あの日、ドーナツのおかげで忘れていた用事は、宮ともバレーともまったく関係がなかった。
あのままバレー部の練習を見ていると何かの間違いが起きる予感がして、最後まで見ることはしないでざわめきを抱えながら帰宅した。鞄からノートを取り出そうとしたときに、その日中に出すはずだった提出物が出てきて、ざわめきの正体はこれか!と確信した。
思い出せない気がしていた用事はこの提出物だったし、心臓が強く打たれたような気がしたのはただボールの音が強くて驚いただけだったし、あのとき焦るように早くなった心臓は無意識下にあったこの提出物のせいでしかなかった。
あのとき体育館でまっさきに宮の背中が目に入ったのはたまたまでしかないし、髪色が派手なせいでしかない。

朝の騒がしい校門から職員室まで急ぐ。土日を挟んだせいでもう手遅れかもしれないけど、この朝のうちに提出すれば、ギリギリで許してもらえないこともないかもしれない。一刻を争っているときに、朝練やトレーニングを終えたがたいのいい複数の運動部の人の波がくる。
急いでかいくぐる隙間を探していると、やっぱり派手な金髪が目について、背後から少し手で押しのけさせてもらう。

「おはよう、ちょっとどいて」
「アァ?」

ついでに挨拶をすると、とてつもなく嫌そうな顔と声を向けられて、私は目を丸く見ひらいた。
あ、イヤホンしてる、邪魔してしまったな、と思っても今は職員室まで急がないといけないから追い越して行くことにする。
付き合いというほどの付き合いがないけど、嫌悪感だけでできている宮の顔は初めて見た表情だった。
朝が弱いのか、聴いていたものの邪魔だったのか。わからないけど自分の世界を他人に邪魔されることがいやなんだろうと直感した。一瞬だけ、すこしだけ、自分と似たものを感じた。
廊下を走らないよう早歩きしていると、今は私みたいに職員室に用のある生徒しかいないはずなのに、後ろから人が追いかけてくる気配があった。こわ。あ、イヤホンはずしてる。

「ちょっと待ってや無視したわけちゃうねんイヤホンしてたねん!サムとモメてイラついとったし、知らんめんどい女かと思ったねん!」

じゃあ私は知らんめんどい女じゃなかったら何なんだろう。
バレーの練習中は楽しそうだったり、真剣そのものだったりで、あれが間違いなく宮の本性なんだろうと思っている。そこだけは人として好きになれそうになっている。
私の前にあるこれは、誰に見せるどういう顔なんだろう。

「顔こわすぎたけど気にしてないから。こっちこそなんか聴いてるの邪魔したよな」
「邪魔なわけあるか。どしたん?治と間違えた?」
「道狭かったからちょっとどいてほしかっただけ」
「はぁ!?そんだけ?」
「宮だけ知ってる人やったから」
「宮て!知ってる人て!」

なんか、がっかりされてるけどこの人とは友達ではない気がする。
もっと前から知り合ってる治とだって友達ではない気がするのに、いきなり宮が友達になるのは何か違う気がする。
治とは話したいというより、何か食べている幸せそうな顔をただ見たくて、食べ物をあげたくなる。治を見ているとおばあちゃんちのもう死んだ会えない犬を思い出して、たまらなくなる。
宮は友達ともそれとも違う。よくわからない。
それよりも、勢いのまま鞄を掴まれてるこの力強くて大きな手から逃れるにはどうすればいいのかを知りたい。

「職員室に用あるねん、はなして」
「まだもーちょい時間あるやん。こないだトイレに逃げられたのショックやったなー」
「わかった、ここで待ってて!すぐ戻るから!」
「え、ほんま?あ、机の見てくれた?」
「そうそうバレーの…だから職員室行くんやってば!あとで話す!」

おもしろがるように笑う宮をまた押しのけて、後ろ髪をひかれるような心地で職員室の扉をあける。教室と違って周りに人目がないからか、この廊下ではいつまででも宮と話していられそうな感じがした。
先生に提出物をわたして、謝り倒して減点を最小限まで抑えてもらって、少し話してから職員室を出ると、宮は本当にまだそこで待ってくれている。
待っててとは言ったけど、律儀に待つ理由も暇もないはずなのに。

