頭が割れそうで、熱がまとわりついて身体中おもたくて、腕の中ではあの子がミャーミャー鳴くみたいに心配してくっついていた。
どれだけ強く抱きしめても少しも離れようとしないあの子に、このままがいい、離れんといて、と繰り返す。
こたえるように顔を近付けられて、唇を寄せられて、風邪がうつることをされそうになったところで、都合が良すぎてこれは夢やと理解した。
限界や、と苦しくなった。

痛いくらいの心臓の音で目をさますと部屋の中は暗かった。窓の外もまだ暗そうで、下のベッドからは治の寝息が聞こえてくる。
オカンが帰ってきて、メシと薬をぶち込まれたところまでは記憶がある。何時間ぶっ通しで寝たのか、風邪のなごりみたいな匂いが鼻から抜けていくけど、頭も身体も軽くなっていた。腹まで軽く減っている。
今から冷蔵庫をあさるか、シャワーをあびるか、今が何時なのかスマホを確認しようとしてみたら、記憶にないあの子との通話履歴が画面の中にあった。平熱に戻っていた顔にまた一気に熱が集まる。
まさか夢の中みたいに朦朧として、ヘンなことを口走ったんじゃないか。最近、朦朧とはしてない修学旅行でもどうかしていた。今思えばあの心細さみたいな寒さもたぶん、風邪の兆候だった。
ただでさえ思ったことが口からそのまま出やすい俺なのに、とろんとした声で小気味いい返事をくれるあの子と話していると、いつも心が丸ごと引きずり出されるみたいだった。
何を口走ったのかわからなくて、顔を合わせづらい。けど休むには体力が有り余ってるし、バレーがしたいし、顔が見たい。
時間もいい時間で、学校に行くために、シャワーをあびることにする。

あの子は顔を合わせても避けるどころか、いつも通りを通り越して、近寄ってきてくれた。
まさかの行動すぎて、記憶にない通話で何を言ったのか、ビンタでもされるのかと焦ったけど、それどころか心配されてやさしくしてもらえてる。
のど飴を買ってきてくれただけでも歴史に残るくらいなのに、合同体育の長距離走でも近くに来て「大丈夫なん?」と声をかけられた。体育になると髪をまとめてるところをいつか近くで見てみたいとずっと思ってたから、寒そうな小さい耳を見てるとまた熱が出るかと思った。
近寄られるたびに、まだ咳が残ってるから離れようとすると「残りうつしたらいいやん」と離れようとしない。それはアカンやろ、と夢で見たことを思い出して変に焦らされる。
こっちはその予想外の言動に熱が出そうなだけなのに、それを与えてくる張本人にずっと心配されている。
あんまりやさしすぎて、電話でうっかり告白でもして付き合えてしまったのかと思ったけど、覗き込むように近寄ると「近すぎや」と真顔でエア肩パンされたから、それは無いらしい。人の体調だけじゃなくて怪我にも神経質なところがあって、肩がどれだけ大事なものかわかっていそうで、やっぱりやさしいことに変わりはない。

「なまえちゃん、飴ちょーだい、一個」
「もう無いん?早すぎん?」
「なくなったらイヤやから」
「そんな気に入ったん?一袋持ってく?」
「それはええ」

不思議そうにしながら鞄から飴をひとつ出して、手のひらに置いてくれる。細いのにやわらかそうな指がすぐそこにある。飴もおいしいけど、絡みとれそうなくらい近くにあるこの指先を見るのが好きなだけ。近付きたいだけで、もらった飴は、まだ制服のポケットに入ってる。
飴ぽっちで喜ぶなんて、安い男になったなあとポケットに大事にしまいこんでいると、教室の入口から「アツムッ!」と大声で呼ばれる。女バレが飛び込むように教室に入ってきて、なまえちゃんの前の席にいる俺のところまで来る。
同じ中学で、部活も体育委員も同じで、となりの三組で、何かと縁があって会話の機会は多いけど、縁がある分だけ邪魔を嫌うこの性分も理解されているから、なまえちゃんと居るところに割り込まれるのは初めてのことだった。

