誰が誰を好きだとか、誰かと誰かが付き合ったとか、私服姿の誰か、おもに角名くんがかっこよかったとか。そういう話がよく耳に入ってくるようになった。
友達によると、修学旅行というものは、進路で忙しくなる三年生になる前の一大にして最大の青春イベントだったらしい。文化祭も体育祭も終わって、クリスマスまでに気になる人と距離をつめるにはここしかないという、千載一遇の機会だったらしい。
みんな楽しそうで何よりやなぁと、他人ごととしてそんな浮ついた話を聞き流していた。視界の隅に入るやわらかく笑う男女たちを、景色の一部として、ただ見ていた。
まるく満たされているような人たちもいれば、削れてくたびれたような人たちもいた。
喧嘩して修復不可能になったとか、相手にほかに好きな人ができたとか、部活に集中したくなったとか。なんておそろしい話だろうと思いながら、なんとはなしに、自分ごとのように聞いていた。
どうして付き合ったのに別れてしまうのか、どうして別れてしまうのに付き合うのか、わからなかった。
でも、感情というものははじめから、そういうもののようにも思えた。風でかたちを変えていく雲みたいに、波でさらさらと流れていく砂みたいに、自分の意志ではどうにもできないもの。
すくなくとも私の感情は、そうだった。
こういうとき、やるせがなくて、心がなくなりそうなとき。
私はどうしても、宮の顔が見たくなる。

修学旅行の最終日、初めて宮の肌にふれた。
同学年たちが青春らしいことをしている枠の外で、最後の数時間だけずっと一緒にいた宮と私のあいだには、それ以上のことは何も起きなかった。
おとなしくしている宮の頭をなでて、ひんやりとした顔に手をそえて、私にとって宮は特別な存在だと思い知らされたけど、それだけだった。
宮侑という人は、誰にとっても特別な人に思えた。
冷たい海をあたたかくするきらめき、かげりの向こうからさす明るくてやわらかい筋、夜を暗いだけのものにしない月や星。
そういうきらきらとして、やさしいものが、宮だった。
それは、そばにいてくれているようでも、手にするものじゃない。
私が宮を好きだとしても、宮に好かれたいとか、付き合いたいという気持ちまではわからなかった。
眩しいこの人の前で、不自由で息苦しいことは、このまま無縁でありたいと願っていた。

昨日、学校で顔をあわせても、宮と私の距離感は修学旅行前と変わらなかった。
あの日は二人とも旅疲れでどうかしていたんだと思えた。あの日の二人をあの日だけに置いていってしまいたいのに、私の右手はまだ宮の手触りを忘れられない。
宮の顔を見ると、ほかの誰かにも触らせることを想像しては、息ができなくなってしまう。そうして苦しくなると、また宮の顔が見たくなる。
早く何もかも忘れさせてほしいと思う。
宮は、彼氏がいらなくて好きな人もできなかった私のことを、おかしくないと言ってくれたことがある。同じだから、わかってくれたんだろうと思う。
何よりもバレーを一番に思う宮にいつもほっとする。
付き合いが深い友人にしか教えたくなかった連絡先を教えてしまったけど、バレーに夢中で忙しい宮から電話がくるわけもない。
このまま私のことは構わないでほしい。
今のままの関係でいたい。
いつか環境が離れて、自然と縁が切れて、何も思わなくなるときを、ただ待ちたい。
いつかテレビの向こうの宮のバレーを見たときに、きらきらとした特別な人だったなぁと思いたい。
それだけを、許されたい。


今日は宮の顔を見ていない。
聞こえてきた治と角名くんの会話から、風邪で休んでいるらしいことを察した。
どうしてか、関心をむけていることを知られたくなくて、二人には何も訊けなかった。人に隠すような湿っぽい感情なんて、持っていないはずなのに。
休み時間ごとに一組に遊びにくる銀島くんと毎回目が合ってしまって、気をまわさせてしまったのか、宮が朝練前に風邪で帰っていたことを教えてくれた。
いつも宮が現れるドアのほうばかり気にしていたことを自覚して、今日は宮がいないということをようやく頭で理解した。
兵庫代表決定戦、修学旅行、昨日久しぶりにまともにできた練習、来週にはユースの合宿。
立て続けで、盛りだくさんで、はしゃぎすぎて熱が出ることになんの疑問もわかない。
修学旅行中、弱って見えていた宮は本当に弱っていた。
捜されて、連れまわして、一緒に風をあびていた罪悪感で心が痛む。
あさってか、しあさってくらいには会えるかなあと、いつもより静かで落ち着かない教室で昼休みを過ごす。
好きな人に連絡する理由がほしいとか、彼氏が寝落ち通話したがるだとか、私には縁のない浮いた話を今日も聞きながら、理由もなくスマホを見る。
私の電話帳に入っている限られた人たちは、だいたい学校に行っているはずの午前中に、着信履歴がめずらしく三件もあった。全部、宮だった。
音もバイブも切っていたせいで気付けなくて、あわてて席を立つ。何が後ろめたいのか、友達には適当な理由をつけて教室を出た。
だれにも聞かれないように廊下の隅まで移動して、何も考えずに電話をかけている。
治に用があったならもう済んだかもしれない。熱で寝込んでいる真っ最中かもしれない。
いろいろな考えが浮かんできて、コールが始まってすぐにやっぱり切ろうとすると、聞きなれないよわよわしい声がした。
なつかしさに似たような寂しさのある呼ばれ方が、耳に届く。

