学校のフェンスに掲げられた[祝全国大会出場 男子バレーボール部]という、ひときわ目立つ段幕を横目に登校する。
あらゆる部活動が何かの功績を残したときに見かけるその段幕は、心のなかを一瞬で通り過ぎていくものでしかなかった。すごいと思いながら、そのすごさを知ることなんてなかった。
目の前で見届けたバレー部ですら、きっと私には本当の意味でそのすごさがわかることはない。
「未来の日本代表やん」と言っていたあの子の顔は、おだてや冗談を言っているようには見えなかった。あの子が確信できている未来のことを、私は浅い理解で漠然としか思えなかった。
昨日、女バレと話す宮を初めて目の前で見た。
同じ野狐中のその子と話す宮は、治たちと話すときみたいに遠慮がなくて、態度のよくない人みたいに目と眉を寄せて、がなるように口をとがらせる。私は呼ばれたことのないお前という呼び方に、はたから見ていると距離の近さを感じた。
宮とあれだけ親しく話す女の子を初めて見た。なるほど仲がいい人に対して宮はこういう態度をとるのか、と思った。
なぜか会話に巻き込まれたけど、バレー用語の意味を思い出しているうちに二人の会話は進んでいく。トスを上げてほしいと言われた宮の顔は呆れるくらい嬉しそうで、そのバレー愛を思い知る。
地元が同じという理由よりも、バレーがあるから深いところで繋がれていることは明白だった。羨ましい、なんておこがましいことは思わないようにして、ただ眺めていた。

朝から自分のクラスでもないのに宮が一組に入ってくる。風邪をぶり返すんじゃないかと心配していたけど、昨日よりも元気そうな顔で安心した。

「なまえちゃんおはよぉ。校内新聞の俺特集見た?」
「おはよう、見た見た」
「なんて書いとった?」

宮はまだ人が来ていない前の席に手をかけて、私を詰めるように座る。
学校の掲示板自体ろくに見たことがない。今日も素通りしてきたから宮が特集されていることすら知らない。見ていないと言えば面倒なことになるかと思ったけど、そもそもがちょっと面倒な人だった。

「……宮侑、宮治に腕相撲で連敗記録更新中!」
「書いてへんわ!おいどっちやそれ教えたん、どっちもか!?」

話が聞こえていそうな距離にいる治と角名くんに向かってツッコミを入れる。宮の予想通り、その話をしてくれて、動画も見せてくれた二人は知らん顔している。

「ちゃんと見てへんやん、あとで見に行こや」
「昼休みか帰り見とくわー」

また内容をきいてくるかもしれないから、見出しか写真だけでも見ておくようにしよう。そのうち、いつか、剥がされてしまうまでにはちゃんと見よう。
そんな考えが伝わってるのか、宮はまったく信用してない笑顔で私の机に軽く肘をつく。長い腕が、私の顔に近いところまで手を持ってきて、厚みのある手のひらを差し出してくる。

「今日も飴ちょーだい、一個」
「また!なんでそんな嬉しそうなん」
「おいしいから」
「へえ、やっぱり一袋持ってったら?」
「それはええねん」

自分のポケットに入れていた飴を取り出して、二つくらいあげておこうかと手に乗せる。宮は「一個でいい、一個がいい」と手のひらをあけたまま譲ろうとしない。
よくわからないこだわりだな、と宮の手のひらに置いた飴をもう一度つまんで、自分のポケットに戻した。宮もまたポケットにしまっていて、グチャっとほかの個包装の上から押し込んだような音がした。飴を集める趣味でもあったのだろうか。

「んー?治にあげてるん?」
「あげるわけない」
「荷物多いから入らんのや?」
「そうそう」
「整理しーや。けほっ」
「咳!?俺の風邪うつった!?」
「乾燥っ、してる、だけ…けほっ」

自分の喉だから風邪の咳とは違うとわかる。大丈夫と言いたいのに、喉がかさかさとして空咳が止められない。
待っててや、と立ち上がってどこかへ走っていった宮は張り切っていて、自分の責任だと思ってるのか、珍しいできごとにちょっとはしゃいでるようにも見える。
何かを取りに行ってくれたんだろうと思うけど、飲み物を流し込むともう落ち着いた。走るように戻ってきた宮の手には、二日前に薬局で凝視した見覚えのある袋があった。

「本気ののど飴やん!ありがとう、もう止まったから大丈夫やで」
「じゃあ交換であげるわ。北さんがくれたやつやけど」
「わーい。これもいいよな、スーッてする」
「人柄でるんやなぁ」
「何が?」
「飴選び」
「キタさんスーッてしてるん?」
「この飴の三十倍くらい」
「やば。夏に会いたい」
「次の夏はもうおらん」

