時計の針が五時をすぎていて、そろそろ祭に行く支度でもするかと立ち上がると「屋台回りたいでしょ、お小遣いあげるからちょっとお掃除おねがい」と母親に風呂場まで背中を押された。それはべつにいいけど何も今じゃなくてもいいじゃんかと文句を言ってやろうとしたら「お母さんもお祭り一緒に行こうかな」という面倒極まりない展開への発言を落とされた。自分に都合のいい展開をつくるのは慣れたもので、コンマ一秒でたくさんの分岐点をシミュレーションして丸くおさまる言葉を見つける。


「あー、じゃあ一緒に行く?でも父さんの飯どうすんの?」
「そうなのよね〜レンジでチンじゃお父さんわびしいわよねぇ」
「疲れて帰って愛する妻がいないと寂しいじゃんな」
「でもたまにはいいかしらね」
「俺が父さんだったら家出だ家出」
「ふふっ、堅治はいやなこと顔に出ちゃう子ね」
「はあ〜?」
「お母さん行かないわよ、人混み疲れちゃう」
「…かわいい息子で遊ぶなよー」


攻防していたつもりが転がされていただけで、愛子ちゃんとふたりで行きたいということは暴かれるまでもなく自ら晒すようなことになっていた。「可愛いから可愛がってるのよ」と洗面台の鏡にうつる笑顔は自分の母親だというのに魔物に見えた。問題児だのなんだの言われる俺はだいたいがこの人に似てつくられているんだと思う。

母親の身長じゃ高いところが洗いづらいんだろうなと目についたタイルの溝に洗剤を吹きかけてブラシで磨いていく。袖までまくって張り切ってみたものの目立った汚れはなくて、この労働の必要性があんまり感じられない。泡まみれになった浴槽をシャワーで洗い流していく。でもあと一、二時間もしたらどうせ父親が入るんだからなんだか不毛だ。
つーか冷静に考えてみると毎日ここで愛子ちゃんは裸になってるわけで、そう思うと、冷静なんかでいられない。いっしょに居て胸が当たるなんてラッキーは今まで無かったけど見た感じの膨らみはCカップくらいはあるのかなとCカップがどのくらいかも知らないくせに思う。笹谷さんみたいなプロのエロは目利きができそうで、尊敬はしないけど今ちょっとその能力が欲しい。腕やほっぺたがあれだけ柔らかいならとーぜん胸もそうなんだろうなと掃除の手をとめて頭だけフル回転させる。愛子ちゃんに申し訳なさのかけらもないことが申し訳ない。しいて言うならただ虚しい。
もうさっさと祭に行ってしまおうと風呂場から出て行くと、愛子ちゃんに貸している部屋から母親と愛子ちゃんの楽しそうな声が聞こえる。


「掃除終わったぁー」
「じゃあ堅治も着替えておいで」
「はいはーい」


ドアごしに返事をして自分の部屋に足を進める。愛子ちゃんは薄い色の服をよく着てるから俺も白っぽいのがいいのかなぁとか黒とか紺のが好きかなぁとか手持ちの少ない服を比べ見る。背が高いとなんでも似合ってうらやましいと作並筆頭に言われることもあるけどこの身長になると着れるものも限られてくるし、そもそも私服で遊ぶ時間もないし相手もいない。今までに受けてきた女の子の紹介はどれも部活以上に時間を割けなかったし、好かれようと媚びられることに冷める自分がいた。知らない女の子に手紙をわたされたこともあったけど気分がいいだけで相手を深く知りたいとは思えなかった。かわいいと思う女の子はそりゃあ居たけど好きだとか付き合いたいとか思うまで発展するようないい出会いも無かった。
考えれば考えるほど愛子ちゃん以外の女の子がどうでもいい人生だと気付く。愛子ちゃんを好きなことだって気のせいだと思いたい、そのほうが楽だ。愛子ちゃんから見た俺はただのいとこだし、俺から見た愛子ちゃんは夏の暑さが見せるまぼろしみたいなものだ。そうでも思ってないとむしょうに胸が痛くなって何をどうしたらいいのかわからなくなる。俺が愛子ちゃんを好きだとして、好きだからって、どうしろという話だ。
考えることをやめるために財布だけ持って部屋を出る。愛子ちゃんのいる部屋に行くとちゅうで目に入る玄関で母親と、涼しい色の浴衣を着た女の子が立っていた。


「あら固まっちゃった」
「…浴衣持ってきてたの?」
「まさか。お母さんの一日で乾かしたわよ、堅治のことびっくりさせたくて。コサージュも今日買って。女の子誘うならもっと早く誘いなさい?」
「愛子ちゃんだって来るつったの前の日の晩だったし」
「それはお母さんのいたずら心よ」
「最低か!」
「はいお小遣い」
「千円だけとかマジで?」
「かわいい愛子ちゃんで充分でしょ」
「あー…かわいいっつーか…」


ごつんと頭を殴られて、わたされた千円札を財布にしまう。昨日の砂が残ったようなざらついたサンダルをはいて、いってきますと外に出た。
かわいいっつーかまごにもいしょうというか、愛子ちゃんはピンクとか赤とかかわいい色のほうが似合うんじゃないかって思う。あんまりにも美人で愛子ちゃんらしくなくてびっくりしたって言ったほうが正しい。そう言いたいけどうまく言えなくて、しまいに「もういいよ」と笑われた。
祭がある神社までの道をしばらく歩いて行くと人が増えてきて、遠くの方には夜店も見え始めてきた。暗くなってきた景色に電気の黄色とか夜店の赤色がぼんやり浮いて見える。


