昼飯を済ませて食堂を見回すと、奥のほうでまだちまちまと箸をすすめているあの子を見つけた。
目が合うとわかりやすく顔を歪められて、隠れようもないのに姿勢がぎこちなくなっている。眺めているとおもしろくて、目を細めてしまう。
それが幸せそうな笑顔に見えたのか、そんなに今日のメシがうまかったのかと訊いてくる片割れに適当に相槌をうつと、俺もそっちにすればよかったなぁとかなんとか嘆いている。
食の話になると能動的に話しかけてくる片割れは放っておいて、今すぐあの子のとなりへ行って、ずうずうしい態度にゆだねさせて、体育館まで連行したい。
目が合った感じ、一方的な約束を忘れてないし、来ない選択肢をとらないように見えた。
今は、意外と健気に待っている俺を見せるほうが、今後の信頼関係に関わってくる気がする。
俺のしたいことよりも、あの子のされたいことをしてあげる。
あの子には何も言わずに食堂を出て、バレー部のくせにサッカーをしに行ったり、昼寝したりするバレー部たちと別れて、ひとりで体育館へ向かう。

体育館はいつも通り開放されていた。
本当に来るのかもわからない相手をただ待てるほど暇じゃないし、おとなしくもできないから先にボールを触らせてもらうことにする。
なるべく入り口近くで待ち構えたかったけど、付近は女の先輩に占領されている。
へたに声をかけられて話し込んだりしているところを見られると、あの子は来なくなる気がした。ヤキモチなんかじゃなくて純粋に、ただ離れていくような気がした。
面倒なことになるのがイヤで、話しかけられないよう顔をしかめてその場を通り過ぎ、邪魔をされないよう対角に離れた。
この位置だと、体育館覗いたけど居なかったわー、とかあの子に言い訳されかねない。でも俺は俺で何にも邪魔されずにボールを触っていたい。
ボールを触っていると楽しくなって、もうあの子のことは、来てもいいし来なくてもいいくらいの気持ちになっていた。
なんで誘ったのかもよくわからなかった。もっと話してみたかったのかもしれない。
話すチャンスなんて、きっとまだこれからたくさんある。
でも、ここで来てくれなかったら、もう話しかけても届くものも返ってくるものも無いだろうなとも思う。
試したかったのかもしれない。話していて楽しいのは俺のほうだけなのか。
壁打ちをしていると近くでペンペンとまぬけな音がして、なんやなんやとその方向を見ると、ボールをお手玉みたいに触っているなまえちゃんがいた。思いのほか嬉しくて驚いた。

「ほんまに来てくれたんやぁ!」
「来るよ。食堂でめっちゃ睨んでこんかった?」
「イケメンが優しくほほえんだんやろがい。ほーらバレーボールやでー!」
「こわ。ボール、あとで磨かせていただきます」
「ええって、そんな時間ない」
「入り口の先輩らはギャラリー?声かけられるの厳禁じゃなかった?来てよかったん?」
「先輩らはただの体育館でしゃべってる知らん人。サーブ中は無音がええ。今はべつに、呼んだの俺やし」
「そっか…ぎゃー!」

ずる、ごつ、とにぶい音がした。とっさに腕を差し出して、立ったまますがるような体勢をとられている。
この子、人間じゃなくてぬいぐるみか何かなのか?ってくらい重みのない身体をあずけるように、しがみつかれている。

「あっぶな…」

何が起きた。壁打ちを真似しようとして、できてなくて転がっていったボールを追いかけて、何もないところですべって転んできたのか。

「大丈夫!?」
「コケたんアンタや!そっちが大丈夫か?」
「それより宮の腕!大丈夫!?」
「そんな頼りない腕してる?これ」

しがみつかれたままの腕を動かす。胸が当たっていたことに今更気付いて惜しいことをした。
そっちがコケてきたくせに、触りたくも触られたくもなさそうに素早く離れられて、心が痛んだけど身体はどこも、なにも痛くない。
あ、またすべってコケそうになってるし。

「腕大事にして、こんなことで絶対に怪我せんといて、おねがい」
「大丈夫やって」

こんなこととか言うな。泣きそうになるな。アンタの好みそうなチャラくない落ち着きのあるまじめキャラでいこうとしてるのに、うっかり抱きしめてしまいそうになるから。

「あー!怪我させたと思った死んだと思った!ごめん、ありがとう、二度と助けんといて」
「頭打ってたら死んでたやろ」
「めっちゃいややねん人の怪我。もう近寄らんといてな?」
「そっちがコケてきたんやろ。どこまで話発展するねんコケただけで」
「スポーツ選手って骨逆になったりするやん。あんなん心臓止まるねん。見たくない」
「聞いてて痛いわー!」
「宮は怪我せんように生きてな」
「うんって言いたい気持ちはあるで」
「できなそうやもんなぁ…」
「お約束みたいにすべった人に言われたないわ。ほらほら、バレーして元気だし」

