誰かが練習や試合を観にくるからパワーアップ、なんてことはしたことがない。
バレーはいつでも楽しみで、いつでもやる気があって、いつでも誰にも負けたくない。
それでも、俺のカーディガンを抱えて、俺のネクタイを無造作に首からかけて、スカート姿で床にぺったりと座り込んでる人が後ろにいるこんなとんでもない状況は初めてで。
その状況を狙ってつくったわけでもなくて、本格的な練習時間じゃない昼休みなこともあって、ちょびっとだけ心を乱されていた。
壁際に行ってもらえばよかったと後から思ったけど、この子は俺といるし、俺はこの子といる、ってところを誰の目から見ても明らかにしたかった。
テスト前に冗談めかした誘いに乗ってこなくて、待ちぼうけをくらったことを少しだけ根に持っていた。
スカートの中に見せても平気なものを履いてるからどうとかじゃなくて、床の上にあるその白い脚と暗い影がもう暴力的なんやとあの子が座りかえているたびに思う。
まともに見ないようにしても目には入ってくるし、見ないようにすることにも労力を使った。
カーディガンを抱えられているのも、ネクタイがまとわりついているのも、その身体にべたべたと触れている自分がそこにいるみたいで気が変になるかと思った。
そんなもの床に置いておけと思いながら、その手に持っていてほしいとも思った。
こっちをじっと見られていることが戒めになって、気は変にはならずに済んでいたし、俺が見ていない間はよくこっちを見てくれているってことにも気がついた。ちょっとさみしい。
エンドラインから歩いてネット側に見立てた方向を振り返るたびに、視界の隅にいるその子を振り払って、集中のスイッチをいれた。切り替えの特訓にいいかもしれないと思った。
二人だけの時間というわけにはなかなかいかなかったけど、楽しい一週間だった。
べつにあの子と付き合いたいとかそういうことは考えてないのに、俺ばっかり気にしていることは悔しいから、少しは俺のことを好きになっていてほしい。
相変わらず話しやすくて楽しくて、喜んでくれると嬉しいとこっちは思ってるのに、俺と一緒にいたいみたいな手ごたえはやっぱりなかった。
人が増えるほどどこにもいたくなさそうにも見えて、俺と一緒にいたくないわけでもないのかもしれないとは思えた。
一度だけ満たされた瞬間があった。
初日に少し人がふえてきたときに、あの子が立ち上がって、ボールをひとつ拾ってきてくれて、集中力に身体をゆだねたままボールを受け取りに行ったとき。
誰にも何にも目もくれず、お互いの手元を見ているあの瞬間。
この子がいい、と思った。

練習試合は、練習試合でしかない内容だった。
何だろうと負けたくないし、実際結果は負けなかったけど、試したいことを試す場でしかなかった。
それもうまくはいかなくて、もっとひりつく試合の中でサーブを磨きたかったけど、燃えきれなくて場外ホームランをして交代させられた。
早く公式戦で強いところと当たって、勝ってみせたい。
試合が終わると、二階の隅のほうで、休校なのになぜか制服で観ていたあの子はいなくなっていた。俺の出来にあきれて帰ってしまったのか。
休憩中に体育館の周りをちょろっと見に行こうとすると、扉のむこうからピヨッと頭だけがはえてきて、心臓が止まるかと思った。

「ギャッ」
「不審者の気分や。元気そうでよかった、今日はもう帰るわ。おつかれー!」
「待って行かんとって!」
「話しかけて大丈夫なん?」
「心配して見にきてくれたん?」
「交代させられてたやん」
「だって相手ヘタクソやねん。俺のサーブ諦めよるしバチバチの読み合いもできん。集中切れて怒られた。最悪や」
「元気だしや。いやなんで勝った人を慰めるんや」
「ええやん慰めてや、かっこええって言うて。ほんでなんで制服なん?私服見たかった」
「目立ちたくなかったから」
「逆に目立っとんで。私服どんなやねん。なまえちゃんてちょっとアレ?天然?」
「おつかれー」

鞄も持ってきてないのか掴めるところがなくて、大股開きするようにして道をふさいだ。
少しあきれたような顔で見上げられて、まあまあとその場にいてもらうよう手を動かす。
言うつもりもバカにするつもりもないけど、運動音痴ぽいところもあるし、天然ボケだとしたら説明のつくことがいろいろとあるな、と思った。

「試合どやった?」
「バレーあんまわからん上にボール早いー」
「適当に褒めたらええのに。そういうとこがええとこやけど」
「でもおもしろかった!楽しかった!」
「せやろせやろー、公式戦こそ絶対来てなぁ」
「…まだ話せる?」

何それかわええ。
バレーのための休憩中だということを気にしていたらしい。俺は試合途中でかえられて動き足りてないし、反省もしたし、この時間は後から取り返しがつく時間だと思ってる。
それにたぶんこの人、俺から話しかけるとこたえてくれるけど、他人だらけのいつもの学校では話しかけてこなくなるだろうと予想してる。
口実のなくなった来週からどうしたものか考えている。いくらでもどうにでもするけど。

「話し足りんの?ええよ、話そうや」
「宮のポジションってどこなん」
「セッターやで」
「聞いてもわからんかった!勉強しとくわ」
「スパイカーが打ちやすいようにボール上げたるねん。かっこええやろ」
「みんなかっこいいけどな?」
「いーやセッターが一番かっこええ。俺を見てたらわかる」
「まだ体育館戻らんでいいん?思い出なんかいらんってどういう意味?」
「無視かい。そのまんまやん」
「前しか見てないかんじ?」
「だいたいそう」
「じゃあ公式戦こそ楽しみにしてるな!治にもよろしくー!」
「足らんー、俺の話してや」

なんでもいい。褒めてくれると嬉しいけど、褒められないならそのまま言ってくれてもいい。俺を見ていてほしい。

「宮ンズファンおるやん?あんま見られたくない」
「一言でえーから」
「うーん、いつもよりマシでいい」
「そない照れんでも。意識してくれとるん?」
「意識ってなに!?わかった、黙ってるからマシなんや!バレーしてるときの宮!」
「マシってなんなんさっきから!ひどいやろ!」
「楽しそうにバレーしてる宮がいいと思う。もっと見たいと思ってる」

プレーの内容を語れるほど詳しくないみたいで、思いもよらない方向に褒められる。
淡々と出てきた冗談でも嘘でもないらしい言葉そのものよりも、熱を持ちそうな自分の顔に驚いてひっくり返りそうになった。
バレーをしてるところが好きとかなんとか、そういうことは、けっこう言われ慣れてるのに。

「え、今のって、告白!?」
「ちゃうわ!」

入り口からの正面、背中を向けている方向から「ツム!!」と俺を呼ぶ治の声がする。
なんやねん、と振り返った俺の隙を見て、なまえちゃんは逃げるように帰っていった。
とっとこスキップしてるみたいな小走りは、絶対に追いつける速さなのに、シューズのせいで地面には出られない。
もどかしいまま、揺れる髪とスカートに無意識で目をとられていると、振り返られて、二人で同時に肩を上げて目をまんまるにした。
なんで振り返ったのかツッコんでしまえば、なんで見ていたのかツッコミ返されそうで、なんにも言えないで片手をひらひらと振るしかできない。
笑って手を振り返してくれる仕草にうっかり一歩ふみだしそうになりながら、動かした足で、さっき俺を呼んできた治の方向へ向かった。

「サムのせーで逃げられたやんけー」
「みょうじ差し入れ持ってきてくれたんやろ?俺の分は?」
「ちゃうわアホ!そんなことで呼ぶな!」
「みょうじが来るからお前今日ずっと鏡の前おったんか。乙女か」
「乙女ちゃうわ!寝癖なおしてただけや!」
「ほんでなんでみょうじおったのに食いモンの匂いせんの?」
「お前やっぱりあの子のこと飼育員さんと思うとるん?」
「あいつの頭がパンでできとったら、つねに頭ないやろなーと思うとる」
「ヒーローってことか!?ちょっとわかるわ」
「いや自分で食うてそうやん」
「なんやそれ!お前とちゃうねん!!」

オチがついたところで、座っていた角名がわざとらしくどでかいため息を吐いた。
俺か、治に何か言いたいことでもありそうなその態度に目をやる。
あいてるのかわからない眠そうな角名の目は、いつも通りスマホだけを見てる。

