彼岸



花も草も無い薄暗い河原でひとり、石を積んでいた。
お館様に名前を呼ばれ、積んでいた石の山がからころと音をたてて散った。自分は常にお館様の隣に居たはずだがいつのまにこんなにも離れてしまったのだろう。声がずいぶんと遠い。常にそばに欲していた声に振り返りたいがままならず散った石をまた積んでゆく。これがお館様に報いることになるのだと鬼が言ったのだから止めることなどできぬ。
今度は佐助に呼ばれ、もしや怒っているのだろうかと耳を塞ぎたかった。この佐助も隣に居た筈なのだが居ない。積んでいた石がまた散る。佐助はやはり怒っていた。忍びを使い捨ての道具のように扱えと言うお前に、怒りたいのは俺のほうだったが佐助の声は泣いていたので俺は笑った。佐助、お前が道具ではなくて良かった。
石はいつまでたっても積み上がらない。積みつづけた両の手は血にまみれていた。自分のものか討ってきた幾多の兵のものか。目の前を流れる川でその血を落とそうと立ち上がる。川のずっと向こうから、「生きろ」と声がする。とうの昔に戦で失った父上の声を思い出した。父上はあそこに居られるのだろうか。進む足は止まらず片足を川に突っ込んだとき、おなごの泣き声が聞こえた。遥か遠くのような、頭の中から聞こえるような。姿は見えないが声の主は容易に目に浮かぶ。もう泣かないでくれ。やめろ。泣きやめ。俺はお前を泣かせたくない。


此岸



「泣くな」
「幸村様っ!」
「……」
「ゆ、幸村様、幸村様」

夜なのかろうそくだけが眩しく、あの河原よりも暗い世界が見える。しかし比べようもなく暖かい、楯無鎧があるこの見慣れた広間。武田の屋敷。極楽浄土とは他でもないこの甲斐のことなのではないか。俺は死んでしまったのだろうか。先刻の川は何だ。
お館様に知らせて参ります、と言い立ち上がろうとするその手を取りたかったがそんな力も入らない。痛む腹に力を込めて声を絞り出す。

「此処に…居てくれ」

彼女は泣き止むこともなく、今度は嗚咽まで混じっている。俺の声は届いたのだろうか。俺はまだ生きているのだろうか。死にかけていた実感は無いが生きている実感も無い。ただこの傷と心の痛みはその証なのだと思う。

目を閉じると強く名前を呼ばれる。少し眠りたいのだが心配をかけてまで眠ることはできない。手を差し伸べると熱のある手に包まれた。そこから熱が広がってまた傷がうずく。なまえが居るならば痛くたって恥ずかしくたって構わない。

「泣き声はつらい」

そう言っても泣き止むことはないが、少しずつ言葉が紡がれる。この傷はとても深いものらしく、お館様や佐助は心を深く痛め、二人のみではなく自分や甲斐の者すべてがこの幸村を思っていたのだと言う。大失態だ。早くお館様に叱ってもらわねば。

「おいしい物たくさん作りますから、ぜんぶ食べてください、ね」
「早くお館様といただきたいものだ」
「それと幸村様は先刻そばに居ろと申されましたが、それは幸村様にも言えることです」
「………すまぬ」
「私を一人にしないでください」
「ああ」
「おそばに居てください」
「居よう」
「幸村様が生きてさえいてくだされば何もいりませんから」
「…これほどまでに泣くとは」
「誰のせいですか」
「すまぬ、本当に」

責められているが嫌な気はしない。なまえがそばで泣いていたからこそ俺は三途の川に足を踏み入れようとも帰ってこられた。
「しかしなまえ、戦に出るかぎり二度とこのようなことが無いとは約束はできぬ。旗印の六文銭の意味はわかっておろう」
「…はい」
「が、俺はお前を一人になどせぬ」
「また滅茶苦茶を」
「俺が離れたくないのだ。だから俺は死なぬ、離れぬ」

無茶は重々承知だがこれが俺の道理だ。本当はこのような話はあまりしたくない。耳鳴りが煩わしい。かよわき手が震え、頭を撫でてやりたくなる。気力で起き上がり指で涙を拭いてやると本当に安堵したのか笑顔が見えた。その笑顔で俺も初めて安堵した。
ろうそくの炎が消える。縁起でもないと火を灯そうとする手をとって心の臓の音を伝えた。そのまま小さな身体をつつむと震えは止まり、ぬくもりだけが互いを行き交う。
大丈夫。生きている。
相手が痛むくらいに強く抱きしめて、暗闇のなかで俺も少し泣いた。


20110910

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