「なんでほんまに待ってるん」
「鬼か。待て言うたのそっちやろ」

待てと言われたら待つ、そういう人には見えないけど、そういうものなのか、と思っておくことにする。
同じ青色のスリッパで、違う歩幅で、隣同士の教室まで歩き始める。

「バレー部の練習ちょっと見たねん。嫌なことあった日に見たからなんか感動した」
「イヤなこと?どしたん?」
「大丈夫、バレー部見たらどうでもよくなった」
「練習で感動って早ない?試合おいでや」
「うん、試合も観たなった。なぁにが宮ンズやとかちょっと思ってたけど」
「双子なだけやって俺もたまに思うわー」
「ありがとう、って今日どう言おうか考えてた。机に書き返したろかと思ってた」
「フツーに話しかけてくれたらええやん」

二年生の階にたどり着く前の階段の踊り場で、宮が立ち止まる。人目につかないようにする宮なりの配慮なのか、ここも人目はある気がするけど、たしかにもう階段を上がる人よりも、教室についている人のほうが多い時間だった。
私も一緒に立ち止まる。その行動で、私もまだ宮と話していたいんだと知る。

「なまえちゃんバレーすきなん?」
「屋外スポーツを観ながら飲む炭酸が一番すきー」
「甲子園のおっさん予備軍やん」
「あはは。見るよりやってみたくなったわバレー、サーブかっこよくて」
「誰の?」
「誰の…?知らん人の?」
「ほーん、やってみたらええやん」
「ボールっていくらするん?」
「体育館にあるやろ」
「バレー部の物やろ?あんな真剣にやってる人らの道具使うのは失礼や」
「学校の物やん。腕ほっそいし爪も変に伸ばしてないし、球傷まんやろ。昼休みやろーや」
「うーん、ジャンプサーブ打ってみたい欲はあるけど」
「俺のサーブがかっこよかったもんなぁ、打ってみたなるよなぁ!」

会話を打ち切って、階段を登ろうと一歩踏み出すと、また鞄を掴まれて踊り場にとどまった。
窓から差し込む光がスポットライトのように私たちの足場を照らす。宮の金髪が光のようにきらきらとする。イヤホンをしていたときの顔つきとは何もかもが違う。耳の奥が痛い。心臓がうるさい。ちょうど予鈴の音がして、心臓の音はこの焦りだ、と思うことにした。

「治に頼んでみよかな」
「サムは体育館が閉まってたらこじ開けるような男ちゃうで。それに昼休みは食うことに命かけとる」
「別にこじ開けんでいいんやけど!?」
「なんでや!バレーしようや!もうすぐ中間でボール触る時間減らされんねんボール触らせてくれや」
「なんでそっちが頼む感じになってんの!?昼休みに体育館行けばいい!?」
「よっしゃー!」
「人間にバレーをさせる妖怪みたいやな」

遅刻しないよう走っていく人たちにどんどん追いこされていく。もうすぐ本鈴が鳴るんだろうと思う。私は一組、宮は二組。お互いのクラスへ別れるために、終わらない話をしながら階段を一段ずつゆっくりと登っていく。

「昼どこで食ってるん?迎え行く。あ、昼も一緒に食ったらええやん」
「いやそれはやめて絶対むりほんまむり」
「ひどいって!」
「宮ンズファンに変な誤解されたないし」
「なまえちゃんの俺への愛はその程度なんか」
「何言うてんねんこの人やっぱり妖怪なんかな」
「傷つくわー!」
「愛っていうか友情ここにあったっけ?いつのまにこんなことなったんやろ」
「ええやんか。ほな昼休みな!体育館来てな!」
「行けたら行くわぁ」
「来んかったらどこにおっても見つけるしかっさらうで」
「やっぱり妖怪やん!」

本鈴が鳴ってる最中、いよいよ担任にも追い越されながら教室へと入っていく。鐘が鳴り終わっても提出物を出しても、心臓のリズムはまだすこしいつもとは違っていた。
バレーへの執着が普通におそろしくて、なぜか取り付けられた約束でバレーボールをさわれることが普通に楽しみで、そのせいに違いないんだと思っておくことにする。
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