秋らしく、夜が長くなった。
肌寒くなった空気を感じながら、ベッドの中で、自分の手首に手を回しては、あの子の細さを思い出す。右手から熱が全身にまわって、頭の奥まで熱くなる。
制服越しに骨を掴んだのかと思うような手首だった。
「振り払えばいいのに」と言ってみたら、「バレー選手の手にそんなことはしたくない」とか、余計に放したくなくなることを言うタチの悪い人を、手放したくなくてしょうがなかった。
その手首を掴むための手じゃないと暗示された気がしたのに、掴む力をゆるめても、あの子は逃げ出そうとしないでゆったりと俺の手の中にいた。



毎日となりの教室に乗り込んでは、奥の方にあるあの子の席にまず目をやる。
あの子はヤンキーみたいな鋭い目付きの子といることが多いけど、いつも教室のあちこちにいて、クラス中の誰とでも楽しそうに話している。そんな子いたのかと思うような、見たことのない子とも話してるときもあって驚かされる。
廊下に出ていたり、よそのクラスに行ってることもあるし、俺の方が身動きをとれないときもある。さすがに四六時中は付きまとえないし、ちょっとむりにでもタイミングを合わせて声をかけないと、なかなか相手にしてもらえない日々だった。
たまに、置き去りにされたみたいに勝手に前の席に座って待ってみると、自分の席に戻ってきてくれる。用なんてないのに、話したいだけとか言われたくないくせに、いつも用をたずねてくるところが憎たらしい。

「ハンドクリーム使うー?」
「自分のあるから大丈夫。宮ってそういうの使うん?バレーって手ェ荒れるん?」
「気ィつけな冬は指割れるー」
「聞いただけで痛い!そっか、指であんなボール上げるんやもんなぁ」
「せやでー、すごいやろ?」
「素直にすごい」
「せやろー、やっぱセッターが一番かっこええやろー!」
「それはちょっとまだわからんー!」

最近、あの子は自分の席から動いてないことがちょびっとだけ増えた気がする。
教室をのぞくと目が合って、何を誤解しているのか周りに居る子は勝手に身を引いてくれる。遠慮なく前の席に座らせてもらって、目立ちたくないらしいから、俺は最初からこのクラスのこの席の人間でした、って顔で居座ってやる。
俺のせいで目立つような言い回しをされるけど、楽しそうによく笑う自分が人目をひいてる自覚はないらしい。誰とでも話せる気軽で身軽な子なせいで、俺には男女関係なくこの席を奪い合うライバルが多く見える。
話しやすくて、人好きのする子なのに、それでも、人懐っこい感じではない不思議な子だった。

「なあ爪やすり使うー?」
「家でやるから大丈夫。なんで宮の使うと思ったん」
「やすってたら落ち着かへん?」
「べつに?宮って落ち着きたいときあるん?」
「あるわ!むちゃくちゃあるわ!」
「今使ったら?」
「うるさいってか!?」
「セッターってお手入れ大変なんやなあ」
「フフ。せやねん、一番かっこえーからな」
「それは知らんけど」

毎日、涙ぐましく口実をつくっていた。
冷たくあしらわれても楽しかったし、しょうもない話に笑って受け答えしてくれることが嬉しかった。春高代表決定戦が近いことでごうごうとしたメンタルの気分転換になるし、バレーを知らない子とするバレーの話は刺激にもなった。
たまに、男と面倒そうに話しているところにわざとらしく割り込むと、明からさまに安心したような顔をされて、バレーしか知らない素朴で純粋な俺の心は危うく持っていかれそうになる。
他人にあげる心なんか、俺には残ってないはずやのに。

「なあなあ音楽聞く?イヤホン片っぽずつする?」
「宮と?むりむり。両耳で聞かな意味ないやろー」
「なに聞くー?」
「話を聞いてほしいなあ!?」

会話の内容なんかなんでもよかった。
構いたいし構われたい。目の届くところに居てほしい。どうやっても満たされない欲求を、話すことでなんとかしのいでいた。
何かをむりやり進めるつもりはないけど、後戻りもできなくて、確かに進んでいる。明日はどんな話ができるか考えることも、毎日楽しみだった。