何かを、たぶん俺が怪我しないことを、祈願している手に転がっていたボールをわたす。
掴まれていた腕にまだ熱を残すこの手の温度をちょっとだけ、知りたくなっている。

「サーブってグーで打つん?パー?」
「パー。頭打って死にそうやからジャンプはやめとき。容疑者なりたないで」
「パーで宮はあんなすごいの打てるん!?」
「フフーン。侑でええよ、呼び方」
「いや宮でいいよ」
「なんなんほんま!」

白くて細い指先が、サーブトスを上げる。
誰を手本にしたのかそれだけはわりとサマになっていたけど、ボールは手のひらに当たることはなく、なまえちゃんの頭のてっぺんに当たって後ろに飛んで跳ねていく。
あ、この子。「奇跡的な運動音痴さんやなあ」声に出た。
怒らせると思ったけど、事実だからかぶつけた頭をおさえて「初心者はこんなもんやろ」と堂々としていた。いろいろなことを新しく始めるときの自分を思い出す。
俺の片割れは、だいたいのことは最初からそつなくできていた。この子と仲良くなるのもきっとそうだったんだろうなと思った。

「サムのことは治呼びやん。サムのこと好きなん?」
「や、」
「イヤやったら話さんでええけど」
「治は」
「協力もせんけど」
「なんも言わせへんやん。めっちゃ口挟むやん」
「いややっぱ言わんでえーわ。聞きたない」
「なんやねん。治っておとなしい犬みたいやろ?」
「どこのオサムさんの話?うちの治は猛獣やろあんなん」
「食べ物見たら目ェ輝かせてかわいいやん」
「かわええ!?ほんまにどちらさんの話や」
「治、うちのおばあちゃんちの死んだ犬そっくりでな…これって治のこと好きなんかなぁ?」

どうして俺の前では治の前みたいに笑ってくれないんやろうと純粋に疑問だった。
どの違いがこの子を治のもとへ動かすのか、ただ知りたかった。
少しでも興味をひいてみたいと思ってたけど、死んだ犬て。死んだ犬に勝てる気がしない。せめて生きててくれや、ワンちゃん。

「それはワンちゃんのことが好きなんやろ。俺も似てる?俺もかわええってこと?」
「似てない。アンダルシアはおしとやかなお嬢や」
「誰って!?サムのどこがお嬢?ツッコミ慣れへん!追いつかん!」
「だからな、治のこと恋愛として好きとかは思ったことないから。安心していいよ」

おお、この俺に対してずいぶん自信のある発言をするなあ、と思ったけど手元もボールも乱れない。
思ってたタイプとかなり違うけど、脈アリなのかもしれない。今、彼女が欲しいとか思えないから、この子とどうなるとかでもないけど。好かれることに、悪い気はしない。

「治との間に入ったりせんから。治とバレーしてたいんやろ。最初にそう言うてたやん」

そっちかい。今日一のツッコミは声には出せなかった。
今日ここに来てくれたところ、何ひとつうまくできてないけど見よう見まねで遊んでるところ、俺たちの大事なボールを大事に触る手、おさむおさむと言いながら、目の前の俺を宮と呼ぶその口。けっこう好きになってきてるのに。そっちかい。

「じゃあ他に彼氏おるん?つくらんの?」
「めんどい」

そして、こういうところ。ひやっとする。探りが露骨すぎたか、って思う。

「俺が?」
「男?人?が。めんどくない?いろいろありそうやん、宮兄弟の方が」
「あー、いろいろあるけどどーでもええわ」
「あはは、ひど」
「こっちがフッたのにフラれたことなってたりなぁ」
「あるー!告白断ろうとしたら、冗談やのに本気にした?みたいなんもあった」
「だるー!気にするだけ時間の無駄や」
「こないだも、笑ってくれたから好きになりそうとか言う人おったねん。そんなんで人のこと好きになる?赤ちゃんかっちゅうねん」
「あっ?赤ちゃんちゃうわ!!」

危なかったけど、トスを乱さなかった自分に惚れ惚れする。
笑ってくれたから?好きになりそう?身に覚えがありすぎる。エスパーかこの人。まさかこんな大事なことまで口に出てるのか、俺。それとも俺以外にも、冷たくされて笑ってもらえた犠牲者が出てたのか。

