目元はその目をじっと見ている俺を知らない。
このまま授業なんか放り出してどこかに連れ出してしまいたくなる。窓から見える白っぽくなった山のもっとずっと向こうまで。
なんだかわからないけどもうたくさんだと思う。もういい。もうわかった。


「茂庭さんは三年C組で好きなものはバレーとかわいい俺たち後輩とごはんですよ」
「ごはんですよ…!?」
「どんな人かっつーとこれって特徴ない普通のまじめないい人だけどそんなんで片付けられないくらいソンケーできる人」
「二口が素直でこわいよ」
「で、俺は、不審者かよってくらいマフラーに顔埋めてる子がめちゃくちゃかわいいと思う」


たまった衝動を吐き出すようにまくしたてて、そらされた目をじっと覗けば言葉の意味を探すように揺れていた。弱る姿に俺だっていっぱいいっぱいなんだから、お前ももっと俺で困ればいい。
後ろからマフラーの結び目をぐっとひっぱれば逃げるように早足になっていた足元はよろけて立ち止まる。乱れた髪がまた俺のいろんなものを掻き立てる。


「…不審者じゃない」
「え?だれがお前のことって言った?」
「わーもう二口やだ!バカ!」
「まぁお前のことなんだけど」
「うそばっかり」
「なぁまた定期でも鍵でもなんでもいいから落としてよ、今度は俺がひろってあげる」
「落としません」


本鈴が鳴りはじめて、あわただしく走りだす周りと一緒に俺たちも走る。揺れる後ろ髪も、なびく灰色のスカートも、ほどけかけたマフラーも、カーディガンをめいっぱい伸ばした手も、ぜんぶ掴みたい。
教室に入る別れ際、手をのばすと届いたマフラーはあっけなくほどけて手元にたぐりよせられた。


「ちょっと!さむい!返して!」
「やーだ」
「あとで取りにいくから!」
「うん待ってる」


お前がのぞむ相手よりも俺だったら、お前にのぞむこと、くそほどあるんだよ。
言えないことばかり考えながら席に戻る途中、握りしめたマフラーを見た青根に両手で顔を挟まれた。


20150108~知らない指先


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -