休み時間になると、となりのクラスから来た宮が私の前の席をまたぐようにどっかりと座る。
一日中来るわけではないし、ちょっとは慣れ始めたけど、相変わらず人目をひいて居心地はよくない。
それに、何か大きい大会の兵庫代表を担うまであとひとつというところまできていて、宮のテンションも評判も、格段に上がっていることが肌から強く伝わってくる。
どっちもあんまりついていきたくない。

「なあなあハンドクリームかしてー」
「えー。女子っぽいハンドクリーム好きじゃなさそう。切らしたん?」
「理解されててうれしいわぁ、かして」
「宮がわかりやすいねん…香料で荒れたりせんの?ボールにも付くやろ」
「練習んときまでに落とす、かして」
「落とすんかい!使うなもったいない!」

わたそうとして引っ込めた手に伸ばされた腕が軽々と届いて、驚いてかたまった一瞬の隙をつかれて、ハンドクリームを奪われた。
その手をひっかいてしまったらどうしようと思うと手出しできない。そんなことをきっと考えてもない勝手な顔で、宮は蓋をあけている。

「ちょっとだけやで、思ったより出るから、ベタベタなるから」
「そこは慣れてる」
「そっか。指につけて大丈夫なん?」
「手首につける」
「なんでなん、どうしたん」
「口実やん。ええ匂いー。冷たいなまえちゃんの匂い」
「嗅ぐな!治助けて!ヘンタイくさい人おる!あとそれ貰い物やからその子の匂いやなぁ!?」
「それは無理あるわぁ」

口癖のように治を呼ぶけど、治が助けてくれたことは一度もない。私はもう治のほうを見ることもないし、当たり前に返事もない。
宮がひらひらと振る手から、自分の手と同じ香りがする。二人分くらいの、目に見えない空間ができあがった気がする。
甘い香りを好まない私のために、私らしいものをと友達が選んでくれたすっきりとした香りは宮らしくもある。なんなら私より宮のほうがしっくりときてる。
柑橘の混じった、ひんやりとした風が吹いたときのような香り。この香りと今の季節と、明るい頭をしたゴキゲンな宮の顔が、記憶として結びついてしまいそうで困る。
宮の顔をかっこいいと思ったことはないし、治のようにかわいくもないのに、理由もわからずこの顔を見たくなるときがたまにある。

「それで何の用なん?」
「用なかったら来たらあかんの?なんで?」
「なんでってなんで?」
「なんでのなんでがなんでなん?」
「めっちゃだるい!」
「その鋭いツッコミ浴びてたい気分やねん、決勝にそなえて気ィひきしめたいねん」
「漫才グランプリ出る気か。あーもうツッコんでもーた」
「たのしない?」
「決勝楽しみやな」
「漫才の?」
「バレーや!バレー部の!」

また、嬉しそうな顔をする。宮にバレーがあってよかったなあ、いいなあ、と思う。
決勝のひとつ前とふたつ前、初めて観た公式戦はどっちもすごいものだった。
角名くんがあんなに素早く長時間動いてるところを初めて見たし、調子を落としているらしい治も普段の姿とはまるで熱さが違っていた。
尾白先輩はもうプロ選手のような迫力だったし、銀島くんもそれに負けていなかった。
そしてなんといってもブラバンがすごいし、チアはかわいい。
この間、これをこの通り宮に話したとき「俺は!?」と訊かれた。
宮の本気のサーブは腕がもげそうでこわくてちょっとひいた。ボールを目で追おうとしても必ず金髪がちらついてきて困った。知識も経験もないのに宮が上げるボールの軌道が好きでいやだった。客席まで届くような宮の指示の多さにその本気とチーム内での実力を見た。思っていた以上のうちわ女子の数と勢いにかなりひいたし、宮のことを侑や侑くんと呼ぶ女の子たちは誰だろうと気になった。そのすべてを黙らせて手の内にするような拳と背中がおそろしくて、これは、稲荷崎の宝なんてなまやさしいものではないなと思った。
うまくまとめられなくて「ひいた」としか言えなかったけど、そんな宮がよかった。

「決勝は俺のことちゃあんと見とってなあ」
「うん見る見る。治でれるかな?とべとべオサムって大声で言いたいわー」
「俺の扱い!」
「とべとべリンタローはちょっと緊張感あるよな、角名くんを名前で呼んでいいんかなって」
「なに男として意識しとんねん!え、俺の宮呼びもそういう…」
「違います」
「言うてくれとるん?とべとべアツムとかいけいけアツムって」
「そらまぁ普通に…」
「今言うてみて」
「いや。宮、絆創膏はがれそう」

ここ、と話をそらすために自分の口元に指をやる。
月曜日から双子の顔には湿布や絆創膏が貼られていて、試合のあと何があったのかと驚いた。
詳しくは聞いてないけど、試合には勝ったというのに双子乱闘が派手に繰り広げられたらしい。お互いに対して真剣だから、仲直りできるから、喧嘩になるんだろう。治にマウントポジションをとられる宮の写真を見せてもらいながら、角名くんとそう軽く話した。
傷の少ない治の顔はすぐにいつも通りになっていたけど、よく口を動かす宮の口元だけは金曜日になった今も絆創膏が貼られていて、よく喋るからやっぱりよれている。
新しいものをあげようと、靴ずれのために持ち歩いている絆創膏をポーチから一枚出すと、宮は目をぱちくりとさせた。