今日は口実をつくらなくても、訊きたいことがあった。
昨日の練習終わりに「そういやみょうじさん来てたな」と銀がひとりごとみたいに言って、俺を見に来てたに違いないと言うと、あちこちから「お前ではない」と声がして、ちょっとした騒ぎになった。というか俺が騒いだ。
俺か、俺じゃないなら治しかいないと思ってたけど、銀は「意外と角名かも」と予想して、角名は「絶対に治」と予想して、治は「アランくんしかおらんやろ」と言い切る。
アランくんはまるで身に覚えがなさそうで「よお知らんけど侑とちゃうか?」と俺に気をつかってくれた。そういう包容力までかっこいいから、アランくん目当てもありえるかも、と思い始める。
照れてごまかすとかじゃない治の本気の横顔を見ていると、本当にアランくんみたいなかっこいいスパイカーが好きなのかもしれないと思えてきた。俺になくて治にはある、半年分くらいのあの子との時間の長さが説得力を持たせた。
まあどうせ、誰でもなくて全体を見ていたんやろ。
一限目が終わって、真実を確かめにとなりの教室に向かうと、入れ違うように後ろのドアから目当てのあの子がふらっと出ていった。その姿は、ちょっとイヤなことがあったと言っていた先月のことを思い出させた。
一人でどこに向かうつもりなのか、後を追っていいものか、一組のドアに手をかけたままその後ろ姿を眺める。移動教室ではなさそうで、トイレとも反対方向に足を進めている。階段も通り過ぎて、廊下の奥のほうの、人気のない空き教室の前で足を止めて、そんなに晴れてもない窓の外を見ていた。
どうしたのか気になって、話しかけに後を追おうとすると、遠い目をするその横顔に向かっていく一組のバスケ部野郎が目に入る。

「なまえちゃんっ!」
「声でか。どしたん、おなかすいたん?」
「サムとちゃうわ!視力検査か」
「視力検査!おもろすぎる!めっちゃおもろい、ちょっと治呼んでやってみよや」
「やらんわ。何がおもろいねん」

俺がいく、という意味を込めて呼んだことを察したのか、なまえちゃんとの数メートルのあいだにいたバスケ部くんは「まかした」と苦笑いして教室に戻っていく。何がやねんと思ったけど、二人になれるなら何でもいい。
教室と廊下の喧騒から少し離れた隅のほうで、ただならぬ関係みたいに二人でいる。
黙ってたらまだマシと褒められたのか貶されたのかわからないことがあったけど、この子もたいがい、黙ってるときはただの美人さんに見える。
乾いていた指が、握り込んでるうちに少し汗をかく。

「なまえちゃん昨日体育館来とった?」
「なんで気付くん!?こっち見んかったやん」
「俺のこと見てくれとったんやぁ!」
「見えてただけやで。そっちからも見えてたん?」
「ボール避けのネットでコケそうなってたって銀が言うてた」
「おじゃましましたって言うといて…」
「誰見に来てたん?俺?うれしー」
「全員ー。がんばってる人たちを見てただけー」
「なんかあったん?今もたそがれとったし」
「なんもないー」

窓枠に片肘をつけるようにしてなまえちゃんの方を向いても、その目は窓の向こうを見続ける。たまに、どこかに行ってしまいたそうなこういう目をする。

「やっぱ俺と仲良くする気ないんや」
「それはあるよ。…元気もある!」

落ち込むようにわざとらしく肩を落とすと、やっとこっちを向いてくれる。まるで身を引く気がない俺の笑顔を見て、なまえちゃんは呆れたような顔をした。
最近、お互いに扱いがわかってきたような気がする。二人とも強情者で、俺の方が少しだけ頑ななところがある。この子が折れてくれるたびにたまらない気持ちになった。嫌われたくはないと思いながら、どこまで許してくれるのか知りたくてどうしようもなかった。

「顔に出とるから諦め。見物料ちょーだいや、話して」
「…人間めんどくなっただけ」
「男?」
「友達」
「あのヤンキーみたいな子?」
「その子の友達のギャルがな、私ばっかり構われてるのが嫌みたい。あと、私が他の子と話すの寂しいみたいな子もおって、なんか、みんなのこと嫌じゃないんやけど…もーすぐ修学旅行の班決めもあるしどーしよー!って」
「小学生みたいやな」

そのへんの女に言うと怒りそうな感想が口からそのまま出たけど、ウケてくれてる。美人さんな顔が、ころころとした動物のぬいぐるみみたいに変わる。声を出さないように、みんなには秘密にするように、かわいく笑っている。
俺でいうと、なまえちゃんと話したい治が、なまえちゃんに構ってもらう俺に八つ当たりしてきて、俺と話したい角名にもヤキモチをやかれてるような状況か。ひとつもありえなくて想像がむずかしい。俺と話したがる角名なんて、別の意味で気分がよくない。
そんなことより俺も、この子に当たってしまったような気がする。肩の骨っぽさと手首の細さを知ってる贅沢な右手が、心当たりで熱を持つ。

「…俺もめんどかったりする?」
「宮はだいたいバレー部とおるやん?みんな好きなときに好きな人と話したらいいやんなぁ」
「せやんなぁ、今みたいになあ?」
「さっきも数学でさー」
「無視かい」
「クラスの頭いい人に話しかけたらな、意識するからやめたれとかバスケ部に言われた。私ら高校生やんな?なさけない」

それは、無いとも言えんし。そもそもそのバスケ部が、この子を意識してるってことにも聞こえる。さっきこの子を追いかけようとしていたアイツがそれか。
誰がこの子を意識しようと俺は彼氏じゃないし関係なくて、関係ないのにちょっとイヤで、聞かせられる返事が思いつかない。
ほんま、なさけないな、と窓の向こうの白っぽい朝の風景を見ていると、近くの階段を降りてきた一年集団のうちの女が一人、近寄ってくる。誰やこの女。

「先輩たち、ちょっといいですか?」
「ええわけないやろ」
「いいよいいよ。どしたーん?」

相手が年下だからか、女だからか、なまえちゃんは俺相手とは違ってかわいがるように声をかける。ちょっと沈んでいた様子がうそみたいに明るくて、あれは俺の前でだけ見せてくれた姿なのかもしれないと自惚れそうになる。

「あつむ先輩とみょうじ先輩って、付き合ってないって聞いてるんですけど…」

いらん話が始まった。プンプン飛びまわる蚊みたいな声をして。俺はともかく、まともななまえちゃんが断るわけないってわかりきっていながら割り込んできて。少し後ろでテンションを上げてるツレ集団も鬱陶しい。

「付き合ってないで。この人は彼女の一人や二人、五人くらいおるかもしらんけど私は違うで」
「一人もおらんわ!俺のイメージどんなやねん!」
「わかってるって。宮はバレーに一途やもんなぁ」
「意地わっる」
「何がよ。バレーしか見てないやろ?」

いい笑顔で言いよる。暗に、自分を見るなと言われてる気がする。タチの悪い子やな。
たしかにバレー以外を見てる暇はない。恋愛したいとか、彼女が欲しいとか、思ってない。
ただ。
この子とはいつまでも話していたい。黙ってたって居心地がいい。もう目だけじゃなくて、手が届くくらい近くにいてほしい。この子のために頑張るわけじゃないけど、俺のバレーを見ていてほしい。そう思い始めてる。

「ほんまですか?あつむ先輩、あたしもみょうじ先輩と一緒に練習とか試合見に行ってもいいですか?」
「なんで俺に聞くねん呼んどらんのに」
「宮ぁ、怒ってるように見えるでー?こわい方の宮って思われるで、やめとき」

なんでか俺が怒られた。実際、貴重な時間を知らんめんどい女に邪魔されて怒ってる。どうでもいい相手にこわがられたとして、それがなんなんって言いたいけど、口を挟む隙を与えてくれない。言いたいことを隠せない顔をしてるからか、眼中にもいれてくれなくなった。

「私バレーわからんから一緒に見てもつまらんかもやで?練習もそんな見に行ってないし」
「あたしもまったく知らんから大丈夫です。あつむ先輩に教えてほしいです!昼休みとか二人のところ行っていいですか?」
「うっさいな今ダイジな話してたとこやからほっとけや、…ほっといてもろてええですか?」

なまえちゃんの目がこわい。怒られるどころか嫌われそうでおそろしい。
グイグイきてめんどくさいな、この一年の喧し豚。

「すいませんあつむ先輩…ごめんなさい」
「宮、私以外の女の子どやすな」
「何それ。なまえちゃんどやされたいシュミあったん?」
「ちゃうわ!かよわい女の子をどやすなって意味!」

自分はなんやねん、とツッコみたいけど今はこの話はどうでもいい。一年の女もどうでもいい。バレーを好きになるなら勝手に一人でなっていてほしい。訊いてきてほしい子は、何も訊いてこないのに。

「よしよし、このこわい人はバレーしたら機嫌なおるから大丈夫やでー」
「みょうじ先輩、ありがとうございます…」
「大丈夫やで、一緒にバレー部応援しよなあ」
「昼休みとかほんまに絶対来んとってなぁ邪魔やから」
「邪魔は言い過ぎやろ」
「ほんまのことしか言えん」
「じゃあこないだの私はどーなるねん」
「邪魔なわけないやろ。俺が呼んだんやから」
「たしかに邪魔呼ばわりされる筋合いないな…」

そこは納得したらアカンやろ、と思うけどこの変に素直なところがおもしろい。
それに比べてこの一年の女ときたら、耳障りで目障りや。早く移動教室でもどこへでも行ってほしい。
なまえちゃんと関わりある後輩だったら悪いけど、そういう関係には見えない。人間関係めんどいなって話のときに追い討ちのようにめんどい女に絡まれて、ちょっと困ってきてるように見える。俺の機嫌が悪いせいかもしれないけど。
相手をしたくないけど、なまえちゃんに任せていたらいつまでたっても追い払ってくれないから、自分でやることにする。

「っちゅーわけで、この人は俺が呼んで来てくれとるだけの親切な人やから。この人にも俺のことで絡まんとってくれる?」
「はい…」
「話わかる子やーん」
「私は別に誰に話しかけられても大丈夫やで?」
「え、俺いつも話しかけたらちょっと迷惑そうにされるんやけど」
「……迷惑では、ない!」
「歯切れ悪いな。恥ずかしがりのなまえちゃんは二人っきりがええもんなぁ?」
「うるさいな!!恥ずかしいとかちゃうねん!」

体育館裏で言われたことを忘れてないし、忘れたとも言わせない。
となりを覗き込むように顔を向けると、首が折れるんじゃないかってくらい避けられた。二人がいいってことを否定しない正直なところがかわいくて、頬が上がって、口角がつり上がるのを抑えられない。あんまりかわいくて、機嫌がなおるどころか気持ちよさすらある。

「すいません!あたし邪魔でした!みょうじ先輩すいませんでした!」
「やっとわかってくれたん?ええ子やん」
「邪魔ちゃうのに!大丈夫やで!?あー行ってもた」

二人っきりがいいって話が効いたのか、やっといなくなった。邪魔の意味を理解しようとしないなまえちゃんは、見せつけるようなやり取りをしたことに気付いてないところまでかわいい。
さっきまで険しい顔付きで見られていたのに、二人だけになるとやわい表情をして、俺もつられてやわらぐ。

「宮ぁ?私の話の途中やから気ィつかってくれたのはわかるけど、言い方考えな性格誤解されるで?」
「俺じつは人見知りですねん」
「そーなん?え?宮の後輩じゃないん?」
「やっぱりなまえちゃんの後輩ちゃうんや」
「初めて話したし名前も知らん」
「俺も知らんねんけど」
「……宮ンズ目当てかー!」

ため息ごと吐くように、天井に向かって声をあげてる。だから相手なんかしなくてよかったのに。

「一緒に応援しよとか言うてもーたやん!恥ずかしい!なんで知らん後輩に私の名前知られてんねんこわいな!」
「でも最後俺よりなまえちゃんになついとったやん」
「宮がこわいからやろ。宮とだけ話したかったけどこわくて、私がおるから話しかけやすかったんちゃうかな。かわいいなあ」
「俺は話すこと無いし」
「私が空気読んで応援しなあかんかったんやろ…はあ、やらかした」
「なんそれ、めんど」

吐き捨てるような俺の言葉を聞いて、困ったように笑う。空気を読むなら俺のほうの空気を読んでほしい。
仲をとり持つとかそんな面倒なことは絶対にやめてほしいけど、なんとなく、俺のイヤがることはこの子もイヤがるような気がする。
それでもさっきみたいなことに覚えがあるようで、反芻するようにぐったりとしてる。

「こういうのよくあるん?」

あんまり話したくなさそうにしてるけど、気になったことは深掘りしたい俺の性格をわかってくれている。もともと自分の話をしたくなさそうな子で、難しいところがあるけど、正面からうかがえばなんとか向き合ってくれる。
頭の中を整理してるみたいに、合ったり逸らされたりする目がじれったいけど、悪い気分じゃない。

「クラスの集まり、私が呼べば治も来て、治が来るなら角名くんも来るんちゃうかーって毎回言われてな。こないだの体育祭の後とか」
「フツーに練習あったし行けても途中参加で途中帰宅やろな」
「そーやんな?治たちも来たいなら来ると思うし、治を呼べる人みたいな扱いがなあ…なんかこんなんばっかりで」

そういえば俺も、そんな面倒な誘われ方をしたことがある。女子の参加率が増えるとか、誰かを呼んでほしいとか。
それって、この子目当てで何かに参加するずうずうしい男が、俺の知らない今までにも居たってことか。この子が参加するなら俺だって、自分のクラスじゃなくても一組の集まりに割り込みたい。なんなら治のかわりとして行ってやってもいいと思う。思うだけで、そんな普通の高校生みたいなことをしてる時間、俺たちには無いけど。

「あるあるそーいうの。ナントカホイホイの気分やんなぁ」
「ごめんそれはわからんけど」
「でもあのヤンキーみたいな子って七組かどっかに彼氏おるやろ?」
「うん、あの子はみんなと違うんやけどな、裏表とかなんもないし、大好きなんやけど…」

大好きってええなあ、と思ったのと同時に、治になついて見える理由が、頭を打ち抜かれたみたいにわかった。治も裏表なんかまるでない。俺もないと思うけど、むちゃくちゃある下心は裏表に入りますかなんてとても訊けない。
思うところのありそうな顔をするなまえちゃんの前で両腕を組んで、大人ぶってみる。純粋に心配もしてることはせめて伝わってほしい。

「どしたん。話してええよ。サムにも誰にも言わん」
「……好きな人つくってほしいって言われるのちょっとつらい。レンアイの話できんくて、おもしろくなくて、申し訳ない」

どれだけ溜め込んできたのか、ちょっと泣きそうな顔をしている。
泣いてほしくないのに、俺の前で泣けるくらい気を許されてるのか、知りたい。泣きやませ方を知らないのに、なぐさめてみたい。頭の中で矛盾のラリーが終わらない。
最低やな、と脳内のどこからともなく飛んできた正論パンチで背筋がびしっと伸びる。そのまま壁になるように立ってやるしかできない。止めてくれる人のいないこんなところで、もしも泣かれでもしたら、うっかり抱きしめてしまいそうで、どうにか元気になってほしい。

「レンアイなんか、しようと思ってするもんちゃうもんなぁ?」
「そーやねん!彼氏いらん好きな人おらんって言うても信じてくれへんねん!私が人としておかしいんかなって気になるねん」

あ、好きな人とかいないってことか。俺のこともなんとも思ってないってことか。周りがほっとかなそうやのに、いつから彼氏なんかいらんって考えなのか、過去に何かあったのか。
いろいろなことを知りたいけど、そんな話を聞いたらこっちの気がおかしくなってしまいそうで、聞けない。

「なまえちゃんはなーんもおかしないで」
「ありがとー…しかも、治のことめっちゃすすめられるねん」
「はぁ!?もうそいつの話は聞くな!なんで治なん!」
「そうやんなぁ?治と友達ですらないのに」
「友達とちゃうん!?」
「治も私もノリで喋れるだけやろ。治、アンダルシアのこと知らんし」
「どういう関係なんや…むっず」

ワンちゃんのことを知ってる俺は友達ってことなのか引っかかったけど、そこは深堀りしたくなかった。友達だと言われなくても、言われても、引っかかる気がした。
それよりも、ワンちゃんの名前を聞いて思い出したことがある。うちの監督が得意気に語っていた。犬と仲良くするには、目線の高さを合わせるとかなんとか。
犬じゃないけど、あんまり目を合わせてくれないなまえちゃん相手に、すこし屈んで実践してみる。じっと見過ぎないように、とか言っていた気がするけど、逸らされる目が生意気でかわいくて、ついじっと見てしまう。

