「見せてやポンポコリンとかいうサム似のワンちゃん。見たい」
「アンダルシアのこと?アンちゃんて呼んでいいよ。写真探しとく」

テスト明けの宮のサーブ練習に付き合った帰り、教室に戻っていくときに、そんなような会話をしたことを思い出した。
古いアルバムをひらいて、自分たちの写真より格段に少ないアンダルシアのコーナーを見る。私の親には私よりも、もっとこの子を撮っていてほしかった。
おばあちゃんの家の畳の上で鎮座する姿、ランウェイを歩くような散歩姿、 そして何かを食べている愛らしい顔。
かわいすぎて泣きそうになりながら、小さな私が写っていないアンダルシアのソロ写真を一枚取る。
私にはこの子も治も同じようなかわいい生き物に見えているけど、宮にそんな感性があるのだろうか。
本当に興味があるんだろうか、こんなよその家の犬の古い写真。
宮は治のことが好きだから、そりゃあ見てみたいか。

鞄の中にピンク色のかわいい封筒がある。
写真が入るちょうどいいサイズの封筒が、小学生のときに使っていたそれしかなくて、女子高生なのに私にあるまじきそういう物が鞄の中にある緊張感がとてつもない。
大事な家族の写真を、宮と、勝手に重ねて後ろめたさがある治以外には見られたくないから、写真を封筒から出してわたす選択肢はない。
この封筒を鞄から出した時点で、誰かへのピンク色した内容の手紙と誤解されるにちがいない。
そんなものを人前で宮にわたして、誰かに誤解されて噂が広まって、宮とも気まずくなったりしたら、私はまず間違いなく一日は学校を休む。
なんだか最近ずっと誤解をおそれて生きている気がする。
平和を願って、しがらみから逃れて、好きな人もできずに生きてきたツケがこの思春期なのか。
宮が教室に来てくれたら、口達者な宮はなんかうまいことしてくれるはず、と念じてみても今日に限って宮は来ない。うまいことってなんだろう。むしが良すぎる。
それに、私の席に来ないでほしいっていう言いつけみたいなものも、まだ続いてたっけ。
変に義理堅いというか、たまに、私の望みをかなえようとするよくわからないところがある。
私が宮に甘えているような、それが当たり前になっていくような感覚がして、こわいときがある。
教室では会わないし、廊下に出てみてもお互いに誰かに話しかけられていることもあった。
私ともバレー部とも違う人と話してる宮は見慣れないけど、宮には宮の、私が知ることのないコミュニティがちゃんとあった。
もう机か靴箱にしのばせようかと思ったけど、そんなことをしたらいよいよそういう手紙と思われて、みんなの前で開封されて、私の大事なアンダルシアの写真がいろんな人の目にふれてしまう。ありえない。
今日に限って間が合わないし、目も合わない。今日じゃなくてもいいか。
宮もこんな写真の話は覚えてないかもしれない。見たいかどうか、訊いてみたい。
でも、いろんな人のいるところで、私から宮に話しかけるのはそもそも少し勇気がいるし、接点がほぼ無いに近い。

「治ーっ!」

一日中いろんなことを悩みつづけて、もう放課後だった。
終礼中、ゆるい担任から雑に注意をとばされながら、治の席でしゃがみこんで、治を見上げて、小声で話しかけている。
治は私のほうを見ることはなく、終礼中の前方を見ていた。この合わない目にほっとする。
治のことを犬と重ねて見てるけど、立ち位置的には私のほうがよっぽど動物に近い。
この人は私をとって食べたり、自由を奪ったりしてこないと安心できる。
治だけとちゃんと話すことが久しぶりな感覚がした。
宮と似てるけど似てないな、と思ってしまった。
治のほうが先に私の近くにいたのに。

「これ誰も見てないとこで治の兄弟にわたしてくれへん?」
「何その封筒ラ」
「違う、絶対違う」
「食い気味に言うやん。ラブレターやでどう見ても」
「ちゃうねんアンダルシアの写真やねん」
「誰やねん、どないなっとんねんお前らの関係」
「別にどないもこないもないー」

隠すように、治のエナメルバッグにピンクの封筒をしのばせる。
こぉら、と言いながら治は何もしてこない。
もし今のやりとりを見られていても、クラス内で関係がわかりやすい治となら誤解される気がしない。

「なんや知らんけど俺からわたしたら絶対拗ねるし暴れるで、めんどいわ。自分でわたして。絶対巻き込まれたないわー」
「治、どら焼き好き?明日あげる」
「他に頼み事は?なんでも俺に言うて」
「わたすだけでいーよ、よろしくー!」



一日経って、朝練を終えて教室に入ってきた治にどら焼きをあげる。
写真の感想はあってもなくてもよかったけど、宮はこっちに来ないのか、と思った。
拗ねるし暴れると言っていた昨日の治の言葉の意味をいまさら理解していく。

「…もしかして暴れたん?暴れる気なくす写真やと思うんやけど」
「俺には何もなかったのが余計ブキミや。みょうじがむちゃくちゃどやされるかもな。はよ教室行ったったら?あと俺は中身見てへんで」

となりの教室をうしろのドアから覗く。
宮はいつも俺も一組やでみたいな顔でこっちにいたから、席を知らないけど、その目立つ風貌ですぐに見つけられる。
宮と一緒にいる銀島くんがこっちを指さす。宮と目が合う。真顔でそらされる。
あ、怒ってる。
拗ねて見えるけど、あれは怒ってる。何を怒ってるかもわからないのに、わからないと謝れないから話を聞かないといけない。今ここで話すこととは思えないし、怒ってる宮がこわい。
怒りがさめてくれるよう願いながら、声をかけるのは昼休みにしよう、と自分の教室へ戻った。

「みょうじからラブレターやでって言うてベッド置いといたってん」
「それやろ怒ってる理由…違うって言うたやろー?治ー?」
「そわそわベッド入ってたけど、なんでやねんって叫んどったわ」
「からかったと思ってるんかな?気分悪くしたんかなあ」

宮に話しかけたかったけど、直接怒ってこないってことは、もう話したくもないってことなのかもしれない。
そこまでのことをした覚えはないし、治が話をややこしくしてる気もするけど、そこまで怒らせたのかもしれない。
一日中自分の教室から動かないで昼休みを迎えても、今日はあれから宮の顔を見ていない。
食欲がうせて、胃に優しいきつねうどんをすする。
これを食べ終わったら宮を捜しにいって、いやがられなければ話をしよう。いやがられたらどうしよう。
はあ、と狭くなった喉に流しこむ麺を一本すすると左肩を大きい手でつかまれる。真後ろに人の気配がする。宮だろうなと思ったら、顔を見る前にその声がした。

「急がんでええよぜんぜん待つから」
「なまえ今日もそっちの宮ンズとバレー?」
「せやで、この人は俺がもらってくなぁ」
「あげへんけどどーおぞ。顔こわ!」

え、どんな顔?と見上げると、めちゃくちゃ目を細められて、威圧のある笑顔をむけられた。
肩を縮こめると、宮の指にちからが入る。逃げるつもりはないけど逃げられる気がしない。仲直りしに来た顔でも、怒ってる顔でもない。
朝から目をそらされたのに、約束してたみたいな言い草もこわいし、知らんめんどい女に対してのキレ顔のほうがマシなくらいこわい。
言葉は優しいのに声に抑揚がまるでない。待つから、って言ってたけど、ここでゆっくりすればしただけ、私のきらいな人目があることを絶対にわかってるし、何この人めっちゃこわい。
急いでうどんを完食して、返却台にむかうときも肩をつかまれている。
この手を振り払えばそのまま縁まで切れる気がする。
いやなのは他人の視線であって、宮の感触じゃない。

「宮、歩きづらい…はなして、これ宮の獲物みたい」
「何それおもろい」

笑ってるのに笑ってない。はなしてもくれない。
暴れるとかどやされるとか言っていた治の不穏な言葉を思い出す。あ、治はどこにいるんだろう。治に助けてもらおう。

「治はもう教室やで」
「こわい!声でてた!?」
「言わんでもわかるねんいっつも治やもん」

目を細めてこっちを見る宮の笑顔が少しくずれる。肩にあった手はいつのまにか手首を掴んでいた。
どこにいくんだろう。人のいるところをわざわざ歩いてる気がするけど、宮は怒ってるというより元気がなくなって見えて、そっちのほうが気になった。

「宮、ごめん手ェはなして。めっちゃ見られてる」
「はなしてほしいから謝るん?」
「治がラブレターって言うたこと?で怒ってる?絶対違うって言うたんやけど」
「人をおかしくするのがシュミなん?」
「何の話!?」
「朝見に来とったのも治に言われたからやろ」
「そうやけど」
「はーあ」

がっかりされた。どこまで歩いても人がいて、体育館の外を半周しそうになったところで「なんかおるけどもうここでええか」と立ち止まられる。なんかて言うな、なんかて、と少し離れたところにいるかわいい男女のほうを見る。
私たちの雰囲気が悪すぎたのか、宮のガラが悪いのか、その二人は手を繋いで立ち去ってしまった。
どやされるのは覚悟してるけど、どう暴れるのかわからなかったから、ちょっと誰かにここにいてほしかった。