「みょうじさんて市工でモテてるらしいけど。一人にして大丈夫?」
「…ハア!?」

今日の練習試合の相手の名前を思わぬかたちで聞く。市工と試合をすると昨日から言っていたのに、関わりがあるなんて話はあの子から聞いてない。
市工か、俺が、話すほどの相手でもないと思われている気がする。

「対戦相手のアカあさってたら稲高に天使がいるとか言ってて、掘ってみたらみょうじさんのことだった」
「なんであんなチャラくてやかましくてガラ悪いとこでモテとんねん!?」
「今日のツムむっちゃおもろいな」
「どーゆー意味や!しかもクソ真顔やんけお前!」

事実かもわからないのに、いやな予感がしてくる。逃すんじゃなかった。せめて門までは見送ればよかった。
今からでも遅くないか、扉の向こうの様子を見に駆け出すと、下品な半笑いをした市工の男二人をひきつれたなまえちゃんが体育館に戻ってきたところだった。
一緒に歩いてるように見えるけど、その道の達人みたいに気配を消して、話を無視してるようにも見える。

「なまえちゃん、何やってん?」
「さっきぶりー。この人ら市工の二年やて。体育館の場所わからんようなったんやて」
「へー、こんな見てわかる建物がなぁ?」
「うち建物多いしややこしいんちゃう?あと記念撮影したいんやってー!緊張するわぁ、宮が撮ったってや」
「ええよー、二人は体育館入れや」

なまえちゃんと一緒に撮りたそうにしてる男二人を無視して、軽く取り上げたスマホで適当に写真を撮ってやる。画面の中にはピースもできていないほぼ棒立ちの、しょうもない男二人がぶれぶれで写っていた。何をやっとるんやという治たちの視線を感じる。

「あとなんやっけ?連絡先がどーのこーの言うてた」
「ええよー、うちの監督の教えたろ」

なまえちゃんの口ぶりは初対面ぽいのに、みょうじさんと気安く呼ばれている様子を見ていると、角名の言っていたおぞましい噂が事実に思えてくる。
そういう目的で関わりを持とうとしてるなら、今ここで叩きつぶしたい。

「なあアンタら、この人が市工でモテとるって話ほんまなん?」
「何そのおぞましい話。やめてや」

なまえちゃんは嫌そうに眉間にしわをよせて、さっきの俺みたいに全身で嫌悪をしめす。
おぞましいと俺も思っていたところに、どんぴしゃりでおぞましいという言葉が出てきて、おぞましさで通じ合う運命のようなものを感じてしまった。

「みょうじサンこないだ学祭来とったやろ?えらい楽しそうでかわいらしい子やったなぁってモテとるで!」
「あー、ホストで豪遊したけど人違いちゃう?」
「アンタ何しとん!?」

男だらけで、無法地帯になりやすい工業のうちでも、特に素行が悪いと言われてる方の市工。
学祭に行くだけでも正気を疑う行動なのに、その上ホスト。しかも豪遊って聞こえた。
毛という毛が抜け落ちた気がして、髪に手をやってみたけど、ちゃんと残ってた。

「友達と連絡とってる人が市工やから、みんなで様子見に学祭ついてったねん。そしたら出し物ホストやったねん」
「そんな危ないとこ行くなや!アホか!なんもされんかったん!?」
「お菓子もらっただけやけど…女の子としかしゃべってないし」
「みょうじサン、オレらのことガン無視やったもんなぁ?ホストよりホストしとったわ」
「お前らに訊いてないんじゃ」

クソブタ、と言おうとしたところでビブスをくっと引かれる。弱い力がうそみたいにかわいくて、人の怒る気をそいでおきながら、その腕の持ち主は叱られた子供みたいに頭をたれさげている。

「もうあんなとこ行く気ないから。怒らんといてや、オカン」
「オカンちゃうわ!せめてオトンやろ!餌付けなんかされなや、サムになってまうで?」
「治にはならんし、なってもいいやろ治には。あ、治ーっ!」

思い出したように、体育館の反対側でこっちを眺めている治に手を振っている。
食べ物は持ってないよと手のひらを広げるなまえちゃんは、治のことがワンちゃんに見えてるらしいけど、ちいさく跳ねながら手を振る姿はどっちがワンちゃんかわからない。
そして俺は、こんなに嬉しそうに手を振ってもらったことがない。