「もうめんどい…男になりたい」
「なまえちゃん男も向いてないで。シモ話せんやろ」
「あかーん!いやー!」
「女の子でおって」
「もう人間をやめるしかないんや。宮たちは暇じゃなさそうでいいよな、バレー部見てると背筋伸びる」
「俺らも一応人間な。ちゅーか前も無かった?イヤなことあってバレー部見てたって」
「よく覚えてるなぁ」
「セッターやからな」
「セッターすごすぎるやろ」

屈めていた上体がだるくなって伸ばした。合っていた目線を追うように見上げられて、効果アリかい、かわいいな、と一人で笑いそうになる。
じっとこっちを見るその飴玉みたいな目にかかりそうな前髪を、長くなったなぁと思えて、どうしてだか少しだけ気分がいい。髪をよけてやりたくて、伸ばしそうになる手をぐっとこらえて、自分の前髪を流しておいた。

「それがアレやで、笑ってくれたから好きかもーみたいな事件。もう忘れてたわ。…普通はそこで恋が始まるんかなぁ」
「そんなわけないやろ。あんま考えなや。頭疲れてるとき何考えてもアカンで」
「そやなぁ、ちょっと疲れてたかも。宮は暇じゃないのに愚痴ってごめんな」
「愚痴ちゃうやん、悩みやん」

たまに、ごく当たり前のことで雷に打たれたような顔をする。自分の話をしたがらないのは、こういうやたらと考えすぎで遠慮がちなところからきてるのか。けっこう気が合うと思うのに、まるでわからない考えかたもするからおもしろい。

「さっきの一年みたいに俺が世話かけてるとこもほんまのちょびっとだけあるやん?なんも考えてなさすぎたな、俺」
「やっとわかってくれたん!?」
「ほぼ俺のせいちゃうけどな」
「冗談やん。なんにも宮のせいちゃうでー」
「好きなときに好きな人と関われってさっき自分で言うてたもんなぁ?」
「そうそう」

それなら俺がこの子を好きみたいで、受け入れるこの子も俺を好きみたいになるけど。恋愛絡みを避けたがるこの子のいう好きって意味は、そういう意味ではたぶんない。

「なまえちゃん、誰かとおるのめんどくなったら俺のとこ来てええよ」
「それはいいんやけど。てか宮は一組来るやん!」
「じゃあ俺がなまえちゃんのとこ行ったるな」
「それもいいんやけど」

でも好きなときに好きな人とって言われると、俺はやっぱりなまえちゃんがいい。
この子といると楽しいだけじゃなくて、いろんなものがある。

「宮がいつもしてくれるどうでもいい話、ちょっとうれしい」

こういうところが俺をめちゃくちゃにする。
無性に入りたい、この子の特別なところに、ちょびっとだけ入れてもらえている気がたまにする。

「どうでもいいは失礼やろ」
「バレー部が話しやすいよな。バレーしか見てないからやな」

窓の隙間から真新しい風が吹く。きっちりと関係を線引きされて、冷たい壁と廊下に囲まれて、ひんやりとした風のような匂いがする。
これ以上は来るなと遠回しに言われるたびに、踏み込みたくなる。どこまで進んでいくのか。
しようと思ってするものじゃないそれは、したくないと思っていればしないでいられるものなのか。

「ほな昼休み体育館おいでや。試合近いからサムらもおるし」
「治たちおるなら邪魔やん」
「サムらが?」
「私がや!」
「邪魔ちゃうて。何回言わすねん」

誰かがいるほうが来やすいかと思ったのに、二人だけのほうが気をつかわないらしい。タチが悪すぎて腹が立ってくる。
もう、近付きたくてしょうがなかった。触れてはいけないところに手をつけたい。この子となら、と思い始めていることを止められない。知られると困らせるかもしれないことを、知らしめたい。

「やっぱり宮ってやさしいな」

押し寄せてくるいろんな衝動を、手に負えなくなってきている。
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