『なまえちゃん?』
「宮、ごめん電話気付かんかった。起こした?大丈夫?」
『大丈夫。起きてた。ひまや』
「寝えや。めっちゃ鼻声やな」
『なまえちゃんやぁ、やっと電話できたぁ』
「電話で鼻声で知らん人みたいやなぁ」
『俺やで俺、おれー』
「詐欺なら切るわー」
『侑やて!いたわってや!ゲホッ』
「大丈夫?宮も風邪ひくんやな」
『アホはカゼひかんってもう百回きいた』
「ふふ。電話なんやったん?」
『緊急時やん』

連絡先を教えるときに言ったことを思い出す。
宮は私が適当に言ったことをよく覚えていて、よく守る。

『俺おらんくて大丈夫?一人で泣いてへん?』
「私のこと友達おらん人と思ってる?べつにいいけど」
『でも俺がおらんやろ?』

たしかに、どうでもいい話を聞くなら、宮のどうでもいい話がいい。宮のどうでもよくないバレーの話も聞いていたい。これ以上のことは、何も思いたくない。

『明日は行ったるでー』
「そんな早くなおる?無理しなや」
『北さんの梅干し食うたらなおったし。ゲホッ』
「咳してるやん」
『たまに北さんみたいに正論で殴ってくるよな』
「キタさんて誰なんさっきから」
『あ?北さん知らんの?ふふん。誰やと思うんー?』
「梅干し屋さん?誰でもいいわ」
『うちのおっかないキャプテンやで。よお覚えときや。女の子やと思ったん?』
「元気そうやから切りまーす」
『元気ちゃう、元気にして、ゲホゲホ』
「もう授業やわ。ちゃんと寝えや。バレーボールが待ってるで。おだいじにー!」
『うぇー』

返事なのか、なんなのかわからないうめき声を最後に電話を切った。
ぐったりと横たわって、いやそうな顔で舌を出しているんだろうなと目に浮かぶ。
きっと切れた電話に向かってなんやねんとかぶうぶう文句をたれて、咳をしている。
それから、体育倉庫でひっそりと宮を待っているボールのことを考えて、早く風邪をなおすために、目を閉じている。
見えているみたいに、想像できてしまう。
私がキタさんという人に何を思ったのか、自分でもわからないことを、電話の向こうの宮には知られているみたいだった。
あの日ふれてしまったせいで、私たちは相手のことがわかるようになってしまったのかもしれない。そんなことを本気で思った。

放課後、ちょっと大きい薬局まで寄り道をした。
毎日のように顔を見て話していた人が風邪をひいて、純粋に心配で、何かしたかった。
だからって家に行くほどの関係ではないし、わざわざ差し入れを買って治にあずけなくても、必要なものはきっと家にそろってる。
本人の持ち前の体力でなおすことを、私はただ待つしかない。
ただでさえたいした特技もないのに、宮に何かしたいと思うときは特に、無力で無関係な存在だと思い知る。
せめて宮が学校に来たときに、のど飴くらいはあげたかったけど、何十種類もある中から宮の一番好きそうなものを選ぶこともできない。
何もしなくていい理由の方が思い浮かんで、味覚の好みもたいして知らないことに、もの悲しくなる。
棚の前をうろうろしていてもらちがあかなくて、間違いなくおいしいと思う自分の一番好きなものを買って帰った。
鞄から出して部屋で眺めてみると、いかにも飴ちゃんと呼ばれそうな袋入りのこれが、宮のエナメルバッグに入っているところを想像できない。失敗したかもしれない。
これは自分用にしようと決意すると、スマホの画面に宮侑という名前が表示されて、心臓が飛び出そうになった。

『サームー、サムー、くたばるまえにトロ食う、こーてきてや、大トロ』
「………治とちゃいますよー」
『なまえちゃん?なんで?おさむとおるん…?なんでぇ…ううっ…』
「私にかけてきてんねん。治にかけなおしや。切るでー」
『いやや』
「どしたん、治おらんよ」
『頭痛い、しぬ』
「死なん」
『しんでる』