「アツムぜんぜん二組おらんやん!お前は一組かっ」
「せやでー」

違うやろ、と全方位からツッコミが飛んできたけどなまえちゃんが一番早かった。運動音痴さんでもこういう反応は早いなと感心してしまう。関わりが深くなって、俺の言おうとすることがわかってきてるのかもしれない。

「もうカゼなおったん?てかユース選ばれたってほんまなん!?」
「俺を呼ばんで何がユースやねんて話やろ。ちょーどええわお前、この人に俺のすごさ言うたってや。まだセッターが一番かっこええって言うてくれへんねん」

この人、となまえちゃんを指さすと、蚊帳の外にいるつもりみたいに気の抜けていた背筋が伸びた。
俺の関係者のようなものが来て、自分には関係ないことのような顔をしてたのに、話は一応耳に入れていたらしい。会話に参加させられて、手が慌ただしくばたばたと動きだす。

「いらんで!聞いてもわからんし!」
「心が風邪をひきそうや!」
「アツムのすごいとこー?トスとサーブはもちろんやけど、トスワークに性格でてるよな!どんな球でもあげてるのほんまコワいし、あと地味にディグもブロックもうまいとこムカつく!」
「素直に褒めろや!」

女にしては背の高いところから遠慮なく放り投げられてくる言葉は、賞賛といえば賞賛だった。素直に褒められても気持ち悪い仲ではあるし、伝わってほしい人に伝わればいい。
どや、となまえちゃんに目線を送ってみると、まだ専門用語が難しいのか、考えるポーズみたいに口元に手をやっている。

「わかった?俺のすごさ」
「わからん。宮しか見たことないからわからんのかも」

どくん、と心臓が大きく動く。
こういうところ。俺しか見てないようなことを平然と言って、嘘でも言い訳すればいいのに、口をすべらせたように慌てはじめているところ。
叫びたくなる。この人の、こういうところが悪いんや、って。連れ出して、同じ教室にいる治たちから、一年から三年、監督まで、みんなに言って回りたくなる。
この人の、こういうところが。

「セッターって意味!セッターって意味やで!相手だれがセッターかわからんし!」
「てかさぁーアツム、修学旅行のときなまえチャンとおったん?オサムたちとおらんかったやん?」

余韻でこっちまであわあわしている暇もない。
わざとらしいこの言い方は、わかってて訊いてきてるような気がする。ちらりとなまえちゃんの方を見ると、隠してほしそうな反応をしてるから、にっこりと嘘らしい笑顔をつくってこっちもわざとらしく返事をしてやる。

「よその学校の女に絡まれとったで」
「ナンパしてたんか。なまえチャンは?」
「私!?ひとりでシーサー見てた…ら……弱ったシーサーがおった!」
「おい」

それ俺のことか?とツッコミを入れそうになる。
変に早口で、考えて喋ってるような間が不自然で、絶妙に隠しごとがうまくない。
本当のことしか言ってないのに、最終日にもなってひとりでシーサーを見てたって挙動も不審でしかなくて、笑いたくなる。
困ったようにまばたきする顔を、頬杖をつくようにして眺める。にやにや笑ってないで話を変えてほしいと言われてる気がするけど、いい反応をもうすこし楽しみたい。

「醤油とか見たかったって言うてなかった?」
「そう!スーパーみたいなとこチラッと寄ったな!」

べつに俺は隠す気はないけど、同意を求めるような言い回しに笑いそうになって、咳払いでごまかす。
一緒に歩いてるときにスーパーみたいなところを通りがかって、寄り道をした。
手を繋げないから迷子になりそうな背中を追わされて、「ご当地調味料が見たい!」とか、また治と気の合いそうなことを言いながらキラキラとさせている目を見ていた。一緒に魚の切身なんかも見ながら「なまえちゃんの作るごはん食べてみたいなー」と調子に乗ってみたら、普通に無視された。
思い出すと、やっぱり一緒に居たことを言ってやろうかと意地悪をしたくなってくる。

