なんだか空のむこうが暗いなあ早く帰ろうかと言っているうちに、前が見えないくらいの大雨が叩きつけるように降ってきた。授業中に寝てしまった天罰か。写させてもらったノートと自分のノートを職員室に持っていって、すこし灸を据えられているあいだに雷まで鳴りだした。お空は私にお怒りらしい。傘立てを見ると、三百円で買った持ち手が赤い小学生の持ち物みたいだと言われた私のかわいい傘は盗まれていた。この世には神も仏もいないらしい。
昇降口で立ち尽くしていると体育館につづく渡り廊下のほうから図体のおおきい、天使の顔して毒を吐く男が涼しい顔をして歩いてきている。なんという日だろう。今日が私の命日かというくらいいろんなことが重なってやってきてくれた。


「よう、ぼっち」
「そっちこそ!」
「俺は部活軽めで身体休める日ー」
「私はノート写させてもらってたー」
「なんで帰ってねーのまさか雷こわいとか言いだす?」
「見ればわかるよね傘をとられたんですよ」
「あー小学生みたいなあれね」
「足ふんでいい?」
「おともだちは?」
「年上の彼氏が車で迎えにきて私はすぐやむとおもって乗るの遠慮した。そしたらもっと降ってきた」
「……」
「二口にも笑い堪える優しさあったんだね」
「うん俺すげー優しいから。なぁお前彼氏いない歴何年だっけ?」
「早く帰れば?二口は彼女いない歴何年?」
「あーそうそう、こないだかわいいセンパイに告られたなぁ」
「バレーボールぶつけていい?」
「顔はやめて」


見合って、傘立てにむかうであろう二口にじゃあねと手を振った。
立ち尽くしていたせいでだるくなった足を動かすためにとりあえず散歩をすることにした。こんな大雨でも夕立というやつならたぶんすぐに通り過ぎてくれるだろう。最悪のばあいは雷さえ止んだら走って帰ろう。それもきっといい青春の思い出になる、そう思うしかない。階段をのったりと上っていると後ろで私のもの以上に気だるい足音がしていた。


「…なんで二口がまだ居るの」
「ん〜、野暮用」
「まさか傘とられたの?」
「グミ食う?」
「女子か。干し梅がいい」
「ババァかよ」
「あ、いま二口と目線同じだ」


後ろ手にグミを受け取ろうとすると頭が同じ高さにあって、いつも見おろされたり見くだされている仕返しに二口の髪にそっと指先をふれる。あんまり大人しいのが不気味で頭を撫でるようにさらさらの髪をさわっていると手首をとられて投げ捨てられた。それでこそ二口。また階段を上っていき、受け取ったグミを口に放って、その強烈な味に目をぎゅっと瞑る。ああ二口っぽい味だなあと変なことを思う。すっぱくてしょっぱくて時折甘みがあって。手元に残る甘い感覚を握りしめる。後ろにずっと足音があるまま、特に話すわけでもなく最上階まで到達してしまった。


「二口クン?こんなとこに用あるの?」
「この踊場ってよく告白に使われるよなあ、一年ときここで告られた」
「私にそんな縁がないこと知ってて言ってるよね」
「えー?」


縁ほしいの?なんて言いながら思い出すように眺めている目に軽蔑の眼差しをむけて、また足を進める。告白をするのはまだしもされることもろくにない私はここがそんな破廉恥スポットだとは知りませんでした。一年女子が漏らす二口への感嘆を背に、いろんな教室の前を過ぎていって、行き止まりになる非常階段へ繋がるとびらまで来た。道を回ろうとしたとき低く轟いていた雷が今日いちばんの近づきを見せて、かかとがずるりと滑ってしまった。よりによってこのろくでなし男の前で。


「雷こわくなっちゃった?」
「すべっただけ」
「ぎゅってしてやろーか」
「さっき黄色い声あげてた一年に殺される」
「………どん!」
「わーっ!!…びっくりさせないで!」


近くで二口が雷のような声を出して、本当の雷だってすぐそこで光って鳴っていて、弱っていると壁に押しつけられるように二口の腕に捕らわれた。大きい身体のおかけで窓から入ってくる稲光の恐怖が見えないのはいいなんて思ったけれどこの状況はアレだ、ダメだ。腕の下をくぐろうとすると腕を曲げられてさらに身体がぐっと近づく。どんな顔してこんなことをしているんだろうと思いながらもすぐ近くにある頭上の顔を見る勇気は無かった。二口の視線はじりじりと感じる。いつ雷が落ちても不思議じゃない恐怖とまた別の畏怖と緊張に身動きをとれないでいると、どこかの運動部が号令をかけながら階段を上ってきていた。二口、と諫めるように名前を呼ぶとこの近さにありながら私のどこにも触れてなかった手が初めて私の髪に触れる。グラウンドを使えないせいで室内トレーニングになったであろうサッカー部に感謝しながら、二口の手首をとってさっきのお返しのように投げ捨てた。離れると外気の冷たさがわかって、あの距離でも人肌の熱はこもることを生まれて初めて知った。こんな男の暇つぶしに知らされてしまった。


「怒ってる」
「怒ってない、あんなことで、べつに」
「ふーんじゃあ恥ずかしくて顔赤いんだな」


ひとの気も知らず端正な顔をすこしも崩さないでからかってくる男にむなしくなって、とにかくこの場から離れることにした。恥ずかしかったに決まっているし、怒ってないというのは嘘だ。怒りたいし、それ以上に悲しくなった。まだかたちも成していなかった胸のぬくもりが熱になる。悲しいことは、あんな軽はずみで私の底でくすぶっていたこの感情を気付かされたこと。それをささやかに握り潰すような二口の軽薄。
後ろの足音はまだ雛みたいに私のあとをついてくる。走ったってきっと追いつかれるんだろう。そもそも二口は私を追っているのだろうか。試しに階段を駆けおりてみると少し距離をおけた。今度は本気で走ってみようと猛ダッシュして、一階までたどりつくと隣のクラスの担任と衝突してしまった。危ないから走るなと背中をはたかれて、おまけに後ろの二口を見習えとまで言われた。今日が災厄の日だったことを思い出した。
「たらたら歩いてもこれだから最近の若者は〜とか言われるしほんとなんつーか勝手っスよねー。まーこいつは虫でも見ちゃって走ったんじゃないスか?なあ」二口の言葉を聞き、それならゆっくり走りなさい、と訳の分からないことを言い残した教師の背中にむかって、このすっとこどっこいも私に合わせて駆けおりて来ましたが?と言いたいのを堪える。二口に視線をやると爽やかそのもののような笑顔を見せてきた。虫というか、もっとおぞましいものから逃げたくて走ったことを、あんたがその張本人だということを教えてやりたい。


「さっきのやっぱ怒ってんだろ」
「喜んでるように見えるの?」
「もっと必死に拒めよとは思った」
「ほんとにびっくりして動けなかったんだよ」
「へえ…雷おさまったし帰るかぁ」
「濡れて帰る気?」


扉の外の薄明かりへむかう途中に見返った顔がにこりとほほえみ、鞄から折りたたみ傘を出して、ほとんど聞こえないくらいの声でごめんなと謝った。二口の精一杯を受けとめるために、どれに対してのごめんなのかは追及しないのが正しいんだろうと思う。二口のことをわかろうと思ったことは一度も無いけど二口が望むことはなぜかいつもわかりやすかった。可愛げがないんだかあるんだか。隣を半分あけて立ち止まっている傘のなかに入り込むと傘を持つ手が私の高さに合わせて下げられる。そして狭い折りたたみ傘の外でまるで当たり前のように自分の肩を濡らす。いつも好き勝手してくる生意気な人間を嫌いになれないのはこういうところがあるからだ。気がとろけるような優しいことを、平然となんでもないようにやってのける。


「傘あるなら最初から言ってよ」
「職員室で借りるなりいろいろあったけどな」
「わ、そうだよなんでそれを先に言ってくれないのほんとこれだから二口はー」
「廊下であんなことされといて無防備なうえに鈍感ときたー、これだからおまえは」


立ち止まって雨のなか、冷たい水がローファーからつま先を濡らす。鈍感、の意味を考えながら合わせている目はいつもより濡れて見える。私たちのすべてが町ともども青色に溶けあう。


「あれ嫌だったんだよな」
「嫌とか嫌じゃないとかの話じゃなくて」
「まあ勝算ねえとあんなことできねーけど」
「何がいいたいの?」
「……」
「…二口」
「ごめん好き」


傘といっしょに屈む二口を拒む理由を見つけられないで、急ぐようにこめかみにキスをされた。頭が茹だって胸が詰まって言葉も出せないでいると、今まで一度たりとも見たことのないばつが悪そうな顔を見せられる。ずるいなぁとその顔に両手をのばすと哀願するようにほおずりをされる。やっぱりあのグミは二口の味なんだとバカみたいなことを思いながら、私も二口が大好きだということを教えてあげることにした。


20130826~青色の九月

 

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