予定のない帰り道、今日は彼氏とデートだといういつも帰路を共にする友達の嬉しそうな顔を思い浮かべながら、階段をおりていく。途中途中すれ違う友達グループや、私の脳天をおさえつけていく野球部なんかと別れの挨拶や小話をまじえながら、ひとりを味わっている。たくさんの人間がいっせいに集まった昇降口から外へ出ると、ながい一日からの解放感と、これから広がるひとりの時間に心がはずんだ。
まだ冬は来させないというような太陽の光を浴びる。それでも空は黄色っぽくて、風はすこし冷たくて、季節はたしかに進んでいた。あとすこしで校門から出られるというところ、そばの植え込みで、なにかが動く。白と黒と茶色、三色の毛を持つ三毛猫が、鋭い眼差しでちらりと私のほうを見た。おしゃべりをしながら歩いているひとたちはその可愛らしい生き物に気付いていないらしく、流れるようにみんな校門から出て行く。私だけがその猫を見ていて、私を見ている猫はふいと顔を前へ向けてまた歩きはじめた。それと同時に私の足も進路を変更する。ひとりでいる私に、予定のないひまな私に、ついていく以外の選択肢があるはずがない。
猫は植え込みからおりて、私の足元上とおなじコンクリートの道を闊歩していく。意外に早いその足に私も早歩きになって必死に後を追う。猫は私を誘うようにしっぽをゆらゆらさせながら、体育館の裏の薄暗い陰に入っていく。見失う、と急いで同じ陰に入ったそのとき鮮やかな真っ赤だけが色付いたような景色が目に飛び込んだ。


「あ?えっと…」
「……」


猫が、猫にごはんをあげているようだ。ネコと通称されるこの学校、猫みたいな人間、人間みたいな猫、そんな御伽噺みたいな存在がいてもおかしくはないような気もする。でも真っ赤なジャージは確かに見覚えのあるこの学校のもので、だから三毛猫にキャットフードをあげている彼は私とおなじただの人間で、この音駒の生徒だ。顔も見たことがある気がするから、きっと、二年生。


「飼い猫?じゃないよね…あ、二年生?ですか?」
「……」
「やっぱり!私も二年だよ。そっちいって猫見ていい?」


うなずくことだけで返事をされる。もしかして不審がられているのではと思うのは後のことで、ごはんにがっつく三毛猫の前にしゃがみこむ彼のとなりに腰をおろした。
「何組?」と問えばピースするように二本の指をたてて、二組だと教えてくれる。二組はおとなしめの子が多いから、居心地いいだろうねと言えばうなずいてくれた。私の五組は私みたいにうるさいのばっかりだよと言えば首を横にふる。悪くないんじゃない、と言われたと解釈しておく。なんとなく、そんな気がした。
「そのジャージ何部?」と問えば脚の部分を見せてくれて、そこそこ強いらしいバレー部だとわかる。言われてみればかなりの身長がありそうで向いているとおもうけど、こんな物静かなひとが、テレビでやってるみたいに強くボールを叩くところがまったく想像がつかない。リベロ?と、とりあえず知っていたポジションを挙げてみれば首を横にふられて、私はバレー部を相手に話せるほどの知識もなくて、彼も話さないので、バレーのはなしはやめにした。
「名前なんていうの?」と今更問えば近くに落ちていた小石をつまんで、がりがりと音をたてながら、福永、と書いた。
福永くん、と声にしてみると、うんと頷いて、持っていた小石をそっともとの場所に置いた。


「失礼かもだけど、福永くん…声、出せないひとなの?」
「出せる」
「わ!びっくりした!」
「……」
「私の友達にも無口な子いるよ、福永くんほどじゃないけど」
「……」
「でもちゃんと話は聞いてくれるし、返事してくれるし、そういうの当たり前にできるとこすきだなぁ」


こんどは縦にも横にも首をふらない。うんともすんとも言わない。ただじっと合わされている眼は私とのコミュニケーションを拒まない。缶を舐めまわすようにごはんに夢中の猫とおなじように、私と福永くんもお互いのすこしの動作も見逃さないようにしている。たったの十分も過ぎていないこの時間のなかで、私は福永くんをきらいなひとじゃないと判断して、きっと、好きな友達になれると予感した。福永くんも私のことを少なくともきらってはいないことは、話さないわりに明るく返される態度で伝わってくる。不思議なひとだ。
もう缶をなめても仕方がないことがわかったのか、満腹になったのか、三毛猫はその場でごろんとひっくり返った。右に左にからだを動かして、おとなしく横をむく。なんて自堕落な猫だと笑いながら、逃げも警戒もしないあごを指でなでてやる。福永くんは骨ばったおおきなバレー選手らしい手で、おなかのあたりをなでてあげていた。そのうちに猫はごろごろと喉をならせて、堪能しているように眼をほそめる。


「福永くんになついてるのかな」
「……」
「いいな、福永くんの手、気持ちよさそう」


福永くんは猫をなでていた右手をじっと見つめて、ごしごしとジャージで拭き、それから左手を、私の頭に、乗せた。何が起きているのか、おどろいてかたまっていると、手のひらぜんぶが頭をそっとなでる。こそばゆいけど、たしかに気持ちいい、うっとりする。ずっとこうされていたい。けどそれよりも、とても、恥ずかしい。


「あ、ありがとう!もういいよ!」
「……」
「あ、あの、明日もここ来ていい!?」


長い腕をおなかの前にしまいこんで、初めてすこしの間をおいて、首を横にふる。自分のなかに生まれた小さな欲を、福永くんにもっと近づきたいという気持ちを、悟られたようで黙るしかできなかった。どうしよう、あ、泣きそう、そんなことを思ったとき、陰りになっていない晴れ間のところでおおきな叫び声があがった。これもまた二年のテリトリーで見たことのあるモヒカン頭の彼は、私と福永くんを指さしたままかたまっている。


「じょじょ、女子ぃ!?と福永ァ!?」
「……」
「福永テメェ部活前にかわいい女子と!いちゃこらしやがって!部活前じゃなくても許さねーけど!断固許さねーけど!クロさんに告訴…それダメじゃねーかどうせうるせえって言われて練習増やされて終わりじゃねーか福永コノヤロー!!!」
「あ、福永くんもう部活かぁ、じゃあ私もそろそろ帰ろ」


うるさいけどちょうどいいタイミングで現れてくれた彼に感謝をする。頭をなでられたことと、ここへ来ることへの拒絶とで、ごちゃごちゃとしている頭のなかを片づけられないまま立ち上がる。まだ傷の浅いうちに顔もすぐに忘れたくて、背中をむけると、短く呼びとめる声がかすかに聞こえた気がした。気のせいだろうか。でも福永くんの声がした気がした。振り返ると、その瞳はたしかに私のほうに向けられている。


「…呼んだ?」
「明日は来ない」
「え!?……あ、福永くんが、ここに?」
「……」


また声を出さないで、首を縦に動かされた。じゃあ、いつ、と聞き返そうとしたところ、焼きそばパンを片手に持った彼が福永くんを呼ぶ。そうだ、いまは、福永くんは部活に行かないといけない。


「部活、見てもいい?あと、明日二組行ったら話せる?」


うん、うん、と律儀に二回ぶん返事をのこしながら、おなじ真っ赤なジャージに包まれた彼のところへ駆けていってしまった。私も福永くんがバレーをしているという想像のつかない光景をこの眼で見てみようと、足を踏み出した。
そのとき、背後でニャアと声がした。それはきっと、私が予感していた以上のことが起きてしまうことへの猫の笑い声だった。


20131025~ワーカホリックの招き猫

 

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