「貼ってくれるん?」
「なんでそーなるん?鏡もいる?」
「ナイスキーアツムーとかも言うてくれるん?」

選ばされている。話を戻して名前を呼ばされるか、絆創膏を貼るか。
めんどくさいなぁという顔を全面に出してみても、宮の機嫌のよさそうな顔は変わらない。
瞬間的な判断で、剥がれかけの頼りない絆創膏を宮の口元からぺりっと取って、手にしたままでいた新しい絆創膏の封をあけた。宮は何がおもしろいのか、まだなおりきっていない傷を悪化させそうなくらい口角を上げている。適当に鼻の頭にでも貼ってやればよかった。
貼るで、と両手をのばすと曲線になっていた口をむすんでむずがゆそうにした。どうやっても表情筋が動いてる人だなと笑ってしまうと、笑われた理由がわからないらしくまばたきを繰り返して、握り込まなくていい手を握り込んでいる。私の緊張が伝染しているのかもしれない。
絆創膏を貼るだけのことに、どうしてこうも緊張しているのか。じっと顔を見られていることがわかるけど、止めなくていい息を止めて、目は合わせないで、指先だけに視線を集中させた。

「貼れた」
「ほんまに貼ってくれると思わんかった」
「はあ?またよれるやん、もう静かにしとき」

狭い机に両腕を乗せていた宮が少し前に出て、私のスペースに入り込んでくる。椅子にもたれかかって、それを当たり前のことのように見ている自分がよくわからない。
だいぶ空気に散ってしまったけど、宮は手首に残るハンドクリームの香りを追うように鼻や口を寄せる。嗅覚にすがるように目を伏せている。私は意味深なようで考えなしなその行動に目を伏せる。
もう、私らしい香りじゃなくていい。宮のものでいい。

「なまえちゃん」
「なーに」
「なんかお守りちょーだい」
「え。絶対いらんタイプの人やん。神頼みとか知らん人の手作りとか無いわーってタイプやろ宮は。どしたん?大丈夫?」
「なまえちゃんは知らん人ちゃうやんかー」
「しかも買うにしてもつくるにしてもわたす時間ないやん」

今日は金曜で、決勝は授業のある月曜にある。試合前にわたせる時間があるのかわからないし、土日にわたしてもいいけど今から準備して作るとなると、お粗末なものしか完成させられそうにない。
宮がそんなこともわからないはずもないから、まじめに考える必要もないのかもしれない。
それでも宮は、我が物顔で私の机の上に身を置きながら、まだ引かない。

「なんかちょーだい今」
「今!?五円玉でいい?七番の七円にする?縁起いいな」
「お賽銭?じゃあ祈ってほしい」
「祈って勝てるん?関係ないやろー。祈っとくけど」
「そのひねくれてんのか素直なんかわからんとこ」
「なに?」
「なんも。神サンには住所と名前ちゃんと言うんやで」
「おばあちゃん?」

試合は選手に任せて、私は宮が怪我をしないように、祈る。
両手をあわせて神社のように、指を組んで握りしめて教会のように、つたなく繰り返し、祈る。
絶対に意味がないと思うけど、祈ってみれば、思いは切実だった。
この人が怪我なく無事でありますように。
このさきどれだけの試練があろうとも。
この人がこれからもいつまでも、どんなときも、大好きなバレーをできますように。
どうか。神さまがいてもいなくても。
宮のちからでそうなりますように。
すっきりとした風のような香りがして、ゴキゲンな宮の顔が思い浮かんだ。いや私はこんな教室で一人で何をさせられてるんや、とまぶたをパッとひらく。
思い浮かんだ以上に目を細めて、気分のよさそうな宮の顔がそこにあった。じっと見られていたらしい。
まわりの席の子が気まずそうにしているし、いつもは放置してくる治と角名くんの呆れたような視線を感じる。見る以外にも、何かしてたなこの男。
チャイムが鳴って、宮は私のハンドクリームを掴んで席を立つ。

「これお守りがわりに借りてくわ。決勝終わったら返すから」
「お祈りいらんやん!」
「だから口実やんかー、健気やろ?なんか同じのつけたなってん」
「うわ…」
「ロコツにひくなや。なまえちゃんやと思って膝かどっかにつけてコートつれてったるから」
「それどんな気持ちで試合観ればいいん?膝の気持ち?おもろい」
「月曜休んで試合来るんやんな?また火曜なー、俺のこと応援しとってな!」
「はいはいがんばって、楽しんどいで」

入れ違いのように、斜め後ろの席にもどってきた角名くんを振り返る。
さっき私が目を閉じていた間に宮が何をしたのか、私が訊きたいことを察したように「キスするのかと思うくらい近かった」と苦笑いで教えてくれた。
神さま。私のビンタがあの人に怪我をさせませんように。
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