俺にとってその女の子は夏のおとぎ話だった。
幼稚園児のころからずっと、その子が現れるのは夏だった。二年連続で現れたときもあれば、何年も現れないときもあった。会いたいときに会えないその子に会えたときのうれしさは、ときたま母親の気まぐれでつくられるパフェとも雨上がりにぐうぜん見つけた虹とも違う賜物だった。何の比にもならなかった。そのぶんその子が帰ったあとのからっぽは、夏のあついとき扇風機の風のなかで見る夢のようだった。
うれしさも寂しさも、すべてが現実ばなれしていた。

最後にその子の姿を見た日は四年も前になる。四年といえば俺の人生の四分の一で、結構な時間だ。だから、母親にとてもいきなり「愛子ちゃん来るからね明日」と大ざっぱな言葉をかけられたって、頭はフリーズするだけでなんの感動もない。懐かしい名前だと思った。四年も経てばおとぎ話も夢のない昔話になっていた。昔々、とても離れがたい女の子がいた気がするなぁ。その程度のことだ。

「お盆も過ぎたのに?」 「愛子ちゃん補習があったみたいでね、堅治もバレーの予選あって忙しかったじゃない?キャプテンさんだし」 「あ、あの子あいかわらずバカなんだ…痛っ」 「おバカなこと言ってないで部屋でも片付けてきなさい」 「…まじで来んの?」 「まじよ」 「まじかー」

とりあえず夜中まで部屋を片付けて、気絶するように眠って起きて。
部活行って練習終わって青根にだけ「いとこ来るんだ」と話してやればノーリアクションで。
駅のトイレで鏡見て、前髪がきまらなくて、苦し紛れに先輩にもらった俺のシュミじゃない香水でもつけてみようかと思ったけどそんなもん部屋のどこかに置いたままで。
いま、家のドアの前に立ち尽くす。
西日のせいで肌がちりちりと焼けていく感じがする。
母親は、午前中俺が家を出るときには「愛子ちゃん迎えにいく準備しないと」と言っていた。もうこの家のなかには、あの子がいる。ひとりで、遠いところから、電車を何時間か乗ってやって来ている。
現実味なんかひとつも無いくせに、存在感になぜか圧倒される。
いいかげん家に入ろうと長い息を吐くと、手もつけていないドアが向こうからあけられた。


「ウギャッ」
「えっ、あ、久しぶり…!おかえり!」
「おー、まじでひとりで来たの?よく来れたねあの泣き虫ちゃんが!つーか補習うけて日にちずれたらしーじゃんこんなとこ遊びに来てる場合かよ〜!しかも一週間も〜!?」
「ひどい!久しぶりなのにひどい!」
「てかなんでドアあけてんの?もう帰んの?」
「あ、そろそろ帰ってくるって聞いたから、駅まで迎えにいってびっくりさせよーかなって」
「迷子の迷子の子豚ちゃんになったらどーすんだよ」
「子豚じゃないっ!」
「俺先にシャワーあびてくるけど俺の晩飯食うなよ〜」
「遠まわしにデブって言ってるよねそれ!」


はしゃいでるだけよと言う母親の声と小突きを背に自分の部屋にむかう。荷物をおろすと引っ張られるように身体もしゃがみこんで、誰に見られているわけでもないのに隠すように頭を膝に埋めた。
意外と緊張なんかしないもんだと思ったら、とにかく口を動かすことに必死だったせいで緊張やら何やらが今になってこみ上げてくる。
同じ年の、ほとんど他人状態のいとこに会うのはこの年になるとちょっとだけ照れがある。いとこが女の子だから、女の子が同じ屋根の下に居るというだけでそりゃあもう、うれしい。本能みたいなものだと思う。工業生だとか部活だとかでいい出会いが無いからって、手近ないとこに何かをしようなんて思わない。どうにかなろうなんて思わない。けど、とりあえず、中学のときにイイカンジになった子とか見られたくないから卒アルなんか隠してしまおう。こないだ紹介された子のラインもほっとこう、っつーかこっちは部活あんのに会いたいとかうぜーからもうブロックしよう。
無駄な身辺整理をする自分は惨めを絵に描いたような姿でなさけない。いとこに彼氏がいないとも限らないし、と考えはじめれば自分が何を期待してるのかわからなくなって頭のなかはぐっちゃぐちゃ。いとこ一人でざまぁない。


+


母親のとなりに立つ後ろ姿は俺の知ってるいとこじゃなくて、知らない女の子がいるみたいだ。伸びて染められた髪も、細い腰も、白いふくらはぎも、あんまり舌っ足らずじゃなくなったしゃべりかたも、ぜんぶ知らない。
振り向かれて、無意識に舐めまわすように見ていた罪悪感から眉間にしわを寄せてしまう。そんなのお構いなしに小動物みたいに駆け寄ってきて、今度こそしっかりと顔を見てやれば、もうなにも言い逃れできないくらい気持ちが高揚した。


「堅治おがったねー!おがったねって宮城の方言なんだよ、覚えた」


久しぶりに呼ばれた名前は昔よりも流暢で、まったく会ってなかった時間を埋めるように耳に残る。いとこの愛子ちゃんが来たんだと思い知る。


「愛子ちゃんも変わったねー、なまいきに化粧なんかしちゃって。昔は俺より男の子みたいだったのに」
「堅治がかわいすぎただけでしょー?でもあんまり変わってないね、今もかわいいね」
「それうれしくねーよ。てか身長ちぢんだ?なんか遠いんだけど」
「やめてよ堅治がおっきくなったんだよー。バレーしてるんでしょ?しかもキャプテンなんでしょ?堅治が!ひとの大事なぬいぐるみ隠してにこにこ笑うようなあの堅治が!なんで!」
「知らねーよもーうるせー。ほら、昔みたいに飛びついて泣いていいよ」
「昔の話はやめてっ」
「愛子ちゃんもしてるじゃん」


わざわざぶさいくな顔をつくる愛子ちゃんと、笑いがこみあげてしかたない俺のあいだを母親が通っていく。手に持つ皿は愛子ちゃんの好きなからあげが山盛りにされていて、愛子ちゃんはすっかり笑顔になっていた。おい、俺よりもからあげのほうがいいのか。


「昔昔って、ついこのあいだじゃない。愛子ちゃんが堅治に飛びついたのも」
「堅治のママもやめてー!」
「堅治が愛子ちゃんの手をはなさなかったのも」
「なぁマジでやめてくんない若くてきれーなお母様」
「はいはい、おじゃましてごめんね」


大人は昔のことを昨日のことのように言う。
昔はこどもながらに必死だったから、手を離さないときもあったかもしれないし、大事にしてるぬいぐるみを隠してしまったこともあったかもしれない。そうすればずっと居てくれるんじゃないかって、思っていたかもしれない。
今はもう、帰んないでって望むだけしんどくなることをよく知ってる。
遠くに住むいとこが遊びに来れば遠くの家に帰ることは当たり前だとわかってる。
だから、愛子ちゃんと居る時間はできるだけ無いほうがいい。
みっともなくならないように、寂しくなんかならないように、いとこでしかないから、そうするしか思いつかない。
俺が愛子ちゃんとずっと一緒にいたかったのは昔の話だ。


20140709

×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -