なんの抵抗もなくはっきりとひらいたふたつの瞼からのぞいた世界はまっくらだった。
わけのない焦燥から心臓がどくどくと轟いておもわず飛び起きると、めくれあがった薄い毛布から横たわっている背中があらわれる。となりでひとが寝ていたことを思い出してあわてて、そっと、毛布をかぶせなおす。いまの軋みで目がさめてしまわなかっただろうかとじっと見ていると、枕にあたまを挟んだ珍妙な寝姿は規則正しく呼吸をつづけているばかりだった。
何度か意識的にまばたきをしていると暗闇が薄くなって、部屋のなかは夜の色をしていく。
私はいままで眠っていて、なにかの拍子にこんな夜のまんなかで目がさめてしまった、のだと思う。眠っていたにしてはやけに働きのいい頭と落ち着きのない心臓が心地悪い。なんの夢も見ずに途切れてしまった眠りのつづきに戻ろうと目をとじようとしても、どこかの引力にひっぱられているように瞼がひらく。とても困った。
夜は、きらいなものが増える。
自分の鼓動、止めようのない耳鳴り、なにかがいそうな部屋の隅、救急車の音。昼間は好きなあの海だって夜になるととてもおそろしく姿を変えてしまう。
むかしともだちの母なんかは、テレビをつけていないと眠れないと言った。変わった大人だなぁと、子供だった自分はそう思った。いまは、夜とはそういうものなのだと思う。夜はただ夜というだけで、そのひとをそのひとでいられなくする。
となりに伏せているこの奇妙、奇天烈、摩訶不思議な姿もそれにあてはまるのかもしれない。浮かびあがる肩甲骨、ゆったりと上下する背中、枕をおさえてぴくりとも動かない手。隠された寝顔はうそみたいに可愛らしい顔をしているにちがいない。ぜんぶをさわりたい欲求をおさえて、癖になってはねているかたい髪の先だけにふれてみると、私の胸のざわめきはそうっとおとなしくなっていった。何度見ても不思議な寝姿、私は夜がいやになるぶんだけこの寝姿を、鉄朗を、好きになる。
鉄朗はまちがいなく格好よくてたくましい。男にそなわっているもともとの強さ以上のものがある。目標のためならなにも惜しまないのが彼の生きかたで、どれだけ疲れることだってその徹底をやめることのほうが彼にはしんどいことだった。頑固で繊細な、けっきょくは自分の歩みでいきたいだけのひとでもある。理想を叶えることに貪欲な彼は、きっと無理をしているわけでもなく、生まれながらにしてまわりを統率することや律することに向いている。
けれど私たちふたりでいるときは、理想と自然が一致する。この芯のあるおおきな身体はスイッチを切ったようにだらりともたれかかってきたり、座っている私のおなかにあたまをうずめるように寝転がってきたりする。そんなときの鉄朗は、ふだんのひとを寄せつけない威圧的な眼光も、それを隠す人当たりのいい笑顔も使わないで、ただやすらかにそこにいる。夜が近くなるぶんだけ鉄朗は眠りに近づいて、私で安堵してくれる。どれほどの深みにいるかのように見せる彼もひとの子なのだと夜が教えてくれる。だから私はどんなにいやな夜があっても、ひとを休ませるためにあるやさしい夜はきらいじゃなかった。

眉間のあたりがはりつめたように痛くなって、ついに瞼をとじる。頭がなにも考えなくなっていく。無が近づく。
ゆっくりとふかい呼吸をただつづけて、暗闇すらない、なにもない、眠りの世界へ、おちた。



°。°。



毛布につつまれているそのしたで、ひとの身体ぜんぶにつつまれていた。腕には心地いい重みが乗っていて、目のまえの胸元には体温以上の熱がこもっている。抱きしめられていることに気づく。鉄朗のすぐそばで呼吸をして、鉄朗の腕に抱きしめられて、身体のなかもそとも鉄朗でいっぱいになっていた。ひらいてもとじていく瞼をそのままにして、背中に指を埋めこんでしまいそうなくらいちからをこめてしがみつく。おはよう、とかけられた声はかすれていて、相手もまだ目がさめたばかりらしい。まだ浮遊感のなかにいるところ、あごを持ちあげようとするわずらわしい指がある。あ、と口をあけて歯でその指をとらえてしまう。筋肉なのか骨なのか、歯ごたえのいいそこをぐいと噛みしめると強いちからで口をこじあけられた。


「おい、指ちぎれる」
「もう、あさ?」
「朝」
「鉄朗…おきないの?」
「こんなしがみつかれてるのに勿体ねえ」
「…」
「こわい夢でも見たか」
「わかんない、途中で起きたかもしれない、でも鉄朗いたから」
「いたから?」
「…」
「安心した?」


ぎゅっとしがみついたまま、顔は鉄朗の胸におしつけて、小さくうなずく。顔を見ないでも気をよくしたらしいことがわかる相手は私の身体をあおむけにして、上から少年のような笑顔を見せる。あどけないその顔と、あたまをくしゃくしゃとなでるおおきな男のひとの手のアンバランスに胸がきゅっとした。夜とはまた違って、朝は朝でだめだ。身体のどこも働こうとしなくて、だらだらと漏れていく感情をおさえる栓を見つけられない。指を絡めて、あたまをすりよせる鉄朗も、まだいつもの締まりがない。首もとをちらつく黒髪に指先をとおす。向けられた瞳はきれいな朝のこがね色のようで、やっぱりしんしんとした黒色だ。


「鉄朗、鉄朗」
「ん?」
「…なんでもない」
「なんだそれ」
「魚…」
「焼くか」


黒い瞳と黒髪の、黒い服を着た身体はのっそりと起き上がる。絡められていた指をほどかれるところ、思わず指にちからをこめて縋ってしまった。振りむいた鉄朗は目尻をたれさげて、いやな笑いかたで私を眺める。


「たりねーの」
「ちがう」
「あっそ」
「すきなだけだよ」
「…お前な」


脈絡のない告白に驚いたのか、珍しくはっきりとひらかれた目が見える。してやったといい気分でいると、そんな浅はかが目に見えたのか、鉄朗は両手で私のあたまをめちゃくちゃに掻きなでた。逃げるように背をむけると髪をあげられて、襟刳りに手をいれられて、いやな予感がしたときにはもう遅い。何本もの歯が首のきわに食いこむ。動けば余計な傷をおうことは以前にこうされたときに学んで、ただじっとおとなしく堪えるしかない。増していく痛みと食いちぎられそうな緊張に息をあげると気が済んだのか、首から離れた鉄朗はうってかわったようなやさしい手つきで髪を撫でてくる。


「痛いっ」
「お前も噛んだろーが、指」
「噛んでない…あ、噛んだ…」
「目ぇ覚めたか?」
「ひどい」
「ひどくねえ、好きなだけだ」


意地のわるい笑いかたをして、至極まじめな声色でそんなことを言って、さっさと台所のほうへ行ってしまった。
私も私で、いやなものが増える夜は鉄朗をもっと好きになるし、そんな次の朝もそれはもう鉄朗のことが大好きでしかたがなくなるというそれだけのことを、身体中にしみわたらせていた。


20131017~黒の色

 

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