「てか俺歩くの早い?」
「ううん、いま脚かゆくて、かきたいけど我慢してて」
「ミズムシかよ」
「ちがう!昨日さされたんだよ、ほら」


北斗七星みたいでしょ、とロマンチックでもなんでもない例えで出された虫さされあと。このふくらはぎは家で毎日見てるはずなのに、浴衣から出されると破壊力がまったく違う。やめなさい、とどこかのモニワさんみたいな言い方をして屈んで裾をまくる手をとる。愛子ちゃんの手は今日も俺より小さくて熱くて、そのまま手を繋ぐように握ってみた。俺が浴衣姿の愛子ちゃんを見たときみたいに愛子ちゃんも固まって、男慣れしてないのかなとちょっとだけうれしくなる。手と手が繋がって、体温以上の熱がうまれて、いやがらないならこのまま繋いでてやろうかと離せないでいると、夜店が並びはじめる道の手前の信号で見知った姿が見えた。あ、と同時にお互いの存在に気付いて、俺も自然に愛子ちゃんの手を離す。


「そっか、このへん二口の地元だったな」
「えーと、笹谷さん、ちわっす。じゃあ」
「早くね?もっとつもる話あるだろ」
「あ、春高予選応援あざました。じゃあ」
「彼女?」
「…いとこっす」
「浴衣いいなー趣あるよなー」
「笹谷さんそーゆーとこスケベなおっさんくさいんですって」
「おいスケベはいい、でもおっさんて言うな」


にやにやとスケベなおっさんみたいな笑い方で、ずいぶんと楽しそうだ。手繋いでるとこ見られたなこれ。


「ほんとにいとこ?べっぴんさんだねー」
「あ、ありがとうございます、いとこです、堅治がお世話になってます…!」
「ちょいちょい、なに後輩のいとこナンパしてんすか」
「意外と束縛するんだな、ケンジ」
「はあ!?」


俺の肩に手を置いて、からからと笑う。居心地の悪さしか感じられなくてむりやり会話を切るように道を進む。笹谷さんが誰と待ち合わせをしてるのか聞きそびれたけど嫌な予感しかしない。


「今のは何さん?」
「おっさん」
「こら堅治」
「笹谷さん」
「ササヤさん、覚えた!」


茂庭さん、笹谷さん、とここまできたらあと一人の顔が浮かぶ。ぜったいうるさいから、ぜったい面倒くさいから、いやだやめてくれ。おさまらない嫌な予感をつれながら夜店までさしかかる。小さい祭なのになかなか人が押し寄せていて、浴衣の人をちらほらと見かけるたびに贔屓目なしにうちのいとこが一番だと浸りたくなる。他人に見せるのはもったいないからもうお面でもかぶせてすこしでも隠してしまいたい。


「あ、亀すくい」
「命で遊んでるよな〜」
「金魚!」
「あれは食えねーよ」
「食べないよ!」
「半分こできるやつのがいいな、いっぱい食える」
「あー堅治、ヨーヨー」
「とる?」
「とって!」
「おっけー」


百円玉三枚わたしてこよりを貰う。おっけーなんて軽く言ったもののこんなの小学生以来だ。どれがいい?と訊けば「堅治に選んでほしい」とまた難しいことを言う。白は似合う、ピンクや赤はかわいいし、水色とか淡い黄色も浴衣に似合う。んー、と決めた色の手前でうんこ座りしてそっとこよりを降ろす。こんなの青根がしたらすぐ千切れて肩を落としてそうで、想像ができすぎて笑いそうになって手が揺れる。こよりを震わせているとケツからラインを通知する音が何度か鳴って、うるせえなと集中力までそがれる。せーの、と勢いだけで針金を輪ゴムに引っかけてぱしゃんと跳ねたヨーヨーを左手で受け取る。なんか取り方が違う気がするけど取れたものは取れたから、そのまま愛子ちゃんに手わたす。


「緑!ありがとう!」
「それでよかった?」
「うん、堅治のユニフォームの色だね」
「あれなーめちゃくちゃダセェって思ってたけど着てると愛着わいてくるよなー」


そういえばとラインの通知を思い出した。嫌な予感が的中してたら嫌だけど、この嫌な予感をぬぐい去って楽しみたいためにスマホを取り出す。鎌先靖志。見えた名前にやっぱりあんたかとつっこむ。
<いまどこだ><先輩としていとこにあいさつする義務がある><笹谷と茂庭は会ったらしいじゃねーか!>
これ最後のが本音だろ、自分だけ俺のいとこと会ってないのがさみしいんだろ。<既読無視か>そうです見ての通り既読無視です。あ、なんかちょっとおもしろくなってきた。<ぜったいに見つけてやるからな!>こえーよ。


「堅治…?」
「なんでもねーよー、なんか食いたいのある?」
「モニワさん!」


はあ?と愛子ちゃんが指さす方向を見ると茂庭さんと笹谷さん、それから鎌先さんがいた。部活も引退した男子高校生が三人も集まってなにやってるんだか、誰かひとりくらい彼女いてもいいだろうに。いろんな意味でゆるむ口元をそのままにして、「おいこら二口!」と寄ってくるガラの悪い先輩を迎えてやった。



20140806

×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -