最後とか終わりを意識することが増えた。
春高代表決定戦は当然勝ったけど、もしも負けていれば、三年は引退して今のチームは終わっていた。あの苦しさをともにした練習が、あの痛みのある叱咤激励が、あの部室でのしょうもない会話が、最後のものになっていたかもしれない。それがどういうことなのかはまだわからないけど、兵庫代表になっただけで泣いてる先輩の姿を見ながら、来年は俺たち二年の誰かもああ泣くんやろうかと考えた。
来月になれば春高本戦が始まって、どこまで勝ち進んだとしても、このチームはどこかで終わるんやなぁと、そんなことをぼんやりと意識した。
終わりたくないと思うには早すぎるけど、終わるなら最高のかたちで終わりたいと思った。
勝ったコートの中に治はいなかった。

それから俺だけがユース合宿に選ばれたのに、物心つく前から今までずっと張り合って生きてきた治は悔しがらなかった。
素直に悔しがればいいものを、悔しくないことが悔しいとかまどろっこしいことを言っていて、俺はそれがちょびっとだけわかりそうで、わかりたくもなかったから、わからないようにした。
俺の方がちょびっとだけバレーボールを愛していると言った治は体育館の外を見ていた。
遠くないこの先でこいつはコートを離れてしまうのかもしれない予感がした。
考えれば予感なんてものでは済まなそうで、身体の中のどこかの何かが欠けていく気がして、考えないようにした。
腹のまんなかが欠けたような、冷たいような、はっきりとしなかったものは、どんどん欠落感らしいかたちになっていった。
バレーでは埋められないものがあることを知った。

修学旅行であの子に頭をあずけて、触れられた場所から熱があがっても、抱きしめるわけにいかなくて、心臓のまわりは冷たい風が通っていくみたいだった。
片割れに言わせると人格ポンコツらしい俺は、このあたりが欠けているんだろうと思った。
あの子にさわれなくても、さわってもらえれば少しは満たされるかと思ったけど、もっと深くまで欲しくなるだけだった。
満たしてみてほしかった。誰かじゃなくてあの子がよかった。
こたえてほしい言葉にこたえてくれないあの子の手は俺よりもあたたかかった。

五日間のユース合宿は、終わってみればまったく時間が足りなかった。行けば楽しめるとあの子に言われていた通りの合宿で、将来はバレーでメシを食い、バレーだけをして生きていきたいって気持ちがより強まった。
そもそもこの合宿には最初から不安なんかなくて、原因のわからない欠落感が、ずっとうっすらはっきりとあるだけで。あるくせに、ありませんというふうに掴めない欠けに、この指が届かないことが歯がゆいだけだった。
気をつけてたのに、一度だけ疲労困憊して「なぁサム」と言ってしまったときだけは、ここでも家でもないどこかへ逃げ出したくなった。
あの子の笑い声が聞きたくなった。

合宿で試したいことがたくさんあった。
全員一定以上にうまいし、当たり前に同じスパイカーは一人としていないから刺激があるし、この先の春高やインハイで当たるときのために、クセなんかも掴んでおきたい。
やらされたリベロもおもしろかったし、俺のかわりにトスを上げる治はいないけど、いい練習になった。
バレーだけしていられてバレーのことだけを考えていられて、もっと上手くなれそうなここから出たくなかったけど、得たものを自分のチームに早く持ち帰りたかった。
今のチームで全員倒すことがもう楽しみでしょうがなかった。

試したいことはバレーのこと以外にもあった。
五日間もバレー漬けになれれば、好きなような女の子のことは、頭から失せてくれるんじゃないかと試したかった。
そうなってほしいとは思わないけど、それでバレーがうまくなるなら、それがいいと思った。
つかず離れずで、揺さぶられることが苦しかった。
こっちから離れれば相手がどう出るのかも知りたかった。
なまえちゃんへとご丁寧に宛名を残して、寂しくなったら電話して、とあの子の机に書き残したせいで、いつ電話がくるのか、いつ寂しくなってくれるのか、毎朝毎晩気になってしょうがなかった。
学校にいるときと同じでバレーをしている間は考えなくて済んでいたけど、誰かから連絡がくるたびにあの子じゃないのかと思ってしまった。
治に様子を訊くのは悔しかったから何も訊いてないけど、向こうも何も言ってこないからいつも通りってことかと思った。
出られなくても着信履歴くらいあってほしかった。やっと教えてもらえた連絡先を眺めて、こない電話をじっと待っていた。
学校で治や角名や、周りの子たちとどんな話をしてるのか、俺の話をしてるのか気になった。
自分で張った罠に自分ではまっていったアホだった。

日曜のでっかい東京駅は人が多すぎる。
世の中にはこれだけ人がいるのに、と薄ら寒いことを考えそうになる。
狭い学校周りでだって俺のことを好きになってくれる子はたくさんいるのに。
そこは、そんな子で満足できない俺が悪いのか。俺だけが悪いわけではないと思いたい。
今まではかわいい子に告白されて、付き合ってもええかと受け入れて、好かれている気がしないとか、本当にバレーばかりでつまらないとか言われて、もうええわとフッたりフラれたりしてきた。
付き合ってるうちに好きになっていくものなんやろか知らんけど、と思ってたけど、離れた誰のことも追いたくならなかった。
かわいい子は人並に好きだったけど、どれだけかわいくても爪の伸びた手で俺の手を触られたくないし、ベタベタと触られても疲れて鬱陶しかったし、つまらない話もイライラして聞きたくなかったし、まるで好きにはなれなかった。
彼女の応援で試合中にパワーアップなんてあるわけがないと思ってたけど、本当に頭の片隅にも無かったし、どこにいるのかもどうでもよかった。
今思うと、俺に告白してくるような自信のある子たちは、早く負ければ時間ができるとか思ってそうな人種だったし、たぶん応援もされてなかった。
みんな、俺の関係者としてそこにいる自分のことが好きだった。俺も相手のことが好きじゃなかったからおあいこか。
軽いとかなんとか誰かに言われるたびに、俺は浮気なんてしない優良物件やと言ってきたけど、彼女にも誰にも興味がないだけだった。
いつかは自分も女の子もそれらしい付き合いができるものやと思ってたけど、やっぱりできるわけがなくて、付き合ったうちに入らないような期間で別れることを、高二の頭まで続けていた。
適度にもてはやされたいけどそれ以上はいらないし、付き合ってる人というものは、いれば困ったし、いなくなっても困らない存在だとこの数年で学んだ気になった。
そういうものやと思ってた。もういいと思ってた。
彼女はいらないし、チャラいとか贅沢とか人でなしとか治の方がちゃんとモテてるとか、人格ポンコツとかお前は誰のことも好きになれないとか言われても、何もピンとこなかったし、それがなんやねんとしか思えないし、バレーをできればそれでいいと思ってた。
それがどうしてかいつのまにか、気になる子ができていた。
治を見ているところも、すぐに治の名前を出すところも、俺たちの大事なボールを大事にしてくれるところも、ろくにバレーを知らないのに俺の思いつきのような書き残しに乗って練習を見に来てくれたことも、屋外スポーツを観ながら飲む炭酸が好きだと言ったあの子が体育館の屋根の下に来てくれたことも、自分の居場所を他人の中につくろうとしない身軽なところも、そのまま離れてしまいそうで不安にさせてくるところも、犠牲も我慢も全部自分だけで済ませるほうが楽だというわけのわからないワガママを貫こうとするところも、弱られることに弱いところも押しに弱いところも、そのくせ譲れないことは譲らない頑固なところも、バレー以外をないがしろにしてしまう俺の他人に理解されないところをとても理解してくれているのに、あの子を思う気持ちだけは何も理解してくれなくて、知ろうともしてくれないひどいところも、ひどいくせに傷つけないように気をつけてくるところも、いやそうにしながら本気で拒絶してくれない生ぬるいところも、自分がどれだけ俺の立入りをゆるしてるか自覚のなさそうな甘っちょろいところも、よくわからないツボでケラケラと笑うかわいいところも、ぜんぶやめてほしいのに、ぜんぶ好きになっていた。
もう恋愛はいいと思ってたのに、今までのそれは恋愛なんかじゃないと教えられた。
心の誰にもさわらせたことのない、俺ですら触れられなかったところに、いつも触れられていた。
いろいろな思いが混ざってたまらなくなる。
誰もいない掲示板の前で、ぽつんと立っていた細っこい後ろ姿が頭から離れない。あんな無防備な姿を誰にも見られていてほしくないし、見せたくない。
声をかけて、振り向かせて、笑顔にしたい。俺がしたい。
細い手首を掴んだ日から、毎日もっとさわりたくなっている。
細くてやわらかい指で、じらすように頭をなでられたこそばゆい感覚は毎日消えていくのに、熱だけは消えるどころか熱さを増す。
俺にバレーがなければあてもない欲求で、もうとっくにコトを起こしていたと思う。

新幹線のかたい背もたれに頭をあずける。
いつ鳴るかもわからない、鳴りもしないスマホを手に持つ。
お守りみたいにポケットに入れていた、あの子にもらったのど飴の最後の一個を口に入れる。
はちみつしょうがとパッケージに書かれたそれは、甘ったるくてピリッとして、あの子らしいとしか言いようのない味がした。
噛むのがもったいなくて、舌の上でとけていくのを味わう。
あの子の舌の上にも今、同じものがあればいいのにと思った。
アホみたいで、いやになる。
何も考えないでバレーがしたい。
トンネルに入って窓にうつる反転した自分を見るたびに、治がそこにいる錯覚をする。
耳鳴りのようなものがする。
富士山を見たかったけど日の入りが早くてもう見えそうにない。
窓の向こうが暗くなっていく。
自分と目が合う。
おもしろくなくて目を閉じる。



夢は見なかった。覚えてないだけかもしれない。
京都を過ぎればすぐに新大阪で、ここは現実なんやと思ったら、ただまっさらな気持ちであの子の声を聞きたくなっていた。
どうしても今がよかった。
常に今、捕まえておかないと、いなくなってしまいそうな人だった。
何も繋ぎとめようとしないあの子を今ここで、俺のところに繋ぎとめたい。
知り合い以上友達未満でやっと特別なくらいにしか近付けてくれないあの子の手を掴みたいし、強く抱きしめたい。
電話をしてこない理由は、だいたい遠慮のようなものやとわかってた。
本当に寂しくないのかもしれないけど、少しは悩んで俺のことを考えてくれていたと思いたい。
バレーを優先する俺のことを優先しながら、俺の気持ちをわかろうとしてくれないややこしい性分の人に、考えさせたい。
俺のことを考えていてほしい。
離れたくないと思われたい。
初めて話して二ヶ月が経つ。どれだけお互いを試しても、こっちはもうあの子が近くにいてくれないと、ままならないって答えが出た。

あの子らしい味が残ってざらざらとする舌に水を流して、新大阪駅のホームに降り立つ。
五日間何回も開いた電話帳を開く。
コールが始まって、そういえば話す内容を考えてなかったと思ったところで相手はすぐに出た。
声が聞きたかったなんて言ったらうるさいって言われそうで、その恥ずかしそうにするかわいい顔を見たくなって、会いたくなってしまう。

『宮?』
「出るの早ない?待ってた?」
『めっちゃ宮やな。待ってはない』

五日ぶりの宮と呼ぶ声が耳から全身にしみわたる。気に入らない呼び方でもこんなに嬉しくて末期だと思う。すぐに電話じゃない声が聞きたくなった。

「なまえちゃん全然電話くれへんやん」
『邪魔かなって思うやん。連絡先きいてきたのそっちやし』
「それもそっかー!じゃあちょびっと待ってた?」
『机になんか書いてたやん?』
「なんかて」
『あー電話していいんやーって思ったら満足した』
「お寺の人か何かなん?」
『なに?どういう意味?』
「欲がない。って説明さすな」

またよくわからないツボでおなかから声を出して笑ってるような声がする。一生笑い続けてそうなかわいい姿が目に浮かぶ。

『あーおもろ、もう家ついたん?治喜んでるやろー。尻尾とれへんかな?』
「犬ちゃうて。まだ新大阪やでー。お土産なにがええ?八ツ橋?」
『えっ…』

え、俺のボケ寒かった?五日で東京に染まって腕落ちた?と焦ると、黙りこくられたスマホの向こうから聞き慣れた音がする。関西に帰ってきたなあと思うこの駅のホームの音。

「今どこおるん」
『………大阪駅』
「行くわ。会える?一人?」
『疲れてるやろ、家族待ってるやろ?治も寂しがってたで』
「なまえちゃんに会いたい。もう向かってる。待ってて時間かからんと思うから」
『…わかった、荷物持つわ』
「いらん、会いたいだけや」
『ホームシック?尾白先輩みたいなツッコミしたらいい?ついたら教えてー』

たくさんあるホームの中で訊かれすぎるのか、大阪行きとご丁寧に貼り紙されたホームへ走る。走ったところで電車はちょうどよくこない。さすがの都会で本数は多いけど、この数分が死ぬほど長く感じる。早く会いたい。
電車に乗って一駅三分。扉があいてすぐに電話をかける。もう会えるのにめちゃくちゃ会いたい。アホみたいに買ったお土産がなければ会えた瞬間に思いっきり抱きしめてたかもしれない。

「どこおる?」
『あ、宮ー?なんか道きかれて一緒に迷子やねん』
「駅員さんに言え!!」

道きかれて?こんな都会で?このいい時間に?子供みたいな若い女が?危ない予感しかしない。

『大阪駅って駅員さんみんな大変そうやん?私ならいけると思ったんやけど…宮先に帰る?』
「俺が行くから!今どこ!動くな!そいつ男ちゃうやろな!?」
『あ、二人分シュークリーム買おかって言うてくれてる…困るよなぁ?断っていい?』
「そいつ絶対おっさんやろオイ!離れろやアホ!それかスピーカーして電話かわれ!コラ!」

重い荷物を抱えてホームから階段を駆け降りて、怒鳴ってるからか人混みが俺を避けてくれて、構内を駆け出していると少し先の角のシュークリーム屋で電話してるかわいい子を見つける。
相手はおっさんでもなかったけど、いつかのどこぞの工業高生みたいにガラが悪くて、やっぱり不審な男やんけナンパか連れ去りやんけこの。

「なまえ!!ちゃん!」
「宮ー!おかえり、ひさしぶりー!背ェのびた?」

電話の向こうのミヤを女友達だと思ってたのか、不審な男は俺の顔を見て後ずさる。
コロスゾと言いたいところをかわいい子の前なので堪えて「俺のツレになんか用か他あたれやクソボケ」と言うと走って逃げていった。
俺が引き止めたせいで、大事な子が変な男に絡まれてしまって、死ぬかと思った。
帰ってきて早々治安が悪いし新喜劇じみてる。ここが俺のホームやって実感する。こわかったぁ。

「私が道案内できなすぎたねん。出口ないねんこの駅」
「アホか。アホでよかった。わざわざ慣れてなそうな若い女に訊かんやろなんでこういう危機感はないねん、狙われる立場って自覚せえや」
「助けてくれてありがとうございますー…」
「ちょっと感動の再会とか思ってたらなんなんこれ」
「笑っていい?」
「笑ってるとこ見たい」
「そんなん言われたら笑われへん」
「恥ずかしいん?かわええ、見せてや」
「あ?何言うてんもう東京に染まったん?不審者みたいやで」
「その不信感をや!それを!知らん男に向けろや!」

人が真剣に心配して怒ってるのにおなかを抱えて目が無くなるくらいとろとろに笑う。ああかわいい。もうかわいい。バレー怪獣みたいな男だらけだった合宿所のあとにこれは劇薬すぎる。お土産なんか投げ捨てて抱きしめたい。というかおしゃれしてるなまえちゃんのとなりでお土産だらけにジャージ姿ででっかいリュックを背負った俺かっこわるい。

「会えたし帰ろかー。電車あっちかな?」
「こっちや。もう帰るん早いー」
「明日も会えるやん」
「家まで送るわ」
「いらんよ早く帰りや。治がお土産待ってるで。毎日ぽけーっとしてたで」
「いつもやろ…なまえちゃんおしゃれして大阪で何してたん?」
「友達と遊んでた。春高見るって言うてくれてたで。かわいい女の子やでよかったな」

またタチの悪いことを言いながら、ホームに続く階段をたまにひとつ飛ばしでのぼっていく。
そんなに急がんでも、と俺は疲れたふりをしてゆっくりのぼる。
前を行くなまえちゃんの、切り込みの入ったスカートからタイツを履いた脚がちらついて、誰の前でなんてものを履いてるんやと両肩を掴みたくなるのをぐっとこらえた。

「俺の話した?」
「毎日してたわ。おらんのにおるみたいやった」
「サムがおるから?」
「ちゃうねん存在がうるさ…賑やかやから。でもやっぱりおらんから静かやな」
「寂しかったって言うたら許す」
「あはは。寂しかった」
「あとおかえりってもっかいちゃんと聞きたい」
「おかえりー!」
「ただいま」

少し先を行っていたなまえちゃんが、ホームに続く階段をのぼりきったところでゴキゲンな顔で振り返る。
抱きしめたい。抱きしめられないから来てくれ、抱きとめさせてくれ、という意味をこめて両腕を少し広げてみると、にこにこ笑ってそっと荷物に手を添えてくれた。優しいけど違う。

「やさしいやん、やっぱり寂しかったんやろ?」
「帰ろ帰ろ。また明日学校で聞かせてや」
「体育館でしゃべろ、昼休み、二人で。ええ?」
「いーよ」

付き合うとか彼女ができるとバレーに集中できないとかできるとか、もうよくわからない。
ただ、いろんなものの最後を想像する中で、この子のことを、どれも最後にしたくなかった。
ずっとは無理でもずっととなりにいてほしい。
どこにも連れて行ってあげられないけど、となりにいてほしい。
毎日はむりかもしれないし、いらないかもしれないけど、理由がなくても電話したい。
ぜんぶ欲しいし、ぜんぶ欲しがられたい。
思い出なんかにならないでほしい。
彼女がほしいとかじゃなくて、なまえちゃんが好きやって、ただ言いたい。
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