体育館の陰になっている静かな青暗い場所で、電灯を頼りに自分の文字の羅列をじっと見ている。
学園祭の出し物が演劇に決まり、おもしろいからという理由であれよあれよと決めていく男たちのパワーに負かされて、悲劇のヒーローはクラスで唯一の女子生徒の私、悲劇のヒロインはクラスで一番コワモテでがたいのいい青根くんがそれぞれ演じることにされた。それからもうずっと毎日この文字を眺めつづけていて台本は端からぼろけてきている。さっきまで一緒にこの台本読みの練習をしていた青根くんは部の出し物で仕事があるらしく、ここで待っているようにと犬にするようなジェスチャーをしてこの場をあとにしていった。
なんとなくだけどここに誰かが来るような、その誰かはもうずっと昔から決まっていたような。そんな予感と、来てほしいという願望が混ざる。

秋の風に吹かれて、そこかしこから聞こえるたくさんの鈴虫の声に耳を寄せる。
コンクリートを歩く足音が私のもとへ近付いてくる。
青根くん、にしては戻ってくるのが早すぎる。


「あなたに会えたから、…ってなんだこの寒い台詞」


もう死んだって悔いは無い、という続きの台詞を頭のなかで探し当てた。
おもっていた通り現れた二口は、青根くんが持っているはずの台本を目の高さまで持ち上げて近くのコンビニの袋を片手にさげている。その袋から大きめのパフェを取り出して、袋だけ私へ差しだしてきた。なにか差し入れでも買ってきてくれたのかなと受けとるとそれはなんの重みもないただの袋で、二口はこっちを見もしないで自分のおやつを開封している。
そうだ、そういう奴だよなぁ、このやろう。


「食いたい?」
「生クリーム」
「あーん」
「…冗談。ていうか青根くんの代理で来たんだよね?台本読むのになにおやつ食べてんの」
「これ読むとかむりむり笑うって」
「青根くんは笑わなかったよ」
「おー、あいつはいつも真剣な顔して台本見てる」
「青根くん、すき…」
「俺だってこの役与えられたらちゃんと読んだよ?絶対やりたくねーけど」
「ほんと二口私と役かわってくれないかな」
「イヤ。おまえこーゆー寒いの好きじゃん」


パフェを食べながら私の台本をのぞきこみ、ヒロインの台詞を読み上げてはそれを友人が放つことがおもしろいらしくけたけたと笑う。
一気にやる気がそがれてその場にすわりこむと二口も合わせるように隣にすわりこんだ。長袖のブラウスどうしが擦れあわないわずかな距離があまったるい空気をただよわせる。
いまみたいな些細なとき、思うことがある。
それは朝この男が青根くんと教室に入ってくる姿を見たときだとか、長ったらしい授業中のほんの一瞬、帰り道で高い空をみあげたとき、夜しんみりと眠りにつくとき、そんなときささやかに思う。

もしかして二口は、私のことが、好きなんじゃないだろうか。
私たちはぬるい何かにむりやりずっと浸っているんじゃないだろうか。

思い上がりと言われればそれまでで、ほんとうは私のほうがずっと二口を好きなだけだった。だけどどこか確信めいているのは、このめんどくさい面倒臭がりな男がたとえば友人の頼みとはいえ私に付き合いに来てる今みたいに、二口はどうしたって私と関わる道をわざわざ選んで通っている。


「俺がもっとごつかったら青根の役やれてたかな」
「顔かわいいからヒロインやっても大しておもしろくないよね」
「じゃあおまえがヒロインやったら大爆笑かぁ」
「そうだね、そうだよどーせ」
「よかったな、最初からウケ狙った男役で」
「ねえ、二口さっきは女役絶対やりたくねーって言ってなかった?」


意地悪くとなりを見るとパフェの苦いコーヒーゼリーだけをすくったスプーンが突っ込まれてむせかえりそうになる。冷たい異物が喉から器官をごろごろ通っていく。私の口に突っ込んだスプーンを平然と使ってパフェを食べ終えた二口はゴミを袋にいれて、ハァ〜と長いわざとらしい溜め息をはいた。私はまだ胸が苦しいふりをして黙っていることにする。実際すこし胸がつまったような心地にある。こんな暗さのなかで見る二口は珍しい光景で、なんというか、なんともいえないのだ。
二口を造形するものはいちいちきれいで、髪はまっすぐのさらさらで、ツヤが薄明かりを反射する。目はビー玉みたいにまんまるで、長いまつげに色のいい肌。私より一回りも二回りも逞しい頼もしい身体。
肌寒いこの外でブラウス越しに伝わる生々しい腕の体温。
私の手なんか簡単に包んでしまうこの大きな手。

少しずつ、なにかが繋がっていく。

なにかが変わることがこわいのか、その先のありあまる幸せにおびえているのか、いつも一定の距離をもっていた私たちの距離が無くなった。なにも考えられなくて、劇の役のととのった愛の言葉だけが頭のなかを無造作にまわっている。


「あなたに会えたから、もう死んだって悔いは無い」
「あ、そう」
「…台本を見てほしいんだけど」
「今それどころじゃない」
「それ私が言いたい」
「おおロミオ、まだ何もしてねーのに死なれると困るなあ」
「そんな台詞ないし、もう手ぇ繋がれちゃってるし、なんなの、なにこれ、顔熱いよー」
「俺もねえ心臓ばくばくしてる」
「うそだ」
「触ってみる?」
「……」
「どこ触ろうとしてんだよヘンタイ」


胸にいきかけていた手を拳にしてそのまま肩にぶつけた。その手をこれもまた簡単に包みこまれて捕まえられて、両手を繋がれた状態になる。振りほどきたい気持ちに反して私の手はまったく逃げようとしない。どちらが本心なのか私にもわからない。
沸騰してるんじゃないかというくらい手や顔が熱い。もうたえられないくらい心臓が暴れている。耳がこそばゆくて壁一枚の隔たりの向こうの騒ぎ声も、鈴虫の声も風の音も遠くなっていく。
あなたに会えたからもう死んだって悔いはない、そんな遥か昔に海のむこうにいたよく知らない偉人が考えた言葉を借りてもこの焦がれはあらわせられない。バカ、と毎日のように言っているつたない言葉だけが出てくる。私はバカみたいに二口が好きなのだ。二口の為ならなんだってできる、死ねる、何にでもなれる、マリア様にもなれる、そんな子供じみた思いつきしかできないほど極端に、私は二口のことが好きだった。ずっと。でも私は二口の何者でもなくて、良くて友達程度だろうと、きっとお互いにそんな抑えをきかせていた。心地いい距離の先がこわかった。近づきすぎれば壊れるんじゃないかという不安は気が合いすぎる私たちゆえの臆病だった。
別段悲しくもないのに涙があふれてきた私の目を二口のきれいなふたつの目が覗き込む。もう甘さなんて無いほど距離が近い。


「二口、いまなに考えてる?」
「俺が相手役だったらキスできたのにな〜とか考えてる」
「バカなの?」
「していい?」
「…あのね、顔近い、死にそう、して」
「じゃあ、大事にします」


普段の軽さはなんだっていうほど痛いくらい握る不器用な手がいとおしい。私もこの男を大事にしようと、触れあった指先を、もうすぐそこにある顔を、誰もいないこの冷たくて暗い場所を、ここにある熱を、一生忘れないように感覚をとぎ澄ませる。
ゆっくりと目を閉じて、唇を重ねあわせた。
生まれてはじめて幸せというものに触れられた気がして、あふれていたものがようやくこぼれおちた。


20130924~fantastic baby.

 

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