ひと月ぶりくらいに制服をまとって学校に来たのは就活組の登校日のためであってそれ以外の理由では決して無くて、そのうえ俺はバレー部を引退した身だというのに、今、なぜかバレー部の見知った顔の一年が俺の前で頭をさげている。面接の練習を終えてさあ帰ろうかというところ、この校門から出た先で何をしようかというところ、俺を見つけるなり走り寄ってきたらしく後ろから肩を掴まれて情けなくも叫ぶはめになった。高校生活とはいろんなことがあるはずで部活がすべてなわけがなくてそもそもどう考えても何度考えても俺は引退した人間なのになんでどうして学校に来るとこうなるんだ。キャプテンという役職をおりても元キャプテンという役職に立たされて、すこしも離れさせてなんかくれない。


「とりあえず頭あげろ。お前部活はどうした?」
「今日は雑用係っす足傷めちゃって」
「それを手伝えって?」
「ちょっと違うんスけどとりあえず体育館に!」
「青根か?二口か?自分たちでなんとかできるだろ。無理でもそうなってもらうように三年は引退したんだぞ」
「いや青根さんも二口さんもまじめに練習してるんスけど、その…」
「監督に娘さんの話きいちゃ駄目だってあれほど言っただろ!」
「監督でもなくて」
「また殺虫剤なくしたのか?部室はきれいに使えってこれを機に学べ!」
「女子が…」
「女子マネージャー勧誘なら二口がやる気だせばなんとでもなるだろ?あいつはああ見えて選り好み激しいとこあるから難しいかもしれないけどそこをなんとか説得して、あいつを口で負かすなんて難しいかもしれないけど素直に頼めばあいつも…とりあえず信じるんだ、二口を!」
「女子が!居るんです!体育館に!」


女子への応対がわからないという後輩の頭に一発げんこつをくれてやる。
そりゃあ夏休みだ、彼女いる奴はつれてくるかもしれないし、めったにあることじゃないけどもしかしたら誰かの家族も来るかもしれない。同じだけ女子に免疫がないぶん気持ちはわからないでもないが、そんなことで忙しい就活生を連れ出そうとするな。あの体育館に並々ならぬ思い入れのある俺を、連れ出すな。



水道で水浴びをする野球部の横を通り過ぎて、「浴びるんじゃなくちゃんと補給もしろよ」と声をかければ「キャプテンっていつまでもキャプテンっすよね」と自分の後輩に感心される。喜べたことじゃない。俺がのこのこバレー部に顔を出して、口を出して、いまキャプテンのあいつのメンツというものはどうなるんだろう。あいつはちゃんとキャプテンらしく振る舞えてるのか。信頼を押し付けたのは自分のくせに気になってしまうのは、いつまでたっても後輩がかわいい証拠でもある。人一倍負けん気が強くて生意気なあいつはそんな余計な気遣いも鼻で笑い飛ばしてしまうんだろうけど。

体育館に近づくと嫌というほど繰り返してきたかけ声が聞こえる。
服がはりつく背中に風がひとすじ通る。
ボールを叩くような音を懐かしいと思ってしまった。
汗が顔の輪郭をなぞる。
角を曲がれば扉の付近でちぢこまって座る誰かが、おそらく後輩が言っていた女子が、居る。
体育館の中まで入らないで済みそうなことに安堵して、扉に近付いてみるとふいに顔を向けられる。逃げるように逸らされた顔がもう一度こっちを向いて、あ、と何か気付いたように言われて俺のほうもなんとなく、誰かの面影を感じた。


「こんにちは。誰か呼びますか?」
「いえっ、こんにちは、だいじょうぶです…すみません」
「あ、いえいえお気になさらず」


これで俺の役目は終わったんじゃないかと後ろに居た後輩を見てやる。ぺこりと頭をさげて雑に靴を脱いで体育館に戻っていった。こら、靴はちゃんとそろえろ。真夏の男たちの靴の山は視界に入るだけでもけっこうな苦痛だ。そんなむさくるしい中でさっきから感じる女の子の視線には気付いたほうがいいのか、気付かないふりをしたほうがいいのかじっと考えていた。
この知らない子をどこで見かけたのか自分も気になっている。きっとこの学校の子で、食堂や登下校で見かけたと思うのが自然だ。それじゃなくてもきっと同じ県内の人間だからどこかで顔を見ていてもおかしくはない。でも、そんなものとは違う気がなんとなくする。相手がこっちを気にしてるような素振りも気になる。
何か、話しかけてみよう。
決意して少しだけ顔を下に向けてみると俊敏に顔をそらされた。赤くなったほっぺたは暑さなのか化粧なのか自分にはわからない。


「暑くないですか?飲み物いりますか?熱中症なんかになったら…」
「あ、大丈夫です、ジュース持ってきてて、でもそしたら…トイレ行きたくなっちゃって…」
「あ、場所わかりませんか?」
「…はい」
「案内しますね」
「ありがとうございます!」


しゃがみこんでいた身体が勢いよく立ち上がって、それでもやっぱり小さくて細くて、俺の後ろをちょこちょこ歩く。自分よりでかいような後輩ばっかりに囲まれてたけど、かわいいというのは正しくはこういうことだったなと思い出させられた。


「あの、部活出ないんですか?怪我されてるんですか?」
「あ、俺もう引退したんで…俺のこと知ってるんですね?」
「きのう写真見ました!三年生なんですね、私二年なんで敬語やめてください。引退かぁ…」
「あ、トイレそこですよ」


女の子はありがとうございますと一礼してトイレに向かう。出てくるのを待つのは変な感じがするけど話が中途半端に終わった気がして、写真というものも気になって、トイレ前に佇む。
相手は俺を写真で見たらしいけど、それなら俺が相手に思った面影みたいなものは気のせいだったんだろうか。まったくの初対面に、よくある思い違いをしてただけなのか。
女の子がハンカチで手を拭きながらトイレから出てくる。ハンカチなんてものをこの学校で初めて見た気がして伊達工は動物園だと他校生たちから形容されることに今更納得がいった。
急がなくていいのに、俺が俺の疑問のために待っていただけなのに、小走りするようにまた隣に戻ってきてくれる。かわいくないかわいい後輩ばかりだったから、少しの動作に感動してしまう。


「訊いていいかな?」
「はい」
「バレー部の奴の、家族…とかですか?」
「いとこです、二口堅治の」
「いとこ!?二口の!?あ、言われてみれば…」
「えー似てますか?」
「いや…なんだろ、どっかで見た気がするなーって思ったんだよ。そうか二口か…性格は真逆かな」
「堅治迷惑かけてるんだー」
「…かけて、ない、とは言えない…。でもそれ以上にチームに必要な奴だよ、あいつは」
「いまキャプテンなんですよね?びっくりしました!あの白い人がキャプテンじゃないんですね?」
「白い人…こーんなでっかい奴?」
「そうです、こーんな跳ぶ人です!ちょっとかわいらしい、怪獣っぽい感じの!」


あ、この子、本当に二口のいとこだ。疑っていたわけじゃないけどあの青根をかわいらしいと表現するこの笑顔は二口がよく青根のとなりで「おもしろいんです、こいつ」と言いながら見せる笑顔とよく似ている。


「笑ってますか!?」
「いやぁ二口のいとこだなーって、ニヤニヤしてやらしいよね、ごめんね」
「あ、大丈夫ですぜんぜん…!もっと笑ってください!」
「わははっ、似てんだか似てないんだか」


話が途切れると耳がまた体育館の音を拾いはじめる。扉の枠組みが別世界を見せているみたいに体育館を切り取る。ボールを指先に乗せる重みを、壁として伸ばす腕の痛みを、思い出そうと必死になってみてももう正しいものがわからなくなっていた。


「せんぱい、練習見て行かないんですか?」
「んー…もうすぐ休憩だよ。それか今日午前練かな?一日いるの?」
「私は午前中で帰ります、堅治が休憩のとき駅まで送ってくれるって。たぶん午後から自主練…?」
「それなら俺送ろうか?ちょうど帰るとこだから」
「えっ」
「あ、ごめん!いきなり知らない奴と二人は嫌だよねふつう」
「あ、いえせんぱいさえよければ…!堅治も休みたいだろうし。でも一応堅治にきいてみます、せんぱいに迷惑かけたくないと思うんです」


幼い顔から発せられる堅治という聞き慣れない名前は、聞き慣れない響きも含んでいる気がした。二口の名前を呼ぶ声はだいたいは怒気がこめられていて、そのだいたいは鎌ちだ。大人気ないことはやめろ、生意気言うのはやめろ、と二人に何度となく言ってきた俺の苦労は、この子が近くにいてくれたら半分も無くて済んでいた気がする。

長い長い笛が鳴る。練習が終わる音だ。
隠れるように壁にぴったりくっついても、やはり見えていたようでいちばんに顔を見せたのはしたたる汗を拭いてもいない二口だった。


「愛子ちゃんさぁー俺勝手に動くなつったよなー?」
「いひゃいけんじつねんないでー!」
「こら二口!やめなさい!」
「あ、茂庭さんどーもうちのがメーワクかけましたーなんで一緒にいるんすかつーかなんで学校いるんすか?留年の準備!?」
「登校日だよ!お前のいとこはトイレまで案内しただけだから怒ってやるな!」
「あ、そーすか。なんか茂庭さんになついてるみたいでナニゴトかと思いました。男あさりに連れてきたんじゃねぇーっつーの」
「だってせんぱい堅治の部屋の写真にい…んっ!?」