「へー!最近仲よさそうやから二人でおったんかと思った!」

ああコイツ、やっぱり知ってる上で訊いてくれとるな。なまえちゃんはまだ隠してほしそうに首をぎこちなく動かすから、話をそらしてやるけど。ついでに意地悪もしてやりたい。

「仲よさそうか?俺けっこう無視されてんで」

無視という言葉でぎっくりと顔がこわばる。せやろ、身に覚えあるやろ、と言いたい。
固まったように、めずらしくじっと見つめてくるまんまるい目を見ていると、潮風みたいな匂いがした。思い切った発言が口から出てしまったのに、答えてくれなかった海でのことも思い出した。あれも遠い昔か風邪で見た夢だったような気になっていた。
あのときの言葉は本心ではあるけど、どんな答えが欲しかったのか、欲しい答えがあったのか、自分でもわからない。踏み込まないようにしたのはなまえちゃんのためだけじゃなくて、俺のためでもある。
なまえちゃんの椅子が音をたてて、逃げられる予感がして囲うようにとっさに足を投げ出した。俺も、この子の行動がわかるようになってきたのか、対応が早い。

「どこ行くん」
「散歩…?」
「病み上がりの俺を置いてくん?ケホケホ」
「話の邪魔やろー」
「邪魔ちゃうやん、当事者やん。ケホケホ」
「わざとらしい咳やな」
「アツム、フラれてん?元気だしや!もう彼女いらんってずっと言うてたやん!」
「やっかましいねん人のこと言うてんと自分が早よ男つくれや!クラス戻れや」
「アタシらにはバレーがあるやん!なぁ今日部活前にトスあげてやぁ、ユースのセッターの打ちたい!未来の日本代表やん!」
「しゃーないなあ」

肩を揺さぶられてうっとうしいし面倒臭いけど、持ち上げられて悪い気はしない。
未来の日本代表やって、聞きました?となまえちゃんの方を見ると、また難しいことを考えるときみたいに手で口元を掴んでいる。掴みすぎて、ぶさいくになってると言いたいけど、崩れた顔もめずらしくてかわいい。

「むずかしい顔してどないしたん?」
「二人が付き合ってたん?」
「ちゃうちゃう、一生ありえへん」

そーなんや、とそれ以上は興味なさそうに目をそらされる。変な誤解をされないように、なれなれしい肩の手を払いのけると、その手の持ち主は走るように教室から出ていった。
俺以上のやかましさが途端に消えて、いつも通りのはずが、気まずさのようなものがただよう空気になる。

「いらんこと言うた!?」
「俺がやろ」
「でもめっちゃ邪魔した」
「なんの?なんか誤解してへん?」
「誤解…?」
「ヤキモチ?」
「ちゃうわ!!!」
「こっちもそーゆーのとちゃうねん」

ただ同じ地元で、同じ高校に進んで、同じバレーに熱中してるだけ。あっちはユースに選ばれたりではないけど、真剣に練習して、勝つためにバレーをしている根性の入ったバレー選手。トスを上げてやれば嬉しそうに打つスパイカー。合同練習があったときには、骨のある相手。俺にとってはそれだけでしかない。
でも、なまえちゃんの目から見ても何かを感じ取れるくらいなのかと、薄々と避けていた考えに諦めがついた。
俺がどれだけなんでもないと思っていても、相手の方は、俺とは違う考えなのかもしれない。



ほい、とトスを上げてやると苦々しい顔でスパイクを打つ。上げるたびに、眉間のシワは深くなって、スパイクの音は床を割りそうなくらい強くなる。
それが未来の日本代表にトスをもらった顔か?と言いたい。