「宮、手は大事につかって。逃げへんから」
「誰がどの口で言うとんねん」

手のことか、逃げないことかわからなかった。どっちも思い当たるところがある。
宮の大事なバレーに私は関係ないし、知識もないからえらそうなことを言えないし、逃げないけど、逃げたい。じっと見据える宮の視線から逃れたい。
手首は掴まれたままで、逃げない意思表示に半歩だけ宮に寄ってみると、長い足で一歩距離をあけられた。
しっかり傷ついたけど、すがりついてしまいそうだったから、離れてもらえて助かるところがあった。

「なんで俺と話してたものを治にわたすん?」

それが怒らせている理由か。考えもよらなかったことが情けない。私の行動は、宮との関わりを放棄してると受けとられてもしょうがなかった。

「ごめん、昨日宮と」
「なんで俺は宮なん、治は治って呼ぶのに」
「えっとー…」
「俺の名前」
「…あつむ」
「もっかい」
「侑くん…?」
「…侑でええよ。で、俺が何」
「昨日ずっとタイミング悪くて、人に見られるとこでわたすのもいやで、あんなんそういう手紙と思われるし、写真大切やから宮以外に見られたくないし、宮と話すのって二人っきりがいいし」
「もうイヤやこの人ー!!」

わーんと言いだしそうな声で、宮は天をあおぐ。目の前の木々に動物たちがいたら、みんなが顔をのぞかせそうな嘆きかたをしてる。
こわい笑顔から元気のない顔になって、今は全力で困った悲しそうな顔をしている。
どうしよう、どうしたらいつもの元気でろくでもない感じの宮に戻るんだろう。
こんなに取り乱して見えるのに、手首は絶対に解放してもらえないから、正気ではあるのかもしれないけど。

「一回暴れる…?」
「なに暴れるって」
「拗ねて暴れるって治が…」
「また治!オトナやから暴れへんわ!」
「なんかごめん、写真一緒に見れたらよかったな。一緒に見たかった。私の席も来てほしかった。…都合よすぎてごめん」
「もう優しくせんとって……なんなんあのサムそっくりなワンちゃん」
「治と似てかわいいやろ?髪色とかも治と似てない?治見てるとアンに会いたいなぁってなるねん。ごめん宮の兄弟やのに」
「…それはええんやけど。写真見ていいの俺だけ?」
「治に見せる?私は宮だけ見てくれたらいいかな」
「見せへん」

口元をとがらせるようにむすぶ宮の言いたいことをわかってあげられない。
他人に過度な感情を向けられたくなくて、他人の気持ちをないがしろにしつづけて、こんなタチになってしまったけど、宮とはちゃんともう少しだけ仲良くしたいと思ってる。

「いやな気持ちにさせてごめんな。そんなにダイジな話にしてくれてると思わんかったねん。ごめん」
「…ええよ、俺もどうかしてたわ。めんどくさい女みたいやった。なんなんさっきの俺」
「否定はできん」
「誰のせいやねん」
「ごめんて」
「俺をめぐって争いが起きるから人前イヤって話やっけ?」
「まだどうかしてるな」
「それ謝った人の態度か?モテてないことはないやろ!?」
「そうやんな…高校生にもなってしょーもない人っておるやん?謂れのないことで当たられるのってしんどい」

まだ掴まれている手首が少し持ち上げられる。何か言うのかなと思ったけど、宮は何もないところに目をやって、めずらしく表情もつくらず黙っている。何かを思考しているように見える。
黙っているとマシと言ったおぼえがあるけど、こういうふうに黙られると少し緊張してしまう。

「あと宮って目立ちすぎるし」
「目立ちたいし」
「だから関わりたくなかったねん」
「えげつないストレート打ってくるやん。それ本人に言わんほうがええやつやで、過去形やなかったら俺死んでたで」
「でもな、宮と仲良くしたくないわけちゃうから気にしすぎんようにする。反省した」
「謂れがあったらどーするん」

謂れとは。話が少し戻って、自分で言った言葉が返ってきたけど意味がよくわからない。
治と人前で仲良くすることは平気。治は悪目立ちしないから。私は治を好きだけど、恋愛的な意味ではないし、治も私に感情を持たないから。今のところ誰かに攻撃的に疎まれたりもない。だって謂れがない。
この人は何が言いたいんだろう。訊くのもこわい。ぐるぐる考えていると、宮は何かを察したように「ほーん」と気のない声を吐いた。解放された気分になったけど、何かを諦められて失望されたとも思った。

「それで、手はいつはなしてくれるん?」
「はなさへん。イヤならもっとイヤそうな顔するか名前で呼んで」
「侑」
「早いな。はなしたらこの一回だけーとかいうオチやろこれ」
「違うん?」
「仲良ぉするんやろ?」
「してるやん」

手首を掴まれて、人気のない体育館の裏で二人っきりで、このシチュエーションと合っていない文句を聞きつづけたり、治と似てる犬の話をしていた。
よくわからないけどどうしてか、このままでいたい、と思った。
謂れって何。
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