「なーんや、宮兄弟の女やったんか。オポの方?」
「ちがうやめて」
「ちゃうけど、うちのダイジなムスメに手ェ出す気なら帰ってもろてええですかァー?」
「手なんか出さんて!みょうじサンの純粋そーなとこがええねんもん!付き合ったりしたらこっちも純粋なれそーやん?天使やん?連絡先くらい教えてえや」
「ほんまむり、きっついわ」

へたになまえちゃんが恨まれないように俺は抑えてるのに、本人は不快な態度を隠さない。
くたびれてたなまえちゃんの目からいよいよ光が消えて、本気で絡まれたくないときはこういう顔をするのかと、向けられたことのない顔に少し安心してしまう。

「オレはほんまに卒アルで見たときからみょうじサンに目ェつけとったんやでー!?」
「あ?目ェつけるてなんやねん、つけんな、目玉焼きにしたろか」
「あははっ、そんな目玉焼きいややー」

嫌悪感からころっと変わって、かわいく笑う姿に場がなごむ。この俺が、この顔にさせました、と胸を張りたくなる。

「はーあ。人と連絡とるのめんどいから、よっぽどの人にしか教えてないねん」

これは、俺も簡単には教えてもらえないな。よっぽどの人になれなかったうなだれる男が、未来の自分に見えてくる。
向き直すようにこっちに向けられた顔は、少なくとも俺のことをきらいじゃないってことしか教えてくれない。

「宮、こっちかまってる場合ちゃうやろ。ごめんな、ありがとう。今度こそ帰るわー!」

今度は逃げるんじゃなくて、手を振ってから歩いていく。
その後ろ姿に届かないように、横にいる男たちだけに届けるように気をつけた自分の声は、おそろしく低くなった。

「市工サン。二度とあの子と関わろうとすんな、名前も出すな。って、ここにおらんやつらにも言うといてや」
「…やっぱ宮兄弟の女なんやん。有名人やから隠しとん?」

違うけど。時間も惜しくて、誤解させたままのほうがいい気がして、否定はしないでおく。
まだ背中が見えるなまえちゃんを追うために、誰のものでもなさそうなつっかけを適当に借りた。あんまり見られたい格好じゃないけどしょうがない。足元を見られないように、一歩だけうしろを歩くようにする。

「見送るわー」
「いいよ忙しいやろ」
「門まで。もう絡まれなや、相手がお菓子持ってても無視して帰りや」
「治とちゃうねん……なあ、純粋になれるって何?ラッキーアイテムなんかな?」
「あーゆー扱い、ちゃんと好かれてるって気ィせんよなぁ」
「ほんまそれ。宮たちはもっと大変なんやろなぁ」
「俺らはけっこー周りどうでもええから」
「あはは。宮、あんなんにバレー負けたらあかんで!負けへんと思うけど!」
「負けへん負けへん」

茶色く透ける目や、俺たちとはつくりが違って見える薄そうでなめらかそうで白い肌は、あながち天使みたいに見えなくもない。自然に明るい髪は地毛かと思ったら、根本がすこしだけのびて、黒髪が見えていた。
天使じゃなくて、ちゃんと人間でほっとした。
無性に、むちゃくちゃに、撫でまわしたい。
そんな欲を持て余していると、じっと見ていた頭が勢いよくこっちを向いて、ギクリとしてしまう。

「…市工の人からちょっと守ってくれてた?心配もしてくれてたな」
「もうなまえちゃんの名前も出さんようにお願いしたら聞いてくれたわぁ」
「え!そこまでしてくれたん?ありがとぉ…!」

俺の考えていることなんか知らないで、無防備に笑う。そういうところが心配やと言いたい。
門につくと、レールをはさんで向き合うかたちになって「つっかけやん!」と、ただただ笑われた。

「急いで追いかけたんやからしゃーないやろ」
「…ありがと。じゃあ午後もがんばって、楽しんで」
「なまえちゃん、よっぽど仲ええ人ってどんな人?」
「付き合い続きそうな人?信用できる人かな?また月曜ー」

俺は?と訊く隙を与えてくれない。やっぱりまだよっぽどの人ではないらしい。
手はすぐに離れていったのに、力もありえないくらい弱かったのに、ビブスをひかれたこそばゆい感覚だけが残っていた。
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