「修学旅行、なまえチャンと二人で歩いとったらしいやん」
「あっ、見られとったーん?誰に誰に?」
「隠すってことは付き合ってるん?どっち?」
「付き合ってへんわ。いろいろあって一緒におっただけやし、なまえちゃんが言われたくなさそうやから言わんかっただけや。隠してる方がやらしない?ほんまおもろい」
「顔キショ」
「アァなんやて!?」

きしょいと言われても、隠しごとが下手なかわいい姿を思い出すと口もとがゆるむ。しかもバレてるから、ただなまえちゃんが焦ってかわいいだけの意味のない時間だったことがおもしろい。

「彼女いらんって言うてたやん」
「今もいらんねんけど」
「誰がどう見てもなまえチャンのこと好きやん。あんなん元カノが見たら泣くで。可哀想や」
「誰に肩入れしてんねん。その態度やめろや、なまえちゃんがいらん気ィつかうやろ。言いたいことあんなら早よ言えや、スッキリせえ」

目が合って、上げたトスが顔面に返ってくるかと思った。早く言われてスッキリしたいのはこっちの方やから、失言した自覚がある。

「何を言うん。そういう目で見られてないってわかりきってんねん」
「お前な、バレー選手として俺が好きなんやで。ファンやねん」
「なんやねんその決めつけと自信っ!半分くらいはそーやけどっ!」
「全部であれやー」
「あ、嫉妬してなまえチャンに嫌がらせとかせーへんからな?」
「わかっとるわ」
「…なんか、誰と付き合ってもアツムはバレーしか見てないと思っとったから、大丈夫やったのに」
「今よそ見しとるように見える?」
「見えへん、最悪」

よそ見をした覚えはないし、したくないし、あの子も、俺がバレーを見てるから近寄ることを許してくれてるところがある。バレーにしか興味のない別の星の生き物として見られてるおかげで、交流できてる気がする。
そういうところが心地よくて、たまに堪えがたいくらい苦しい。

「でも明らかに本気で好きやん。なんで付き合わんの?やっぱ引退してから言うん?」
「俺バレーは死ぬまでやると思うんやけど。引退っていつになるん?」

一瞬、空気が固まる。時間が止まったような、凝縮された終わりまでの時間が流れていったような、そういう視覚でとらえられないものが、二人の間にあった。
部活の意味での引退とわかってるけど、小学生のときに始めたバレーは今まで地続きにあって、俺はこれを、生涯のものと思ってる。
身体的な意味での引退がくることもわかってる。どっちにしろ一度死ぬそのとき、それまでを、俺はどうしたいのか。
一人で考えてどうこうなることでもないし、それを考える時間もバレーに費やしてる最中にいる。

「じゃあ何も言わん気?はよフラれてや。部活のみんなとかクラスのサッカー部とか、みんなにアタシが訊かれるねん」
「それはつらい立場やなぁ」
「ビンタしていい?ちょっとでいいからほんま」
「顔はやめて、ファンやろ?」

ファンちゃうわ!と振りかざされた手のひらを避けた。じゃあその手を繋いでやれば嬉しいのか、握りしめてやれば幸せなのかと訊いてみたい。俺が言うことではないけど、たぶん、間にバレーボールがある限り、そういうのではないと思う。
手のひらに飴を置く指先が脳裏に焼き付けられている。
その指先から知りたいとか、手の内にしたいとか、その手の中におさめられたいとか、そういうものを、俺は知っている。

「フラれろって言うけどやぁ、今日のなまえちゃんヤキモチやいとったと思わへん?俺にトス上げてほしいんかな?シーサー越えてから来いってサッカー部くんに言うといて」
「何の話やねん!潔ぎよくフラれてこい!男やろ!」
「お前は?俺に言うとかんでええん?」
「ファンちゃうし、付き合いたいとかも違うけど、フツーに好きや!アホ!」
「そらどーもフツーにありがとぉ」

近い距離から頭をめがけてボールを投げられて、ポコン。とまぬけな音がした。それは、オチがついた音じゃなく、バレー仲間としての始まりの音に聞こえた。
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