「ごめん、ひくやんな…話しやすくて言いすぎた」
「ええよええよ。心ひらいてもろて嬉しいわあ」
「ひらいてはないけど」
「そういう感じやから、笑ってくれたら相手は嬉しいねん。嬉しいから好きって思ってまうんやろな」
「ふーん?嫌われてないって安心したのを、好きやーって誤解してるってこと?」
「知らんけど」
「じゃあこっちは罪悪感もたんでいいんや。誤解やから」
「いや待て。それは持て。弄んでるんやから」
「弄んでへんわ失礼やな」

やってる。今まさに、俺がやられている。
そういう駆け引きを楽しんでるなら、関わらないようにするだけやからまだいい。
こっちはまじめに仲良くしたいと思ってるのに、この子が線をひいた向こう側に踏み込むと、何か対応をひとつでも間違えると、容赦もなくあとかたも残さないで、逃げていってしまいそう。
なんかこの子、常にぎりぎりここにいてくれてる感がある。

「なんでフッたりする側は悪者なんやろ」
「好きな子には好かれたいやんか」
「好かれたい…?」
「そんな目から鱗みたいな話かこれ」
「人に好かれたいとか思う?友達も友達になりたいーって思ってなるもんやなくない?どうやったっけ?」
「それ贅沢っちゅーんやで。人に好かれてることが当たり前の状況になってもうてるんやて」
「贅沢なんかな。好きでもない人に好かれることも?」
「そうらしい。俺も前に先輩に言われた」
「宮も?そもそも宮は人を好きになれるん?」

他人行儀な呼び方でもその口から俺を呼ばれる。少し似たもの同士って認定からくる好奇心の目が、俺に向けられている。それだけでうれしくなってしまっている。
今まさに、じわじわと好きにさせられているところなのに、よく言うわ。

「めちゃくちゃなれる」
「ならなそうやな」
「おい。どーゆー意味や」

そうやって、その気にさせて、突き放す。タチの悪い。合わない目をこっちへ向かせたい。

「騒がれてるからもっとチャラい人やと思ってたってことー!」
「実際かっこええからしゃーないよな」
「ははっ、チャラ」
「愛のない愛想笑いが一番きつい!」
「なんか、ただバレー好きなだけっぽいし、人気あるのもわかったわ」
「なんか微妙に線引かれてない?俺」
「なんのこと」
「そういうとこや」
「宮はバレーしか見てなくていいなって話やん」

ほら線を引いた。たしかに誰かと付き合いたいとかは思ってないけど、ある感情を無いものにはしたくない。
伝わってしまえばいいのに、伝わって逃げられるくらいなら、まだ伝わらなくていいとも思う。
ボールを叩く音がよく響く。
居心地はいいけど、へんに静かすぎる。入り口あたりにいた先輩たちも居なくなっている。

「なんか昼休み長ない?」
「あ?昼休みって何時までやっけ?」
「え、ここの時計壊れてない?」
「スマホも同じ時間やで」
「え」

あーっ!と二人で大声を出すと、どこからか現れた体育教師が拳をかざして怒鳴り込んできた。気になる女の子と体育館で二人っきりで、えらい青春しててどうもすんません。
ボールを大急ぎで片付けて、体育館から飛び出す。大きさの違うスリッパの並びをもう少し見ていたかった。

「コラァ何やっとんのやお前ら!宮か!どっちや!」
「治ですー」
「侑やろ」

おお、侑って呼んだ。という顔を向けると、なまえちゃんは、しまった、という顔をして教師に向かっておじぎをして隠す。ああ、かわいい。
まるで興味ないみたいな顔をして、名前を覚えてくれているだけのことでも嬉しい。名前なんて知られていて当たり前やと思ってたのに。知らないやつの方がおかしいくらいに思ってたのに。

「先生、バレー夢中なって気付かんかったんですごめんなさい!」
「えーからはよ教室戻れ!お前は部活停止すんぞ侑ゥ」

おっさんは俺の名前をねちこく呼ばんでええ。
たぶん全速力のなまえちゃんのとなりを大股歩きの早歩きみたいに走って教室へと急ぐ。コケなや、と言ってみるとギャアと怒りながらすべりそうになっていておもしろかった。

「てか体育館ていつでもあいてるん?」
「だいたいは。次いつにするー?最近試したいサーブ強化中やねん」
「いや私バレー部ちゃうから」
「なまえちゃんおったらおもろいし女の子近寄ってこんくて助かるんやけど」
「へー、じゃあ気が向いたら」
「じゃあまた明日の昼やな!」
「なんでやねん!こっちは友達おるから毎日は無理やって!」

適当に適当なことを言い逃げして、とっくに授業が始まっている教室へと滑り込む。
バレーが友達でバレーが恋人みたいな言い方をされていたけど褒めすぎやって。照れながら着席しようとすると、授業の間中うしろに立たされることになった。
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