顔をまるごと掴めそうな手が女の子の口をふさぐ。そういえば二口のいとこは俺を写真で見たと言っていた。もしかしてこいつ、部屋にバレー部の写真を。


「二口、何も聞いてないから離してやれ。彼女苦しそうだぞ」
「いとこです」
「素直すぎる後輩持つ先輩の気持ちわかったか?」
「俺はもーちょい考えて発言してますけどね」
「うん、お前はいい後輩だよな」
「そうっすね、そのいい後輩にいい先輩はアイス買ってくれますよねありがとうございまーす!」
「ふざけるなっ!」


珍しい二口を見たかと思えばすぐにいつもの調子で軽い笑顔をはりつける。口を塞がれた仕返しをしようとするいとこをかわす姿は動物のじゃれあいみたいで微笑ましい。


「あ、堅治、せんぱいが堅治のかわりに駅まで送ってくれるって。いいかな?」
「は?」
「そのほうが堅治休めるよね」
「いーんじゃねーの?よかったな、俺もお守りから解放されてよかったわ。じゃ茂庭さん、この子豚の出荷おねがいしまーす」
「お、おう」


俺は、選択を間違えたかもしれない。相手が限られてはいるが面倒見のいい二口のことだ、送ってあげたかったのかもしれない。やっぱりやめようかと言うには二口の機嫌のそこねかたが手遅れに見える。


「午後もがんばって、キャプテン!」
「はいはい」
「バレーしてる堅治かっこよかった!わがままきいてくれてありがと」


素直な言葉のジャブにまがりにまがった機嫌がほんのすこし直るのがわかる。やっぱりかわいい奴だ。女の子は二口と、そのむこうのレギュラーたちに手をふる。はたき落とされた手をさする姿が可哀想で、これもたぶん少なからず俺のせいだけど条件反射みたいに二口の頭にげんこつをしてやった。


「じゃあな、お前のいとこは俺がちゃんと送るからお前は安心して練習してなさい」
「茂庭さんが来てくれるなら俺、毎日いとこつれてこよっかなー」
「嫌味か!」
「なんでです?」



+



気付いてないかもしれないけど二口の機嫌をそこねてしまったこと、単純に暑いこと、そんな理由で二人ぶんのアイスを買ってあげようとコンビニに寄った。遠慮する彼女に俺がそうしたいことを伝えるとようやく「これ、二人でわけます」とパピコひとつだけを手に取ってくれた。これが二口だったら箱のアイスとか一番高いものを選ぶんだろうと思うとまったく笑えないのに少し笑わされる。


「じゃあ、モニワさん、に御礼です。すっぱいの大丈夫ですか?」
「ぶはっ!これ二口もよく食べてるよ」
「ほんとですか!?」
「そーいえばいとこに貰ってハマったって言ってたっけなぁ…」


取り出されたグミをひとつもらう。このじゅわじゅわとしたすっぱさはいつ食べても得意になれない。二口のいとこと二人でこの道を歩くことが今になって奇妙な状況に思えてきたけど夏の暑さがそんなものを溶け落とす。


「モニワさん、あの、堅治はちゃんとキャプテンできてますか?」
「あー…」
「あ、正直にお願いします…!」
「実は俺、体育館避けちゃってて。見たら戻りたくなることわかってるから」


こんなこと相手がバレー部なら言えたものじゃないけどこの子に隠すようなことはひとつもない。
聞いてはいけないことを聞いたような顔をさせてしまった。
重く受け取らせるほど言葉に気持ちが乗ったのかとぞっとする。けど、たぶん、戻りたいって一生思うと思うんだ。


「話に聞く分には案外やれてるみたいかな、二口キャプテン」
「あ、よかった…!」
「案外って、信用してるから任せたのに変な言い方だな俺…」
「なんで堅治が?とは思いますね、わかるんですけど、なんで?って」
「まあ他に向いてるのがいないっていうのもあるけど二口は試合になると頼もしいし、あれで周り見えてるし、向いてるんだよ。あ、あれでとか言っちゃってごめん!」
「そのとーりなんで大丈夫です!私堅治と四年くらい会ってなくて今の堅治はあんまり知らないんですけど、昔からいじわるで、でも優しいんです。私がしてほしいこと、言わなくてもできちゃうんです」
「根はいい奴なのにな。どうしてああなんだ…」
「モニワさんたちが優しいから甘えてるんですね」
「甘え下手か…」


小憎たらしい甘え下手な後輩のために、俺もキャプテンとしてのプレッシャーくらいは聞いてやらないとだな。まあ言わないだろうけど。誰かに話したって結局は慣れみたいなもので、乗り越えるのは自分で、俺に鎌ちと笹谷がいたように二口にも青根と小原が居る、かわいい後輩がいる。


「堅治にモニワさんみたいな先輩がいてよかったです」


わかってくれて、応援してくれている人が居る。
この子が、あの二口が大事にしている子か。
二口を褒められるとすっぱいグミを食べたときのように顔をくしゃくしゃとさせて嬉しがるこの子の頭を撫でてしまいたくなる。二口の顔が浮かんでやめる。わかりやすくて、かわいい二人だ。
照り返しの熱のなかぼんやりと、大事な後輩の行く末の幸せを願った。



20140724

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