風邪をひいたときの心細さを思い出す。
頭が痛くて、なおし方がわからなくて、熱も下がらなくて、このままなおらなくて死ぬんだろうと本気で思った経験は私にもある。

「家ひとりなん?」
『…来てくれる?』
「行くわ、住所か地図送って、電話で説明してもらっても行けるかも」
『いっ、いやや、今かっこわるい!ゲホッおえっ』
「どっちやねん…吐いてる?めちゃくちゃ心配や。家の人いつ帰ってくるん?」
『なんでそんなやさしいん…』
「病人は心配やろ誰でも。それに弱った宮つれまわしたの私やん、海で」
『海……』

しまった。あの日のことは、学校で顔を合わせても、私も宮も一度も話題にしなかった。
何も起きてはいないのに、話題にしたくなかった。できなかった。

「なんもない」
『なんもないことないことない?』
「何語?熱あるやろ」
『ある、ずっとある、なでられたとこ。これ走馬灯?』
「……死なんて」

あの日のことを、宮がどう思っているのかはわからなかった。
過ぎたことを宮が気にするはずがないと思っていたし、そう思いたかった。
宮も気軽に話題にしないということがどういうことなのか、考えないようにしていた。

『なおして、なまえちゃん』
「…風邪な、もらってあげたいけどな?会えんやん?」
『それ……ちょっとやらし』
「アホか。救急車呼ぼか」
『なまえちゃん』
「なぁに」
『……』
「泣いてるん?絶対なおるから。大丈夫やで」
『泣いてへんけど、もうくるしい』

何が、もう、なのかわからない。
何かに長く苦しんでいて、何かを私にたいして訴えているように聞こえた。
泣いてるみたいに鼻をすすられて、うわごとみたいに名前を呼ばれる。
会いに行かせてほしくなる。何もできないのに。
気持ちだけでもどうにか上向きにさせてあげたい。
宮の好きなものといえば、バレーしか思い浮かばない。

「ウイルスと戦ってるんやな。来週合宿やし、お正月の大会もあるもんなあ?」
『餅つき大会?』
「バレーや、バレーボール」
『春高のこと?たのしみ』
「ハルコー?冬やん」
『今年まで春やってん』
「次から変わるんや?注目されそうやなあ」
『大注目やで。一月やから三年も出れるようなってん』
「はぇー、それは嬉しいな、よかったなぁ」
『うん…なまえちゃんてな、……アランくんのこと、すきなん?』
「何!?ちょっとファンやけど…すきって何?なんで?」

どこから尾白先輩の名前が出てきたのか、記憶を探ってもわからなかった。
尾白先輩をかっこいいと思ったことを、治か角名くんには話していたかもしれないけど、宮にはからかわれそうで話した覚えがない。
私のいないところで、バレー部で、私の名前が話題に出ることがあるのかと思うと、喉のあたりがもぞもぞとする。

『アランくんな、パンツ穴あいてるで、赤いやつ』
「ちょっと!やめや!他人に言うたりなや、色も聞きたくなかったわ。もぉ、尾白先輩の顔見られへんやん!」
『見んでええやんか』
「ハルコー見られへんやん」
『なんでやの見てやぁ、泣くで』
「泣きたいの私と尾白先輩やろ…」
『呆れんといて。電話切らんとって』
「切らんよ。宮が寝るか家の人帰ってくるまでな。でも人のパンツの話したらあかん」

私はなんの説教をさせられてんねん、と笑ってしまうと、電話の向こうの宮もちいさく笑っていた。
尾白先輩のことがよっぽど好きなのか、気がまぎれて頭痛がマシにでもなってくれているなら、先輩には悪いけどよかったと思える。
さっき聞いた話は、がんばって頭でもぶつけて忘れてあげようと思う。

『なまえちゃん』
「はいはい」
『なまえちゃん、あのな…オカン帰ってきよった』
「よかったやん!安心やな」
『部屋来そう』
「切っていいよ?切ろか」
『……ケホッ』
「切るでー?はよなおしや、また学校でな。待ってるから」

切られたくなさそうな気配と、切りたくない気持ちを断ち切るように、通話を切った。
手元でガサガサと、すっかり忘れていたのど飴の袋が音をたてる。どんなものが好きなのか、今の今まで話していた本人に訊いてみれば良かった。慣れない電話と、あやうい話題で、頭がいっぱいいっぱいだった。
たよりない声が頭から離れない。
かすれた声で、咳をしながら、今も名前を呼ばれている気がする。
宮にはあげられないと思って鞄から出していたのど飴を、また戻した。
私の好きなものを、宮にあげてみたくなった。

まさか昨日の今日では来れないだろうと思っていたけど、そのまさかが起きていた。
治の席で、まだ軽い咳をしながら騒いでいる宮の姿が見える。
目が合って、なおった報告とか、間違い電話のこととか、何か話しかけられるかと思っていたけど、合った目はすぐにそらされた。
まだ完治していないのか気になって、鞄に入れていたのど飴をかかえて近寄ってみると、やっぱり顔ごとそらされている。