宮の指が私の手のひらにキタさんの飴を乗せる。好物でもなければ必要でもないけど、大切なものをわけてもらえた気がして、ひとつの飴を全身で受けとめるように握り込んだ。
人から何かをもらえるというだけでも嬉しい気がして、宮が飴をひとつずつ欲しがる理由がなんとなくわかった気がした。
厚意に甘えてさっそく口に放り込むと、さっきの空咳ですこし荒れていた喉が回復していく。
宮はまだ交換してくれるつもりなのか、もうひとつつまんで待っている。

「もういいよ。キタさんの飴やろ?大切にしいや」
「しとるよ」

本人の言う通り、いらないからくれるとか、粗末に扱ってるようにはとても見えない。引かない指先に負けて手のひらを差し出した。飴を乗せてきた宮の指が離れようとしない。宮の大切なものが私の手のひらの上にすべてある気がした。
私が手を動かすのを待ってくれているのかと思い、飴だけ受け取ろうとしてみたら、指まで握り込みそうになる。

「宮、指危ない」
「はいはい」
「他の人も飴くれてたんやな」
「なまえちゃんのもいるで。返さへんで。合宿にも持ってくねん」
「わかったわかった。ほかどんな飴もらったん?」
「二人からしかもろてない」
「じゃあ宮はどんな飴選ぶん?」
「買わへん」

飴選びに人柄が出るという話は、私とキタさんだけの話か。治も飴よりごはん類を買いそうで、宮兄弟は飴を買わない人柄に思える。
この丁寧な爽快感のある味がキタさんの人柄だとすると、私のはちみつしょうがは宮にとってどういう人柄だったんだろう。おばあちゃんとでも思われているのだろうか。でも、こういう味が好きと言っていたから、宮にも選ばせたら近いものを選ぶのかもしれない。
宮もキタさんの方の飴を開封して、口に放り込んだ。舌の上で転がしているのか、歯で挟んでいるのか、もごもごとしている。自分の口の中にある、頬袋にしまうように置いていた飴を舌ですくい上げると、薬みたいな味が広がった。

「おっはよー、なまえチャン!」
「おはよぉ」

今日も宮に用があるのか、女バレの子の元気をもらえる明るい声が、めずらしく私にも届けられる。知らない仲ではないけど、友達の友達くらいの距離感で、知らない仲に近い。
いつもハツラツとした子なのに今日はまぶたが重そうで、メイクで綺麗に見えるけど近くで見ると腫れたようにも見える。
やっぱり宮に話があったみたいで、耳打ちをする距離まで近付いて、私は二人の邪魔をしないように目をそむけておく。宮には誤解だと言われて、微妙に怒られた気もするけど、私が入っていい仲には見えない。

「うっさいねん!寄んな!乳当たっとんねん!いらんねんお前のは!」

乳て、という目で見てしまうと、何か言い訳のようなものをワアワア言っている。
追い払われた子は元気な笑い声をあげて、治と角名くんの肩を叩いて教室から出ていった。昨日とは違う明るい去り方にほっとする。
話を聞かないように神経をすり減らしたけど、早く、とか何とか聞こえてきてしまった気がする。

「昨日大丈夫やったん?あの子と喧嘩なってない?」
「フッた」
「ふ……!?聞いたらあかん話やん!」
「フッたっちゅーか、俺らそういうのとちゃうやろって話しただけ。せやから誤解せんとって」

腫れたように見えた目に納得した。今日もいつも通り明るい子だなと思わせる振る舞いは、気を使うなと宮に言いたかったんだろう。
やたらと宮との関係を探られた気がして、邪魔をしないよう気をつけようと決意したばかりだったけど、そんな気回しもいらなくなった。
二人が付き合うことは、一生ありえないと言っていた。バレー仲間のあの子とって意味なのか、バレーがあるから彼女がいらないって意味だったのか、私にわからない話を二人はしたんだろうか。
宮はこれからもずっとバレーを好きだと他人の私でも言い切れるくらい、そう見える。バレーという繋がりがある限り、あの子との関係も続いていくんだろうと思う。
目を腫らすくらいの思いをしたあの子を、私に持ち得ないものを持っているあの子を、まぶしく思ってしまった。
どうしたって羨ましい。