「宮、風邪なおったん?よかったな」
「…なおった」
「まだ鼻声やん」
「身体むっちゃ元気。バレーせな死んでまう」
「なんでこっち向かんの?」

いつも目をそらすのは私の方で、宮は、いつもならやめてほしいくらい目を合わせてくる。
鼻声が恥ずかしいんだとしたら今更で、後遺症みたいな軽い咳で残りをもらってあげられるならもらってあげたいから、こっちを向いてほしい。
避ける理由を言ってもらえないとわからないけど、修学旅行で頭をなでたことがやっぱり気まずかったんだとしたら、聞きたくない。
何も話してくれない宮を視界に入れるのがつらくなって、自分の席にも戻れないで、うしろのドアから教室を出ようとすると追いかけられた。
そのまま廊下に押し出されるようにあとを追われて、逃げたくなったけど、まだどこかよわよわしい宮から離れられなかった。

「身に覚えない通話履歴あったんやけど…昨日の夕方、俺へんなこと言うてた?」

教室に背中を向けて、口元を手で隠しながら、気まずそうに目をそらされる。
電話で変なことしか言ってなかったのは、意識がもうろうとしていたせいだったのかと納得した。

「変なことしか言うてなかったで」
「うそやろ!?」
「覚えてないん?治と間違えてかけてきてたし、大トロ買わせようとしてた」
「…そんだけ?」

尾白先輩の件は私も忘れてしまいたいし、とても口にはできない。
海でのことも、話題にしたくない。

「あとはー…春高が今年まで春やったって」
「むっちゃどうでもええー…!」
「それで三年おるの嬉しいなって泣いてた」
「俺が!?泣いてたん!?」
「ちょっと盛った。えへ」
「盛るなや!ゲホッ」
「騒ぎなや。でもなんか泣きそうやった気ィする。しんどかったんやな、なおってよかったなぁ」
「…なあ、それなに?」

尾白先輩の被害も知らずに安心したのか、いつもみたいに態度をおおきくして、私がかかえているのど飴を指さす。
勝手に用意したものをいよいよ本人にわたすのかと思うと、緊張して、いつも通り私の方が目をそらして、つま先が浮いてしまう。

「のど飴、買ってきた。これおいしいから」
「俺にくれるん?」
「うん。一袋もいらんよな、掴み取りする?全部掴めそうやな…五個くらいでいい?なんか大阪のおばちゃんみたいやな…ていうか味覚おばあちゃんかも!?」

はちみつしょうが、と渋いフォントで書かれたパッケージをよくよく眺めると、おばあちゃんが孫に与えそうなものだった。
ちょーだい、と笑顔で手を出してる宮がかわいい孫のように見えてくる。
中身を吹き飛ばさないように静かに袋をあけて、個包装されたものたちをめいっぱい掴む。
かわいい孫にしてはおおきすぎる手の上で、そっと置くようにすると、宮は満足そうに、大事そうに両方のポケットにわけていれた。

「それみんなにも配るん?」
「配らんけど。口に合わんかったら治にあげて」
「誰にもあげへん。ぜーんぶ俺のやで」

目を細めて、眉をあげて、かわいらしくない笑い方をする。全部あげると言ったおぼえはなくて、ひとつ個包装をあけて自分の口にいれた。

「宮も飴なめとき」
「口いれて」
「やかましな。まだ熱あるんちゃう?」
「ある、ずっとある」
「帰りや」

コンコンいいながら、肩をゆらして笑っている。全快とまではいかなくても、元気になってくれてよかった。宮が笑っていてくれて、うれしい。

「お礼するわ、合宿のお土産何がええー?」
「いらんいらん」
「いらんことないやろ」
「えー。じゃあスカイツリー見たい。持ってきて」
「ヤクザのかぐや姫か」
「え?なんて?」
「スベらすな!病み上がりやぞ!」
「あはは。宮が元気やと嬉しいな」

本当にスベったと思ったのか、何かをおさえこむように、ヤケクソみたいに、のど飴を口にいれていた。
飴を舐めているのか、噛んでいるのか、もごもごとしながら「おいしい」と言ってきて、嬉しくなって、もうひと掴みして手のひらに置いてあげる。

「また買ってくるわ。宮どーゆーのが好きなん?」
「こーゆーのがすき」

むだな肉のない宮のほっぺたに、飴のかたちが浮かぶ。
これ、と宮が飴の丸みを指さして、その肌にふれたことを思い出す。
ふれたくなってしまって、飴の袋を両手でぎゅっとつかんで目を合わせると、宮はまだ、どこか苦しそうだった。
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