「なに、なまえちゃん」
「なんもない」
「あとで新聞見に行こな」
「諦めてなかったんや…」

一時間目が終わるころには気が変わっていて、宮が特集されてるという校内新聞を一人で見に行くことにした。
見ているところを誰かに見られたくなくて、散歩がてら一階の掲示板まで降りていく。見たことのない先輩や、関わったことのない先生とすれ違ったり、人の気配は多いのに一階にはほとんど誰もいなかったり、学校なのに新鮮で楽しい。
どこかで見た覚えはあるけど、一階の掲示板はどこだったろうかとふらふら歩いていると、昇降口に近いところに大きな掲示板があった。
宮は俺特集と言っていたけど、全国出場を決めたバレー部の特集で、宮が他の人よりも少し大きく載っているだけだった。校内新聞の横には雑誌のコピーか何かが貼られていて、誰が描いたのか、写真の周りにピンクのペンでハートマークとラブという文字が書かれている。見てはいけないものを見てしまった気持ちになって、目をそむけた。これを書いた、抑えきれない気持ちをあらわす見知らぬ誰かのことを、かわいいな、とも思う。
新聞は宮のプロフィールから始まった。
身長は数字だけで見るとこんなもんかと思った。身体が大きくて、圧が強いから数字以上に大きく見えるのかもしれない。背が高いというより、でかいということに気付いたけど、だからどうという話でもない。
体重は、太って見えないのに信じられない重さを書かれていて誤植を疑った。兄弟でブタと言い合っているのは、お互い見えないところがすごいのかと見たことのないおなかを想像してしまう。おなかが出ていてあんなに激しい運動ができるとも思えないから、やっぱり間違えられてると宮に報告した方がいいかもしれない。
軽いインタビューでは、指先の乾燥する季節が悩みだと書かれていた。他にないのか、またバレーのことか、と笑顔になってしまう。彼女は募集してませんという言葉にも、そうやろな、と頷いてしまう。
全部、知ったところで何にもならない。何が知りたくてこの文字を読み出したのかもわからない。そもそも私は宮のことを、知りたいと思っているのか。

「これなぁ月バリのコピーやで」
「なんでおるん!?どっから来たん!?」
「見えたから付いてきた。まったく気付いてくれへんから完全ストーカーやんと思ってついでに便所寄ってた」

月バリとは何かの雑誌なのか、そのコピーされた写真をなぞる。宮は誰かが描いたかわいいハートマークも目に入っているのに、慣れているのか無反応で、こっちが気まずい。もっと喜んだり、自慢したりするものと思っていた。困りもしないこのどうでもよさそうな反応が、すこしだけこわい。

「一緒に見よ言うたやんかー」
「言うたっけ?」
「言わんかった?じゃあ今言うた」
「今かい。なあ体重これ間違えられてない?」
「いや?男はそれくらいあるで。筋肉って重いねん」
「へー、こんな重たいのがとなり立ってるんや」
「だれが重い男や」
「言うてない言うてない」
「男の体重どれくらいと思ってたん?」
「宮なら六十?ないくらい?」
「なんも知らんねんなぁ男の…」
「男の?」
「……人体?」
「ジンタイ?切れたら痛いやつ?」

となりを見て、試合で遠くから観た腕や脚を思い出してみる。他人の身体をそこまで注目して見ないから、この制服の下がどうだったかわからない。目の前に写真があるじゃないかと見てみると、信じられないくらいの腕の太さに驚いた。この筋肉が、この制服の下にあるのかと、もう一度宮の方を向いてみる。
靭帯の話をしてから黙っていた宮は口元をおさえていて、どうしたのかと気になって見ていると、耳が赤くなっている。宮の耳はこんな赤い耳だったか、普段のことが思い出せなくて、そのまま横顔を観察していると、顔を隠しだした。

「どしたん?熱でてきた?」
「なんもない。大丈夫。殴ってほしいくらい元気」
「何を言うてるん?」

続きを読もうと校内新聞の方に目をやる。彼女は募集してません、知ってる知ってる、と心の中で二回目の返事をする。
差し入れはお断り中、と書かれている字がくっきりと浮かんで見えた。気付かれないように、目だけで宮の方を見る。私のあげた飴でふくらんだポケットが目に入る。何かがじわりと滲む感覚が、目と胸のあたりにある。
体育があるのか近くの靴箱が賑やかになってきた。用がある為にここにいるフリをしたくなって、掲示板の押しピンをぐっと押す。宮といるところを人にあまり見られたくないこのくだらない不安感を、宮は突っ込まずにいてくれる。

「これ見てたら、宮のことなんも知らん気してきた」
「教えたろか?」
「遠慮しとく。あ!でも」
「ん?」
「彼女いらんのは知ってる!」
「募集をしてないねん」

同じことやろ。それ以上は突き進めないように、どちらからともなく黙った。
外を見ると、冬の雲の隙間から、光の筋がさしている。あのやさしい光を見ると、どうしてだか私は宮を思い出す。
光も、光を覆う雲も含めて宮なのかもしれないと感じた。
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